« 満身創痍の日々 | メイン | あかんたれ(ときどき極悪)な日々 »

下れ、仏罰

3月21日
ひえええ。
ふざけた調子で仕事をしていたので、ニュースすらほとんど見ていなかった。
すると、事件が起こっていたのである。

一つは福岡の辺りの地震である。
暖かくて天気もよく、行楽日和であったこの3連休。
旅行者も多かったであろうに、今のところ死者が少ないことが不幸中の幸いか。
どうしても、地震には敏感になってしまう。
部屋中の家具が倒れて、メチャクチャになった映像を見ると、記憶がよみがえる。
まあ、考えてみれば、日本列島どこにいようと、いつ地震がおきてもおかしくないのである。
だからといって、簡単に引っ越しするわけにもいかない。

今朝も朝からCDをかけながら、のりのりに仕事をしていたので、夕食は、またもや両親と祖母にくっついて今度は近くの中華料理屋に行く。
その時に聞いたのであるが、昨晩、寿司屋から伯父と母が一緒に祖母の家に帰ると、勝手口のドアが割られ、鍵が開かない。
玄関が空いていたので、家に入ってみると、居間と座敷、台所がひっくり返ったように荒らされている。
あらゆる抽斗を開けられ、引っかき回した後がある。
空き巣だ。
二軒隣りの家もやられていたそうで、おそらく同一犯人だろうと捜査中である。

被害は?と聞くと、寝室も洋間も二階も手つかずだったので、おそらくあわてて逃げたようである。
で、取られたのは、あらたにお参りして供えられた祖父の香典一つと、今日がお彼岸であったために、用意していた、お布施だけである。
仏様に供えたものに手を出すとは、ふてえ奴である。
罰が当たるに決まっている。

それでも、祖母が家に一人にいるときに押し入られ、強盗殺人など、物騒なことにならなかったので、これもまた不幸中の幸いだったね、と話し合う。
しかし、しばらくは物騒なので、誰かが夜だけでも泊まることにした方がいいだろうと決まった。
私も、なんとか週一日でも泊まりにだけ行ってあげたい。
物騒な世の中である。

3月20日
今日も朝から机(といっても炬燵)に向かって、仕事をする。
一つ気がついたのであるが、家で仕事をする方が捗る気がすることである。
なぜか?
それは、今やっている仕事が極めて単調であり、自分の研究や発表準備ではないからである。
もちろん、単調とはいえ、いろいろ勉強になることも多いので、もっと調べながらしたいが、今はそんなことをいうてられへんので、黙々と事務的に作業をする。
で、何をしているかというと、BGMにスターリンをがんがんかけていたのである。
もう、歌詞もほぼ覚えてしまっているし、イントロで曲目もわかるぐらい聞きまくっていたCDである。
なので、あまり仕事の邪魔にならず、しかも、時にはのりのりに上半身を揺さぶり、好きなフレーズは一緒になって叫ぶ!などして、すすめていたのだ。
同僚のいる前では、こんなふざけた事は出来ないので、ついつい愚痴を言ったり、無駄話をしたりして、気分転換をはかりながら続けていた。
しかし、時には話しに夢中になって、手がおろそかに・・・などアホなことになる。

おほほ。
朝からパンクを聞いて、アドレナリン噴出、踊り絶叫し、仕事をする。

しかも、夕食は腰巾着のように、祖母や伯父たちにひっついて、寿司屋に行き、刺身やおそらく今年最後であろうてっさに、舌鼓を打ち、八海山を啜る。

で、家に帰ってから、またもやBGMとともに、すっかり上機嫌で仕事。
あはははは。(もう壊れている。)

3月19日
お稽古日。
仕事が忙しくて、平日の稽古はほとんど行くことが出来ず、土曜日はゆっくり行こうと思っていた。
が、しかし、結局、本末転倒な日々に陥っている私は、全く余裕がなかった。
お稽古というのは、忙しい人は無理なのであるが、自分のお稽古だけつけてもらって、はい終了。
さようなら、というものではない。
別に修行しているわけではないから、そんな無茶なことをいっても困りますがな。
もっともである。
でも、少しでも自分の肥やしにするには、他の社中の稽古を見ることも大事である。
自分のやっていない演目には、「ああ、いつか私もこれを舞いたいなあ。謡いたいなあ」と感じるし、既にお稽古をすませたものに関しても、「あのときの自分って、全然出来てへんかってんなあ。ああ、出来ればまたいつか再度挑戦したい」と思ういい機会である。
おまけに、他の社中がいる前で舞い、謡う事は、他人様に見られているという緊張感も体験する。

だが、今日は駄目だった。
結局、家で仕事をして、そろそろ人数も少なく、すぐにお稽古をつけてもらえるだろうという、夕方に行ってしまった。
不埒な奴である。

しかも、奥様に「豆御飯」の入った春を感じるお手製お弁当まで頂いた。
嬉しい。
ああ、私も春の料理を作る余裕が欲しいなあ。

3月18日
昨日も今日も、残業。
もう私のようなボンクラには、仕事を任せておけないと判断されたのか、今朝、先生と話をした上で、急遽プロジェクト室メンバー全員に手伝ってもらう体勢になった。
申し訳ない。
皆さん、それぞれの仕事があるのに・・・

さすがに、頭の切れる同僚たちは、次々と仕事をこなしていく。
ああああ、私って今まで何していたんやろう。
一つ弁解させて欲しいが、相手あっての仕事であるため、その相手がなかなか依頼している仕事を持ってこないため、しわ寄せが一気に3月の2週目になってきたのである。
納期は2月中旬の筈だったのに。
でも、それを「早くして下さい」とか、「こんな出来では、受け取りかねますね。きっちりやり直して下さい」など、しつこく催促することを怠ったのは、担当をしている私の責任である。
ということは、やはりこんな状況に追い込まれたのは、私の無能さゆえか・・・
しくしく。

About

2005年03月22日 09:59に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「満身創痍の日々」です。

次の投稿は「あかんたれ(ときどき極悪)な日々」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35