■フランコ時代のドクトリン:「私はスペイン人です。私はスペインに生まれました。私の両親も、曾祖母も、同じ出自を有しています。……」
ご無沙汰しています。湯川カナです。
「長崎から船」、ではなく飛行機でスペインへ行き10年と1日を乾いたメセタの赤土の上で過ごし、「そして、神戸」におります。
ペドロというのは、娘の恋人のパパ。マドリード生まれの44歳、神をも恐れぬ強面・皮肉屋・ラディカルなテレビカメラマン。彼が10歳のとき、フランコが死んだ。ニュースを聞いてすぐ、「嘘だろう」と思ったよ。あのとき俺は表情ひとつ動かさなかったぜ、うん。
「フランコの死」というニュースを、そのまま信じてはいけない。無邪気に喜んではいけない。けっしてそれを「外」に出してはいけない。咄嗟に、そう判断したという。10歳の少年が。
「そうなの? 『やったー!』とかじゃなくて?」 驚いていると、彼のパートナーのエバが、代わりに答えてくれた。「だって私たちは、自分たちを監視する・されることに、あまりにも慣れていたから」
エバは当時6歳。その日は近所の友だちと、たいした意味もなく「お葬式ごっこ」をしていた。見つけた親がすっ飛んできてやめさせたことを、なによりもふだんは冷静沈着な両親のその慌てぶりを、鮮明に覚えているという。彼女の両親は、音楽家と教育者。思想的に「左側」だったため、戦後のフランコ治下では息を潜めるように過ごしていたのだと、これはあとで知った。
その後、ペドロがあるPDFファイルを送ってくれた。表紙は、「当時」の国章を背景に、銃を手に佇む少年少女のイラスト。タイトルは、「私は、こうなりたい」。子ども向け道徳教材、いわば「教育勅語」のようなものらしい。
第一章:スペイン国
私はスペイン人です。私はスペインに生まれました。私の両親も、曾祖母も、同じ出自を有しています。スペイン人であるのですから、私は生涯、私が生まれ出たこの民族の隆盛のために献身的に尽くすことを誓います。
スペイン万歳!
スペインよ、永遠なれ!
発行は1940年、フランコが内戦に勝利した翌年。「なんだ、昔のじゃん。びっくりした」 公園で顔を合わせた私がそう言うと、ペドロは真顔で「いや、俺が小学生のときも、ほとんど同じだったぜ」と答えた。(ということは、フリオ・イグレシアスも、プラシド・ドミンゴも、ペドロ・アルモドバルも、アントニオ・バンデラスも、だ)
表紙に描かれた、当時の国章。現行のスペインの紋章の基本形を、大鷲(=カトリック教会)が抱いている。その前後に、「ひとつにして、偉大で、自由である」および「もっとその先へ」という、スペイン黄金(帝国)時代のカルロス5世が好んだ文言が翻る。脚部には、「統一スペイン」の生みの親であるイサベル女王のシンボル「束ねた5本の弓」(フランコのファランヘ党のシンボル)と、フェルナンド王の「軛」。あー、おどろおどろしい。
これが現在の国旗に変わったのは、1981年。ペドロが16歳のときだ。
「じゃあさ、フランコが死んでもそんなんだったら、いったいいつ、ペドロにとっての『当時』は終わったのさ?」
隣で聞いていたエバが、「それはやっぱりフェリペ(社会労働党党首)が首相になった年(1982年)じゃない?」と呟き、私が「あ、そっか」と頷きかけると、彼はいつもの癖でハッと息を短く吐き、唇を歪めて笑ってみせた。
「『終わった?』 終わってないさ、いまでも」
■最寄の銀行の支店に貼られたビラ:「あなたは、列の先頭に並ぶ権利がある」
私たちがマドリードで住んでいたのは東京でいうなら小金井団地あたり(想像)の、ごくふつうの住宅地だった。自宅と保育園は同じ通りにあり、そのちょうど中間に、ペドロ一家が住むアパートがある。アパート前の敷地の一角には銀行の支店があり、ふだんからよく利用していた。
ある日、娘の手を引いて買い物に行く途中、ふと見ると、銀行の外壁にビラが貼ってあった。窓口カウンターに長蛇の列ができているイラスト。なんせスペインの銀行業務は、想像を絶するほどに手際が悪い。ハハンこれを皮肉っているんだなと思って目を凝らすと、案の定「あなたには、列の先頭に並ぶ権利がある」と書いてある。
続きがあった。「あなたがスペイン人であるならば」 あ。あらためて見ると、イラストで列をなしているのは、明らかにムスリム、アジア人、黒人、南米人らしく描かれた……移住者。胸がきゅっとなる。2歳の娘の手を無理に引っ張り、早足でそこを離れた。誰か近くに、これを貼ったひとがいる。いまも私たちを見ているかもしれない。7年住んだ、この地区で。
数日後。ペドロたちと一緒に少し離れた丘の上の広い公園まで散歩していると、曲がり角にでかでかと大きな看板が掲げられていた。イラストこそないけれど、「あなたには、列の先頭に並ぶ権利がある、スペイン人であるならば」という文言は同じ。ナントカ愛国同盟らしい。
私の後から坂を上ってきていたペドロが気づいて、大声で叫んだ。「おらおら、そこの中国人ども。お前たちは、最後尾だってさ! こっち来い!」 振り返ると、笑っている。それで、私もなんとか笑いながら娘の手を引いてペドロのところへ降りていくと、彼は「なんてこった」とつぶやいて娘を抱き上げてくれた。隣でエバが、「信じられない」と唇をかみ締めている。
ペドロが「スペインの教育勅語」を送ってくれたのは、その後のこと。強い既視感に、比喩でなく眩暈がした。
帰国後、テレビを見ていたら、コメンテーターが「日本経済は沈没するか」と訊かれて、「さすがにギリシャとかスペインみたいなことにはならないと思います」と答えていた。みんな、だいじょうぶかなあ。スペイン人も、「移民」な友だちも。