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逝きし世のおっさん

先日の東京行脚で六本木の出版エージェントにお邪魔して以来、「おっさん」に頭の中をからめとられている。私は常々、「おっさん」というものが気になって仕方がない。好きとか嫌いとかフランク・ミュラー買ってくれとか川上弘美の先生の鞄とかではなく、ただ、気になるのである。

神田のとある夜、居酒屋「みますや」で冷酒を飲りながら平川克美さんの口からこぼれた言葉の中に、私をそわそわさせる「おっさん」が通り過ぎた感触というか残り香が感じられて、それはこの一言であった。

「もう俺たちには時間がねーんだよ。時間てもんが限られてんだよ」。

そうだ、「おっさん」にはあまり時間がない。さらに言うと、もはや「あるかどうか分からない時間」しかない。

人生の折り返し地点がどこにあるかは、寿命を決定できない私たちにはわからない。つまり、自分の人生において、今、私がコース全体のどこを走っているのかというのはわからないものなのだ。そんなゴールが見えないマラソンへの不安を感じたときこそが、もしかしたら人生の折り返し地点なんだろう。

人生の往路と復路は時間的には同じではない。けれども、濃度×時間ではじかれる数値の帳尻の合い方は、支点が片寄ってでもバランスがとれている天秤のようにも思えるし、そのバランスのとれ方が一人一人違うから「余生」というものがこんなにも人によって違うんじゃないだろうか。

なんていうことが、意味不明にまだ人生を突っ走ってしまう私には、なんだか「スゲー」ということに思え、その「スゲー」とこを日常に抱えながら、酔った電車の吊り革に掴まりながら居眠りしてクルリンパとなってむにゃむにゃ呟いたり、やたらとデカいくしゃみ2連発でして何かの液体が飛んだスポーツ新聞のページを折り替えたりしながら生きている存在の象徴として「おっさん」がいるのだ。

と、気がついた。「時間のかけがえのなさ」を知る存在が、何者でもない「おっさん」であり、それはもっと言うと、男でも女でも20代の青年でも誰でもいいんだけど。

逆を言うと、ええ年してるのになお時間を金で買えると勘違いするような人間はただの「オヤジ」で、「おっさん」は許されるのに「オヤジ」は忌み嫌われる。或いは身体からのサインが教えてくれる、思春期という奇跡のような瞬間のはかない時間を無視した揚げ句、ずるずると何なら金に換えて消費する10代女子は、何よりもその存在を「オヤジギャル」として消費されてゆくのである。そんな風にむしゃぶられて迎えた未来は、もはや「おっさん」ではなく「オヤジ」として生きてゆくしかないのである。

時間のかけがえのなさを知る「おっさん」はすごい。それこそが、「おっさんの品格」であろう(ほんまか?)。「おっさんの品格」は清らかではない。背負ってきた時間が、垢のようにこびりつきまみれている。それでも、それは気高い。そして切ない。だから私にはより美しくみえるのである。 まあ、だからどうだって話だけど。とにかく、いい「おっさん」に、私はなりたい。

と、この話を書いて、前ブログに書いたある話を思い出した。再録ゆえ、タイトルを見てピンときてオェッときた人は、読まないように。


『大惨事』

昨夜は大変なことがあった。

その大変さを理解してくれそうな友人には昨夜の内に携帯メールを送ったのだが、折角なのでブログを読んでくださっている皆様にも、ひとつお話しいたしやしょう。あ、お食事中のかた、ご遠慮くださいませ。


そろそろ日も変わろうかという夜更け、JR大阪駅に到着すると、またも人身事故の為に電車は遅延。ちなみに出社時も「塚本」にて人身事故。JRの職員の方も泣きたいだろうなぁ、ワタシも泣きたいけど…という状況のプラットホームには、うじゃらうじゃらとほろ酔いの花金(死語、しかもこの漢字であってるのか…)リーマンが溢れかえっておりました。当然のように皆不機嫌で、当然の如くそのプラットホーム周辺の雰囲気はものすごく悪いのである。

ようやく到着した新快速電車、われ先に駆け込むおっちゃんたちに混じりなんとか乗車。どう体をねじ込んでも待っていた電車に乗れず、また次の電車を待たなきゃいけない場合もあるので、「ラッキー!」と心の中でガッツポーズ。

…は、早とちりであった。

上半身と下半身の重心が違うところにある歪んだ状態でギューギューと互いに陣取り合戦を繰り広げながら、のろのろと進む新快速電車。こうした人身事故後の混乱の最中は、電車のスピードはあまり上がらない。新快速で、大阪の次の駅となる「尼崎」でちょっとおりてはたくさんが乗り込んできて、乗車率380%のクンタ・キンテな状況で、事件は起きた。

誰もが口を紡ぎ、もんもんと自己世界に閉じこもり、ひたすら下車した後の開放感に満ち溢れた世界を夢想している最中、ワタシの背後でその声は聞こえてきた。

「あ、ごめん…」

首を左後ろ後方によじり声のした方向に目をやると、なんと一人のおっさんリーマンがゲロっているではないか。そして、今回の最大の悲劇であるのだが、カレの背は、非常に高かったのであった…。

もち肌を酒で赤く染めた推定45歳のおっさんリーマンから吹き出されるゲロは、高い山から流れ落ちる滝のように、崩れ落ちる春の雪崩のように、その山裾に広がるひとりの肩に、ひとりの背中に、ひとりの肘に、ひとりの膝に…。たれ落ちると濃度を増し、普賢岳の溶岩流の如くぬるぬるとドロドロと流れ落ちるのであった。本来ならサササササッとクモの子を散らすように逃げまどう市民たちだが、いかんせん、「人という字は、こうして互いに支え合って…」という状況の満員電車。

誰もが被害を目前にどうすることもできないままに
「あ、」
とつぶやくしかないのであった。

私を含む同車両の誰もがよりいっそう深い沈黙の彼方へとおいやられ、クンタ・キンテな状況はまさにリアルなものとなった。そうこうして電車は新快速で尼崎の次の駅である「芦屋」に到着。するやいなや、弾けるようにゲロ車両から飛び出した私と戦友たち。

2次被害者である私が、待ち合いベンチ周辺でラジオ体操以上に大きく深呼吸をする横っちょで、自然とチームを組んで集合している、加害者と被害者ABCDE。最もひどい被害者Aに情けなさそうに頭を下げる加害者のおっさん。一番軽度の被害はふくらはぎの膨らんだ部分にサッとかけられたストレッチブラックジーンズの女子E。

さぞかし喧々囂々たる戦犯裁判が始まるかと思いきや、誰一人、加害者を非難するような声も上げなければ、ともすれば同情の念のような空気すらを発しているではないか。

さらに、時間が遡るが再びゲロ車両の事件の渦中に戻る。

おっさん加害者と私の間で堤防となってくれた、OLらしき証人F。彼女の目の前には被害者Aの溶岩流に侵された肩があったのだが、OLらしき証人Fはむずむずむずと体を動かし肩から掛けていたカバンからなんとかティッシュをとりだし、被害者Aの肩を一生懸命拭いてあげていたのである。 見ず知らずの他人の肩に掛かった、もうあいたくもない他人のオイニイぷんぷんの溶岩流を、彼女は無心に拭いていた。

日本人というのは、なんて善良なんだ…。ワタシはちょうど読書中の渡辺京二著「逝きし世の面影」という開国当時に外国人達がみた日本人の生活や風俗を書いた本を思いだし、改めて感心したのであった。

以上2004年5月29日(土) at 17:35ブログ加筆訂正

どこにあるのか、いや、あるのかすら不明なんだけど、「おっさんの品格」を思うとき、なぜだか私にはこの時の光景が思い出されてならない。でも、だからどうーなの? いや、マジで。

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2006年07月03日 20:56に投稿されたエントリーのページです。

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