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あかんたれ(ときどき極悪)な日々

3月31日
あー、忙しかった。
こんなに狂いそうに忙しかった3月は体験したことない。

ほとんど記憶がなくなるほど忙しいのは、論文を書いているときに近いが、論文は自分のことなので、やはりちょっと違う。
今度は、自分のことをももちろんありながら、責任あるお仕事も含んでいるので、不可抗力による忙しさと両方である。

結局、昨日の送別会まで、突っ走ってきた。
そして、送別会でも、私が個人的にとてもお世話になり、それどころかわがままも聞いて頂き、その方々に出会えなければ、学位はもちろん、今ここにいる私はなかったであろうというなかの何名かが、日文研から3月31日をもって去られる事になったことを知った。
ショックである。
でも、また4月から別のところでご活躍されるのであるのだから、ご本人たちはどう思ってはるのかはわからない。
自己中心的には、とても寂しく、甘えていた自分をあらためて思い知らされる。

お世話になりました。
お知り合いになれて、幸福です。
また、お会いできる機会には、よろしくお願いします。

と、名残惜しくしていたら、祖母宅に夜中に到着。
今朝は、ホッとしたのか、気力で持っていたものが一気に落ちたのか、疲労があらわれてきた。
鏡で顔を見てびっくり。
昨晩は、薬と酔いと疲れで、よく寝たと思っていたのだが、眼の下にくまがくっきり。

だけど、今日は2回目の舞台稽古。
昨晩遅かったので、祖母の前でしんどい顔も出来ず、稽古においても、「疲れています」なんて言い訳は出来ない。

でも、身体疲労はもはや隠しきれず、舞台稽古はふらふら。
叱られまくって、やり直しを繰り返されるが、体力的にやり直しが続けば続くほど、出来が悪くなっていくことを阻止できない。

稽古が終わり、コーヒーを飲んでいるとき、師匠より「ちゃんと食べて、よく寝て、体力つけないと、お能なんて舞えませんよ」と念を押される。
思わず、「体力はありますが、3月があまりに忙しかったので」と言い訳してしまう。
言い訳禁物なんだが・・・
でも、気力も体力もなければ、私は3月半ばでとっくに倒れていただろう。
4月から、がんばります。

今年度、嘔吐から始まったアカンたれの私を、支えてきて下さった皆様に心より感謝。
明日より始まる2005年度も、よろしく。

嬉しさ、寂しさ、疲労、いろいろありすぎて、やはり眠れない・・・

3月29日
私には、大役過ぎることがおき、そして、それをなんとかしたくて、いろいろ模索した。
けれども、言葉は凶器で、元来消化できぬ事なのに、消化しようと努力したが、それは、外に出せず、結局自分の身へと帰ってくる。

先週より、忙しさを理由に、何となく本質を見つめず、自分がラッキーなのに乗って、度を過ぎる調子にのって、ふざけすぎていたのだ。

自分の発した言葉は、すべて自分に返り、私は耳も眼も口も鼻もふさがれ、どろどろにとけて、このまま得体の知れない虫となってしまった方がいいのかも知れない。

もはや、自律神経はいかれ、身体さんは脳の命令を聞かず、身体はしびれて、胸は圧迫されたように息苦しく、頭痛がひどい。
言いしれぬ、不快な気分が漂い、我が身の業の深さに、畏れるだけ。
息苦しい。

極悪非道、人非人、ののしられようと、私の極悪は治らない。
もはや、どんな言葉も凶器でしかなくなるのか。

私は偽善家なのか、気ちがいなのか。
傲慢であることには、違いない。

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2005年04月01日 10:10に投稿されたエントリーのページです。

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