ミネソタを遠く離れて:天国に一番近い旅(前編)
8月30日
街路の木々や家々の芝生の緑が濃くなり、湖の水面が陽光を反射してまぶしく輝く、
ミネソタの美しい夏。長い冬の間、家にこもっていた人々は、待っていたといわんば
かりに屋外に飛び出し、スポーツや日光浴、ピクニックやガーデニングなど短い夏を
存分に楽しみます。
しかし、6月17日。学校が二ヶ月の夏休みに入った私は、あえてその美しい夏のミ
ネソタをあとにして、「鉄のフライパン」とよばれる灼熱のスペインへと向かいまし
た。
というわけで、今回と次回は、番外編。少々長くなりますが、スペイン・イタリア・
(ニューヨーク)の旅におつきあい下さい。
さて、今にして思えば、飛行機で、後ろの席の子供が
「ママ!僕、今、神様が見えたよ!神様が見えた!」
などと叫んでいるのを聞いた時から、何か不吉な予感はしていました。
アメリカの某銀行のキャッシュカードを携行していた私は、スペインに着いた初日、
お金を “withdraw(①引き出す)”しようとしたのですが、暗証番号のせいか何な
のか、引き出すことが出来ませんでした。
アメリカに電話をしたり、パソコンで問い合わせてみたりと、あの手この手を試して
みましたが、うまくいきません。
予備で、多少のトラベラーズチェックは持参してはいたものの、到底、二ヶ月間の旅
費は補えません。焦りは募りました。
しかし、結果、“withdraw”に成功しました。いいえ、正しくは、「機械が」とつけ
加えるべきでしょう。
実は、“withdraw”には「②取り上げる」というイミもあり、私の目の前のキャッシ
ングマシーンは、「あなたのカードを回収します」”We withdraw your card”とい
う残酷なメッセージを残して、まるでそうめんのように、カードをチュルッと吸い込
んでしまったのです。
しばらくは、呆然と立ち尽くしたままで、開いた口からは、鳩が豆鉄砲のように、ポ
ンポンと飛び出していました。
クレジットカードではないので、再発行も無理との事。目の前が真っ白になって、あ
の瞬間、私にも神様が見えたような気がします。
結局は親に泣きすがり、一日3000円の旅費を送金してもらいました。
「一日3000円。結構な額じゃないか」と言われるかもしれませんが、一泊300
円、一食60円のアジアならばいざ知らず、ヨーロッパで、宿泊費、食費、交通費、
全て込みで一日3000円というのは、決して余裕のある額ではありません。しか
も、3000円というのは、上限であって、それ以下はあっても、それ以上はないの
です。
おおよそですが、宿泊費1800円、食費600円、交通費600円で生活していま
した。もちろん、交通費がもっとかかった場合は、食費が犠牲になります。
スペインでは、オスタルと呼ばれる一つ星のホテル、イタリアではユースホステルや
修道院を利用し、長距離を移動の際は、できる限り、夜行バスや夜行列車(もちろ
ん、寝台はありません)を利用していました。
スペインでは、英語が通じずに困ったこともありましたが、どの宿のオーナー・ス
タッフも苦笑しながらも、暖かくもてなしてくれました。
あるオスタルでは、黒柳徹子のようなヘア・スタイルのオーナー夫人のサービスが印
象的でした。彼女は、大腸菌も、ビフィズス菌も、とにかく体内の最近が全滅してし
まうような薬草茶を入れてくれたり、洗濯物も知らない間にベランダに干してくれる
といった信じられないサービスです。
私は、このオスタルを「湯屋」とよんでいました。洗濯物の神隠し。
イタリアのユースホステルも、郊外のヴィラや穀物倉庫などを改装したり、目の前が
ビーチだったりと、個性豊かでした。
年齢も関係なく、国を越えて色々な人にも出会えたのはよかったのですが、しかし、
厄介な人と同室だった事もあります。
あるホステルでは、おそらく東欧の難民かと思われる女性が居ついており、夜な夜な
騒いでは、壁をグウで殴っていたりして、怖い思いをしました。しかも、彼女のベッ
ドは私の隣。「隣の客は、夜、壁グウ客だ」などと、つまらない事を考えつつも、震
えながら寝ていました。
ヴェネチアでは、修道院を利用したのですが、ある尼さんは、たばこを吸う人を見つ
けては、度々、「こら!タバコなんぞ、海に捨てて、魚の餌にしてやりなさい!」と
お説教をしていました。
水質汚染は・・・とも思うのですが、「ヴェネチアの魚は、強いから大丈夫!」との
事です。勝手に太鼓判を押されてしまった魚達の運命や、如何に。ギョギョギョ。
また、サンジミニャーノの修道院では、「ジャポネー(日本人)は、神様を信じてい
るの?」と牧師様に問われた事もあります。私自身、大した宗教信念を持っていない
ので、右脳左脳が右往左往してしまいました。
右脳 「・・・ヤオヨロズの神?」
左脳 「そんな事、敬虔な牧師様に言っちゃダメだよ。」
私 「個人の考え方ですから、一概には言えません。」
右脳&左脳「ナイスな答え!」
牧師様「じゃあ、君は、何を信じているの?」
右脳 「・・・自分?」
左脳 「自分って、私たちほど当てにならないものは、ないよ。」
私 「生きていれば、明日は来る、でしょうか。」
右脳 「ねえ、これって、答えになってる?」
左脳 「とりあえず、嘘はついてない、けど。」
結局、「ジャポネーは強いな」みたいな事を言って、牧師様は、妙に納得されていま
したが、いいえ、違います。決して強くなどありません。
コンタクトレンズに、ミクロのゴミが入っただけでも泣きますし、第一、宿泊を断ら
れていたら、あの場で暴れていたでしょう。良いご意見があるお方は、イタリアに旅
行された際、訂正して下さい。
宿ですが、もちろん、シャワーのお湯が出なかったり、部屋が極端に不潔だった事も
ありました。たまに、「あー、いいホテルに泊まりたいな」と思う事も数知れず。
そんな時は、ガイドブックにある、高級ホテルの美しい写真や、説明文を読んでは、
宿欲(?)を満たしていました。
「木々に囲まれた、静かで気持ちのよい中庭が自慢。大理石のロビーも豪華で、ス
リッパやポットも用意された、優雅な客室に感激する事、間違いないでしょう・・
・」
傍からみると、単なる強欲でしかないのですが、本人としては、マッチ売りの少女が
降臨してくるような気分でした。ララララー。
さて、宿欲がそんな状態ですから、食欲は、推して知るべし。
レストランなどは、問題外。カフェを含む大衆食堂は、経験程度に5、6回。あと
は、町々のスーパーマーケットに駆け込んでいました。
牛乳とフルーツジュースと、ツナ缶、それにパンとビスケット。多少種類は違えど
も、いつも似たような品々を購入していました。
といっても、さすがにこれだけでは飽きるので、時々は、カウンターの安い惣菜を選
んでは買っていました。
しかし、これらの惣菜。イタリアの家庭料理の味を知るにはいいのですが、保存のた
めに、とにかく冷たいのが難点でした。
パスタもラザニャもグラタンも、キンキンに冷えています。ホワイトソース味、ある
いはトマトソース味のアイスクリームを食べているようなもの。あの場にドラエモン
がいたのならば、20世紀の道具、「電子レンジ」を間違いなく所望していたでしょ
う。
米料理も、あることにはあるのですが、全てサラダとして、です。言うまでもなく、
冷製。もちろん、レストランなどではリゾットなどとしてサーブされているとは思い
ますが、惣菜コーナーで見る米料理は、サラダ、サラダ、サラダ、サラダ。サラダ
じゃないのよ、ライスは、はっは〜ん・・・と誰かの声が、天から聞こえてきそうで
した。
と、ほぼ毎食が慎ましかったですから、イタリアの街角で売られている、モッツァ
レッラチーズが、熱々の糸をひくピザは、忘れられないほどに美味でした。あと、
肉、野菜、炭水化物がとれるということで、アラブ人と並んで、ケバブもよく食べま
した。
さて、しかし。食費は、ある程度節約できたとしても、限度があるのが交通費。特急
料金のかかる電車などはおいておくにしても、町から町への移動は、公共交通機関に
頼らざるを得ません。
ほぼ毎回、バス、列車共々遅れますし、雨が降ったというだけで、全日運休などとい
う、ハメハメハ大王様な列車もありました。バスのストライキに泣かされた事もあり
ます。しかし、どれだけ当てにならなくても、利用せざるを得ないのです。
そこで、せめて、街中の移動は、全て徒歩に決めました。今夜の宿が、町から7キロ
あると言われようと、荷物を背負って歩きましたし、「山上ケーブルからの眺めが最
高」とガイドブックにあれば、覚悟を決めて、登山を決行していました。
今回の旅で、トレド、グラナダ、ヴェローナ、ボローニャ、コモ、チンクエテッレ、
フィレンツェ、マテーラ、ナポリ、ローマと、数々の町を、上から一望しましたが、
「絶景 ←→ 高台+疲労」という、当たり前の公式を、足で実感しました。これだ
け高いところが好きだっということは、私の前世は、煙だったのでしょうか。・・・
それとも、おやおや?
それにしても、本当によく歩きました。一日に12時間も歩くと、健脚になるどころ
か、退行して二歳児、12時間以上になると、退化して、ペンギンのような足取りに
なっていました。
歩き始めは、小学生の頃の遠足やら何やらと考え事をしたり、鼻歌を歌ったりして、
自我を認識しているのですが、それも3時間もすれば、次第に自我が薄れていき、た
だ無心に「足を前に出す」ようになります。「ランナーズ・ハイ」なるものは経験し
たことありませんが、あれが「ウォーカーズ・ハイ」かもしれません。それとも、気
分は鬱々としていますから、「ウォーカーズ・ロウ」でしょうか。
このように、決して楽な道中ではありませんでしたが、私なりに、スペイン・イタリ
アという国をよく見、よく感じる事は出来たと思います。
両国とも、町の至る所、あるいは町全体に、古代・中世の面影が残っていて、石畳の
上を歩くだけでも、歴史の重みを感じずにはいれませんでした。さすがヨーロッパ。
スペインでは、質素で無骨な概観とは裏腹に、屋内にはアラブ風のモザイク・タイル
が美しい中庭があり、そこで涼がとれるようになっていました。外見ではなく、中身
で勝負、といったところでしょうか。ちなみに、建物自体が石造りなので、クーラー
はなくても、充分に涼しいです。
これが南下し、赤茶けた大地、灌木の生える丘、ひまわり畑を抜けて、アンダルシア
地方に入ると、真っ白に輝く家々が目に付くようになります。黒目も白目になる程ま
ぶしいので、サングラス必携。
別名「鉄のフライパン」のスペインが、強火でガンガン焼かれる、午後1時頃から午
後5時頃まで、人々はこの涼しい家に戻って、シエスタと呼ばれるお昼休みをとりま
す。
朝も早い5時頃から、夜の9時頃まで明るいのですから、当然といえば当然の習慣な
のですが、旅行者にとっては、このシエスタが曲者。オスタルからは追い出されてし
まいますし、お店もシエスタ中。教会までシエスタに入ってしまうので、たまりませ
ん。
もはや、観光できなくなり、「観光客」の肩書きさえ失ってしまった人々は、広場の
ベンチや階段に座り、ひたすらシエスタが終わるのを待ちます。・・・といっても、
優雅な人々は、この時がカフェ・タイムなのでしょう。
イタリアでも、お昼の休憩はありましたが、時間は短く、せいぜい3時間程度でし
た。
そして、イタリアの建物はというと、重厚感があふれており、スペインに比べると、
随分と装飾も派手になります。
色とりどりの大理石の幾何学模様で飾られた大聖堂や、何本もの尖塔が延びているゴ
シックの建物などを見ていると、感嘆のため息が出ました。
しかし、あまりにも装飾が派手になると、やりすぎの感が強くなり、壁から天使や聖
人の顔だけがニョキニョキと突き出たりしているのを見るたびに、エドガー・ラン
ポーの「黒猫」が脳裏に浮かびました。
そして、町々の、歴史ある石造りの建物に軒を連ねる、グッチ、ブルガリ、アルマー
ニ、フェンディなどの有名ブランドの数々。イタリアン・ファッションの威厳に圧倒
されてしまいました。
日本の歴史ある建物に、これらのブランドがディスプレイされたとしても、ミスマッ
チ極まりないでしょうから、これもやはりイタリアならではの光景なのでしょう。武
家屋敷とルイ・ヴィトン・・・見ようによっては合わなくもないですが、藁葺き屋根
の家屋の土間に、フェラガモの靴が並ぶのは、明らかにルール違反です。
店に並ぶ服が洒落ているならば、当然、道行く人々もオシャレです。一年間、ミネソ
タに住んで、LサイズのTシャツ、トレーナー、ジーパン、スニーカーのバリューセッ
トに目が慣れてきていた私には、新鮮に映りました。
ミネソタの悪口を言うつもりはありません。確かに、気取らない服を着ている方が気
楽ですし。
ただ、やっぱり、「ミネソタ」というロゴが入った服を、堂々と着るのはどうかなと
思います。少なくとも、地元の神戸では、「兵」「庫」「県」と、一文字一文字が拳
サイズにプリントされた服を、街中で見たことはありません。
と言っても、こんな偉そうに書いている私自身が、旅行中、360度どのアングルか
ら見ようと、ファッショナブルという言葉からは程遠かったのですが。
ウエストポーチに、ダボッと着たシャツがかぶさっていましたから、妊婦さんと間違
われて、気遣われたこともあります。向こうが勝手に勘違いをしたのですが、まさか
シャツをめくり上げて、「実はウエストポーチなんでーす」というわけにもいきませ
んから、そういう時は、怪しい薄ら笑いを浮かべながら、ソソクサと逃げていまし
た。
しかし、おかげで(?)スリにあわなかったのも、また事実。「機能性を重視した」
というのは、単なる言い逃れでしょうか。
ところで、その「機能性」ですが、今回は、本当に必要な物以外は、持っていきませ
んでした。キャッシングカードは、本当に必要だったのですが、それはさておき。
おかげで、リュックサックに全て荷物を収める事ができて、移動が大変楽でした。
バックパックだったら、あそこまで歩くのは、無理だったに違いありません。「バッ
クパッカー」ならぬ、「リュックサッカー」。個人旅行は、身軽が一番です。
2ヶ月もヨーロッパにいて、その上、身軽ときたら、さぞかし多くの都市や村を巡っ
たと思われるかもしれませんが、それとこれとは別問題。お財布の中身も、極端に実
軽でしたから、一日観光を含め、結局20前後にとどまりました。
次回は、それら各町についてコメントを書いてみたいと思います。