7月26日(水)
私の所属する編集者集団140Bのオフィスが入っている中ノ島・ダイビルは、 大正14年に建てられた渡辺節設計のいわゆる近代建築である。
焦げ尽くされたような赤茶色の煉瓦造りの8階建て、堂島川に面して正面玄関は自動ドアなどではもちろんなく、2段構えのガラスの扉である。グイと手で引き建物内に入ると、近代建築が過ごしてきた長い時間がヒンヤリとした空気とともに体にまとわりつく。ただ、建物に入るだけで、何やら誇らしげな気持ちすら湧き上がる。
そうして足を踏み入れたエントランスで一番最初に目に入るのがロマネスク様式の吹き抜け空間だ。正面には建物と同化していつの間にかアンティークとなった当時の最新式の壁時計。そして、吹き抜け部分で優美な曲線を描くバルコニーのような2階の通路。
扉を開けてほほ1秒の間にこれだけのものが目に入る。感じさせられる。せせこましい日常をバタバタと駆け抜けるだけで、心をちょびっと贅沢にしてくれる。こういうことができる近代建築にしかないものが、建物の品格なんだろうと思う。
ダイビルの1階は、横丁のように商店やらオフィスやらが並んでいて、ドラッグストアではない薬屋さんや、喫茶店、蕎麦屋。西の奥には昔の映画館にあったような売店があって、味のあるチンのような顔のおばちゃんが花柄のワンピースの裾をヒラヒラしながらいつも重要そうな電話をしているのを見かけたり。そんな合間に、デザイン事務所やスタジオやショールームの扉が開いていて、ふと部屋の中を覗けたりもする。
横丁が迷路のように連続するダイビル内は、その日に気分で自分のオフィスに辿り着けるようになっている。さらに、ヒールでコツコツ歩くと自分が学校の先生になった気分だし、カンペールのバレエシューズでぺたぺた歩くと病院にいるような気にもなる。さらに、スニーカーでドタドタとギンガムチェックのような石の通路を小走りすると、とんでもなく無粋な人生を生きてきたと妙に情けない気持ちになる。こういうのも、建物の品格なんだろうと思う。
そういえば、過日に拝聴した神戸女学院でも内田樹先生の講演でこんな話があった。神戸女学院には、目的の場所に行く直進最短ルートというものがない。もちろん強引に中庭を突っ切ったりすればないわけではない。けれども、ある建物からある建物へと結ぶ動線が、なぜか分かれ道になっていたり、普段は生徒に用事がないような場所を中継したり、つまり「寄り道させられる」構造に設計されているのだそうだ。
だから、それぞれの目的地に対して自動的にいくつかのルートが選択できる(しなくてはいけない)ようになっていて、春先なら満開の桜の道を、真夏なら木陰の径を…と、グリーンゲイブルスのアンのように、季節や天候、気分に従って、自然と身体が道順を、「選ぶ」のではなく「選ばされて導かれる」のだとか。
わずか3分あまりのダイビル内通勤路ですら身体が反応しているのに、風水が抜群にいいという岡田山の、そのまた緑溢れる山上で、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズによる、いわばひとつの街と化した学内で4年もの時間を過ごせば、さぞかし身体も心も健康でいられるだろう。
これは、そのまま街にも当てはまる。そこのところは江さんも8月19日に発刊される講談社現代新書『「街的」ということ』でも書かれていたが、迷ったり寄り道させられない街は、街として不自然なのである。バッキー井上さんはそれをさらに酒場に、そして人生において拡大して「行きがかり上」と説いていた。内田樹先生は講演の中で「自分が出合う未知のファクターと折り合いをつける」とも仰られていたが、これは結局同じことを言っているように思われる。
そういえば、ベニスの町もそんな風な横丁の連続で、ふと角を曲がるとええ感じのバルが目の前に現われて、これはラッキー、昼から飲めということね的な幸せに満ちていた。
キャサリン・ヘップバーン好きの母の影響で、何度も『旅情』で目にしていたベニスは、浮かれた観光客の街でもあったし、ヴィスコンティの描く凍りついた老いの寂しさがそこらに落ちている街でもあった。老いの悲しさは沈みゆく町の悲哀でもあるだろうし、長い時代を駆け抜けてきた疲れでもあるだろう。だからこそ切ない美しさがあるベニスの町では、ガイドブックに丁寧に書かれた「ここ歩け」ルートには切ない美しさは落ちてはいない。だから、ベニスではどんどん迷うのが楽しい。
余談だが、異国で、しかもイタリアで迷うというのは致命的にデンジャラスなことではないかというむきもある。というのは、ベニスに初めて訪れた20歳の私もそうだったので、ユーレイルパスを駆使しヨーロッパを徘徊していた途中下車の水の都で確保した宿にて、部屋が空くまで荷物を預かっていてくれる。ちゃんと見といてくれる? と女主人に問うた。すると、年配のイタリア女性に珍しく、ほっそりと、しかも装飾品をほとんど身に付けていない女主人はこう言った。
え? なんで? なんのために? ベニスは一晩中家のドアを開けっぱなしにして寝ていても、泥棒なんて入らないわよ。だって、ここの横丁から向こうの横丁まで、ほらあっちのサン・マルコ広場の方まで、みーんな私は知ってんだから。知らない人間が通りがかるだけで、ちゃんと気がつくんだから。そんなこというアンタたちは?日本人?日本は物騒な国なのね〜(得意げ)。
ていうか、アンタ、今、私たちが入ってきたときも5分以上気がついてなかったやんかいさっ。
でもまあ、女主人の話5分の1としても、ベニスにおいては、サン・マルコ広場周辺の雑踏でなく、住宅街めいた横丁では、その話はまんざらではなさそうだった。今は知らないけれど。
翻って大阪・中ノ島。この界隈は古くからのオフィス街で、だからこそ「大大阪」時代の遺産であるダイビルもあるのだが、そのすぐ近所には、21世紀らしく六本木ヒルズのタワービルの如きビルが空に挑戦状を叩きつけるかのようにニョキニョキとのびている。夜になるとピカピカ光る夜光虫のような不自然なその環境(ビル)で、毎日の大半の時間を過ごす人もいるなんて、なんだか可哀想にも思える。でも、最先端ビルの扉をさっそうと開けるITな人たちから見ると、古ぼけたビルヂングに通う私の方を可哀想にと思っているかもしれないが。
大正から昭和、平成へと時代は変われども、朝がくれば太陽が昇りまた沈み夜の帳をおろすのは変わらぬように、ダイビルは、日が落ちるとそのレンガ造りごっしりとした体を夜の闇に密やかに溶け込ませる。仕事を終えてそのダイビルを後にし、しばらくして振り返ったとき、すぐそばで夜光虫ビルが奇妙にテカテカと光る様に違和感を感じ、奥を見やれば夜と同化するダイビルを見えてなんとも言えない安心感を感じるのは、ダイビルの身体が健康的に感じるからではないだろうか。
前に、神戸の福原、東京でいうと吉原のようなソープ街を歩くと気分が悪くなるのは、私が女だからとかそういうのではなく、昼夜の概念がない街の不健康さによるのではないかということを書いたが、健康そのもののダイビルにこうして座っているからこそ実感させられるのかもしれない。「健康」とは独立したものではなくて、「不健康」と表裏一体なのだ。つまり不健康さというものは、「健康」があって始めてわかるものかもしれない。てか、前にも書いたな、こんな話。なんだっけ…。思い出したらまたアップします。
2年後に取り壊されることが決まっているこの近代建築は、ダイビル イースト・ウエスト(仮称)という名のツインビルに生まれ変わる予定なのだそうだ。本町あたりからタクシーに乗り、「中ノ島のダイビルまで」というと、お話し好きの運転手さんとは必ずこの取り壊し話で会話が始まり行政の文句に終わるのが、いかにも街的な「毎度(まいど)」な大阪の日常でもある。