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2009年12月 アーカイブ

2009年12月 5日

多田先生の傘寿のお祝い

11月30日(月)

 右足の親指がつっている。あー痛いよ~。昨日、履きなれないかかとの高い靴を履いていたからではない、きっと。話はもう少し前からなの。
それにしても体育館はしばれる。腹巻でも買おうかな。

11月29日(日)

 多田先生の傘寿祝賀会に行く。道衣を持たずに上京するのは、実はあまりないことである。妙に身軽なので、忘れ物がないか気になるくらいだ。しかし、その分と言ってはなんだが、今日はいつもより「きれいな格好をしているうっきーちゃん」のはずなのである(自分で言うなよ!って?)
 祝賀会では、先生方はもちろん古い顔馴染みの方、最近知り合いになった方々、そして懐かしい面々まで、多くの多田塾傘下の門人の方々とお会いし、お話することができた。ああ、稽古ももちろんいいけれど、こういう会に参列できて言葉を交わせるのもまたうれしいことだなあ。
 誰もが終始にこのこと、料理もおいしく、たいへん愉快でおもしろい会であった。米寿が楽しみである。

11月28日(土)

 今日は今日はでいろいろと稽古。

11月27日(金)

 謎のまま稽古を始めた。先生がお見えにならないのである。いつもなら、稽古時間前には、ぶっるうううるぅんとエンジン音が聞こえて、ガチャッと車のドアの開く音がするのだが、そのいつも聞こえる音が聞こえない。パタリとも、コトリともしないのである。
 しばらくの間、お待ちしていても様子もが変わらないので、謎のまま稽古を始めるべく準備体操を始める。丁寧に行う。そのあと呼吸法。これも丁寧に行う。個人的に研修会のあとだからか、身体がいい感じに錬られていそうな感触があるので丁寧にしている。いい感じはいい感じとして、気にせずいたい。
 そのまま稽古を始める。じっくりたっぷり取り受けの稽古。

11月26日(木)

 講義の一環で生まれて初めてヨガをする。普段稽古している合気道にも、その要素が多く含まれているわけだが、ヨガだけを特化して体験するのは、これが初めてのことである。
ヨガをすることで、股関節やら肩甲骨、腕、腹の稼働域が瞬時に広がったのか、痛かったり、心地よかったり、身体の反応はさまざまだが瞬時に変化している。呼吸法自体は、身体にとてもいい。呼吸をしながら動くというのも実に身体にいい。もちろん人間は生きている限り、ほとんどいつも呼吸している。観察しながら、静かだがとまることのない動きの中での呼吸がいいのである。
 このところ「呼吸」というものに、いくらかとっかかりやひっかかりや観点、稽古の重要性を感じているので、とても学ぶところが多かった。

11月25日(水)

 身体が柔らかく錬られている感じ。これを大事にしたい。

11月24日(火)

 月窓寺道場の朝稽古に参加させてもらうため、吉祥寺に行く。この道場にも年々知り合いの方が増えてきたので、一緒に稽古させていただける機会に恵まれたのである。こういういう仲間が増えるというのは、とてもうれしいし、ありがたいことなのだ。ほんとうに感謝。
 稽古後、昨日お会いした多田先生、坪井先生にご挨拶し、居残組のみなさまより一足先に道場をお暇する。
昼前に東京駅に着く。自由が丘道場のはたやんと合流。昨日の研修会で会ったとき、偶然にも24日は有給休暇なので、昼食をご一緒にと約束していたのである。待ち合わせ場所では、おなかを空かせたわたしの顔を見るなり、これはがっつり系かしらんということで意見が一致し、中華料理を食べる。おいしかった。
 笑って、語って、駅のホームで見送られ、またまたどうぞお元気で~といざ関西を目指し、あっという間の研修会を思い返してみたのである。

11月23日(月・祝)

 ことしも恒例、自由が丘道場主催の「気の錬磨剣杖特別稽古」に行く。昨年に比べると温暖な十一月である。今週は全国どこも、とても寒々しい日が続いたので、天気が読めず、考えた挙句、薄めのコートを羽織って出る。結果、これで正解だった。
 開催会場となる都内の体育館への電車の移動時間を勘定に入れて、関西からの電車を予約していたはずが、開始時間の少し前に体育館に辿り着く。余裕をもって出かけたい性分なので、なんとも言えない気がした。最寄駅付近で見かけた関東在住のひとびとは、ゆらゆらと歩いている。このなんとも言えない、ゆったり感が垣間見えるときにも関東近郊にお住まいの方はうらやましいと思う。
 とはいえ、稽古には遅れることはなく、懐かしい面々、さっきあったような面々、久しぶりの方々にご挨拶する時間もあった。体育館に入るなり、声をかけてくださる方もいて、これはほんとうにうれしい限りであった。顔を覚えてくださって、声をかけてくださって、一緒に稽古できるなんて!合気道を始めたころには、まるで考えられないような状況である。ありがたいことだ。
 研修会の開始時間となり、多田先生が体育館にお見えになる。今回は先月の多田塾合宿に引き続いての先生の研修会に参加だ。毎月参加できるなんで、ありがたいことだ。
今回印象的だったのは、先生が入口に現れるなり、ぱっと周囲が明るくなった気がしたことだ。体育館のライトを急にそこだけ明るくしたわけでもないのに。瞬時に場を主催されたのだろうか。多田先生の空間に、ことばと身体を寄せながら稽古した。
 また、いろいろと身に沁みることばと実践すべきことばとお話があった。うかがったことばの数々は、ここであっさり書いてしまうこともできそうだが、書いてしまうと留められてしまい、かつまたいとも簡単なことのように見えて、本来の意味合いを見失いそうである。だから、わたし自身の心に留め、精進することで、うかがったことばの数々を身体をとおして、顕にすべく研究するしかほかないのだと強くそう思う。

11月22日(日)

 雨がざあざあ降ってきて~。寒いったらありゃしない。

11月21日(土)

 久しぶりの内田先生のお稽古@岡田山ロッジ。いつもの場所が取れなかったので、芭蕉が変更になった。面積と天井の高さなどの安全面から、今回は有段者の会となった。袴の方々ばかりなので、実におもしろい。袴錬みたいである(ってやったことないけど)

11月20日(金)

 阿修羅に会った。奈良で会った。会ったけれどもお目当ての背中はあんまり見えなかった。ぐっすん。

2009年12月15日

怒涛の週末

12月14日(月)

 眠い目をこすりながら、朝一で能のお稽古。何とか早起きして出かける。ばしばしと教えていただき、うちに戻る。
 午後一で講義。にこやかに指導し、にこやかに前に進む。だいぶ形になってきた。いいことである。受講者同士も係わり合いができているようで、そういうのが良い方向に見え隠れするのはいいことである。
 夕方一で朝カル。二日とあけず出かける。まるで朝カル好きみたいだ(もちろんきらいではない、が)。「内田樹VS福岡伸一」を拝聴。福岡先生が見事な話し方で、聞きほれてしまった。おもしろかったなあ、動的平衡の話。会場に着くまでに、ふらりと歩くだけで、会いたい人や会うべき人にじゃんじゃん会う(足立さん、森本さん、小西さん)。多田先生の昨日の話を実感する。
 夜一で中之島。大阪マルシェのほんまもんをいつもしているあたりで、屋台が出ている。行くなり140Bの江さん、大迫さんに会う。にごり酒を飲む。うまい!ぶらぶらとイルミネーションの中を歩き、黒門さかえの出店でうどんを食す。うまい!劇うま。そこで二杯目のうどんを買っているとき、青山さんに会う。
 ハードだったが、今日いい日だった。
 明日もまた朝一で礼拝に出る。

12月13日(日)

 朝早くの格安新幹線に乗り、東京へと向かい、多田塾研修会に参加する。
 ことしは、一度も研修会に参加できなかったので、ことしは、これが始めて最後になる。せめて年に二回くらいは行きたいけれど、なかなかそうも言っていられない。来年は二階行くぞ!
 道場に着くなり、工藤さんから「神戸から?」の質問。「はい、そうですよ」と答えると、「このためだけに?」となる。もちろん、このためだけに来て、このためだけに帰るのである。そのあと指摘されたように、稽古時間よりも移動時間のほうが長いかもしれない。しかし、そういう問題でもないのだ。研修会に来るのは。
その場にいなければわからないし、その場にいなければ知ることができないことがたくさんある。学ぶことも、稽古することも、その仕方もわからないことが多くあるのだ。それらを見聞きし、身体で会得し、大切に、丁寧に過ごさなければならない。だから、一瞬でも聞き盛らずまじと、身体中が真剣になる。
 今日の多田先生の時間は、それほどに、貴重で、大切であった。その空間にいるということは、いられるということは、運命的にもすごいことなのだ。

12月12日(土)怒涛の週末

 今日は場所が変更になり、大学で稽古。
道場の場所が狭いので、段級を分けた二部制となる。前半が級の人で、後半が段の人が集まることになっている。段を持っている人は、前半にも参加しても良いという仕掛けである。
 わたしは近所なので、こういうときは午前中が実にのんびりできる。とはいえ、いつもより開始時間が一時間早くはある。そんなこんなで過ごしていたら、あれよあれよという間にうちまで、お迎えが来る。こちらはまだ、のんびり刺身などを食べている時間なのだ。そのうち、先に着いた人から電話がかかってくる。先生がお見えにならないのだが・・・といった不安な声。まあ、そういうこともあるでしょうって。そそくさと支度をして家を出て、軽く登山。別に遅刻はしていない。
 そのまま、ほぼ四時間近く稽古する。たっぷりと。
 そしてまた下山し、荷物を降ろして、一服。軽く腹ごしらえをして、大阪に出る。
今日は、朝カルの韓氏意拳入門の最終日なのだ。さきほどまで、お会いしていた守さんに再び会う。
 大事に時間を過ごし、形体の訓練を行い、身体を使った一日が終わる頃はすっかり夜。なぜか、プチ打ち上げをすることになった。


12月11日(金)

 母が来る。いろいろと話しまくる。食べて食べて食べまくる。おなかがはちきれそうである。

12月10日(木)

 音楽学部舞踊専攻の第一回卒業記念講演に芦屋市のルナ・ホールに出かける。四年前に集まった12名のメンバーたちが来年の三月の卒業に際し、舞踊を披露する。次の春をして完成年度となるのだ。
島崎先生による卒業生全員のための舞踊は、一等明るかった。素人ながら毎回見ているので、舞踊専攻の学生さんたちが驚くほど上達しているのが手に取るようにわかるのだ。
身体の動きをどうすれば美しく見せられるのか、身体のパーツによる稼働域だけでなく、そこに人がいることによって、空気や環境はもちろん、身体を取り巻くその世界全体がどうなるかを再現しているようにも見えた。そのうえで、彼女たちの美しさを隈なく表現する最高の舞台であった。そう思う。いいもの見たなあと感慨深くなる。
さらには、望んでも仕方のないことであるが、ああいう風に身体を動かすことは、ほんとうに心地の良いことだろうなあと、ひしひしと感じるのだ。感じながら、身体だけは、どこかよくなった感触が残される。そして、身も心も軽くなる。

12月9日(水)

 すいすいと物事が進む日もある。水曜日はそんな日でした。すいすいと進んだので、すばやく眠るといたします。

12月8日(火)

 炬燵を出した。寒かったのだ。

12月7日(月)

 今日は異常に寒いと思ったら「大雪」だった。二十四節気は、馴染みの深い立春や春分、秋分、時折書く暑中見舞状や冬至や夏至を気にして調べることはあるが、それ以外の日はあまり気にせず過ごしている。ところが最近どういうわけか、それぞれの日が気になって仕方がない。新聞を見れば、その日の節気が書いてあることもあるが、わざわざそこだけを注目して見ないので、見過ごすことも多い。それよりもカレンダーに記してあるのをじっと見ることがある。とはいえ、最近は代表的な立春、春分、秋分、夏至、冬至くらいしか書かれていないカレンダーが多い。話しは少しずれるが、大安や友引とか仏滅というものは、ほとんどどのカレンダーにも書かれているのに、だ。
 来年はいろいろと細かく示されているカレンダーを使うと決める。

 さて、そのような大雪の今日は、まことにその字が示すが如く、とても寒い日だった。昼過ぎの窓から射す光は、明らかに冬の色あいを見せている。先日までの、明かりの具合とはまったく違う。冬の光が射しこんでいる。廊下の明かりが暖かくも感じられると同時に冷たさを含んだ色味を帯びている。さすがに表も寒い。少しの移動もコートを羽織るがいいのかもしれない。だが何分面倒くさがりなので、のちまた到着先でコートを脱ぐのが厄介に思えるのである。道衣を着ると、途端に寒暖のコントロールが効いてくるのか、それとも単なる慣れの問題か、何も羽織らずに移動していてもさほど寒くも感じないところもあるかもしれない。たしかに気温は低く、肌に感じる寒さはあるが、寒くないのだ。むしろ道衣の上にコートを羽織るといった格好の歪さに、たまらなく気持ち悪さを感じる。着物用の、あるいは道衣を着るときに合わせたコートならばそれはよい。ファスナーの付いたジャンパーやコートを羽織るのはどうか。マフラーを巻くほうが、俄然格好としてはよく見える。

12月6日(日)

 頭痛はまだやってきて、時々、頭そのものではなく顔全体を悩ませる。どうしてこんなに頭がいたいのでしょうね。今日は一日休みます。日曜日だからいいでしょうか。

12月5日(土)

 起きるなり頭痛がする。夜更かしをしたわけでもないのに痛いのだ。風邪だろうか、それとも疲れだろうか。目が覚めて寝床の中から出るまでに、何度も静かに呼吸してみたが、一向に落ち着く気配はない。静かに過ごせば過ごすほど、痛さの先がはっきりしてくるだけだ。頭が痛い。
今朝方から雨が降っている。それも、とてつもなく激しい降り方をしている。雨のせいで気圧が下がり、それが頭を圧迫しているのだろうか。そうとでも思いたい。思ったところで頭の痛さが治るわけでもないのだが、ほんの気休め程度で還元されるなら、そういう思いも必要だろう。人生のほとんどを悩まされ続けてきた頭痛ならば、それはもう少し前に、おさらばしたはずだ。何かの間違いであってくれ。このままでは動かないので、頭痛薬を飲んでみる。

12月4日(金)

 そろそろ来年の手帳を準備せねば。ぼんやりしていて師走になった!

12月3日(木)

 木曜日は介護のレッスンに加わる。先回のヨガは、体験するだけで、身体がたいへんなことになってしまったがが、一週間も経つと痛さも和らぎ、なんとか動けるようになっていた。それとは別に、右足の親指と左の首がずっとおかしい。痛さの流れが連関しているような気がする。今度診てもらおう。

12月2日(水)

 身体の動きは気持ちの動き。気持ちの動きは身体の動き。思いが身体をとおして前に出る。身体をとおして思いが伝わる。思いの好悪や善悪は関係なく。伝わるのなら、いっそそれらは、好いものでありたいし、善きものでありたい。

12月1日(火)

 急激な腹痛に襲われる。

2009年12月23日

冬休み手前で

12月21日(月)

 朝から微熱。喉も相当痛い。緩い悪寒もする。声が出にくい。
外は軽い霙。気温も決して高くはないだろう。手が悴む。
よっぽど休講にしようかと思ったが、そうもいかない。身体を起こして目を覚まさせる。
静かに起きるのを待つ。葛根湯を飲む。喉の痛みが少しは和らいだようだが、完全ではない。暖めて、あまりしゃべらないようにして、だましだまし前に進む。
さすがに風邪をひいたようである。
冬休みまであと少し、のはずだ。がんばれ。

12月20日(日)

 ようやく日曜日らしい日曜日を過ごす。ほんとうは、能楽堂に出かけたかったが、手配が遅く全席ソールドアウト。残念であった。
 その代わりといっては何だが、ほんとうに静かに過ごした。

12月19日(土)

 朝一で能の稽古に行く。
いつになく下川先生からも奥様からも、ちょっとここには書けないような面白話をうかがった。時間があれば、いつまでもお話をうかがっていたかったが、そうもゆかず、謡と舞の稽古をしていただく。
いい場所に来させてもらったなあと、その思いを強くする。能の稽古も今日が稽古納め。今年一年、ありがとうございました。

 午後からは合気道の稽古。まだまだ寒いのでいつもより集まりが少ない。でも、じっくりと稽古するにはちょうどよい人数だなあと思う。

合気道のあとは、稽古仲間のムカイさんに誘われて、マイケル・ジャクソンの「This Is IT」を観にいく。再上映が決まったらしく、神戸へと向かう。誘われたヒロスエさん共々静かに感動。
マイケル・ジャクソンについてはほとんど何も知らない。
”We are the world”は素晴らしいなあと思ったくらいで、あとは“ジャクソン5”という兄弟がいたとか、”Bad”が流行り、ムーンウォークを始めとするダンスができるひとであるとか、プレスリーの娘と結婚してすぐに離婚したとかいう程度のことしか知らない。まことに貧相な予備知識しかない。
今回、実際に映像を通してみると、あれだけの動きを見せるなんて!50歳とは思えぬ動きに驚いた。また音の感覚、大きなコンサートを纏め上げる演出力にも驚いた。それだけに、もう少し身体を大事にすればよかったのになあと、思うばかりであった。

12月18日(金)

 クリスマス礼拝の日。
くじ運が相当に悪いので、宝くじも、ロト6も人生で一度も買ったことがないのだが、ことしはクリスマス礼拝のチケットに応募してみた。するとチケットが当たった。たいそう喜ばしいことである。また運良くことしは司式が飯先生、礼拝の独唱は斉藤言子先生だったので喜び倍増であった。
クリスマス礼拝とは、通常の礼拝の流れに則りながら、着席したままで、賛美歌を歌い、賛美歌を聴き、演奏に耳を傾けるものである。学外の方からの説教もうかがい、参列者は静かに黙祷を捧げる。
礼拝には中高部のハンドベル、合唱が出演し、大学の音楽学部によるオーケストラ、声楽専攻による合唱は、いつもの講堂を荘厳な雰囲気で包み込む。
斉藤先生のソプラノは、まことに身体にしびれる声であった。一度そのお声を舞台に拝聴してみたいなあとまで思えた。
 飯先生の司式は、なぜか毎回「受ける部分」が用意されているので、そこを聞き漏らすまじと耳を大きく傾けた。
神様によって運ばれた夜は、またひとつ心地よい時間を過ごせた。ことしもここにいられてよかったと、本当に思えた。

12月17日(木)

 大学の稽古も稽古納め。
 寒波がやってきたようで、手足がとても冷たく、手が悴み、足が思うように動かない。寒いのを通り越して、心身が痛い。
 こんなときは、あったかいおでんが食べたくなる。かといって、おでんを煮ている時間もない。買いに行くのもなんだかなあと思う。そんなことを考え、話しながら歩いている帰り道、ふと近所にうまそうな居酒屋があることを思い出した。随分前に江さんに教えてもらったことのあるお店だ。
教えてもらっただけでそれから一度も足を運んだことがない。見に行くのはおろか、思い出したことさえない。その割には、(おそらくあの店ならおでんはあるだろう)と今日、勝手な予想をたてた。足を運んでみると予想は当たり、おいしいおでんを食べることができた。
店の構えは古く、年季が入っている。切り盛りする親父さんの佇まいからして、ほんとうの居酒屋である。決してチェーン店ではない。電車から降りてきた帰宅途中のサラリーマンが、ふらっと訪ねてくるようなお店だ。かといって騒がしくもなく、静かで清潔で、カウンターだけの小さなお店である。
ひとりでは入るのには、わたしにはまだちょっと勇気がいる。だから、ひとりでは行ったわけじゃあない。

12月16日(水)

 今日は道場の稽古納め。一年間大きな事故や怪我や出来事もなく、過ごせたことに感謝。毎回、足を運んでくださる会員の方々のおかげで、静かではあるが、前に進んでいる。ゆっくりでもいいから、もう少し愉快に、大きくなるように、来年からもいろいろと工夫していきたい。
 稽古納めの後は納会。今年は会員の方のなかに、三宮で鶏専門のお店を開いている方が来られるようになったので、そこを会場にお願いした。たいそう美味である。
早めに始めて早めに終わろうということで、四時に始めて七時に解散。なんともさっくりした会である。
参加可能な方がほぼ全員が集まり、終始賑やかな宴となった。毎回納会を開けるようになったそのことを静かに振り返りつつ、感謝するばかりの夜であった。

12月15日(火)

 朝一で礼拝に出る。
礼拝は毎日10時30分から始まるが、それまでにリハーサルを行うということで、今日は一時間前に理事長室に集合となった。
 毎年この時期なると、学内では学科ごとのクリスマス礼拝がまもられる。そのうち、総合文化学科の出演者のひとりとして参列。
一年に一度そのような機会に恵まれることは、まさに夢のような出来事だ。
今回、飯学長(ああ、なんとすばらしい響き!)に運良くお声かけいただき、チャペルへと向かった。
 ソールチャペルの二階に上る。久しぶりの景色だ。なんとよい眺めだろう。素敵なチャペルだ。担当を任されたアルトリコーダーを吹く。ソプラノの独唱、ギター、ソプラノリコーダーの音と合わせる。何度となく合わせるうち、音の色合いや曲の大きさがわかってくる。指も動く。またリハーサルを重ねるうち、当初の指示とは違うことがどんどん加えられる。吹く予定でなかった箇所、吹く予定になかった演奏曲などが与えられるのである。音の流れはわかるのだが、即座に楽譜を読めないわたしは、急に楽譜を渡されてもたいへんなのだが、それもまたよし。合わせるうちに話がわかってきた。讃美歌は、いいものだ。そして、このような機会を与えてくださった神に深く感謝。宗派や流派に関係なく、チャペルにいると、不思議とそのような気にさせられるものなのだ。ご縁はどこにあるかわからないものだということもまた。


 夕刻は合気道仲間の高橋家@池田市内で宴会。随分前から約束していたのが、時期が合わず、いつの間にか鍋の季節になっていた。
大学から大慌てで現地に向かう途中、ふとしたことでカニをたくさんいただいたので、それもお土産に持っていく。
一同(タカハシ、ムカイ、タハラ、ヒロスエ、ウキ)、恐縮しつつ戴く。
そして、しばし無言。
というのもカニは食べている間、必死になって殻を剥くという作業が入るので、途端に会話が途切れるのである。何度も経験したことだが、こういうときはテレビをつけていると、常に誰かがしゃべってくれているようで、助かるものだ。
そうではあっても、鍋を囲める仲間がいるということは、まことに良きことだなあと、いまさらながら悦びをかみ締める。カニの神様やそこに通じる人々にもまた感謝。

About 2009年12月

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