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上海ナイト

7月19日(木)

というわけで、こっちは「三夜連続上海ナイト」の再放送。長文なので、お暇な方だけどうぞ。

*上海一日目 2005年7月27日(水) 再録
『お世話になります、佩芝さん』
21年ぶりの上海は、何もかもが変わっていて、というかまるっきり違う街で、だからまるで初めて、いや、それ以上に見るもの全てが「オモシロすぎる〜」であった。そして、なによりも、何を食べても美味しいしええ店ばかりであった。

が、しかし、それは妹分の佩芝(ハイシ)嬢のアテンドありきであろう。上海の街なかでは日本語はもちのロンのこと、英語もほとんど通じない。上海語、普通語などの中国語で街は動いている。韓国では、年輩の方は日本の植民地時代の名残で非常にきれいな日本語を話せる人が多かったが、上海は一にも二にも中国語。あれだけ街が景気良くトバしているのに、タクシーでも100パーセント日・英語は役に立たず。考えたら、まあ当たり前のことなのかもしれないが。

そんな「あ〜あ〜う〜う〜」状態の旅人二人を連れて、タクシーで目的地に運ぶことから料理店でのオーダー、買い物ではこのシャツは他に柄違いはないのか交渉…と、まるで自分では何もしないハゲのおっさんのごとくうら若き佩芝嬢に身をゆだねた3日間。佩芝さん、本当にお世話になりました。心よりお礼申し上げます(当時、佩芝は上海で女性誌の立ち上げの仕事をしていた。今は、帰国して岡山に嫁に行った)。

「なんせ旨いもん食べさせておくれ」という乱暴なパスを受け、神戸で例えていうなら、元町の名広東料理店[神戸元町別館牡丹園]や、世界で一番美味しい神戸流お好み焼き屋[斉元]や、ちょっと小腹が空いたら[ぼんてん]や[ひょうたん]などの味噌ダレの餃子。夜ともなれば、南京町の石畳の小径を抜け、栄町の路地沿いに灯る三日月のネオン酒場[ムーンライト]の扉を開ける…という、神戸ゴールデンのまるで上海版セレクトによる道先案内。

佩芝さん、お陰で1キロ太りました。1キロで済んだのは、まあよく歩いたのと、プーアール茶のお陰かと。お腹も壊すことなく、全てが快適。朝、起きたらお腹が空いているというベストコンディションだったのも、「この時期、貝のこの料理はやめといた方がいい」「羊はよく火を通して食べること」「あんな店のかき氷は一発で死にます」などなど、がっつく二人に佩芝嬢が細かいアドバイスをくださったせい。

そのアテンドぶりは、まさに情報社会の最新兵器。いかにネットというツールが発達しようとも、こちらがほしい情報が臨機応変に瞬時に飛び出す生身の人間ほど、情報社会に強いモノはない。これは、整理された情報ではなく、脳にアトランダムに積み込まれたものだからだろうし、それを痒いところに手が届くような適切さで取り出せる佩芝嬢の頭脳と感性があってこそ。人間って、スゲーよなぁと、なんだか感心させられた。

そんでもって、ワタシも姉ちゃんオバQの好みやなんやらいろいろが、佩芝嬢の感覚と嗜好とドンピシャであったからこそ、それが存分に感じられたともいえる。こういうのはラッキーという以上に他はない。3日3晩の食事をともにして、佩芝嬢とも姉ちゃんオバQとも、これからもずっと付き合える友人になったことを確信した。食べながらもずっと食べものの話をし続けて飽きない、つまり食べ物の話をしながらも食べ物以外の話になっている関係は大切にしたいものである。

ちなみに、佩芝嬢と別れた最終日、最後に食い意地張って挑戦した空港の麺も排骨も、全部残した。そして、泣きながら姉ちゃんオバQと佩芝嬢の偉大さを話し合った。佩芝嬢が帰国したら、元町の[ナダバンダイニング]で帰国祝いをすることになった。

そんなこんなで楽しかった上海は、書きたい話は山盛りで、「写ルンです」で撮ったピンボケ料理写真(いちおう食べたものは全て撮影。ていうか今どき「写ルンです」って…)もアップしたいのですが、お休み中にミーツ編集部のミゾ番長にフォローいただき、まずは仕事しろよという感じなので、少しずつ。

それにしても、中国人はあまり働かないとかサービスが悪いとかって誰が言ったんだ。これがめちゃくちゃよく働くやんっ。という話を、上海2日目で書こうと思う。この上海旅行で、そのたぐいのことで嫌な思いをしたことは一度もない。逆に感心しきりだった。

しっかし、佩芝嬢を編集長にミーツ『上海本』つくったら、絶対売れるだろうな。企画書書いてみようかな。どないでしょう、佩芝さん。

今回の旅の中で、唯一「どうしても行ってみたい!」とお願いした観光地・豫園の名物店[南翔饅頭店]前2日目の朝ご飯。ここの小籠包は本当に美味しかった。同僚のミゾ番長も行ったことがあるらしい。神戸で言うと[老祥記]の豚まんみたいな超定番もんらしい。六本木ヒルズや神戸の南京町にも支店があるが、やはり現地で食べてこそ、だろう。だいたい値段が違う。

さて、小籠包も何種類かあり、蟹味噌味や、熱々のスープをストローで頂くアトラクション的なものもあるが、スタンダードなものが一番美味しい。でも、他のを食べたから、そう思えるわけで、やっぱり最初はいろいろと試してみたいってもんだ。佩芝嬢はここでも、そこらへんもわかった上でいい感じにオーダーしてくれた。スタンダードな小籠包は、皮の厚さやスープの濃さなどなど、素晴らしくバランスがいい。だからあんなに行列しているんだろうな。大きい丸テーブルに相席制で、私たちはおじいちゃん&おばあちゃんとお孫さんといった風の3人と一緒だった。お隣は台湾人か上海以外の街からきたカップルらしく、中国語のガイドブックを手にしていた。上海にはこうした、中国の地方からきた中国人観光客も多い。

小籠包のもっと美味しい店は他にもあるのかもしれないけれど、3フロア構成で値段が違い、1階で買い食いすれば、も〜のすごく安い。コスパが高いとかいっても言い切れないほど安い。という話を佩芝嬢が教えてくれた。

蕎麦切りパフォーマンスのようにガラスの向こうで小籠包を職人さんが包んでいるのも見れるのだが、2階では蟹の身や味噌をほじくっている人たちがガラスの向こうにいて、彼女たちは一日中年がら年中、蟹だけをほじっているそうだ。

そんな風に上海では、それぞれの現場担当が細かく分かれていて、カジュアルな料理店でも、オーダーを取る人、厨房からテーブル前に運ぶ人、それを受け取りテーブルに置く人…といった風に役割分担がある。最後にテーブルに置く担当はたいていパンツスーツを着たキャリアウーマン風で、それはとても誇らしい感じに見えて、皿にも値打ちがでて食べるこちら側も盛り上がる。と、ついつい長くなりました。ではまた。
2005年7月27日(水) at 17:21

*上海二日目 2005年7月28日(木) 再録
『張さんと、美味広東名菜[采蝶軒]』

上海では何人かの印象的な中国人(いや、上海人。いや、上海に住む人か)に出会った。一人は「プラザ66」の[采蝶軒]の張さん。藤原竜也のような涼しい目元をした、凛々しい女子ギャルソン。いや、ギャルソンヌとかになるんだろうか。

南京西路にある「プラザ66」は、エルメスやルイ・ヴィトンといった上海セレブ御用達のブランドが入る、西梅田のハービスエントのようなハイエンドファッションビル。建物そのものが建築誌の誌面をスタイリッシュに飾りそうな、いわゆるトレンドスポットである。

その5階にある[采蝶軒]は、例えば堀江のお洒落ダイニングのような、屋内だけれどオープンテラスのように開放感のある広東料理カフェレストラン。そこをちょこまかと動き回る黒いタブリエ姿のスタッフは、みんな若い女の子たちで、口の上にはうっすらと産毛をはやし、みな化粧っけがないせいか、なんだか全員が10代後半にみえる(本当にそうなのかもしれないけど)。髪をひっつめた若い女子の黒いタブリエ姿は、パリやNYなんかを意識した日本のお洒落カフェと同様であるが、その飾り気のなさはやっぱり中国で、そして何かが日本のお洒落カフェスタッフとは違う。

という語られようのときは、たいていが「中国の店はサービスが悪い」という方向になるが、ワタシにはそうは思われなかった。中国語の話せないワタシは、普通語を操る佩芝嬢にオーダーもなにもかもまかせている。それを横目で見ていると、どの料理店でもそうなのだが、オーダーの時間がやたらと長い。だいたいのメニューを相談してから「服務員」(=スタッフ)を呼ぶのだが、佩芝嬢は必ずあれやこれやと商談の交渉めいたやりとりをする。何をあんなに話しているのかと問うと、料理を出すタイミングをこちらが注文付けたり、服務員が今ならこうするとお得だからこっちのメニューのこれにしたらどうか、などと、提案してくれているのだという。

まあこうしたことは、日本のカフェでもマニュアル通りの接客で行われているが、なんだか上海のその[采蝶軒]では、例えば大阪のグラン・メゾン[ラ・ベカス]のメートル・ド・テルと今日のお楽しみを作り上げていくような晴れやかに満ちていて、そういうのはいったいなんなんだろうと不思議に思う。左手を背中にまわし右手でメニューを指さし、キリリと話す藤原竜也似の張さん(もう2〜3年もしたらシャープな美人になるだろう。下の名前は中国漢字で名札を読めなかった)は、日本のダイニングカフェにはない、晴れやかでこなれたサービスの雰囲気を醸し出していて、愛想笑いをするでもないが、私たち3人は十分にもてなされていた。

ていうか、ここ、上海では高級店ではあるが、どっちかといえばお洒落カフェ風の店ですぜっ(でも、後で書くがめちゃくちゃ本気の料理店であった)。

佩芝嬢によれば…今の上海には、中国の山奥やらなんやらかんやら、はるか彼方の町から、少女の年頃の子たちがどっさりと働きに出てきていて、それはそれは安い賃金で馬車馬のように働き、そして狭い狭い部屋で暮らしている。それだけ上海にお金が集まっているからでもあるが、街を歩けば「1車→2自転車→3人間」という人間の価値が低い街であるから、金持ちになるのは田舎と上海の距離よりも遠い遠い話であろう。それでも、そうして出てきて働く彼女たちは、少しでも「いい店」で働き、その店の中でも、最初は洗い場だったのがホールに出て、コックスーツを着て皿を運び、いつかフロアマネージャーになって客にサーブする…みたいな、サクセスストーリーを夢見ている。だから、彼女たちには「夢」や「希望」がある。南京西路にある「プラザ66」のようなトレンドスポットの、そのまたお洒落店[采蝶軒]のような店で働くということだけでも、張さんにはきっと誇らしいことなんじゃないかな…ということらしい。

なんていうか、そういう話はありがちな美談にも聞こえるが、実際に上海で張さんを見ていると、なんだか上海が羨ましいぞ、と思う。日本では、どんなええ会社に就職しようが、その「夢」を見られない人が増えている。確かに「夢」はなくても生きていけるほどに生活はまあ恵まれているし、じゃあお前には夢があるかと問われると「いやあ…」という感じだけど、なんつーか、どこかに「夢」みたいにキラキラしたものがこの世の中にあって、まあいつか見れたらええのぉ。とは思う。

でも、上海の張さんには、そういう「夢」が見えているようで、というか現実や具体性がないから「夢」で、だから「夢」なんて見ていられるんじゃないか。つまり、「夢」って人間としての余裕みたいなものを持たせていて、そういうのが夢見る張さんのサービスにキラキラと振りかけられているように感じられた。

きっと、張さんは家に帰るとあんまり広くない部屋で、制服を脱げばいきなりもっさりとしていて、冬になると雪で村の交通が遮断されてしまうような故郷の田舎では、たくさんの兄弟が仕送りを待っているのかもしれない。けれど、日本のコンビニとかカフェでバイトしながらダラダラと生きている男子女子よりも、単純に「カッコええなぁ」である。どうせ働くなら、カッコええ子と働きたいもんであるが、張さんなら一緒に働きたいぞ、と彼女がキリリとした横顔を見せながら、お茶をしょっちゅうしょっちゅう気にして注いでくれる姿にして思う。

佩芝嬢に連れられた上海の料理店では、ホールを担当していたのはほとんどが若い小姐で、彼女たちの半数以上が、張さんのようにキビキビとキラキラと店に立っているように見えた。街の勢いというのは、街の末端でこそ一番よく見える。彼女たちが今からの上海をつくっていくのだろう。なもんで、それに比べると、なんだか日本のお先は真っ暗に感じて、それはまずは日本という国が時代にノッていかないとどうにもならないだろう(当たり前だけど)。くだらないオッサンの暴言や汚職に付き合ってる余裕は、本当になさそうだ。大丈夫か、ニッポン。

話は戻るが、この[采蝶軒]というお洒落広東料理カフェレストランは、料理がめちゃくちゃ美味しい。実は食事をしようとしたのが午後3時半頃で、当初は「プラザ66」の5階にある人気の回転ラーメン店[夏麺館]に行こうとしたが、ここはラーメン屋なのになぜかアイドルタイムがあり営業していなかった。なので、佩芝嬢の提案で急遽レストランのはずのなのに通し営業であったので[采蝶軒]に行ってみた。

普段は結構なお値段設定だそうだが、逆に昼過ぎのその時間は点心がサービス価格で提供されていて、鶏の皮をカリカリに焼いた皿、平麺と牛肉をピリ辛&XO醤風味で和え炒めした麺、プリプリ過ぎるエビがたっぷりはいったワンタンの麺にビールをグビグビ、ええ香りのお茶をグビグビ…で、日本円で一人1000円ぐらいだった。そのどれもが、たぶん神戸の中華に慣れている人なら悶絶するええお味。3人揃って絶賛。

[采蝶軒]のオーナーは香港人だそうで、上海のノッている店は、たいていが香港資本か台湾資本だそうだ。香港は当たり前だが広東人が多いので、料理はカントニーズが中心で、その香港の影響をよく受けているのと、神戸の華僑は広東人が多いので、神戸中華=広東料理なのである。ということで、広東系の[采蝶軒]が合わないわけもなく…。しっかし、ここでも佩芝嬢の料理セレクト&ペース配分は絶妙でしたな。

下のピンぼけ写真(※再録につき写真はありません)は、脂たっぷりの鶏の皮をぱりぱりに焼いた一品。少しついてくる身と皮の間の脂がたまらない。なんとも意地汚い味がして、体に悪そうだからなおさら箸が止まらない。甘いタレをつけて頂く。軽い青島ビールの最高のお供である。美味。2日目の遅い昼ご飯。
2005年7月28日(木) at 21:33

* 上海3日目 2005年7月29日(金)再録

『浅黒テニス小姐がいる限り…』

富岡多恵子さんがミーツの連載にて、蕎麦屋での話を書かれていたことがある。上海で印象に残る二人目の女子服務員(スタッフ)、人呼んで「浅黒テニス」を思い出すとき、ワタシは同時に富岡さんのその蕎麦屋話を思い出す。

ミーツ・リージョナル『いっぱしの言葉』2001年12月号より抜粋
(『難波ともあれ ことのよし葦』筑摩書房より刊行にも収載)
『この夏のこと、某国(もちろんニホン国内)で街道筋のソバ屋に入り、「天もり」を注文した。それはないという。メニューを見ると「天ざる」はある。「天ざる」と「天もり」のちがいは、そばにノリがふりかけられているかいないかの違いにある。わたしは「ノリのふりかっていないそばと天ぷら」が食べたいのでノリをかけないでくれと何度も同じことを説明しても理解されず、「天ざるならある」といいつづける店員にわたしは負けて、忘れたころに出たノリまみれのそばを食べた。かれら自慢のそばの香りはノリの匂いで消えている。
 この場面を大阪でならどうかと想像するに、「ノリはいらん、いうこってすな」と店員はすぐに了解するか、「ノリの分、割り引きしませんで」と冗談をいうかであろう。まさか、「そんな、ないもん注文してもろたって」とはいわれないであろう。』

この話の前振りで、富岡さんはこう書かれている。
『これまで大阪で、その手のイライラ感の出番がほとんどなかったのは、食べもの屋のシステムと店員の両方にテキパキ性があるからではないかと思うようになった。〜略〜脈絡のない注文にも愛想よくこたえ、テキパキとまちがいなく出てくるようなことは、当たり前といえば当たり前だが、そうはゆかぬ国もある。』

上海滞在の3日目、「飲茶を食わせろ〜、うまい飲茶があるはずだ〜」とバカのひとつ覚えのようにシュプレヒコールを繰り返す二匹に、佩芝嬢がニヤリ。「平日は点心が一律6元(約85円)で、ハトの丸焼きが香港級ですぜ」という[唐宮]へ連れて行ってくれた。飲茶は食えども茶は飲まず。まずはもちろん、昼からビールである。ハトの丸焼きともう一品、佩芝嬢が「日本に帰ったらもう食べられないのねんっ」と泣きながら別れを惜しんでいた白灼蝦も「出会ってもうサヨナラか…」と切なくなる逸品。ここの白灼蝦は、皮を剥いて口に入れると、ええ鮨屋でエビを頂いているような幸福に包まれる。つけて頂く醤油がまた美味しすぎる。なんなんだろう、あの旨さ。はあ…。


まあ、とにかく食べたもん書かせてもらいますと↓
<点心>
★排骨(スペアリブ)の豆鼓蒸し
 アオヤマの大大大好物。豆鼓というのは、日本でいう大徳寺納豆みたいな 豆系の調味料。神戸なら[神戸元町別館牡丹園]の排骨の豆鼓炒めなんてた、た、たまりません。

★蟹の卵(たぶん)がのったプリプリ焼売
 上海では、小籠包しかり、上海黒酢をかけて頂くのがスタンダード。はじめは醤油をつけたくないでもないが、慣れてくると、たっぷりの黒酢をつけたくなる。

★干しエビや鶏ガラのダシ(推測)が効いた大根餅
 日本でも売っているけど、上海ではスタンダードな薬味にラチューチョン(唐辛子系の辛いタレ)があり、ちょっとつけるとガラリと味が変わる。神戸の名広東料理店[良友酒家]では、焼きそばを食べるときに「これちょっとつけると美味しいよ」と教えてもらった。なんていうか、味が盛り上がる薬味調味料ですな。

★小籠包 
 姉Qによる「あの夢を再び」のオーダー。でも[南翔饅頭店]がやっぱり勝利。とはいえ、日本で小籠包をうりにしている店のレベルは軽くクリア。小籠包で重要視される皮のヒダも美しい。

★エビのライスペーパー蒸し 
 なんでライスペーパーのちゅるるって食感は、あんなに食欲をそそるのだろう。色鮮やかにハリハリッとゆがかれた青梗菜が添えられ、色のコントラストも食欲増進。ほのかに甘い醤油ダレで食す。ライスペーパーは作られる時にラードが使用されているのか、透明感のある見た目よりもぐぐっと力強い味。

★肉抜きの餃子の中身みたいな具入りの揚げ団子 
 甘くないおかず団子。油を吸い込んだ皮部分がビールに合う。点心ってヘルシーめいた見かけをしながら、なかなかパンチのきいたメニューが多い。つまり酒飲み好みでもある。

★ハトの丸焼き 
 なんで日本ではハトはあまりないの? 気軽にハト食べさせろ〜、と上訴したい(誰に?)。子どもの頃にテレビでアグネス・チャンが「公園でハトみると、よだれがでるんですよね」と言っていたのが、大人の今になってよくわかる。フレンチのピジョンとかいうノリではなく、ハトの丸焼き。ブラボー。

★白身がほどよく凝固したぷるぷるのエッグタルト 
 3人とも予想を裏切る実力にしばし無言。オーストラリアのメルボルンの街角スタンドでよくこのエッグタルトを売っていて、しょっちゅう食べてたら肥えた。これもサクサクの皮はラードが決め手と見た。「やっぱり濃い味好きなんです」の「打倒スローフード」の真髄をいく、がしかし、軽やかな味。姉Qはずっぽりハマり連打。佩芝嬢も「ここのエッグタルトはほんまに美味しいわ〜」と満面の笑み。

<ア・ラ・カルトから>
★白灼蝦 
 もうなにもいいますまい。このレベルを日本でオーダーすると地雷を踏んだようなお会計になる。ワタシも日本ではパトロンがいる時しか食べたことがない。ということで、さらに値打ちが増した。

<デザート>
★小豆とミルク(?)の層になった寒天 
 まんま羊羹。しかし甘味控えめ、口当たりまろやか。お茶によく合う。

★マンゴープリン 
 日本だとマンゴーソースと一緒に頂いたりするが、ここではフレッシュミルクをかけて食す。このフレッシュミルクのさらっとしたのが意外や合う合う。

★黒タピオカがごろごろと入った白タピオカジュース 
 もうこの頃には三人とも前屈みになり、それでも箸を泳がせてしまうという末期的状況であった。が、なぜがスプーンですくっていつまでもズズッとすすれてしまった。上海では、料理店のデザートは総じて甘さが控えめで、それがとても意外だった。

これに小瓶ビール×3で、ざっと一人8〜900円見当(驚)。ちなみにここは佩芝嬢が「ここは上海の記念にと思っていたので」などと、泣かせる意向でご馳走してくれた。何から何まで…ありがとう。

と、読んでいるだけでお腹一杯になったところで、話は戻る。

[唐宮]は、デパートの大食堂のような広いワンフロアにテーブルがポコポコと並んだ、飲茶スタンダードなライブ感のある店空間。飲茶マダムもいれば、ファミリー飲茶もいるし、接待風(ポロシャツ)にスラックスだけど。「あれも一張羅ですよ」と佩芝嬢)の男性連れもいて、人を見ているだけでも面白い。ちなみにお隣は、イケてないけどお金を持っている風プチオヤジ(ビジネスマン系)と水商売かただのプータローかきわきわのワンレン姉さん。姉さんは世界共通でけだるい雰囲気。プチオヤジはノリノリのオレ様モード。男42歳、「時間は金で買う」が信条(推測)。

このプチオヤジとワンレン姉さんは、点心を頼まずに、ア・ラ・カルトの皿を注文。川魚を蒸したのを醤油とネギ油で頂く皿や、牛肉をオイスターソースで炒めた風(色の感じから)など、ボリュームのある料理を並べていた。絶対に残すね。ワンレンの姉さんは食べるさまもけだるく、これも世界共通かばくばく食べない。食べるというより箸でつついている感じ。こういうのも、どこの国も変わらんのぉ〜と、上海版市原悦子になっていると、プチオヤジの携帯に着信。そこから、
ずーーーーーーーーっと電話で話している。

最初の5分くらいはワンレンは魚を箸でつんつんとしていたが、そのうちそれをほぐしだし、プチオヤジの口に入れる。プチオヤジはまんざらでもなさそうに、電話の途中でモグモグ。さらに、プチオヤジは電話をしながら白飯をオーダーしろという指令を出し、供された白飯に牛肉のおかずをのせ、電話で激しく話ながらもご飯とおかずをモグモグモグ。その合間にワンレン姉さんがほぐした魚を口にぽいっ。プチオヤジは「我が人生は突き進むのみ」みたいなオーラを放出していた。しっかし、なんでもアリやなぁ。まあ、日本ではヤクザの方しかしませんわな。こういう芸当は。

そんな食欲全開なフロアでは、またもコックコートを着て、口に産毛を携えた10代後半の小姐が秋のリスのようにくるくると皿をひいたり料理を運んだりしている。私たちのテーブルの担当になったのは、色の浅黒いへちゃっとした顔の女の子。丸っこい低めの鼻と細い目が初々しい。共学の公立高校でテニス部に在籍。頑張り屋だけど、なかなか目がでない。真面目でちょっと鈍くさいけど、そんなところから先輩におちょくられて可愛がられている。そんな雰囲気だ。

「デザートは冷たい皿だから、全部食べてから注文するわ」とオーダー時に佩芝嬢がいう。「いや、後から持ってくるし最初に全部注文してくれへん?」「え〜、一緒に来たらイヤだし後から言うよ」「いやいや、大丈夫ですからっ」。ということで、佩芝嬢、不本意ながらもデザートも注文だけはした。

注文したビールがくると、上海では服務員(スタッフ)がグラスに注いでくれるのだが、ビールを飲んだこともないであろう浅黒テニス小姐は泡ばかりにしてしまう。「うわ〜、泡ばっかり」と思わずつぶやくと、意味は通じたのか、浅黒テニス小姐は恥ずかしそうにワタシを見る。なんだかその様子に好感が持てて「ええよ、ええよ」(もちろん日本語で)。姉Qも「泡も美味しいわ」。佩芝嬢も「そんなん、ええ、ええ」。浅黒テニス小姐はよりいっそう恥ずかしそうに顔を赤黒くさせたが、心が通じ合ったような空気が流れた。

さて、まだまだエビをやっつけ、排骨の骨を口からプッと吐き出している最中に、心配は的中。浅黒テニス小姐がデザートを運んでくる。以下、台詞部分はホットペッパーのCM風に読んでみてください。

佩芝嬢「え〜、デザートは後からにしてって言ったでしょ」
浅黒テニス小姐「えっ。聞いてませんでした。それに、もう持ってきたし」
佩芝嬢「だから、注文の時に念を押したやん」
浅黒テニス小姐「わかりました…」

数分後、今度は口の上に産毛を生やした男子がデザートを運んできた。
通りがかった浅黒テニス小姐も慌てて寄ってきた。

佩芝嬢「だ〜か〜ら〜。デザートはあ〜と〜で〜、って言ったでしょっ」
産毛男子「え〜、聞〜いてませんっ」
浅黒テニス小姐「アカンねんアカンねん。この人たちデザートは後からやねんっ。聞いてるねん」
なんやねん、お前まで…という顔をして産毛男子は裏切られた風にすごすごひきさがる。浅黒テニス小姐、はぁ〜という感じで下がっていく。

その2〜3分後、またも違う小姐がデザートを運んできた。
佩芝嬢が「んも〜!」と爆発しかけた瞬間に、浅黒テニス小姐が駆け寄ってきて、泣きそうな顔でまくしたてる。

浅黒テニス小姐「だから、この人たちは、ほんまにデザートは今だしてもアカンねんっ。私が聞いてるねん。アカンねんアカンねん」
小姐B「え〜、もうええやん。だって、もうすぐ食べ終わるやん」
浅黒テニス小姐「違うねん。まだ残っている間は、絶対に食べへんねん。ぬるくなったら怒るもん」
小姐B「つーか、アンタなになん?」

騒ぎを聞きつけ、キャリアスーツのフロアマネージャーが登場。

フロアマネージャー「ちょっと、アンタたちなに騒いでんのよ」
小姐B「この子がややこしいんすよ。デザート出そうとしてるのに」
フロアマネージャー「あんた何邪魔してんのよ」
浅黒テニス小姐「いや、かくかくしかじか。だからデザートはまだ出さないで欲しいんです」

フロアマネージャー伝票を見る。

フロアマネージャー「もう後はデザートだけやん」
小姐B「でっしょ〜〜〜」
浅黒テニス「でもね、食べ終わるまでって、注文の時から念おして言ってたから。お願いだし後にださせてくださいよ〜」

フロアマネージャー私たち3人を見る。ちょっとうんざりした風。

フロアマネージャー「はいはい、後からにしたら、い〜い〜ん〜で〜しょっ」
小姐B「げっ、まじで〜」

とまあ、たぶんそんな感じの会話が展開されていたと予想され、フロアマネージャー&小姐Bはデザートは舞台をはなれる(舞台って)。なんとなく、浅黒テニス小姐に三人が「ごめんやで」光線を投げると、浅黒テニスははにかんだような笑顔を見せて立ち去る。「日本に連れて帰りたいなぁ。働きもんでええ子やわ〜」と浅黒テニス小姐の有能性と心遣いについて三人で話し合っていると、フロアの隅の方で、浅黒テニス小姐がフロアマネージャーに呼び出され、注意を受けている風である。が、しかし、そこでめげないのがさすがに体育会系(妄想)、まだ「でも〜」と闘っていた。

浅黒テニス小姐は正しいが、正しいことが共通のルールに存在しないのが社会というもの。社会で洗濯機の中のタオルのようにねじり揉まれる三人は、浅黒テニス小姐が愛おしくてたまらない。誰彼ともなくつぶやいた。「何年後かにこの店に来たとき、浅黒テニス小姐が出世してキャリアスーツ着てフロアマネージャーになってたらええのにね」「ほんまやなぁ、なってるんちゃう」「そうやなぁ」。

浅黒テニス小姐がいる限り、上海では「天ざる」のノリ抜きがいただける街だ。そんな風に思う。
2005年7月29日(金) at 21:06

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