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弱り目の七月

7月3日
雨なので、家にいる。
かなり弱っているので、引きこもる。
取りあえず、明日はお泊まり。
その先の対策を講じねば。

今日だけは、一人にしてくれ。
一歩も外に出ず、誰とも会話せず。
自分とも対話したくない。

7月2日
あああ、どないしたらええねん。
月参りをすませ、一度家に帰り、稽古の準備をする。
嫌な予感はしていたが、すぐに連絡があり、「頼みたいことがあるから、一緒にお昼を食べよう」という。
それがまた「お稽古場に持っていって、渡して欲しい」という頼みだったから、どうしても稽古前にあう、逃れられない状況に持ちこまれる。

当然、娘である母にも祖母は頼んでいたらしく、母からも切り出され、つい「もう直接聞きましたから、言われなくてもわかっています」と答える。
実は、朝に坊さんが来てあわただしかったことに紛れて、印をせず、約束せず帰ってきたのである。
さすがに極悪非道になりきれず、昨晩からそして家に帰って、頭を悩ましていた。
予定は未定と言うことで、とりあえず「絶対」という約束で、来週と再来週の月曜の夜に泊まりに行くことにした。
さりげなく書いてくるのを忘れたふりをして「だから、伝えておいて」というと、「他の曜日は?まだわからないの?」と追い立てるように聞いてくる。
あかん、また吐き気してきた。

「考えているけど、こっちかて予定がまだちゃんとたってへんし、ちょっと体調悪いから、逆に心配かけられへんやん」と切り返すと、
「あんた、頬こけてるみたいやけど、痩せた?」ととってつけたように言う。
そこへ父は鬼の首でも取ったかのように、「義理の母」問題を押しつけられている「娘」を理解している「父」として「あまり無理せんでもいいよ」とかのたまう。
基本的に間違っているのはお宅らやん。
と、心の中で吐き捨てつつも、口に出せず、飲み込むだけ。

稽古に行っても、稽古自体が祖母も母も習っているから、話がややこしい。
どうして、いくら近くに住んでいて一緒に稽古しているからって、同じ屋根の下にすんでいるわけでもない「母」の予定を、「祖母」の加減を、「当然知っているモノ」として私に尋ねる人がいるのだろう?
「さあ、忙しくて会っていませんので知りません」というと、一様に「えっ?」と驚いたような反応をするのは何故だろう?
もう「なくなった」とされつつある緊密な家族あるいは近所づきあいを、当然として生きている人たちが私の周りに多いだけか?
それとも、やはり私が狂っていて、世間という社会に参加する事ができない、関係性が作れないと言うことなのだろうか。
後者であるという事にした方が無難やね。

7月1日
まいったなあ。
何のために主治医のところいったんやろう。
お言いつけを守られへんかったら、主治医のところ行く意味あらへん。
もう因果なんやろうか。
業が深いんやろうなあ。
やはり「死」しか解決方法あらへんのかなあ。
でも、それは言うたらあかんしな。

とにかく、2月以上主治医のところに行かず、薬だけだったので、基本的には「来なくていいぐらい調子がよい」と思われていたと思う。
そこへ、また痩せて、ふらふらになってたどり着いたので、主治医も何事かと思ったであろう。
ぼそぼそと話し出し、気付けばぼろぼろ泣いてしまった。
まあ、そのために通っているんだけれどね。

それでも、やはり回復していると思ったのが、薬も増やされず、結構自分での自分に対する分析?が間違っていないことだった。
ただ、実行できるかどうかが己の問題である。
だったら、医者はいらんやんと思うかも知れんが、この自分で自分に与えた解釈が果たしてそれでいいものがどうか、こう思ってこないしたいねんけどええんやろうか?という確認作業が必要なのである。
自信を持って自分でゴーサインが出せない判断状態にあるから。

基本的なことだけれど、自分の底知れない邪悪さや卑劣さを「持っていてもいいよ」と言ってもらえることは、大事なことである。
誰だって世間が「よい」と判断するであろう事は、簡単に言えるし、思い当たる。
どうしようもなく追いつめられるときは、底知れない「邪悪さ」に抗しきれず、それがただ、自分が他と比べて「異常」「狂っている」と思いこむきわどさにあるときである。
元気なとき、健康だと自分で思っているときは「人間は狂っているもんやし」とか平気でいえる。
「誰かて卑劣で邪悪な部分を持っていて当たり前やわ」と笑い飛ばせるときである。

確認作業を終え、少し気分が軽くなった気がして、現金なものでちょっとお腹空いた気持ちにもなった。
さんざん引き延ばしていたので、明日が振り替えで「月参り」と言うこともあり、家で少し休憩して、冷蔵庫に食べ残したものを食べ、10時頃に祖母の家に泊まりに行く。
まだまだリハビリ中なので、最初は挨拶だけして2階に行く。
けれども、やはりまた気になって、10時半頃に居間に行く。
祖母と二人だけになって、ちょっとした沈黙ができた後、祖母から切り出されてしまった。
「どんなに夜遅くなってもいい。朝早く出てしまってもいい。そのために鍵も渡しているから。6月はお能が終わって忙しいかと思っていた。けれども、もう落ち着いたと思うし、お能も終わったから稽古も大変じゃないから、最低週2回ほど泊まりに来て欲しい」
と言うようなことを、ぽつぽつと言われてしまった。
はああ、痛い。
年齢からして、祖母に対して邪険にはできない。
そこから攻められては、落ちるしかない。
とはいえ、私が先立ってもどうしようもないし、きっとそんなことは思いもしていないだろうなあ。
なにか勘違い(お能が終わったから、稽古が忙しくないとか)しているところがあるのでは、とも言えず、「できるだけ調整します」とだけ言うのが精一杯だった。

今日、主治医のところに行けなかったら、きっとこの一言で、また判断能力を失い、私は無理して大体の曜日を設定するなど、すぐに返事していただろう。
そして、そのことによって、さらに追いつめられ、「研究」すらできない状況に落ち込んでいくところだったかも知れない。
ひどい言い方だが、仕方がない。
向こうが望む「孫」と役割を引き受けてしまったら、自分で自分に落とし前をつけなくてはならないのだから。
とりあえず「カレンダー」に泊まりに来られる日を印しておいてくれ、という言葉に「わかりました。後で手帳見て考えます」と先延ばしだけした。

やはり、狂っているのは私か。

6月30日
がーん。
落ち込んだ。
大ショックである。

自分でも、「ちょっと痩せたかなあ」と思っていたが、今日の健康診断にはやられた。
毎年、同じところで計測しているので、過去四年間の記録が受診表に載っている。
身長は変わらない。
問題は、体重である。
昨年は秋に測定した。
その前の年までは5月か6月頃だったと思う。
昨年は一応パートのおばちゃんであっても、収入をわずかながら確保した秋だった。
その前は、おそらく博論の草稿を提出してホッとした後だと思う。
その前年は、1年間の「休学」から復帰した春だった。
そしてそこに記録にある一番古い年は、その前々年、すなわち休学する前、夏に倒れたので、倒れる前の体重である。
ぱっとみると、入学してからあまり変化せず、休学から復帰、倒れた翌年に休学しているから、最低に体重が落ちてどうしようもなくなっていた頃から1年半立って、入学当時よりも3kgほど痩せたとはいえ、最低記録よりも随分戻っている。
昨年と一昨年は、それより1kg弱ほど増えたか増えないかでほぼ一定している。

が、今日の測定は、約4kg(正確に言うと3.8kg)も落ちていたのだ。
ダイエットなんてしておりません。
2kgぐらい痩せたことは感じていたし、家の体重計でもそれに近い数字は見た。
でも、思っていたよりも落ち込んでいてショック。
これが、「ダイエット」しているのなら、「嬉しい」数字だろうが、そんな健康的な痩せ方ではないことを一番痛感している。
この数字はおそらく約1週間で落ちた数字である。
ちなみに、健康なとき、「断食ダイエット」を1週間近くしたことがある。
それでもこんなに体重は落ちない。
どおり、立っているのもつらいぐらい立ちくらみがすると思った。
完全に体力が落ちて、「不健康」になるほど身体さんが「拒否」して、実行手段に出たとしか思えない。
もう一つ、ショックなのは、視力が半分ぐらいに落ちたことである。
体調によるのだろうが、検査機を覗いた瞬間に「あれ、よく見えない」と思った。
眼が痒いようなしばしばしていたのはこの1週間ずっと同じである。
あーあ、他も最悪みたいだし、再検査かなあ。

そういえば、先週ぐらいからいろいろ失態が続き、同僚に「おがわさん、なんか弱ってますね」とか「疲れていますね」とは言われていた。
でも、自分でも鏡を見てやばいなあと思っていたことが、ある規準の数値で証明されてしまうと、辛い。
問診でも「痩せたみたいですが、体調不良とか最近変わったことは?」と聞かれ、「ちょっと、夏ばてでしょうか」と答えると、それでOK。
そんなんでええんかいな。

みんなでランチを食べるときに、もう2週間以上冷蔵庫に置いているリンゴがある。
そして、昨日から手をつけずにいた総菜パンが二つある。
どれもあまり食べたくないが、しなびかけてきたリンゴを先に食べる。
当然、もうパンは食べられない。
同僚たちに「ちゃんと食べないと駄目」と言われる。
わかっているんだけどねえ。

仕事をして、家に遅めに帰る。
さすがに「なんかお腹が空いた」と思い、少し栄養がありそうな食欲をそそりそうなものを夕飯に用意をした。
でも、二口ほど食べただけで、「あかん、もう食べられへん」とギブ・アップ。
食に対して貪欲な私が、これだけ、しかも自分が食べたいと思ったものを身体が受け付けないのは、もう相当まいっている証拠である。
とりあえず、明日は何が何でも主治医のところに行かなくては。

6月29日
かなり、やばいかもしれない。
朝、というより、ほぼ1時間事に目が覚めて、うろうろする。
おそらく異常に暑いせいだと思った。
昨日、夕立が降ったために、湿度が嫌なほど増している。
むしむしして、汗でべとべと。

朝5時前には起きて、ベランダで涼を取る。
くらくらするので、窓の近くのソファに身を横たえると、完全にダウン。
気持ち悪い。
あれ、二日酔い?
そんなに飲んでいない。
でも、汗がじとーっとにじみ出てくる中、足先は冷えて寒気がする。
そのうち、お腹が痛くなり、それがやむと、どんな姿勢にしてもたとえがたい気持ち悪さにとらわれる。
自分がどうして身体を扱えば、どんな体勢にすれば、居心地がよくなるのか?
それが全く見つからない。
そういえば、先週末より微熱が続くが、それは「暑さ」のせいだと思っていた。
今朝も微熱だが、医者にいったとしても、この自分の耐え難き気持ちの悪さ、痛みとも吐き気ともめまいとも、どう表現しようとも、思いつく限りの語彙のどれもがほど遠いこの気持ち悪さ、これを伝えられなくては、いきなり外来で医者にいっても無理だと思った。

家中をのたうち回り、吐くに吐けず、全身がしびれていくのを感じながら、さらにのたうち回る。
9時過ぎに漸く落ち着いて、汗でべたべたの身体をシャワーで流す。
鏡を見てびっくり。
なんか、どうみても痩せている。
体重は少ししか落ちていないのに・・・

気を取り直して、「稽古」に行く。
無心?に稽古をすませ、あう人たちが「痩せた?」と聞かなかったことに安心して「きっと、思い込み」と午後は、お誘い頂いた発表を聞きに行く。
発表者は、なんとなく思っていたが、実は二~三回あったことがある人だった。
ちょっとばかし、きつい質問してしまったかなあ。
おそらく、私の推測だが、今回の発表で扱い、実際に一部を見せて下さった映画『鞍馬天狗』(1942)を、事前に観たことがあるのは、発表者以外私だけかも知れない。
そして、皮肉なことに、発表者よりも私の方が映画「鞍馬天狗」シリーズを観ていたために、「この作品がこれまでのシリーズと違うものである」という主張をやんわり否定したかたちになってしまったのだ。
後で、個人的に思わず謝ってしまいましたが。
だって、ビデオになっているから観ていると思っていたんやもん。
略歴をみると、すでに講師もしているので、ついつい言い過ぎました。反省。
人の発表に質問し、その不完全性や言いたいことがわからないという指摘をするのは本当に簡単だと思い、そして、「もし自分がこの発表をするとしたら」と置き換えると、自分でもやはり私が質問した基本的事項と思っていたことが「できない」のでは、と痛感する。
いやいや、怖いものである。

その後、頼もしい学生さん相手に遊んで、気持ちよく帰ったら、また腑抜けに戻る。
朝から、水分以外、何も口にしていない、つまり食べていないことに気がついた。
本当は食べようと思って、総菜パンも買っていたのだが、目の前においてあるだけで手が出ない。
21時過ぎになって、明日が「健康診断」であることを思い出し、今日一日何も食べず、おそらく明日の朝も何も食べられず、それで血液検査はまずいだろう、となるべくあっさりとして、そして栄養のあるものを食す。
身体が拒否して、お腹が痛い。

もう、これは、薬で「眠る」事で身体をだますしかない。

6月28日
日文研に出勤。
出勤前から、少し気分が悪い。

実は、昨日お昼前に「お腹が空いた」と思って、「久し振りにアレンジ料理なんてしたりして」とイメージと食べたい味を求めて、遊んだ。
いろいろ、味のバリエーションをつけられるように、少しずつ調味町を加えたり、違う組み合わせにしたりして、食べていたのだが、食べ終わる直前に、「あまりにもお腹がいっぱいかも」と思いながら、「でも、一口残すのは」と悪い癖が出て、勢いで食べた。
それが胃にもたれて、夕食はあまり食べられなかった。
正確に言うと、かなり強い胃薬を飲んでも、胃にもたれて解消しなかったのだ。

朝も暑くて、暑くて、水分ばかり求める身体に対し、食は全く落ちてしまった。
お昼御飯も家から持っていったが、先週いや6月に入ってからかな、朝ご飯を食べたくてもどうしても食べられない事が多いので、「お昼はしっかり食べよう」と家からいろいろ持っていく。
にもかかわらず、食べきれなくて、プロジェクト室に一品あるいは一素材ずつ、冷蔵庫に残して帰ってしまう。
冷凍庫にも食べられなかったパンが冷凍されている。
困ったものだ。

今日は以前研究生として日文研に来てはった人が、今京都にいるというので、親しかった元院生たちで、夕食を食べに行くことになっていた。
だから、お昼も控えたい、けれども土曜日に「豆腐」をおいて帰っているし、昨日の実験素材も食べてしまわなくてはならない。
プロジェクト室のメンバーで昼食を囲んで和やかに話している中、半分も食べ終わらないうちに、つっと口を出てしまった。
「あ、しんどい。もう食べるの疲れた」
一人の同僚が「食べるのには体力が結構いる」と賛同してくれたので、「夏ばて」とか「ちょっと疲れて、弱っている」という笑い話ですんだ。
時間をかけて、みんなとの会話で誤魔化してちゃんと全部食べたし。
でも、これって、生物が生きていく基本である「食べる」という行為をすでに放棄している発言とも取れなくはない。
すなわち、ずーっと突き詰めると「死」につながる。
やばい。

飲み会はとても楽しくて、でも、飲み会と言えばあほほど飲んでいる私にしては、話に熱中していたこともあり、飲む量も少なく、おまけに、食べていたのが、ほとんど「つまみ」のたぐい。(例えば、お造りとか、ジュンサイの二杯酢とか、たこわさとか)
家に帰ると、なんとなく小腹が空いているような、でももう一杯のような。

とりあえず、楽しかった。
だから、服薬してぐっすり眠ろう。

6月27日
朝、起きるとひどい貧血。
昨日、かなり持ち直したと思ったのだが、錯覚か?
明後日、母校で「鞍馬天狗」関係の発表があるとお誘い頂いた。
どういう集まりなのかはよく把握していないが、よろしければとご案内下さった方が、「鞍馬天狗」と言われてもあまり知っている人が少ないかも知れないと言うことだったので、きっと、チャンバラ関係かと思った。

いつだったか、といっても比較的最近のことだけれど、「雷蔵の人」「チャンバラの人」として周りにインプットされる、と嘆いていたら、「自分の専門分野で覚えられるなんて、研究者としてはこの上なく光栄な事よ」と逆に諭された。
そうか、そうなのか。
私は「単なる雷蔵ファンあるいは雷蔵マニア」とか「チャンバラおたく」と思われていると悲観していたが、この言葉は大きかった。
単純なので、それから「誇り」としている。

そんなことがあって、今回の「鞍馬天狗」でのお声掛かりというかお誘い。
とりあえず、何かコメントを求められたら、いい加減なことは言えない、と勝手に思いこんで、にわかに、「鞍馬天狗」について、ちょっとお勉強。
もちろん、鞍馬天狗のシリーズは、アラカンを中心に千代之介から雷蔵まで観られるものは観てきた。
けれども、「鞍馬天狗」を特化してみていない。

土曜日の研究会のせいか、博論でシリーズとして特化して観ていた「旗本退屈男」との比較で、自分で面白いと思う視点ができてしまった。
まだ、思いつきだが、これは短くても1本かけそうだ。
そんなことばかり気になって、ちっとも「鞍馬天狗」オンリーに集中できない。

今日は暑いので、少し早めに非常勤に行く。
ぎりぎりに到着して、教室に入って汗だくというのが嫌だったのである。
できるだけ「涼しい顔」をして教室に入りたいという「見栄」である。

それにしても、暑いなあ。
空梅雨というか、まだ6月なんて・・・
夏になったらどないなるんや。

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2005年07月04日 10:30に投稿されたエントリーのページです。

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