4月8日
ああ、昨日は午前中が雨やったさかい、まだましやったが、急に暖かくなったので、桜がどんどん花開く。
しかも、日曜日からまた雨になるという週間天気予報。
そのせいか、朝からごっつい人である。
昨日の考察、反省はどこへやら。
「たのむわ。もう少しずらして」とまた思った。
人の乗り降りがいつもに増して多いせいか、電車が遅れたのである。
しかも、降りるのも一苦労である。
電車は3分ほど遅れて到着した上、降りるのに1分ほど余計にかかると、都合4分遅れたことになる。
この4分は大きい。
到着時間から、3分後のバス、あるいは5分後のバスを利用しているからだ。
3分後のバスは、当然ながらもう行ってしもうた後、5分後のバスに、走って、もう発車しかかっているのを、運転手さんにアピールして止めてもらい、乗っけてもらう。
息が切れるわ。
しかも、昨日も祖母の家に泊まったために、二日旅行分に近い荷物を持っているため、私は朝の混んだ電車でも、「ものすごい迷惑な人」になり、終いには、バスまで止める「厚かましい人」になりはてる。
悲し。
また、なんとか電車内で読書を始めたが、そばに立ってはるおばちゃんたち(べつにおばちゃんやのうても、誰でも同じやねんけど)の会話が、読書の邪魔をする。
別に、相手は私の邪魔をするつもりなんかない。
私が勝手に、耳がダンボになって読書どころでなくなるのが悪い。
何に聞き耳を立てていたかというと、「阪神タイガース」である。
昨日、またごて井川が、先発で、もう終わったらぐったりするような試合をして、久保田が打たれて、さよならで負けよった。
その話題が始まった。
一人のおばちゃんは、前でおっちゃんがスポーツ新聞を読んではったので、その記事が目に入ったのであろう。
それまでは、全然気にならへんかった会話だったのに、急に野球の話に変わったのである。
「野球みはる。好きな球団とかある?」
「私は、あんまり見ないから、特に。あなたは?」
「私は、一応、阪神タイガースなの」(ここで、耳がぴーんと立ってしもうた)
「そやね。あなたは地元やもんね。でも、私は星野さんが好きやったさかい、星野さんの時は阪神応援してたわ」
「星野さんは、ええもんね。なんか岡田さんになるとねえ」(ああ、わかるわ、と同調)
「そうなんよ。あんまりぱっとせえへんもんね」(せやせやと、またもや賛同)
「それでね、もう昨日なんて、抜きつ抜かれつでしんどい試合して。もうTV観てたら疲れてしもうて。(ああ、私も疲れました)
でね、人づてに、甲子園のチケットを頂いたのよ。巨人戦。」(ええなあ!!)
「巨人戦は、伝統の試合やからね」
「そうなの。だから、是非行こうと思って」
という具合に、話題が阪神から変わるまで、全く読書にならへんかった。
思わず、阪神ファンである同僚に、このことを報告し、この読書が出来なくなる状況を私一人ではないことを確認、さらに話が盛り上がり、「井川、髪の毛切れよ」「鳥谷を見習え」「あれだけごてておいて、全然アカンやん」と一頻り話して、漸く落ち着いた。
アホである。
そして、今日もまた阪神の試合が長くて、予定が大幅に狂うてしもうた。
夕方からお稽古に行ったので、帰ってきたのが21時過ぎだった。
早い試合なら、もう終わっている。
何気なく、TVをつけたら、延長11回。
おいおい、またかよ。
私の予定は、21時15分から金曜時代劇の柳生十兵衛を観る予定であった。
せやのに、11回裏の攻撃で、チャンスがまわってくるから、思わず「兄貴。頼む」と叫びながら、打ち上げたのを観て、「はああ」とため息。
と言うことは、最終12回までを見ないわけにはいかない。
しかも、私が一番「虎キチ」(これって使うたらアカン表現やねんね。でも「虎マニア」と言い換えるとニュアンスが変わるので、すまない)であったのは、中学から高校の時であるから、すなわち1985年優勝の頃である。
だから、サンテレビの解説の声を聞いて、「あれ?真弓やん」と、即座に反応し、これまた真弓さんの声に聞き惚れて、チャンネルがかえられへん。
結局、21時半過ぎに引き分けで終わるまで観てしまい、十兵衛を観たのは、後半だけ。
先週から観ているんだが、近衛・十兵衛を見慣れている私にとって、村上弘明は物足りない。
村上弘明には、大変申し訳ないが、銭形平次を昨年やったか一昨年やったかやらはったときも、「長谷川・平次」あるいは「橋蔵・平次」を見慣れている私にとって、やはり物足りない。
なんとしてでも、今の時代劇に対応したいのだが、内心「アカン」と駄目だししている自分も、たち悪いなあ。
4月7日
己の矛盾を考察す。
ほんまに両極端の矛盾をはらんでおること判明。
両義的というたら、ちょっとは聞こえがええかな?
でも、両義と矛盾はちゃうなあ。
己の矛盾とは、いかなる矛盾か?
そもそも、私は日本で第二のビッグ・シティで生まれ育っている。
正確には、最近「関西」とくくられている中の「京阪神」を自由に行き来できる町で、生まれ育っている。
なので、人がぎょうさんいはるのは、当たり前であり、地下鉄も私鉄も発達しており、満員電車も、随分ましになったにしても、ラッシュ時は当たり前である。
だから、田舎にあこがれるが、旅行をして、あるいは、すこしばかり人口の少ない町に滞在すると、「あかんわ。私は一生ここに住むことは無理やわ」と思う。
せやけど、人混みがええんか?と問うてみられると、即座に「いやや」と言う。
いらちではあらへんけど、並ぶのは嫌いである。
唯一、人に押し合いへし合い状況でも2時間ぐらい平気で耐えられるのは、大好きなミュージシャンのライブぐらいである。
ミーハーやさかいね。
ある程度文化圏が高い大きめの都市に住みたい(だから阪神間から離れたくない)くせに、人混みが嫌い。
これが、私の矛盾の根本をなす。
なんで、このような己を見つめ直したか?
ここ何年か、春になるとはっと思い出すのだ。
現在、阪急神戸線から乗り換えて京都線に乗り、桂まで通う日々を送っている。
で、観光都市京都は、春になると、とりわけ桜咲くわずかな花見シーズン、わんさかと人が京都線に乗り込む。
遠隔地からの人はJRなんだろうけれど、近隣の人は、結構、阪急電鉄を利用しはる。
それも、日帰りできる距離である人ほど、朝早くから、すなわち普段ラッシュ時と言われている時間帯に、団体で乗り込んできやはる。
しかも、今年は何年かぶりに4月の入学式の季節に、一挙に花開いたもんやから、新社会人、学生も多い上、観光客が重なる。
すると、「なんも、ラッシュ時に乗らんでもええがな。かなんな。しかも席取りなんかしなや」と、迷惑に思う。
とはいえ、考えてみると、自分でも花見に出かけ、なるべく人の少なそうなスポットを狙い、おほほと楽しんでいるし、旅行も好きなので、他の観光地に行けば、やはり地元の交通を使うて、うろうろする。
と言うことは、きっと私が行った旅行地の人は、「また、観光客が来て、しかも混まんでもええ時に、うろうろしなや」と思うてはる可能性が非常に高い。
自分でもしてるんやし、おまけに京阪神は観光都市でもあるんやさかい、そんなことで「ちっ」と思うのは、矛盾している。
せやけどなあ。
反省はいつも、思った後からしかでけへんねん。