12月8日
「え、もう授業、終わっちゃったの?」
授業の終わり。毎回というわけにはいきませんが、生徒の口からこの言葉が発される
と、雨傘をさしたトトロのように嬉しくなります。
たとえ他の生徒にとっては、私の授業が、田舎駅での汽車の待ち時間のごとく長く感
じられたとしても、少なくともある生徒は、都心の地下鉄のそれのように短く感じて
くれているわけです。
恥ずかしい話ですが、私自身の中高生時代は、時計とニラメッコしながら、
「授業よぉぉぉぉ、はーやーくーおわれぇぇ」
などとばかり考えていました。私のニラミにも関わらず、時計氏は全く動揺の色を見
せませんでしたが。
小心者ゆえ、中間や期末テストなどは、私なりに頑張りましたが、授業中の態度は、
決して決してお手本になるようなものではありませんでした。
2時間目には1時間目の授業の宿題を、3時間目には2時間目の授業の宿題を・・・
というように内職に勤しんで、江戸時代末期の侍と化すこともあれば、一分間息をと
めて、二分間休憩して、また一分息をとめて・・・という潜水ならぬ潜気をすること
もあり。ミネソタの高速道路ほどツマラナイ、友達との筆談も、中高生の私にとって
は必談。
「なぜ、学校へ行くのか。」
「そこに、友達がいるからさ。」
まったく、とんでもない生徒でした。それでも、クラブと休み時間と美術と体育は、
好きだったのですが。
こんな高校生が、一時間の授業が90分という大学に進学するのですから、恐ろしい
話です。
はじめの30分は、ヘビー級の睡魔との格闘。はたから見たら、ジャブ、アッパー、
ジャブ、と一人ボクシングをしているも、次の30分は、ノックダウン。そして、顔
中に、時計や服や本などの傷跡を残して、再びマウンドにのぼってからも、まだ30
分残っているのです。ううう。
と、こんな事を書くと、両親や先生方の目が、ナイキのロゴのようになっていると思
われますので、ここでちょっと自己弁護をしておきますと、もちろん毎回ではありま
せん。時効と思って、許して下さい。
それに、多少大人になって、講義中に寝るのは、先生方に対して失礼だということも
十三分に分かっていましたので、机に突っ伏して寝ることだけはないように、気があ
るうちは、気をつけていました。
「眠い」と思ったら、分厚い英和辞典や、めがねケースをゴソゴソと取り出して、机
の上に立てて、その上にアゴを装着。これで、少なくとも机に突っ伏す事は防げます
し、「私、とっても眠いんですけど、本当は寝たくないんですぅ」と、先生にアピー
ルも出来ます。
少なくとも、私は、そう思っていました。
しかし、忘れもしない、ある冬の日の7時間目。いつも私の悪癖を見ている、隣の席
の友人が言いました。
「あのさー。いっつも思ってたんだけど、どうして、先生にわざわざ寝顔をアピール
するの?」
ガーン。
でも、確かに、教壇から見れば、、立てた辞書の上にアゴをのせている私の寝顔は、
いやがらせ以外の何物でもありません。その後、友人と大笑いしていましたが、内心
は、穴熊にでもなりたい気分でした。
穴熊といえば、日本語の授業中も、机の下に潜り込み、冬眠ごっこに興じる穴熊が、
たまに発生したりもします。しばらく放っておくと、相手にされないのが寂しいので
しょう、見つけてくれと言わんばかりに顔を覗かせて、声をかけてもらえるのを待っ
ています。
かくれんぼうの達人が、上手に隠れ過ぎてしまった時の心境なのでしょうが、少なく
とも、あなたは○ミエです。
さらに、放課後ともなると、私の机の下を狙って、暗闇を満喫する生徒まで出てきま
す。
何が楽しいのかとも思うのですが、私自身も、幼い頃、部屋の隅で仰向けの姿勢で手
足をバタバタさせて、瀕死のゴキブリと化しては喜んでいたそうですから、それを見
ていた母も、きっと同じ気持ちだったに違いありません。
「この子、大丈夫かしら。」
大丈夫かどうかは分かりませんが、そんな娘も、二十ウン年を経て、イッチョマエに
授業をする側にいるわけです。
私が教師に向いているかいないかは別にして、こちらに来てから最初の一ヶ月、生活
面がまだまだ不安定な頃は、授業だけが唯一心の落ち着く場でした。もちろん、生徒
も私もお互いにまだ遠慮がありましたが、今思えば、あの頃のやりとりも新鮮でし
た。
と、何やら倦怠期の夫婦のようなコメントですが、本当にあの頃は、課題のワーク
シートを渡しても、「どうもありがとうございます」。テストで「頑張って下さい
ね」と言えば、「はい、頑張ります」という返事が返ってきていたのです。
それに、私も、必死で全身から善人エキスを絞りだしていましたから、なんと「神
様」とまで言ってくれる生徒までいました。瀕死のゴキブリが、大出世です。
しかし、ものの一ヶ月で、なけなしの善人エキスも枯渇してしまうと、悲しいかな、
おのずと生徒と私の関係も変わってきました。
宿題を渡せば、「ワークシートはダメです(日本語1)」から始まって、「宿題は、
欲しくないです(日本語2)」「いいえ、宿題は、結構です(日本語3)」「手が痛
くて、もう宿題は出来ません。残念ですねえ・・(日本語4)」などと、己の持てる
日本語テクニックを駆使して、対抗してくる生徒。
しかし、私も負けてはいられません。ゲームをした後に、御褒美(or罰ゲーム)とし
て配ったり、「いらっしゃいませ。今日は、白い紙が安いですよ。」と、紙屋の怪し
い店員になったり、あるいは「ジングルベール ジングルベール・・♪」とサンタク
ロースに変身したり、あの手この手を考えながら、宿題を生徒に手渡しています。・
・・他の所に頭を使うべきですか?
おかげで、一度は神様にまで出世したゴキブリも、「先生は、イジワルです」と言わ
れ続けて、触角にタコができてしまいました。
中には、「神様」から格下げで、「トモちゃん」と呼んでくる生徒もいますが、それ
では勘違いしたアイドルです。それに、「ヤベ様」と呼ばれるのも、どうも性悪の地
主のような響きがしてなりません。
ところで、その性悪の地主様は、ワークシートや毎週のテストの他にも、章が終わる
毎にスピーキングテストを実施しています。
しかし、これがまた、妙薬は口に苦し。スピーキングテストの黄色の紙を見た瞬間
に、悲鳴をあげる生徒も少なくありません。
これは、その章で習った単語や文法を取り入れた会話文を丸暗記するというもので、
このテストがある時は、毎日、授業中の10分〜15分ほど、皆、呪文のように台詞
を唱えて練習をします。
一例をあげますと、
1「わあ、広い運動場だね。 あ、ゲームが始まったよ。」
2「ファイト! ねえねえ、どっちが勝つかな。 ワクワクするね。」
1「もちろん、Aチームだよ。 Aチームは、いつもとても強いから。」
2「そうそう、知ってた? あの五番のユニフォームの選手は、友達だよ。」
1「あの背が高い選手? 足が速そうだね。 今、スコアは?」
2「55対54で、Aチームが負けているよ。 あと一点。 あと一分だけだよ。」
1「絶対に勝てるよ。 ドキドキするね。 あ、ほらほら、見て。二点取ったよ!」
2「あ、終わった。 やったあ! 勝った勝った! 万歳! 優勝だ!」
1「すごいね。 よかったね。」
2「さあ、乾杯をしよう。 3階の喫茶店に寄らない?」
1「いいね。 そうそう、明日もバスケットの試合があるけど、見に行かない?」
2「いい考えだね。 応援に行こう行こう。 始まる時間や場所は?」
1「試合の時間は午後7時で、場所は、学校の体育館だよ。」
2「分かった。 じゃあ、6時半頃に車で迎えに行くよ。」
1「ありがとう。 じゃあ、その頃に家の外で待っているね。」
2「うちは厳しいから、夜は10時までに帰らなきゃいけないんだけど・・・」
1「じゃあ、試合の後は、ホテルに行く? 予約するよ。」
2「え、本当? でも、そんなお金を持ってないよ。」
1「ううん、 嘘だよ。 冗談、冗談。 大丈夫、9時までに試合は終わるだろ
う。」
ちなみに、これは、レベル4のスキットです。簡単そうに見えますが、口語調は、レ
ベル3になってから習うので、レベル1と2で「です・ます」調しか勉強していない
生徒には、いささか難しいようです。
生徒は、1か2のどちらかを選択し、自動的に口から台詞が出てくるようになるま
で、パートナーと一緒に練習を重ねます。(ただし、章の復習のために作られたス
キットなので、やや不自然な箇所もあります。)
最初は、たどたどしく字面を追っては、文法や英訳に頭を悩ませているのですが、二
週間も練習すると、日本人顔負けのナチュラルスピードで発話するようになります。
クラスの人数が奇数であったり、生徒が休んだりすると、私も生徒に混じって、練習
します。演技つきの大サービスで頑張っているのですが、ほとんどの生徒は、恥ずか
しそうに笑い、売れない芸人を哀れむかのような目で、私を見てきます。
どのクラスも、一年に七回ほどのスピーキングテストをするのですが、さすが若い高
校生の記憶力、ふとした時に、昔のスピーキングテストの台詞を、嬉しそうに披露し
てくれたりもします。
ただ、自分で作ったものとはいえ、私は、毎回4レベル分のスキットを覚えなければ
いけないません。自業自得とは、まさにこの事でしょう。ギュウ。
ゲームや歌、それにビデオ(映画)鑑賞や折り紙など、直接には成績評価と関係のな
いものに関しては、生徒もお喜びの御様子です。
ゲームは、「単語ゲーム」「フルーツバスケット」「色おに」のような授業のアク
ティビティーの一環としてのゲームと、「ジャンケン・ゲーム」や「はんかち落と
し」、「だるまさんが転んだ」「はないちもんめ」など、遊び色の強いゲームに分か
れます。
普通の授業の方が、エネルギーもずっと少なくてすむのですが、何より生徒達が楽し
そうですし、学習的観点からしても、ゲームなどで覚えた単語やイディオムは、後々
までよく覚えているので、積極的に授業に取り入れています。
同じように、生徒達は歌も大好きなので、クラスのレベルに合わせた歌を練習してい
ます。「蛙の歌」から始まって、「大きな歌」「翼を下さい」、高レベルになると、
小泉今日子やスマップ、ゆずなどのJ-ポップにも果敢にも挑戦します。挑戦させてい
る、といった方が正確なのですが。
彼等の歌唱力について言及しますと・・・もちろん、中には並はずれて音感のいい生
徒もいます。が、残念ながら、大抵の生徒は、波はずれてアップアップとおぼれか
かっているというのが現状です。
クラス別に見ても、フゥィーンと不安定な蚊の羽音のような声で歌うクラスもあれ
ば、ジャイアン的才能を発揮して大いに陽気なクラスもあり、多様です。
歌についてふれたついでに、余談として、ちょっとカラオケについてお話します。
他の州ではどうか分かりませんが、少なくともミネソタ州には、カラオケ・ボックス
なるものは、なんと一つしかありません(カラオケ・バーは、もう少しあります)。
その名も「ド・レ・ミ」。韓国人の方が経営されている店なので、邦楽のレパート
リーは、限りなく少ないです。というわけで、こちらに長く住んでいる日本人の友達
は、わざわざカラオケ・マシーンを日本から輸入していました。
アメリカ人の友人も、いざ一緒にカラオケをしてみると大いに盛り上がるので、いつ
の日か、ミネソタにもカラオケ・ブームがやって来るのは間違いないでしょう。寒い
寒いミネソタですから、屋内の余暇は大歓迎されるはずです。
カラオケは、平仮名とカタカナさえ読めれば何とかなるので、日本語の生徒でもマニ
アともなると、宇多田ヒカルや浜崎アユミに始まって、ガクトやハイドなどのビジュ
アル系まで完璧に歌いこなす生徒までいます。
「{キミッテ コンガラガッタ パズル ミタイダ}は、どういう意味ですか?」
普段はあまり勉強の出来ない生徒に聞かれたりすると、私の方がコンラガガガッてし
まいます。
そして、テストがない金曜日や、登校日が少ない週は、テレビ番組や映画などのビデ
オ鑑賞をします。
しかし、私が面白いと感じるテレビ番組の日本語は、生徒には速すぎるうえに難し
い。かといって、生徒が分かるような子供向けの番組は、まったくこれっぽっちも面
白くない。ちょっとしたジレンマです。
生徒を集中させるのに助かるのは、何と言ってもコマーシャルです。
日本のコマーシャルは、長々と続くアメリカのコマーシャルと比べて、短いうえに格
段に面白いので、コマーシャルが始まると、生徒はいきなりハイ・テンションになり
ます。彼等にとっては、コマーシャルの時間にトイレに行くだなんて、信じられない
習慣でしょう。
ナロンエースやパブロンにはじまり、クロネコヤマトや冷蔵庫のコマーシャルでさ
え、生徒達はウキウキ・ワクワクです。そして、お茶のCMなどで温泉の入浴シーンな
どが出ると、教室はシーンと静まり返り・・・武富士のコマーシャルともなると、も
はや完全に魂を抜かれています。
そういえば、アメリカのテレビ番組は、時間を有効利用するためか、オープニングや
エンディングのテーマ曲が一切流れません。
恋愛ドラマなどで、恋人の浮気を偶然に発見した主人公が、「あ・・・」などとつぶ
やいた直後に、いきなりドリフが始まるようなもの。しかも、「ババンババンバンバ
ン」もありません。浮気の相手が、志村ケンに早代わり?ということも、普通にあり
えてしまうのです。
さて。映画は、今までに「Shall We ダンス?」や「ウォーター・ボーイズ」、それ
に宮崎駿アニメなどを観ました。
英語字幕がついていない映画がほとんどですので、不肖ながらも私が解説をしたので
すが、各クラスで上映したために、同じ映画を6回〜8回も観なくてはなりませんで
した。こうなると、一人スピーキングテスト。映画を楽しんでいる生徒達を横目に、
声憂と化す私。
せっかくの名画を、私の英訳で観なければならない生徒も気の毒ですが、こちらで市
販されている日本映画の英語字幕の訳も、なかなか100点満点というわけにはいき
ません。
例えば、「七人の侍」などのサムライ映画。
「まこと、かたじけない」→“Thank you!”
「御厚意、恩に着る」→“Thank you!”
「感謝の言葉もない」→“Thank you!”
侍だけではありません。士農工商もまったくお構いなしの、下剋上。
「ありがてえ、ありがてえ」も、やっぱりこれまた“Thank you!”
脚本家が見たら、生麦事件が再勃発するかもしれません。
次は、「たそがれ清兵衛」を授業で見せるつもりですが、ちなみにこれには、「トワ
イライト・サムライ」という英訳がついています。幕末の武士も、アメリカンの手に
かかると、もはやセーラームーンの一派です。
と、異文化を知るのに、言葉の壁というものは確かに存在するのだ、と実感している
今日この頃です。
では、日本語を必要としないものについては、何も問題がないかというと、決してそ
ういうわけではありません。
例えば、折り紙。
折り紙は、ORIGAMIとして、世界に通用する芸術ですが、これは、苦手な生徒にとっ
ては、大変苦しいようです。
確かに、折り紙は、芸術です。
そして、芸術は、爆発です。
結果、折り紙は爆発ということになり、上手く出来ない生徒の脳味噌は、富士山級の
大爆発を起こします。
指導する側は、これらの爆発が起こる度に、「せんせーえ」と呼ばれては、レス
キュー隊員として教室中を駆け回ります。シュワッチ。
話題がコロコロと変わって申し訳ないのですが、このシュワッチ。名前を呼ばれて助
けに参上するのは、アンパンマンであってウルトラマンではないのですから、決して
正しい使用法とは言えないのですが、何となくでも伝わったでしょうか。
自分の意見・考えを文章化しているわけですから、「何となく」というのは、書き手
の態度としては非常によろしくないのですが、私は、この「何となく」感が強い、擬
態語や擬音語が好きです。
例えば、
「彼の目が、キラリと光った。」
と聞くと、電気の発明中、竹の繊条・フィラメントを見つめるトーマス・エジソンの
知的な目が連想されます。
が、これが
「彼の目が、ギラリと光った。」
となると、崇峻天皇を暗殺した時の、野心に燃える蘇我馬子のような目に変わってし
まうような気がしませんか?
また、
「彼女が、スルスルと寄ってきた。」
などという表現を聞けば、何やら艶っぽい世界に心臓がドキドキしてしまいますが、
これも
「彼女が、ズルズルと寄ってきた。」
となると、寄ってきた彼女は、あれまあビックリ、四谷怪談・お岩さん。心臓がドキ
ドキするほどの騒ぎではありません。
日常生活でも、
「いやあ、妻がプウと膨れてしまいましてね。」
などと旦那が言えば、新婚生活で起こった、小さなイザコザに、頬を膨らまして怒
る、かわいい新妻ですみますが、
「いやあ、妻がブウと膨れてしまいましてね。」
と言えば、過剰な栄養摂取と運動不足が祟って、もはや千尋の両親と化してしまった
妻が、視界に転がり込んでくる気がします。
あくまでも主観なので、これらの分析は、必ずしも正しくはないかもしれませんが、
生徒が喜ぶので、こういったオノマトピア(擬音語、擬態語。*正確には擬態語は、
mimetic words)を授業で教えたりもしています。
私 「リピートして下さい。」
生徒「はーい。」
私 「うとうと。」 (うとうとする私)
生徒「うとうと。」 (うとうとする生徒)
私 「ぴょんぴょん。」 (ウサギになる私)
生徒「ぴょんぴょん。」 (ウサギになる生徒)
私 「プンプン。」 (美川憲一になる私)
生徒「プンプン。」 (美川憲一になる生徒)
私 「カンカン。」 (我、怒髪上衝冠)
生徒「カンカン。」 (皆、怒髪上衝冠)
傍から見ると、「宗教法人・オノマトピアの会」は、少々怪しく見えますが、当の会
員達は、童心に帰って、実に嬉しそうです。
そんなこんなで、100人近くの生徒を、授業中寝させないように、孤軍奮闘する毎
日なのであります。
と、同時に、放課後は、仕返しとばかりにやってくる生徒に、一分として寝させても
らえない、子軍分盗の毎日でもあるのでした。
生徒にとっては、日本語の勉強になるし、私にとっては英語の勉強になるので、一石
二鳥かもしれませんが、毎日毎日、そんなに鳥は要りません。