Kiss attain で never end
6月8日
「①起立」→「②礼」→「③着席」
日本語の授業は、元気な生徒の号令で始まります。
号令係は、猿山のボスのような気分を得ることができるのでしょう、小学生にとって
の花形=放送委員会のように、どのクラスの号令係も、大変、得意げです。
ちなみに、私はというと、チョークの粉にまみれながら、黒板に絵を描き、誰かがそ
の上に落書きする度に、一人で憤慨しなければならないという、広報委員会に所属し
ており、日々、地味に活動しておりました。
さて、この号令、なかなか規律正しくて良いのですが、どうも生徒には、
「①Carrots キャロッツ」→「②Rain レイン」→「③Cheese steak チーズ・ス
テイク」
と聞こえるようで、
「①にんじん」→「②雨」→「③チーズ・ステーキ」
と、彼等の頭の中では、何とも難解な暗号のような号令になっています。
いきなり余談になってしまいますが、以前、沖縄サミットのテーマ曲にもなった、安
室奈美恵の“Never End”(ネバーエンド)という曲を、生徒に聞かせた時のことで
す。
― Never End Never End 私たちの未来は
Never End Never End 私たちの明日は
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Never End Never End・・・(×14回)
これが原曲の一部抜粋なのですが、この“Never End”という、最も肝心な台詞が、
どうも生徒には理解できなかったようなので、尋ねてみますと、「先生、この歌は、
レモネードの歌ですか?」という質問が返ってきました。
すなわち、彼等の頭の中では、“Never End”が「レモネード」に変換されており、
― レモネード レモネード 私たちの未来は
レモネード レモネード 私たちの明日は
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レモネード レモネード・・・(×14回)
だったというわけです。
レモネードが別段嫌いなわけではないのですが、私の未来はレモネード、明日も明後
日もレモネード、毎晩毎晩、レモネードを夢見るというのも、悲しい話です。
さて、レモネードの世界から話しを戻して、日本語の授業ですが、私は、4レベルの
計6クラスの日本語の授業を受け持っています。
一時間目:日本語3 (7:35~8:25)
二時間目:日本語4 (8:35~9:20)
三時間目:日本語2(A) (9:25~10:15)
四時間目:日本語1(A) (10:20~11:10)
五時間目:日本語1(B) (11:15~12:35)・・35分の昼休憩のた
め、授業は、一時中断。
(六時間目:授業準備。唯一の、息抜きの時間)
七時間目:日本語2(B) (1:35~2:25)
たまにホームカミングなどの学校行事で、時間帯が変わることはあっても、上記の時
間割が変わることはありません。
朝礼もなければ、ホームルームもありません。大学の授業システムと同じで、生徒
は、始業時間にそれぞれの教室に行き、就業時間になると、蜘蛛の子のように散って
ゆくのです。
廊下の端に立つと、校内でも地平線が見えそうなほど、校舎が広いにも関わらず、教
室の移動時間は、たったの5分間しかありませんから、生徒も大変です。授業修了の
ブザーが鳴ると同時に、葱ならぬ、巨大な鞄を背負って、次から次の教室へと渡りを
開始します。
そして、そこに何の意図があるかは分からないのですが、移動時間には、BGMが流れ
ます。
選曲はというと、モーツァルトやウェスタン・ミュージックから、マドンナやブリト
ニー・スピアーズまでと、多岐にわたっています。
天気のいい日の午後に、ボサノバでもかかれば、気分がいいのでしょうが、毎日そう
うまくはいきません。
ある日、真冬の薄暗い曇天の中、一時間目が終わった直後に、チャーチャラララ
チャーララーと「瀕死の白鳥」の短調メロディーが流れた時など、それこそ変身前の
醜いアヒルの子のような気分になりました。
そして、広い校舎を西から東へ、北から南へと大移動を終えたゲルマン人ですが、時
には、お手洗いに行くのもままならなかった、といううっかり者もいます。
このように、お手洗いや保健室、図書館などに行く場合には、教師からホールパスと
いう許可証をもらわなければなりません。
ホールパスには、日付と生徒の名前、退出時間と行き先、それに教師のサインが必要
です。
というのも、廊下には、トランシーバーを手にした、数人のセキュリティーのスタッ
フが巡回しており、彼等は、廊下を蠅のようにブーンブンとさまよっている生徒を、
宮本武蔵の箸並みのスピードで捕獲するからです。
しかし、ホールパスさえ持っていれば、誰にもとがめられずに、廊下を往来できま
す。生徒にとっては、魔法のパスといえるでしょう。
さて、日本語の授業は、基本的に、どのレベルも、月・火・水曜日に新しいことを学
習し、木曜日に復習、そして金曜日にテストというスケジュールにしています。そし
て、テスト後に時間が余れば、ビデオを観たり、ゲームをしたりしています。
基本的に、日本語の生徒の学習意欲は、非常に高いので、とても助かっています。も
ちろん、テストやワークシートの宿題というと、ブーブーと文句は出ますが。サンタ
のおじいさんや、「政府から、新しい仕事が入った」とFBIのふりをするなど、ワー
クシートを配るのも、なかなか大変です。
しかし、ありがたいことに、机に伏して寝る生徒など、ただの一人もいませんし、覚
えるかどうかは別にしても、新出単語が出てくると、皆、興味津々です。
擬声語や擬態語、英語からの借用語、それに発音が英語に近い単語などが面白いらし
く、
・「おなかがペコペコです。」(日本語1)
・「コンピューター」(日本語1)
・「まいしゅう(毎週)」*マイ・シュー(=私の靴) (日本語2)
・「きっさてん(喫茶店)」*Kiss attain (=キスを獲得する) (日本語2)
・「ばたばた する」(日本語3)
・「ポテトチップス」 (日本語3)
・「パトカー」(こちらでは、ポリス・カー)(日本語3)
など、大喜びです。それは、母親に「あれ、なあに?」と尋ねて、「あれは、ワンワ
ンよ」と教えられると、「ワンワン・ワンワン!」と繰り返す幼稚園児を、どこか思
わせます。
こちらの教育制度では、長い夏休みが明けた9月に、入学・進級となっており、6月
の半ばに学年末を迎えます。
というわけで、今はちょうど期末テストの期間になるわけですが、テスト至上主義の
日本と違い、日ごろの出席状況、授業中の態度、宿題やレポートの提出回数などに、
テストの成績が加味されて、全体的な評価が下されるため、期末テストといっても、
日本ほど重要視はされていません。
逆を言えば、一夜で漬けられた、浅漬けのごときテスト勉強だけでは、よい成績をと
ることはできないということです。
ちなみに、日本語の授業の成績評価は、他の授業と比較すると、それほど厳しくはあ
りません。ワークシートを提出して、たとえ毎週のテストの点数が悪くても、追試を
受ければ、点数を稼ぐこともできます。パーセント(%)計算の、絶対評価で成績が
でますから、クラスメートと争うということもありませんし。
にも関らず、ひたすら宿題をコレクターのようにためこんで、学期末ギリギリになっ
て、大慌てでとりかかるという生徒も、大勢います。実際、今、私の目の前には、宿
題がマウント・フジになっています。
もっとも、日本でも、夏休みの宿題の日記を8月31日に書く小学生は珍しくありま
せんから、別にアメリカの生徒がどうというわけではありません。
ただ、7月中に8月中の毎日を予期して日記を書き、これまた7月のある一日のうち
にに、ヘチマまであろうが、朝顔であろうが、謎の成長を遂げさせて、「観察日記
(出典:百科事典)」を書いていた私としては、崖淵にくるまで動き出さない生徒を
みていると、どうも不安になります。
そういえば、広報委員会でも、私は、月の四週目に入ると、来月の絵を描いていまし
た。5月で外はポカポカと陽気なのに、ジメジメと梅雨の絵を描いたりしていました
から、ひょっとすると、顰蹙をかっていたかもしれませんが。
おそらく、世の中に出回っている雑誌の編集長も、私のようなタイプに違いありませ
ん。
「賭好き」ならぬ、「崖好き」の生徒のような編集長であれば、それこそ6月号の出
版月日が、6月31日になって、「あれ?そんな日あったっけ?」ということになり
かねません。
さて、ワークシートのチェックをしたり、テストの採点をしていると、それこそ山と
いうほど、思いもよらない珍解答に出くわします。
今回は一例だけあげてみますと、
「わたし の おばあさん は さしみ が すきです。」(日本語1)
これが、正解文なのですが、ある生徒の解答は、助詞の「の」と「は」が入れ替わ
り、
「わたし は おばあさん の さしみ が すきです。」となっていました。
おばあさんの調理した刺身が大好きなのか、はたまた新鮮コリコリの刺身よりは、弾
力のない刺身の方が好きなのか、そもそも刺身を食べる際に、魚の性別を考えるもの
なのか、などといろいろ考えさせられてしまいました。
きっと、マウント・フジの中からも、純度・24カラットの珍解答を、数多く産出す
ることが出来るに違いありません。