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2005年02月 アーカイブ

2005年02月01日

千秋楽考ならびに社会学の御利益について

正月公演がめでたく千秋楽。
往古のむかし、雅楽を奏する場では「千秋楽」という曲が一番最後に演奏されたことから、興行物の最終日を千秋楽というようになった。という説があるが、本当かどうかは分からない。
ちなみにお芝居の世界では秋の字を避けて千穐楽と書く。
なぜなら芝居小屋に火気は禁物だから。お洒落だ。
歌舞伎の役者さんはひと月単位で生きている。
千秋楽は月と月との間の大きな区切りである。
多くの役者さんは翌日か翌々日から来月の公演の稽古が始まるし、来月は休みという人も当然いる。
地方公演のために、楽屋口を出たその足で東京駅や羽田空港に向かう人もいる。
給与支給とか各種支払いとか主に経済的理由で、私どもの生活にとってひと月は確かに区切りではあるけれども、「今月はひと月休み」とか「来月はひと月大阪で暮らしてその次の月は名古屋」とか、生活自体の大枠を規定するような区切りではない。
しかし彼らはひと月ごとに出勤場所や時には住み処が変わり、勤務時間も仕事の中味も一日の生活の時間配分も変わり、まるまるお休みの月もある。
慣れれば何とも思わないだろうが、ひと月刻みで人生が過ぎていくというのはどんな気分だろう。

足立区女子高生コンクリ殺人の犯人がその後暴力団員になって「俺は人を殺したことがある」と脅しながらの監禁でまた捕まったり、3歳の子が新聞紙を敷いた木の床の上で床ズレだらけで6kgの体重で餓死させられたり、仮出所中の強姦犯が女子中高生への再犯40件以上でまた捕まって「罪が重くなるのは分かっているが性欲を抑えられない」とコメントしたりしているのを聞くと、こういう安直な反応はよくないなと思いながらも、もう日本はダメかもしれないと爺臭くつぶやいてしまう。
さしあたっての問題は、理不尽な暴力からどうやって自分や家族を守るか、ということである。
ここで「家族という制度は近代に捏造された云々」とからんでこられては困る。
私は現代日本の婚姻制度や戸籍制度をひとまず是認しその管理下にあることに甘んじている人なのであって、余人は知らずまた良し悪しはさておいて、そういう人にとって家族は厳然と存在しているのである。放っておいてもらいたい。
また「自分と家族さえ守れればそれでいいのか」というからみ方をされても困る。
現在の私の立場と能力とを冷静に吟味するに、それがさしあたっての現実的な問題であろうと申しているだけなのである。
なぜこういういじけた物言いをしてしまうのかというと、社会学系統の学識を積んだ方々に言葉の端々をとらえて言い負かされては悔しい思いをしたという暗い記憶がいま急に甦ったからなのである。
学生時代に学科合同のゼミなどで社会学の学生と多少とも抽象的な議論になると、バリバリ文書史料主義のわが日本文学の学生などは、おずおずとした発言のあんなとこやこんなとこを捕まえられては手もなくねじ伏せられ、「そりゃリクツはそうだけどさぁ・・・」とぶちぶち言いながら下を向いて黙ってしまうのであった。
それで当時の私には、社会学の人=とにかくもスキのなさそうなロジックを組み立てるのが得意な人、といういささか否定的なイメージがうえつけられた。
私の目には彼らが「いかにスキのないロジックを構築するか?」というゲームに興じているように見え、「ゲームなんだからルールにのっとって勝てばいいんでしょ?」と思っているように見え(私の妄想かもしれぬが)、繰り出されたロジックがどこかか弱い作り物めいていたからである(これは妄想ではないと思う)。
もちろんそんなのは学部生レベルの話であって、社会学という学問のありようとはそれほど関係がない。
瑣末な歴史の知識にこだわって文書史料に書いてあることの引用しかできない(と見えたであろう)日本文学の学部生が、日本文学という学問のありようとそれほど関係がないのと同じである。
敬愛するフランス文学のT先生に渋谷のワインバーで伺ったところによると、相変わらず外国文学科への進学人数が極度に低迷しているのに対し、社会学科はこちらも相変わらず「ほっといても集まって来る」大盛況なのだそうだ。
私は恥ずかしながら社会学を筋道立てて勉強したことがないし、二十歳前後の若者が、マスコミ等への高い就職率はさておき、ほかにどんな芳香を嗅ぎつけて社会学科に集まって来るのかはよく分からない。
しかし彼らの知的渇望を癒やす何ものかが社会学という学問にはそなわっているのであろう。
なんだかよく分からないが、景気のいいものにはあやかりたいものだ。ナンマイダナンマイダ。

2005年02月17日

それはバルザックが19世紀の「昼メロ」だからです

お疲れ気味なのでビデオを見て休日を過ごす。
本当はこういう時こそ体を動かさないといけないのだがまあそこはそれ、ごくごく。
百間先生のおっしゃるとおり、冬のビールはうまいものですから。

ジョージ・A・ロメロの「ゾンビ」のリメイク「ドーン・オブ・ザ・デッド」。
「ゾンビ」が歴史的名作であるだけにあれをどう現代的に料理するのか興味があったのだが。
寝起きそうそう隣の娘と夫に襲われたヒロインは、車に乗り込んだものの事態をつかめず呆然と住宅地の中を徐行する。
早朝、同じような家と広い芝生が整然と並ぶ無機的でアメリカっぽい住宅地を、住人(とゾンビ)が必死で
走り回るのがフロントガラス越しの「引き」の画面で映る。
かろうじてリアリティを感じさせたのはこの場面だけ。
全編にわたって迫力や緊張感がなく、かといってスプラッターのグロっぷりがものすごいというわけでもな
く、ニヤリとさせる本歌取りがあるわけでもない。
ゾンビ・ベイビーなどのご趣向もハナっからみえみえの上にしょぼいし、変に登場人物のキャラを立たせよ
うみたいな色気があるので展開がもたれて仕方がない。ゾンビ映画に人生だの恋だのの描写はいらんのだ。
あまりのユルさに一瞬「物語史上ゾンビはもう終わったキャラなのだろうか」と思ったが、ロメロの「ゾン
ビ」はきっと今観ても面白いだろう。
同じく古典的キャラの吸血鬼を使った「フロム・ダスク・ティル・ドーン」みたいな作り方の映画だってあ
るわけだし。
中途半端なユルユル加減に最後まで付き合った結論は「ロメロは偉かった」。

メル・ギブソンの「パッション」。
イエス・キリストへの残酷な拷問シーンが話題になった映画だが、メル・ギブソンがやりたかったのはまさ
にその痛そうなところだけらしい。
人物像に斬新な解釈が見られるわけでもなく、名場面・名セリフの数々もほとんどカットされていて物足り
ない。
「キリストだって痛かったんだよ」ってひとこと言ってくれれば「ああ、そうだよねえ」って言って別の映
画みたのにい。
私は退屈のあまり「マリアに田之助、マグダラのマリアに雀右衛門、ローマ総督夫婦に梅玉・時蔵、ヘロデ王に福助、パリサイの大司祭に段四郎、ユダに吉右衛門」と歌舞伎バージョンの配役を考えながら時を過ごした。イエスは難しいぞ。
だいたいマグダラのマリアにモニカ・ベルッチを起用していながら、イエスの足を髪と香油で洗うシーンが
ないのはなぜだ。納得いかん。

「中国の小さなお針子」。
いかにもおフランスの作品らしく(原作は読んでいませんが)一つ一つのエピソードや小道具にきちんと意
味があって、それぞれがうまく噛み合って全体を構成している。
1000段の石段を登ってたどり着く、水墨画の掛軸の中みたいな、つまり山以外なにもない村で、目覚まし時計・ヴァイオリン・外国小説・映画・眼鏡・歯医者などなど西洋近代文化のアイテムがきわめて象徴的な意味を担って登場し活動する。
これがフランス映画だけにうっかりすると鼻もちならない文化侵略の図になりかねないのであるが、文革の嵐のまっただなかという「縛り」がかかっているので、それらのアイテムはあくまで可愛らしくきらきら輝
いて見える。
こういう「非文化的かつ抑圧的な状況下で、禁じられた文化的なものにこっそり触れるヨロコビ」というの
は私の大好きなモチーフである。
しかしヨーロッパの小説や映画には「本を読み聞かせる」のが男女の交情の象徴としてよく登場する。
たぶん近世・近代の日本文化にはあまり見ないワザだと思うが(実はすごくあったりして)いま交際中の男女もやってみてはどうだろう。
しかし何を読むかによってその後の展開は大きく左右されるな。女友達との会話で「自然主義はないよねーふつー」とか槍玉にあがってたりして。
あと主人公が病院の破れたガラス越しに映る、そのガラスの使い方など、映像上のテクニカルな小ワザがあちこちに利いて秀逸。映画文化の厚味というやつですな。
でもヒロインが妊娠するというのはちょっと余分なつけたり。
あとヒロインが感化されて都会に出奔してしまうのが、他の作家ではなくてバルザックの小説だというのには、なにか深い意味があるのでしょうかしら。ここは。どうなんでしょう。

2005年02月24日

葬儀の心得・芸談の骨法

たてつづけに二人の友人の父君が亡くなり、どちらも友人が喪主をつとめた。
これは私がそういう年齢に達したということであり、そういう事態がもはや他人事ではないということである。
あわててネットで「お香典のマナー」を調べながら、ついでに近所の斎場を検索したりしてみる。
自宅から近い方がなにかと便利だろうな。遠くから来る親類のためには駅からのアクセスとか宿泊の便も考えたい。それより何より相場はどうなんだ。
葬儀社のホームページにはそういう時の手順もこと細かに載っていて大変参考になる。ふんふん。
ま、実際その場になると予想外の要素が色々と出来するのであろうが、事前に段取りを心づもりしておくのは良いことだ。「縁起が悪い」とおっしゃる方もおいでだろうが、私はそうは思わない。こういう節目節目の儀礼は、滞りなくスムーズに平然と水が流れるようにスーッとこう切り盛りされなくてはならない。
何もかも業者任せにすればスーッとコトは進行するのであろうが、冠婚葬祭が演出をともなうものである以上、どうしても自分の感覚とは相容れない、「それはやめてほしかったー」という点がちくちくと発生することは容易に想像できる。
それを少しでも避けんがために事前に手間を費すのは、もちろん私自身が納得したいということもあるけれど、故人も含めて当日顔を合わせる皆様への私なりの「おもてなしの心」である。
なのでかつて行われた私の結婚披露宴の際には、事前調査と演出プランの作成・下準備および予算編成にそれはそれは膨大な時間が費やされた。東京神田・山の上ホテルの感動的なご協力もあってなかなか良いイベントになったと自分では思っているのだが、それでも細かい反省点は色々とある。できることならば捲土重来いま一度華燭の典を、思い切ってぐっと清新な配役のもとに賑々しく開催する機会に恵まれないものであろうかと、仄かな希望を胸奥に秘める今日この頃である。

井口菊奴さんのご子息が劇場に突然訪ねていらしたので驚いた。
と申しても「あぁ、あの井口菊奴のぉ」という方は少なかろうから、六代目尾上梅幸という歌舞伎役者の話から始めねばならない。
六代目梅幸は明治3年生まれ、大正期を中心に明治から昭和初めまで活躍した名女形である。
写真で見るとほっそりとした容姿が印象的で、天下の二枚目・十五代目市村羽左衛門と組んで、後代の語り草となる名舞台の数々を残した。
この人が『梅の下風』という芸談集を残している。
これは数多ある役者の芸談の中でも名著の誉れ高く、役者、特に女形のバイブルと言われている。
井口菊奴というのは、梅幸から聞き書きをして、この本をまとめあげた人物である。
『国語と国文学』という超ハードな雑誌に載せていただいた拙論に、『梅の下風』のうち井口菊奴の登場する箇所の引用があり、たまたまそれがご子息のお目に止まった。
そこで演芸場に落語を聴きにお越しがてら、「これを書いたのはどんな奴じゃいな」と首実検にいらしたと、こういう訳である。
浅草生まれのご子息はいかにも町っ子というか東京の人らしい明るいさばけた感じを身にまとっておられて、自分の書いたものを読んでくださったということもあるけれど、お目にかかってお話をさせていただいていることが嬉しい方であった。若輩が申すのも失礼ですが。
ご本人が父君の思い出などをかつて『演劇界』にお書きになったのを私は不覚にも読み落とすか忘れるかしてしまっていたのだけれど、改めてコピーをいただいて戦中・終戦直後のエピソードを拝読すると、当時の芝居を取り巻く空気が想像されて興味が尽きない。
それにしても『梅の下風』という名著が生まれたのは、もちろんネタ元の梅幸なくしては不可能だが、聞き手・書き手の井口菊奴の手腕によるところが非常に大きい。
だいたい芸人さんから読み手が「ほお」とうなるような話を引き出すというのは大変に難しい。
嘘だとお思いならいま大きな本屋さんの伝統芸能コーナーに並んでいる役者さんの聞き書き本をご覧ください。
一見芸談集のように見える立派な本でも、『梅の下風』や六代目菊五郎の『芸』のような、中味の濃いい「芸談」といえるようなものはまず見当たらない。
役者の方に語るべき芸談がなくなったのだ、と言うこともできるが、むしろ良い聞き手がいないという問題の方が大きいのではなかろうか。
芸人さんの多くはご自分の芸を筋道立てて言葉で談じられるようには捉えていないし、職人さんともまた違う芸人さん独特の韜晦や含羞が障壁となる場合も多かろう。
聞き手はいくつもの心理的な壁を乗り越えて語り手の懐に忍び込み、芸についての専門的知識と感性を武器に、語り手の言葉を細い糸を手繰るように引っ張り出し、なおかつそれを分かりやすい言葉に翻訳・整理しなくてはならない。
これはハンパな仕事ではないぞよ。
とはいえ元禄以来近くは井口さんのお仕事に至るまで、せっかく星並ぶがごとき芸談の伝統があるのに、役者の芸談の水脈が細ーくなりつつあるのは誠に惜しい。
改めて井口菊奴さんには Good job! と申し上げたい。

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