8月8日(火)
元同僚の中ちゃんとの何年かぶりの仕事となった『日経エンタテインメント!』の中とじ新書付録では、内田樹先生はじめ、各出版社の新書編集者の方々や、魔性の女フジモトさんにも大変お世話になりました。この場をお借りして…本当にありがとうございました。その『日経エンタ!』9月号は、さきほど発売になったところです。「新書を通して時代をみたい」というのが、企画立案の中ちゃんのテーマだったんだけど、その通りに仕上がっているので、興味のある方はぜひ。
『日経エンタ!』9月号で中ちゃんは、「出版界の最新非常識」特集内で「モテ女&モテ男研究」なんかもやっていて、相変わらず時代の何かをすくい取るのがうまい。ミーツ時代から「合コンに命がけ」「ゴー・ゴー・ゴージャスの大研究」といった「くすっ(笑)」「どきっ(汗)」の名企画を飛ばしていたものであった。彼女が退社するときは、もう一緒に仕事をする機会がないのかと思っていたが、こういう風にご縁は巡り、こんな風に書ける瞬間が来たことを嬉しくそして面白く思う。
という風に、よく「今のこの瞬間」という言い方をするが、じつは「今のこの瞬間」は「未来のあの瞬間」であり、「過去のあの瞬間」でもある。中ちゃんと一緒にミーツを作っていた瞬間が、今の瞬間を作っているし、今の瞬間がまた、この先に訪れるであろうあの瞬間も作る。
「ある時間」というものは、流れの一部分として意味を持たせることはできるけれど、その限定された時間だけを切り取って意味付けることには、意味がない。「ある時間」は、そのもの自体を絶対的に語ることはできない。その「ある時間」は、「ある時間ではない時間」の流れの中でしか語り得ないのではないだろうか。それが物語というものなんだろう。
さておき、ちょうど江さんの書かれた講談社現代新書『「街的」ということ』の発売が、8月18日というタイミングもあり140Bでも「新書」はトピックスでもあった。なので、この新書企画は仕事というよりは個人的な好奇心を満たすためにアンケートをお願いしたり、追加取材したり、原稿をまとめたりした。でも、これって編集作業としては、当たり前のことだよな。
『ミーツ・リージョナル』を編集しているときは、各企画に対して常にそんな気持ちで仕事をしていただろうか。進行の調整や、年間の出版企画、『ミーツ・リージョナル』というパッケージに対する考察や、そこから派生する別冊の展望…と、他に考えなきゃいけないことが多くて(て、そんなに考えてなかったけど)、副編集長になってからは、時に純粋に企画を楽しめていなかったような気もする。
一つの雑誌がお弁当だとすると、今月はハンバーグ弁当を作るんだけど、メインのハンバーグを、神戸牛にするだとか、手ごねにしようとか、和風ソースかデミグラスか…みたいなことだけ考えて手でこねこねしていればいいのが企画のコーナーデスクなんだけど、編集長とか副編集長は、おいおいこっちじゃあ小松菜と揚げのたいたんを仕込んでるからソースはおろしポン酢にしとけよ、みたいなことを考えるのが仕事だ。どっちにもどっちもの楽しさがあるけど、どっちかの方が気楽でまあ、楽しい。
雑誌編集は気楽じゃなきゃね。適当じゃなきゃね。作業がそうでは困るけれど、頭はどちらかと言えば適当で気楽にやるほうが、自分でも思いもつかない方向に伸びてもいける。つまり予定調和が防げる。予定調和な企画は、実は何よりも面白くないものだから。
そこらへんの適当の加減というかバランスの取り方が雑誌編集では一番重要になる。適当な加減はその都度変わるから、それには自分自身が常にフローな状態で回転し続けることしかないように思う。クルクル回りながら、日々の機微を渦潮のように巻き込んでいくことでしか、適当の加減は掴めないし、次の展開は見えてこない。着地点も決まらない。
さてはて、そんな適当な編集企画をするべく次に与えられたミッションは、メディアファクトリーの『ダ・ヴィンチ』11月号の「関西ダ・ヴィンチ」企画である。かねてより、「関西弁」の持つ身体性に頭を搦捕られてのだが、そこらへんのところを具体的に作品から考察したり、作家さんにお伺いしたりして、グッと掘り下げてみようという企画である。前にブログでも書いた「ヤクザ言葉の共犯性」をはじめとして、ダ・ヴィンチ編集部のS口さんから寄せられた「なんで関西弁の女の子は可愛いの?」という謎にも取り組む。関西弁なのに可愛くない私には、なんでそんな風に思うの? ということが謎なので、その秘密がすなわち回答になりそうだし。8月より140Bに参戦となり、いきなりフル稼働の「大迫力とかいてダイハクリョク」と一緒に盆明けには始動。またも、いろんな方にご協力を要請しているんだけど、よろしくお願いいたします。
と、その前に、マガジンハウスから発行予定の書籍の入稿があり、何人かでやらせてもらう執筆が先なので、今年は盆休みはなさそうだ。でも、こんなに毎日気楽にしていると、別にまあえっかなんて思えたりもする。暇なワケではないけれど(だって浜冦の麻雀にもいけないんだもん)、仕事に追われていないワケではないけれど(保留にしているあの件、ちょっと待ってくださいね)、なんでこんなに気楽なんだろう。私がこんなに気が楽ってことは…なんだかよくわからない(ふりをする)けど、あの人もこの人も…「みんな、ごめん」。そんな気分の2006年の残暑の最中。
コメント (1)
買わなあかんもんが増えて困ります!!
関西弁の中でも、播州弁は最近の(でくくるのも何ですが)子
らの、抑揚のない発音で放つと、全然かわいくありません。
N村Yちゃんくらいやんわりしてると、なかなかオツなもん
ですが。
投稿者: かんきち | 2006年08月10日 02:38
日時: 2006年08月10日 02:38