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痛い春

4月6日
今朝も腰痛で、ちょっと遅れる。
しかし、遅れると失敗。
なぜか?
それは、もう観光客、そして最後の春休みの子供連れも混じって、ごっつい人である。
はあ、お年寄りもいはるし、席を譲るべきなのであるが、私も腰痛をごまかして出勤中。
すんません。
桂近くなったら、立ちますさかい、補助席に座らせて下さい。
偶然にもバスで先生と同期3人が一緒になる。
桂駅周辺はまだ一分咲き。
でも、日文研はつぼみが膨らんで、赤くなっているが、残念ながら、夕方に帰るまで一輪も咲いていない。
今日もお稽古なので、御影に夕方向かう。
阪急神戸線沿いは、桜並木が多い。
今日が暖かかったため、一気に花が咲き、五分から八分咲き。
一気に春が来たなあ。

今日は、祖母宅に泊まり。
泥棒が入ったので、セコムを導入したそうで、遅くならないように行く。
遅い夕食を取りながら、ふと窓の外を見ると、何かの影が・・・
「あ。やもり」と叫んでしまった。
あの腹と足の形、動きといい、まさしくヤモリ。
久し振りに見た。
思わず、「ということは、しばらく地震は来ませんね」と話をする。

やはり、古い家なので、ヤモリや蜘蛛など私の苦手なものが出現するが、どこかしら懐かしい気もする。
家の中に侵入してこないと、安心して?観察できる。

ここに来ると、懐かしい思い出がいっぱいだ。

4月5日
なんとか、朝は普通に出勤。
馬鹿話をしながら、とりあえず、いろいろし忘れていた仕事を優先的に始める。
二つは終了?
一つは、結果的には、私が確認してやらなければ進まないことがわかり、(事務手続きなのだが、これまでお世話になって事務の方が、代わりにしてくれていたのだ)、あちこち質問してご迷惑をおかけしたことを詫びる。
今日中に、確認する予定だったが、違うことに着手したら、アホなことに夕方遅くその事を思い出し、連絡できなんだ。
明日には、確認して、また事務の方々にお願いして、必要な証明書を発行してもらわなくてはならない。
ああ、なんて使えん奴なんやろう。
全く反省してないやんけ。

午後は、同僚にコバンザメのようにひっついて、おでかけ。
昨年度、異種格闘技ではないが、異業種交流・異分野交流の機会があり、私も張り切って、連絡第一弾の役目を買って出て、口火だけを切ったのだが、いつもの事ながら無計画な私は、活動に入った時点で、とんずら、同僚にすべてを託し(押しつけ?)、途中のプロセスに参加せず、第一回の交流の結果を示すイベントにだけ、いきなりしかも「着物」で参加。
接待だけして、また身をくらました。
でも、一応心にずっと引っかかっていたので、その後、継続する交流の場に「次こそは」と啖呵を切ってみたものの、お稽古と重なり、またもや、参加せず。
そして、ようやく今日、集まりに顔を出した。

そこでも、言うことはとんちんかんだし、いろいろ本日のやり残しが気になって、人の話をちゃんと聞いていない。
雲隠れも自由自在の「くのいち」といえば聞こえがいいが、「ペテン師」と言われれば、それまで。
同僚には「姉御」と呼ばれ、まるで、いつでも得物や手裏剣をしこんでいるように言われる。
ああああ、そんなあ。

これは、二つの意味で「そんなあ」である。
一つは「そんな、根も葉もない脅しをかけんでもええやん」である。
もう一つは「そんな遣い手にまだなれてへんのに。もっと修行せな」である。

どっちもたちわるい?!

4月4日
昨日は、本当に楽しかった。
嘘ではない。
ただ、「楽しい!!」と感じるのは、心、あるいは精神であって、体力とは必ずしも比例しない。

年度末の忙しさが、新年度になって、どっかーんと来てしまい、それでも、「新年度だし、皆様のおかげで、今の私がいるし、与えて頂いたこの貴重な機会を生かさなくては」と一人で張り切り、それと同時に、「身分確保」で不埒にもまっさきに思ったのが、「これで、やっと稽古に専念できる」という事であった。
だから、せっかくの週末も、稽古に専心し、そして、それに関わる挨拶状やその他の雑務に費やしてしまうのだから、結局、「休養」を要している身体さんの言葉を無視する。

きっと、身体さんは怒っているだろう。
「もし、おぬしは何年同じ事を繰り返しておるのじゃ?ええ加減、学習せえよ」
そして、結果は同じ。
朝起きたら、腹痛、頭痛、腰痛など身体さんが実力行使で悲鳴を上げ、動けなくなる。
結局、枕元においた携帯で職員さんに「午後から行きます」と泣き言を入れ、身体さんにひたすら謝り、気の済むまでいいなりになり、ちょっと機嫌が治ったところで、素早く、一時しのぎの薬で形勢逆転をはかる。

身体さんをだまして、午後に出勤。
でも、はっと気がついた身体さんは「うぬ、許せん!」とちくちく反撃してくるが、人工の薬物によって、ふらふらにされているさかい、私の無茶な行動に付き合わされる。
そこで、表面上は、体調復帰、仕事もします、なんでもやらせていただきますと、体育会系ののりで夕方まですごし、「いやいや今年度も、よろしくお願いします」など調子をこいて、なぜか、その勢いで、慎重な時期には近づかないところまで、万能になった高揚感で対応しようとする。
この、万能感を感じる高揚感とは、まさに危ない状態なのだが・・・
そして、同じ失態を繰り返し、自分がその事情に対して全く免疫が作られておらず、やはりネックとなっていることを思い知らされ、惨敗。

ああ、もう駄目だ。
何度、この言葉をはいただろう。
そして、家にぼろぼろになって帰り着き、ほっとすると同時に、押さえていた薬の効果も切れ、身体さんは大激怒。
私は、己の浅ましさ、学習のなさ、ええ加減さに、「海より深く反省」を試みて、そのまま、眠れず、結局、何も変わらない夜。
明日は、静かに予定を、やるべき事を、一つずつでも押さえて、確実にすませようと心に誓い、服薬するのであった。

4月3日
京都の梅小路公園内の、茶室にて、稽古茶会にお誘い頂く。
雨が気になったのだが、小降りのようだし、レインコートを羽織って、やはり着物でうかがう。
でも、あまりにもあほらしいハプニングにより、遅刻してしまった。
あほらしすぎて、恥ずかしくて言えない。
申し訳ない。
一緒に行くことになっていた二人は、第1席で、既に入っており、一人遅れた私は、第2席の方へ入れて頂いた。
能楽や料理(とりわけ最近は和食)、着物や武道など、生意気に語ったり、お稽古したりしているが、(着物は稽古じゃないな。単に好きで自分で着る機会を作っているだけ)、実は、お茶は全く習ったことがない。
本当に作法を全然知らない。
もちろん、余裕があれば、是非お稽古したいと思っているのだが、どうもこれまでご縁がなかった。
こういった、お茶席に誘って頂いて、着物も着られるし、お抹茶自体が好きなので、喜んで出かけるが、いつもお稽古をしている人にくっついて、横で教えてもらいながら、真似をして、一服頂いていた。
でも、今日は遅刻したので、知り合いがいない。
だが、運のいいことに、正客をつとめはった人が「お稽古会ですから」と作法を、一つ一つ解説し、教えてくださる。
なるほど、なるほどと、とてもよい経験になった。
ますます、お茶のお稽古がしたくなった。
でも、その前に柳生新陰流剣術も稽古したいと、新陰流を習っている友人に「連絡するね」と言っているしなあ。

何よりも今は、私は大役である能楽『船弁慶』を立派につとめなくては。
あ、もちろん自分の研究も。

4月2日
今日も、お稽古。
駅の売店には、スポーツ新聞が並んでおり、どの記事にも「井川」の文字が・・・
例えば「何しとんねん。井川」。
ああ、土地柄がわかる。

この前の舞台稽古がひどかったので、後シテを集中的に稽古する。
まず、基本的な所作を身体に刷り込ませるために、今日は装束も面もなし。
新たに、直された所作があるので、そこを特に気をつける。
ああ、なんだか自信がなくなってきたなあ。

番組が出来上がってきたし、いよいよ大会が近づいてきた事が実感される。
はあ、大丈夫かなあ。
でも、おそらく最初にして最後の能楽になる可能性が高いので、厚かましくも、宣伝活動に入ろう。
帰ったら、挨拶状を考えなくては。

そして、今日はとても嬉しいことがあった。
内田先生に頼み込んで、「サイン本」をいただき、ついでに、DVDも貸して頂けたのだ。
嬉しい。
ミーハーなので、サインとかもらえると私にとっては大事な宝物になる。
今回は、「サイン会」という形で、直接頂いたわけではないが、ここ最近、サイン会が大阪などで行われていないので、間接的に頼んでしまった。
早速、拝読。

おほほ。

4月1日
新しい年度が始まる。
今年度も、皆様のおかげで、日文研にお世話になることとなった。
奇跡が起き、非常勤研究員になれたのである。
研究職を目指して、漸く一歩踏み出せることになった。
ありがたや、ありがたや!!
でも、任期付やさかい、その間に就職をしなければ、また無職のプー太郎、フリーター生活に戻ってしまう。
こころして、邁進せねば。

朝、所長室にて、所長よりじきじきに、辞令を頂く。
ははあ、と平身低頭、深々と頭を下げて、感謝する。

と、心の中では、本当にそう思っているのだが、昨日よりの疲労がピークに達しており、行動は、仕事に専心どころか、さっさと早退。
不埒な奴と言われても、もう限界なので主治医のところに駆けつける。

まあ、今年度の身分(収入源)が確保できたので、昨年の4月1日、朝から嘔吐しまくり、ふらふらになっていたときよりも、「とても元気」になっていることは、確実。
主治医は、相変わらず的確にお話しをして下さる。
「君の場合は、いつも「3労」やな。この時代には、なかなか辛いけど、悪いことやないから」
なるほど。
ほんまにそうやわ。
3つの「労」は、ご想像にお任せする。

少し、落ち着いて、帰途につく。
駅から少し大通りを歩いて帰る途中、道路沿いの店(飲食店やコーヒー販売店やいろいろ)で、外からTV画面が見えるところは、みんな同じ番組を見ている。
しかも、店内のほとんどの人が、画面に食い入るように見ている。
歩きながら、ちらっと見ただけだと、グリーンの様なところに、人が散らばっている。
「あれ?今日は別にサッカーもないはずやし・・・」と思いながら帰宅。
そして、自分でも、家のテレビをつけて、大納得。
そう。
阪神の開幕戦である。
4月と共に、また阪神戦に振り回される季節が始まる。
他の地域も、同じなんやろうか?
「井川!あんだけキャンプ入りしてからもごてよったくせに、なんやそのピッチングは」
私もやはり最後まで、罵倒を飛ばしつつ画面に釘付けでした。

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2005年04月07日 10:04に投稿されたエントリーのページです。

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