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2004年09月 アーカイブ

2004年09月08日

ミネソタを遠く離れて:天国に一番近い旅(後編)

9月5日

 さて、次回の続きで、各町のコメントです。名所・名産・史跡の詳しい説明は、書
店のガイドブックにおまかせする事にして、ここでは、印象に残った事だけを挙げま
す。

トレド:
 細い路地が、蛇のようにクネクネと曲がりくねり、町全体が、迷宮のようになって
いる古都トレド。大した目印もなければ、通りの標識もありません。ヘンゼルとグ
レーテルのように、パン屑を撒き散らしながら歩きたい気分でした。もっとも、スペ
インのパンは固いですし、苦労して削りだしたパン屑が、鳩の餌になるのも悔しい話
です。
 しかし、他にばら撒ける物といっても、400粒程ある、ビタミンの錠剤ぐらいし
かありません。でも、これはニンニク・高麗人参のエキス入りの高級品(もらい
物)。ばら撒くなど、とんでもありません。それならば、錠剤30粒と方位磁石を
物々交換した方が、よほど割に合うはずです。
 といっても、この錠剤の価値を、スペイン語でどのように説明するかは分かりませ
ん。ニンニクと人参の絵で伝わるでしょうか?

コルドバ:
 コルドバでは、アラブのメスキータを見ました。イスラム建築に、キリスト教美術
が上塗りされていて、興味深かったです。175m×135mの大モスクに、白い石
と楔型の赤レンガの柱が林立しており、「大かくれんぼ大会」あるいは、「大だるま
さんが転んだ大会」の会場のようでした。
 また、ここでは、あるフラメンコスクールの発表会を観劇できました。三・三・七
拍子の国で育った私は、フラメンコの拍子に完全に遅れをとっていましたが、充分に
楽しめました。
 観劇後は、熱が冷めやらぬまま、ほろ酔いのタコのように踊りながら、帰路につき
ました。

セビ—リャ:
 アンダルシア地方の中心都市で、ヒラルダの塔や、宮殿、ユダヤ人街など、サラセ
ン文化の遺跡に富んでいます。
 ここで、複数のジプシーの家族に遭遇し、お金をせびられました。関わり合いにな
らない方がいいと無視をすると、それ以上しつこくは言い寄ってはきませんでした。
しかし、しばらくしてお腹が空いたので、パンをかじっていると、今度はそのパンを
クレクレと言ってきます。これまた無視して、水を飲むと、さらに水をクレクレ。一
応エビアンのペットボトルには入っていますが、中の水は、ただのカルキ臭い水道水
です。
 セビーリャの理髪師ではなく、セビリ屋に会った私でした。

グラナダ:
 スペインにおける、アラブ世界最後の楽園、アルハンブラ宮殿。攻城の兵を悩ませ
たに違いない、堅固な城壁からは、対岸の古いイスラムの町を見渡す事ができます。
緑豊かな庭園には、可愛らしい噴水がいくつもあり、目を楽しませてくれました。豪
華な彫刻が施された、ナスル朝宮殿は石造りで、イスラムがスペインを支配していた
頃は、色とりどりの花々で埋め尽くされていたとか。王宮内に入ると、装飾はより繊
細になり、天井には歴代の王の絵画が描かれています。そして、青い池が目に涼しい
中庭。
 全てが、調和のとれた、完全な美だというのに、静かな水面に映るのは・・・ア○
○人!きゃあ!

バルセロナ:
 荘厳なドゥオーモや、古めかしいゴシック地区を歩いていた時のこと。
 ある教会の外壁に、イエス・キリストの格好を真似した人がはり付けられて(はり
付いて?)いました。信仰深いスペインのことですから、まさか大道芸人ということ
はあるまい、などと思っていると、受難中のキリスト様が、突然、目をカット見開か
れ、自らガチャガチャと手枷・足枷をはずされ、地面に降り立たれました。何が始ま
るのかと、私もつい凝視。
 彼は、道端に座り込み、お弁当をナイキの鞄から取り出し、そのまま御食事タイム
に入られました。聖書には、こんな記述はなかったはずです。よね。

ヴェネチア:
 アドリア海の女王、ヴェネチア。橋の上から、運河を次々と渡っていくゴンドラを
眺めていました。日本人が乗客だったりすると、「どうも」などと、わけの分からな
い挨拶を交わしたり、三途の川の番人のように、世の中全てが面白くないというよう
な顔をしたゴンドラ漕ぎを観察したり。「(橋の上から)ゴンドラに飛び乗るか?」
と、ウィンク付きで挑戦を受けたりもしたのですが、ゴンドラ転覆 → イタリア・
アメリカ・日本の三カ国の新聞に載っては困ると思い、モナリザの笑顔で辞退しまし
た。
 あと、かの有名なサン・マルコ広場は、観光客と鳩が、ヒトハトヒトハトヒトハト
ハトヒトヒトハト・・・。野鳥の会の皆さんが、大興奮すること、間違いなしです。


ヴェローナ:
 紀元1世紀に造られた、巨大な野外劇場が、イタリア国内外から、大勢の人々を呼
び集めています。劇場の題目は、全てイタリアン・オペラ。ミュージカルと違い、イ
タリアン・オペラは、ひたすら「声」が重要視されるそうで、歌い手の容姿や演技力
は、それほど問われないのだとか。
そう、人間、一つ取り柄があればいいのです。学生時代、社会だけは成績がいつもよ
かった私。ザ・丸暗記。「1333年、一味散々、鎌倉幕府滅亡」。
 しかし、一に声・二に声・三に声の一点「声」豪華主義のイタリアン・オペラ。舞
台上に並ぶ、風船のように膨らんだ歌い手たちに対して、観客から苦情が上がったこ
ともあるという話。
観客は、素直です。

ボローニャ:
 町中の道に、幾本と並ぶ、ポルティコと呼ばれる、直径1mほどの円柱。バロック
やルネッサンスなど、時代ごとに様式も違い、興味をそそられました。
 この柱廊の下、人々は、夏は日陰で涼み、冬は暖をとるのだそうです。合わせ鏡を
少しずらしてできる、鏡の中の像のように、ポルティコ、ポルティコ、ポルティコ・
・・と果てしなく続いていました。
 記憶の遠い彼方にある、小学生の算数、植木算。
「ボローニャの町の歩道に、直径1mのポルティコを3mおきに建てようと思いま
す。ポルティコは、何本必要でしょうか。ただし、予算は考えないものとします。」


モデナ:
 エミリア街道最後の町として知られる、モデナの町。この日は、ちょうどヨーロッ
パ各国の軍隊のバンド(楽隊)のお祭りでした。チケットが要ったので、もちろん私
は柵の外から見ようと待機していたのですが、開演10分前、目の前のアンクル・マ
リオ(仮名)が、奥さんと喧嘩でもしたのか、余ったチケットをくれたのです。
 これは、本当に素晴らしいショーで、何度も「ブラボー!」と叫ばずにはいられま
せんでした。歴史の教科書に出てくるような、新旧の軍服に身を包んだ若者やおじさ
まが、美しい音楽を奏でながら、次々と隊列を変えたり、さらにはダンスまで披露し
てくれました。
 そして、ショーの余興では、生まれて初めて、ウクライナのコサック・ダンスを観
ました。驚くべき跳脚力です。きっと、あちらの国の体力測定には、「コサック」と
いう項があるに違いありません。

コモ:
 アルプスの南山麓に散らばる、イタリア湖水地方の一つです。ヨーロッパ最深の湖
といわれるコモ湖の周りを取り囲む、切り立った山々。そして、その間に点在する
ヴィラやクリーム色の建物など、「ビューティフル」の一言でした。また、夜は街の
光が湖面にキラキラと反射して、幻想的でした。避暑地なので、昼間でも涼しくて快
適です。
 それにしても、8月のミネソタは、コモよりもよっぽど寒くて、上着が要るほどな
のに、どうしてあまり嬉しくないのでしょう。ブルブルブル。

ベルガモ:
 ベルガモは、丘の上の町アルタと、麓の近代的な町バッサと、2つの顔をもってい
ます。アルタの城壁から、バッサの町を見下ろしたり、お店を見ながら、散策を楽し
んでいました。また、石畳が敷き詰められた広場では、噴水を取り囲む真っ白のライ
オン像を見ながら、ピザに舌鼓をうっていました。ポンポン。
 ところで、このライオン像。ガイドブックによると、ベルガモの顔らしいのです
が、長い間に風化がすすみ、貧弱なたて髪になってしまっていました。これだった
ら、旅行中、自由奔放にのびていた、私のサイババ・ヘアーの方が、よほど雄々し
かったはず。
 ガオー。

チンクエテッレ:
 険しくも美しい海岸線に沿って、ほぼ等間隔に並んだ、5つの村の総称。世界遺産
にも登録された、風光明媚な景勝地です。
 半分以上意地で、端の村から端の村まで歩きました。登山をしました。確かにハー
ドではありましたが、滝のように流れる汗も、海から吹き上げる風で、飛んでいきま
した。一つ一つ現れる、おとぎ話に出てくるような可愛い村々を観ると、足の疲れも
飛んでいきました。
 そして、徒歩で往路7時間かかった距離も、復路の列車では、約10分。声になら
ない声と、大粒の涙が、車窓から飛んでいきました。電車って、速いですね。

ピサ:
 青々とした芝生とのコントラストが素晴らしい、白大理石の洗礼堂、ドゥオーモ、
そして斜塔。陽射しが強烈だったため、洗礼堂の日陰で2時間、ドゥオーモの日陰で
2時間、斜塔の日陰で2時間、待機していました。あの広場に6時間もいたとは、張
り込み中の私服刑事のようではありませんか。
 それとも・・・私が不審者?

フィレンツェ:
 「15世紀、ルネッサンスの華、フィレンツェの黄金時代を築いた、豪華王ロレン
ツォ。しかし、そのロレンツォを専制君主と告発した、サン・マルコ修道院長のサ
ヴォナローラ。彼は、少年たちによる風紀取締隊を組織し、博打の道具、化粧品、華
美な洋服や卑猥な書物などの虚栄の焼却などを行い、市民に禁欲的な生活を強いた。
しかし、1498年。ついに教皇と対立したサヴォナローラは、異端の罪で、シニョ
リーア広場で火刑に処される。」
 ここで、一人の日本人団体ツアーの添乗員がいます。
 「えー、むかしむかし、サルボナーラというお坊さんがいました・・・」
 いいえ、カルボナーラでもなければ、サルモネラでもありません。似ているようで
すが、違います。花の都フィレンツェでの出来事でした。

サンジミニャーノ:
 穏やかな丘陵に広がる小麦畑や、点在する糸杉の並木が、優しく美しいトスカーナ
地方。サンジミニャーノは、そのトスカーナ地方にある、城郭都市の一つです。中世
情緒あふれる町並みに、14の塔がそびえており、これらは、かつての貴族の富と権
力のシンボルで、最盛期には80近くあったそうです。
 権力誇示のために、同じ構想の建物を建てるのであれば、無用な塔ではなく、図書
館などの有用なものを建てればいいのにと思うのは、私だけでしょうか。といって
も、80も図書館は要りませんが。
もっとも、読書好きの美女ベルならば、大喜び。図書館にこもって、外に出ることも
ないでしょう。野獣に会うこともありません。「美女と八十(の図書館)」。残念な
がら、野獣は野獣のままです。

シエナ:
 独創的な扇形を描き、世界一美しい広場と称されるカンポ広場。この広場は、緩や
かに傾斜しており、夕方になると、観光客も地元の人も、そこに座ったり寝転んだり
して、風にあたっていました。
 広場と傾斜というのは、子供の逃走本能を刺激するようで、あちらこちらで、子供
たちが、親から離れて駆け出していました。そんな子供たちに対する親の対応も
様々。「ほーら、捕まえたぞぉ」と、小さな脱走者を笑顔で抱き上げる親もあれば、
「離れるなって言ったでしょ!」と叱咤する親もあり。
 広場で風に吹かれながら、思いっきり後者の子供にシンパシーを感じていた私でし
た。

アルベロベッロ:
 高い円錐形の屋根を持つ、トゥルッリの集落がある町です。真っ白に塗られた壁と
丸い屋根は、おとぎ話のようで、白雪姫と7人の小人でも登場してきそうな雰囲気で
した。
 しかし、何故か、私が訪れた日に限って、雷と稲妻。同日、意地悪なお妃様が、ア
ルベロベッロにリンゴを売りにきていたのでしょう。
 念のために言っておきますが、私は、油を売ってはいても、リンゴは売っていませ
ん。

マテーラ:
 サッシと呼ばれる洞窟住居で有名な町です。紀元前にはギリシア人、11世紀には
迫害を受けたトルコの僧、そして戦後の農地解放前の貧しい小作農民が住んでいたそ
うで、数え切れないほどのサッシが、びっしりと丘にはりつくように残っていまし
た。ここは、見るだけで、背筋が寒くなるような怨念が伝わってきました。後から、
ここがメル・ギブソン主演の「パッション」という映画の撮影現場だと聞きました。

 もしも、「リング」のように、この景色を見た者は、一週間以内に命を落としてし
まうとしたら・・・皆さん、マテーラは、オススメですよ!

アマルフィ海岸:
 青い海から続く斜面には、白く輝く家々が重なり合い、連なる丘には、レモンやオ
レンジがたわわに実り、南国情緒そのままのアマルフィ海岸。
ここの4都市を訪れました。港町の賑わいあふれるサレルノ。名産のレモンチェッロ
が店の軒先を彩る、可愛らしいアマルフィ。崖にはりつくように、白い家々が並ぶ、
まるで絵葉書のようなポジターノ。海の向こうに、ヴェスービオ火山がそびえる、超
有名リゾート、ソレント。
 どの町も、海岸沿いに所狭しと咲く、ビーチパラソルの華々が鮮やかでした。ちな
みに、ビーチパラソルがあるビーチは、プライベート・ビーチです。海に突き出し
た、素敵な岩場のビーチもプライベート・ビーチです。人知れず、静かな入り江にあ
るビーチも、やっぱりプライベート・ビーチ。
 「ホテルのホテルによるホテルのためのビーチ」。パブリック派の私は、海水に
タッチする事さえ、かないませんでした。カンカーン。

ポンペイ:
 約1900年前、ヴェスービオ火山の噴火により、3日間のうちに、死の灰に閉ざ
された、古代都市ポンペイ。水道管や轍、道路標識や落書き、民家はもちろん、居酒
屋や洗濯屋など、町そのものが当時のままに残っていて、大迫力でした。神殿群や運
動場、大邸宅や円形闘技場、劇場に浴場等々、挙げればきりがありません。壁の装飾
画も、床のモザイクも、すべてオリジナル。古代ローマにタイムスリップしたような
一日でした。
 石膏型(土の下に埋まった動物や人間が、バクテリアにより分解されてできた、土
中の空洞に、石膏を流し入れて作られた像)の人々も、非常にリアルで、町を覆った
ガスによる、その死の直前の姿勢や表情までが、はっきりと見てとれました。
 その夜、ヴェスービオ火山の再噴火により、私自身がユニークな寝相の石膏型にな
らにように、直立不動の姿勢でベッドに横になりました。不動なのに、なぜ朝見た
シーツがシワクチャだったかは、謎です。マンマミーヤ。

ナポリ:
 “Vedi Napoli e poi muori”名言、「ナポリを見て死ね」。
狭い石畳にはためく洗濯物。ナポリ情趣の残る、古い下町、ズパッカ・ナポリを見ま
した。ナポリっ子の信仰のより所、ドゥオーモを見ました。サンタ・ルチア地区か
ら、海に張り出して建てられた古城、卵城を見ました。
 でも、国立ナポリ考古学博物館は見ていません。私は、ナポリの全てを見てはいな
いのです。
 私は、死にましぇん。

ローマ:
 言わずと知れた、2500年の歴史の舞台である、永遠の都ローマ。今回の旅行、
ヨーロッパ最後の都市です。コロッセウムにフォロ・ロマーノ、ヴァチカン市国、ス
ペイン広場と、見所が数え切れないほどありました。
 私の気分も、すっかりアン女王。ここはひとつ、ジェラートでも食べようと、街角
のジャラート屋に入りました。「どれにしよう」などと迷っていると、「3種類を選
んで下さい」と店員さん。最小サイズのカップにも関らず、3種類も選べるとは!突
然目の前に差し出された権利に、思わず慌ててしまいました。
「えーと、食べたことがないから、シナモンケーキ味と・・・」
どうやら人気のお店らしく、私の後ろに、1人、2人と列ができ始めます。
「それと・・・外は暑いから、2つ目は、オレンジ味にして・・・」
後ろの列は、どんどんのびていきます。3人、4人。
「えっと、じゃあ、ティラミス?うーん、シナモンケーキとかぶるなぁ。コーヒーは
ミスマッチだし。かといって、ヨーグルトは、今イチ面白味に欠けるし・・・」
5人、6人。もはや、一刻の猶予もなりません。
「え、え、えっと、えっと、じゃあ、少し変わったのを・・・スイカ味下さい。」
 シナモンの香りいっぱいのクリームと、酸味のちょっときいたオレンジ。そして、
大した味もないのに、でも確実に味を主張している、スイカのジェラート。
 食べ始めは、「この濃厚な部分は、シナモンケーキだな。んー、オレンジが爽やか
だわー。これは・・・スイカだろう」などと、きちんと識別して食べていたのです
が、途中からは、3種のジェラートが溶け合って織り成す、芸術的なハーモニーに、
舌の味蕾が完全に混乱していました。
 たかだか、ジェラートひとつで、アン女王になるなど、おこがましかったのでしょ
うか。アン女王ならぬ、安女王。あまり嬉しくない肩書きです。
 そして、そのアートなジェラートを食べた翌々日、女王様は、こともあろうか交通
事故に遭いました。しかも、轢き逃げ。車かバイクか、はたまた馬車だったかは分か
りません。というのも、衝突した瞬間の記憶が、全くないのです。意識が戻った時に
は、たくさんの通行人や警察官が、上から覗き込んでいました。
 「私、何やら迷惑をおかけしたようで。」と立ち上がろうとすると、周りの人々
が、叫びました。イタリア語だったので、はっきりとは分かりませんでしたが、状況
から判断するに、どうやら「動くな」という意味だったのでしょう。ふと下をみる
と、私の左後頭部から流れる血が、アスファルトの上に池のように広がっていまし
た。左肩の骨も、なんだかオカシイ。
 しかし、頭は妙に冷静で、担架に乗せてもらう度に「すみません」と頭を下げた
り、「私の体重も、イタリア人にとっては軽いはず」とか、「うわー、日傘が壊れ
ちゃった」とか、つまらない事を考えていました。救急車の中での質問が、全てイタ
リア語だったので、ガイドブック巻末の「病気・事故の場合」のページを、不自由な
手でめくりながら、意思伝達。そして、救急車や病院に払うお金が心配で、「ノー・
マネー。ノー・マネー。オッケー?」と繰り返していた私。哀れ。
 病院では、頭部の傷口を縫われたり、レントゲンをとられたり、左肩を診てもらい
ました。そして、車輪つきの寝台に寝かされて、廊下の隅に運ばれました。清掃のお
ばちゃんが、お掃除の度に、ショッピングカートのごとく、ガラガラガラと乱暴に私
の寝台を移動。ああ、壁にぶつけないで下さい。だから、お願いですから、プリー
ズ、トイレの前に放置しないで下さい。(随分と経ってから、親切な看護婦さんが、
部屋に入れてくれました。)
 結局、2日で病院を追い出され、タクシーのお金もなかった私は、病院から修道院
の宿まで、歩いて帰還です。髪の毛とシャツ全面には乾いた血がこびりつき、全身ア
ザまみれで、体中スポンジの紐で縛られたまま。ヨレヨレと歩く私の後ろには、「太
陽にほえろ」のBGMが流れていました。チャララーチャララーチャラララー。
 修道院のシスターたちは、私の姿を見て、すっかり仰天してしまい、使用用途は分
かりませんが、オロナインを持ってきてくれました。そんな彼女たちの前で、「こ
れ、いつ抜くんでしょうねぇ」と、左腕に刺さったままの注射器をエイヤと抜いた
ら、思った以上に針が長くて、再び血がドドドと噴出。体が不自由なのに、口を使い
ながらゴムバンドで止血する自分がアッパレでした。シスター、見てないで、どうぞ
助けて下さい。
 その後も数日間は、部屋で安静にしていなければならず、一人で鬱々と、暗い部屋
に閉じこもっていました。こうなると、アン女王などと言っている場合ではありませ
ん。もはや、暗女王。「ローマの窮日」。皆さんも、くれぐれも車にはご注意下さ
い。

 これでヨーロッパ編は終わるのですが、実は、すぐにミネソタに帰っては来れませ
んでした。「航空券は、キャンセル待ちで買ったら、当日の方が、安く手に入るよ」
という、友人のありがたいご忠告に従って、ローマ → ニューヨーク間の航空券し
か買っていなかったのです。
 ニューヨークに到着して、英語圏に入った喜びを感じつつ、航空会社のカウンター
に行くと、「一番安いチケットですね。5万円になります。」との事。はい。帰れま
せん。
 というわけで、頭も肩も、まだ痛みは残っていたのですが、長距離バスならば安い
だろうと、マンハッタンへレッツ・ゴー。
 思った通り、何と1万円で購入できました。ただし、このチケットは、一週間前購
入のチケット。つまり、一週間はニューヨークにいなければいけなかったのです。し
かしながら、英語が通じる安心感のせいか、あまり不安はなく、楽しい滞在になりま
した。
 ダウンタウンの南から出ている、無料のフェリーに乗ると、自由の女神が見え、夢
と希望をもってアメリカ大陸へと渡ってきた移民のことを想い、目頭が熱くなりまし
た。たとえ彼女が、「中野の都こんぶ(スコンブ)」大であろうと、女神は女神で
す。
 世界の金融界を動かすウォール街では、持参していたガイドブックのせいで、ひど
い目にあうところでした。「ニューヨーク証券取引所の見学ツアーには、建物の裏に
て、整理券を購入のこと」とあったのです。9・11事件以来、アメリカがピリピリ
しているというのに、見学などできるのだろうかと思いつつも、ひょっとしたら、厳
重な警護のもとで見学可能なのかと、ソロソロと建物の裏手にまわると・・・ライフ
ルを片手に、迷彩服の完全武装をした軍人さんが、すばやく反応。「やばい?」と、
本能的に踵を返しました。
 後でガイドブックを読み直すと、観光モデルプランに、しっかりとワールド・ト
レードセンターが載っていました。
 チャイナタウンでは、町をプラプラと歩くおじちゃんが、雨が降った途端に、傘売
り・アンブレラーに変身したり、冬季限定(賞味期限は限定なし)を発見したり、中
国人のたくましさを感じました。
 摩天楼のそびえるマンハッタンの中央に位置し、緑豊かなスペースが広がり、オア
シスになっているセントラル・パーク。たまたま散歩道を歩いていると、夏の風物詩
と言われるシェークスピア劇が上演されていました。役者の白熱した演技に興奮して
飛びかかる犬や、視界の70%を占めていた目の前の男性同性愛者のカップルなど、
障害はあったものの、ニューヨーカーに混じって最後まで芝居を観ました。
 最後の夜は、ニューヨーク在住の友達に、ダウンタウンの夜景が見えるレストラン
で、素晴らしいディナーをご馳走になりました。世界一の夜景、優雅なクラッシック
のBGM、豪華なテーブルセットに、洗練された料理。友人は、鮮やかなピンクのワ
ンピースに、真珠のネックレスを身に着けたお嬢様。そして、彼女の目の前には、血
で変色したシャツを着て、乾燥ワカメのような髪になっている私。私は、私を見ずに
すんだのが、せめてもの救いでした。
 そして、次の日、ニューヨークに別れを告げ、バスで一路ミネソタへ向かいまし
た。
しかしまた、このバスが、大問題。大きな都市のバスターミナルごとに、一度下車し
て、リボーディング(再搭乗)をしなければならなかったのですが、再乗車するバス
は同じなので、荷物は車内に置いておくようにと指示がありました。
 リボーディングの番号が書かれた紙を握り締めて、全身をアンテナのようにして注
意していると、小人のような、それはもう小さな小さな声で「・・・番の人、バスに
乗って下さい」と、係の人が搭乗を呼びかけました。
呼びかけの声が聞こえなかった人は?隣の人も、前のカップルも、見渡せば、車内に
ボコボコと空席が。しかも、荷物は残したまま。しかし、無情にもバスは出発しまし
た。そう。置き去りです。「まだ帰ってきていない人がいるんですが」と運転手に告
げても、「ほっとけ」の一言。
 ニューヨーク出発時100%の搭乗率が、最初のリボーディングで、90%。次の
リボーディングで、80%。15分あるはずの休憩が、13分で出発。搭乗率
70%。乗客は、次々と置き去りにされていきます。バトル・ロワイヤル。
 26時間のバスの旅を終え、愛しの我が家に帰ってきた時は、感無量。名犬ラッ
シーもすごいですが、よく私も生還する事ができました。

そして、すっかり汚れきったお財布の中には、700円。お見事。

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