3月16日
能特訓日。
この忙しい年度末、能特訓日だけは1日休ませてもらっている。
不届き者である。
朝がゆっくり出来るので、昨晩は祖母宅に久し振りにお泊まり。
23時過ぎに到着したが、事前に連絡を入れておいたので、起きていて待っていてくれた。
すみません。
それから、また0時過ぎまでおしゃべりして、祖母が寝にいった。
朝ご飯を食べて、テレビを見ながら、いろいろ話をする。
申し訳ないけど、こうやって一緒に朝ご飯を食べて、話をするのも久し振りだなあ。
今日は、舞台を借りて、初めての能特訓日。
さすがに、橋掛かりとか実際の目付柱の感覚とか、想像以上に恐くて、難しい。
面をつけると、本当に恐怖感が勝る。
最初は面をつけずに、舞台で足慣らし、そして、実際面をつけたら何を目標にして歩くかなど、確認して予行演習したものの、面をつけると、まったく勘が働かない。
なにせ、大きく舞おうとすると、足下がほとんど見えないので、舞台から落ちる可能性がある。
かといって、舞台の真ん中でぐるぐる回っていても見苦しい。
本当に、緊張しました。
で、もうひとつが、膝の傷である。
母は知っているが、先生には怒られるのでいっていない。
ケガをしたのは左膝。
研究して、あるいは研究したものがあればそれを参考にしたいのだが、基本的に刀は左に差す(あるいははく)。
ということは、跪いて坐るとき、刀のある左膝を地面に着け、右足を立てる(片足立てでしゃがむ場合)。
だって、刀が邪魔だから。(もちろん抜く時も邪魔だから)
だが、能楽(謡曲)の基本的な舞の構えは、左足の方を立てる。
全く逆である。
能楽は武士階級に保護されることになるが、武術とかなり共通した身体運用を保っているし、基本姿勢は一緒と言っていいぐらい同じである。
だから、余計に「扇」をもっても「刀」(武器)を持たず、相手に敵意を示さないという意味なのだろうか。
まあ、それは今後の話。
左膝小僧をケガしているので、右足の膝小僧を地につけて片足だつのは、唯一の救いである。
だが、後シテは、平智盛の亡霊で、長刀と太刀を遣う。
なので、膝を舞台につけるのでは、場合によって、右・左の両方があるのだ。
初めての舞台稽古で、ただでさえ戸惑っているのに、板の間にケガをしている左の膝小僧を地につけると、やはり、めっちゃいたい。
勢いをつけて待っているだけに、余計に痛い。
火花が散りそうだ。
それをかばおうとして、ふらついたために、2回もやり直しをさせられた。
たいしたことはないとはいえ、かさぶただらけと青あざだらけの膝を隠しているので、言い訳も出来ない。
泣きそうであった。
お稽古が終わり、帰り際に先生からいたわりの言葉。
「久し振りの装束をつけたお稽古だから、身体が疲れているからね。
足下なんか突然ふらふら来るかも知れないから、くれぐれもこけたりケガをしないように」
すみません。
その前に、こけてケガしています。
3月14日
ホワイト・デー。
律儀な同僚と先生に、焼き菓子とマカロンを頂く。
考えてみれば、こっちは割り勘であげるからいいけれど、お返しする方は、一人一人に用意してくれはるので、気の毒である。
でも、もらえるとやはり嬉しい。
ありがとうございます。
昨日のゆっくりした時間は、もう遠い過去。
今日も朝から、仕事に追われる。
結局、22時まで残業。
家にたどり着いたら、0時前だった。
しんどすぎて、御飯も食べる気がしない。
まあ、ずっと坐って仕事をしているから、動いていないのもお腹が空かない原因かな。
はよ、お風呂に入って寝よう。
3月13日
寒い寒いと思ったら、雪が降っていた。
それでも、家の大掃除。
資料を、小分けにしてファイルに収め、掃除機、ぞうきんがけ、ビデオの整理など、窓を開けてばりばりする。
漸く、今一番必要な資料だけを、机の上にまとめ、それ以外に今後必要なものは、本棚にファイルごとに納めた。
あー、すっきり。
見なくてはいけない映画はあるが、今日は1日家にいるのをいいことに、録画を続けてしている。
ビデオがつかえないから、資料に目を通し始める。
夕方に、なんだか頭痛がすると思ったら、微熱が。
まあ、微熱だからいいか。
かなり出血したおかげで、膝の傷はたいしたことなさそうだ。
以前こけて膝をしたたかに打ったとき、出血せず、たんこぶになっていたので、青あざになるだろうと放っておいたら、次の日、膝から下まで紫色に腫れ上がり、生憎日曜日で、でも夜になると、色はひどくなるし、象の足のように腫れがひどくなって、救急の外科医に飛び込んだ。
膝のさらの下の薄皮に血が溜まって、内出血。
3回ぐらい溜まった血を抜き、そのために全治1ヶ月以上という失態を起こしていた。
今回は、打ち身になって、かさぶたになっているが、足全体がはれることはない。
昨日は、化膿したらアカンと警戒して、お風呂に入らなかったから、夕方になってお風呂にはいる。
傷はたいしたことないが、傷口がめちゃくちゃしみる。
痛い。
鈍くさいので、小さい頃からしょっちゅうこけたり、ぶつかったりして傷だらけだったが、もうええ歳なのに・・・
情けのうてしゃあないわ。
3月12日
寒い。
昨日は、京都で最高気温19度だったのに、今日は大阪でも雪が降っている。
今日は、お世話になっている先生を囲んで昼食会。
その先生の教え子で、新しくお目にかかる人もいて、こういう交流の機会をありがたく思う。
それと、驚いたのが、なんと中学の時のクラブの後輩もいたことである。
ええ?
研究者の道に進んでいたの?
知らんかった。
これもまた、縁があるのね。
夕方まで楽しいお話しをさせて頂き、家に帰ると、母より携帯で電話が。
祖母、伯父たち、両親と夕食を食べに行くことにしているが、もし良かったら来ないか?というお誘いである。
ただし、隣の駅に近いので、車で行くが、定員が5名なので、私の乗るスペースはないという。
変な誘い。
まあ、この一駅分は季候のいいときはよく歩いていたところなので、予約時間もあるし、自転車で行くことにした。
新しくできた和食の店のようで、これまたご馳走になった。
そこまではよかった。
だが、帰りに酔っ払っていたわけではないが(本当です)、歩道に人がいたので、車道を走っていた。
でも、後ろから車が盛んに来るので、人を通り越して歩道に小さな段差の箇所で移ろうとして、失敗し、段差に車輪を引っかけて思いっきり転倒した。
膝小僧をすりむいて、タイツが破れた。
ああ、でもこれぐらいの傷でよかったわ。
と思って、家にたどり着くと、膝小僧の周りはもちろんのこと、ブーツもコートの裏地も血まみれになっていた。
今時、膝小僧すりむいている子供も見ないのに・・・
あほである。
新年会では、発熱。
もう病気もケガも許されない身体なのに、こけるなんて・・・
稽古に支障を来さないといいけれど。
3月11日
馬鹿は死ななきゃなおらねえ~。
とは、廣沢虎造が、森の石松を語った浪曲で、すっかりおなじみになった文句である。
でも、私には、それがあまりに的を得ているために、一時的な流行り文句だけでなく、定着した文句として語り継がれるようになったのであろうと、思う。
と、いうのも、該当するのが私自身だから、実感したのである。
本当に治らない。
単に、学習しない兎以下の頭しかない私だけに該当するのかも知れない。
まず、ここ最近は、喜ばしき事多く、まさに嬉しい気持ちで溢れる日々である。
だが、世間知らずを今更ながら、思い知らされ、またもや、もう何年も繰り返している「本末転倒」な状態に陥っている自分に反省し、役に立たない後悔をしている日々でもある。
めっちゃ忙しい。
でも、楽しい。
でも、なんだか、調子が悪いというか、なんだか空回り。
そもそも私は、「りはびり」のために、この日記を書き始めたのである。
今更、何を?と言われても仕方がないが、うっかり忘れていたのである。
「りはびり」を怠っていれば、調子が悪いのは当たり前である。
子供が考えても、わかることやね。
と、いうことで、リハビリ復活。
ずっと、仕事が忙しいため、あるいは遅々として進まぬ自分のふがいなさに、なんだかイライラしていると思っとったのだが、落ち着いて考えると、今、やっている仕事は、実は結構楽しい。
確かに、期日に間に合わないために、毎日残業して泣いているが、内容的には、この仕事をもらわなければ、一生、接点のなかったかも知れない事に触れ、「何でも自分の肥やしにこそなれ、無駄になることはないんやわあ」と、周りには質問ばかりして、迷惑をかけていることを棚に上げ、結構自分では楽しんでいる。
世間知らず、というのは、いろいろな意味で真実である。
今回、身に沁みて思ったのは、「年度末」に残業や今年度の仕事のしわ寄せで、夜遅くまで働いている一般の人々の状況である。
この度、自分が「年度末の仕事」という期日で、あたふたして残業しているが、それでも、まだまだその人たちから見れば、甘ちゃんである。
1月や2月の初めに、こんな事になるとは思わず、目先のことしか考えずにぱたぱたと予定を入れてしまい、「ごめん、仕事が・・・」と断る友人たちを見てきているにもかかわらず、自分の約束を優先し、そのしわ寄せをさらに増やすという「本末転倒」状態になっている。
そう、自分でも雇ってもらっている、今年度という期日の決まった「仕事」が大事、とわかっていながら、「でも、先に約束したし・・・」と無自覚に、優先順位判断を誤っている。
それは、もう何度も繰り返している過ちなのに・・・。
その上、週末も振り替えて出勤している会社勤めの友人たちを長い間見ているのに、週末は自分の研究にあてたい!と欲望を抑えられず、休日出勤もしない。
いや、休日出勤をする気はあるのだが、実はその週末もいろいろ自分の都合で出来ず、しかも言い訳第一の研究すらもあまり出来ていない。
まず、前回日記を書いた、インフルエンザでもなく、原因不明の高熱を連日出して倒れた後、水曜日に復帰して、その日から残業の日々が始まった。
しかし、週末になると、病み上がりなのにいきなり頑張ったため、風邪をぶり返しそうになり、微熱をだして、思考がきれぎれ。
しかも、とても理不尽な力によって、週末の自分の予定を徹底的に邪魔され、二重に潰されてしまった。
これが、2月末のことである。
3月第一週は、無計画に1月から2月頭にかけて入れてしまった予定やお稽古を優先させ、なんと、4日連続、仕事をほったらかして定時で帰ってしまった。
それが、自分の首を絞めるのも何となくわかっていたが、自覚たりんかったなあ。
その週末も、土曜日は研究会で1日潰れ、日曜日は、高熱にてでられなかった新年会と特訓の振り替えで、先生のご厚意で突然「能特訓日」になった。
おまけに、私が専属に指名している美容師が突如、東京に異動になってしまい、日曜日以外、元町で髪を切ってもらえる機会も、次の美容師をどうしてもらえるのかという引き継ぎ相談の機会もなく、お稽古の後、夕方に予約をなんとか入れて、「置きみやげと思って、好きにして下さい」と、髪を切った。
もともと、これまでの髪型に飽きていたし、なんといっても能装束をつけ、鬘をつけるのに邪魔だったので、切る予定をしていた。
けれど、まだ寒いので、もう少し暖かくなってからと予定をしていたのが、不可抗力により早まっただけである。
さすがに、周りには「ええ!!!!」と驚かれた。
実際には、一瞬みんな気付かず、髪を後ろでひっつめていると思われ、思い出したように「どうしたん?」と言われ、「誰ですか?」と言われる。
で、今週。
さすがに、夕方定時にあがって御影まで駆けつける稽古もあきらめ、研究会だけお許しを頂いて参加したが、後は、黙々と残業。
とはいえ、私は通勤距離が遠いので、どうしても22時が限界である。
バスの本数が極端になくなり、下手をすると、終電の電車に間に合うか危ない時間になってしまうからである。
電車のダイヤの乱れより、バスの道路事情による時間のずれの方が、確率が高い。
とうとう、今日はせっかくもらっている時給の1時間分に相当する「タクシー」を使ってしまった。
もちろん、最寄りの阪急桂までであるが。
よほど、仕事を家に持って帰ろうかと思ったが、土曜日は、これもまた2月頭に約束してしまったのだが、お世話になっている先生との昼食会に誘われ、「あ、その日は今のところ大丈夫です」と答えてしまったのである。
話がずれてすまない。
今、テレビで「真夜中市場」というハイヒールがやっている通販の番組が始まったのであるが(実は、見るのは2回目である)、冒頭にこの番組にて購入が高い地域別というランキングを発表していた。
それがまたピン・ポイントというか細かくて、市名だけでなく町名まで言われており、その第一位が私の住んでいる町であった。
ああ、わかる気がする。
そんなことはどうでもいい。
ということで、土曜日もまた、半日は確実に潰れ、日曜日に漸く1日自分のためにつかえることが出来る予定である。
発表も控えているが、実は今、一番優先的に自分の時間に使いたいのが「部屋の掃除」である。
掃除をする暇もなく、発表のために資料だけはとりあえず収集し、それがいろいろな書類や購入した本や雑誌などと入り交じり、整理をする暇もなく、えらいことになっている。
とりあえず、洗濯だけは先日の晴れた日にこなしたのだが、アイロンがけはまだ出来ていない。
日記と言うより、本当にりはびりしたいがために、思うがままに心に溜まった事柄を、言葉にしてみている。
ひどいなあ、こんなの公開するなんて。
でも、ちょっと、これだけ一気に書いて、少し落ち着いた。
やはり、私にとってリハビリなんやわ。
それで思い出した。
もっと「本末転倒」な事を。
自分で忙しくして、首を絞めて、主治医のところに行けなくなっている。
しかも、電話も忘れていた。
やばい。薬が切れる。
月曜日朝一で、速達でお願いしなくては・・・
ああ、ほんまにあほやわ。
で、とりとめのないことを書き連ねているついでに、もう一つ。
今晩、ふらふらになって、桂から電車に乗って、本を読んで帰宅する中、2~3人で茨木から乗ってきたらしい女の子の声が聞こえる。
うるさくはないが、妙にとおる声なので、それに対して返答(会話)している声は、ぼそぼそと音として耳にはいるが、何を言っているかはわからない。
彼女だけ、聞き耳を立てずとも聞こえてくる。
「袴やし、レンタルやし、帰るよ」と聞こえたので、「ああ、大学の卒業式シーズンか」と思い、またしばらく本に集中していると、「女子高生やし。まあ、女子高生よりちょっとだけ上やから、あまりかわらへんし(笑)」と聞こえ、「やっぱり、卒業式を控えた大学生か」と思った。
しばらくして、聞こえてきたのが「ねえ、ライブドアの社長、誰か知っている?」と友達に問いかけ、続いて「じゃあ、いちにちいちぜんって知っている?」という。
なんや、なぞなぞか?と、少し意識がそっちにいったが、やはり答えている2種類の声の内容は聞き取れない。
「ほら、そうでしょう。私が思った通りやわ。誰だってそう思うでしょ。イチニチイチゼンというのは、毎日というか1日に一つ善いことをしようっていう意味なのよ。実は、私も、「イチニチイチゼン」のことを聞かれたときに、同じように「一日一膳」と思って、1日に御飯1膳だけでも、頑張って毎日生きようという意味やと思ってたんよ。でも、あながち間違ってないやん。だって、「つきへん」を取ったら、「善」の字はあってるやん」
そこまで、聞いたとき、私は十三に着いたので、乗り換えのために電車を降りた。
あの、自信を帯びた力強い「あながち間違っていない」という主張はなんや?
私もかなりものを知らなくて、馬鹿をさらけ出して生きており、恥ずかしい思いをしている。
でも、それって、小学校か中学校の四字熟語で習うというより、習った中の難しい方ではないだろうし、親や祖父母、あるいは近所のおっちゃんやおばちゃんなど、生活の中で、漢字は後で知ってもいつの間にか知っていた部類の四字熟語だと記憶しているのだが・・・
あれは、ウケ狙いのボケなんか?マジなんか?
暫く、忙しくて世間と隔絶した生活を送っていると、判断できへん。
ええっと、誰か「ボケてんのに、まじめにとんなよ。意味あらへんやん」とつっこんでくれんかな?