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秋深し

11月19日(木)

 東京ツアー中の先生。ご不在のため、稽古を担当した。
そろそろと身体が合気道に馴染み始めてきた。二週間ほど休むと、何かが停止してしまうと感じたのは気のせいで、先週よりも随分動けるようになった。今日はOG参加率がたまたま高かったので、すっきりさわやかに稽古できた。重層的な団体になると、うまく動くなあと感じる。わが道場もがんばらねば。

11月18日(水)

 素直であることが合気道の上達の秘訣だなあと、ふと道場のなかでの出来事をとおして思う。わざわざ「素直だ」思っても、すべては後の祭り、いや、後悔先に立たず、か。真に素直であること(ひと)は、わざわざ「素直」などという言葉を出さずとも素直なのだから。それが自然であるべき状態としてあるのだから。ゆえに「素直」というのは、性質というよりも体質に近いのかもしれない。周囲のひとも見ていても、師匠と仰ぐひとの姿を拝見していても、素直であることは、己の人生をたいそう豊かにするものであるらしい。

11月17日(火)

 中沢新一さんの『アースダイバー』みたいに、TV番組の「ブラタモリ」もちゃんと周りとことばを楽しみながら歩ける番組であればなあと、見ていてときどき感じることがある。これは、歩くだけなら、さほど制作費もかからないだろうから、もう少しまともなゲストとコメンテーターを招いてほしいということでもある。CGを駆使しなくていいから、テンポのよい番組となることを期待する。
「ブラタモリ」は「タモリ倶楽部」の構成内容に似かよっているらしいというのは、往年のファンからうかがった話だ。しかし、タモリ倶楽部は深夜番組で、長年のファンでもないわたしは放送時間帯を知らないのでそうそう見ることもない。
ともあれ、せっかくの時間帯での放送なのだから、画面の中の反応がよい番組となるよう、「ブラタモリ」を見ながら、時折思うのである。

11月16日(月)

 朝から稽古。そのあと講義。そのあとまた稽古。数ヶ月に幾度か訪れるこのペースでの稽古も何とかこなせるようになってきた。

11月15日(日)

 いまごろ関東では、研修会をやっているんだろうなあと思いつつ、次回の研修会に思いを馳せる。ことしは、あまり本部の研修会に参加できなかった。遠方なので、なかなか出向くのが難しいからだ。関東圏に住んでいるのはいいなあと、こういうときは真に、強く思う。

11月14日(土)

 本日の稽古を担当。週間天気予報では雨だったので人数も手ごろになってちょうどよい。
 両手取りをやってみた。予めきちんと計画を立てて、それから実際の稽古状況を見渡し、当初の計画のうち変更すべきは変更し、調整すべきは調整した。技そのものは、何回か数をこなさなければわからないところも大いにあるだろうなあと、見ていて思うところもあった。稽古をするのに、各人各様に好き勝手にすることもできないし、そればかりをしてはなにもならない。かといって、がんじがらめに、統制するのも気持ちが悪い。限られた空間と時間のなかで、その場その場で定められた出来事をするというのは、限定付で自由にしなければならないということでもあると感じる。「自由は不自由である」といった感触はまた、こういうときにも起きるのだろうか。ともあれ、合気道の技は実にうまくできているなあと、そこかしこで感じる時間であった。

11月13日(金)

 13日の金曜日。別に何ということもなく過ぎた。

11月12日(木)

 ちょっとどきどきしながら山を登る。休みが続いてしまったので、久しぶりの感触になった。うまくなじめるかなあといつになく、稽古参加率がよくないので、心配してしまう。心配をよそにがんがん取り組んだ。受身を取ることはやはり、いつまでも必要なことだと思う。受けの感覚を養いたい。心と身体の使い方をうまくなりたい。

11月11日(水)

 近年では本日11月11日の日をポッキーの日を言うらしい。発売以来何年になるのか知らないが、ポッキーというお菓子がひとつの記念日扱いされるまでに成長しているのは、すごいことである。消え去るお菓子があるなかで大きな健闘である。「ポッキー」といえばそれが誰でもわかるようなくらいまで、知名度があるくらいなのは、ほんとうにすごい。かと言って、わたしは久しくそれを買った覚えはないのだけれど。

11月10日(火)

 低気圧のため雨が降る。それも急激な雨だ。こんなふうに雨が降るとき、急激な頭痛がわたしを襲う。それも身動きが取れないくらいに。鎮痛剤を飲めば、痛みはいくらか和らぐのだろうが、飲むその動作すら頭痛で制約されてしまう。かつて数百回いや千回に至るのかもしれないが、経験してきた偏頭痛とはどこか違う。

11月9日(月)

 少しずつだが前に進むというのはいいものである。毎週講義を行っているが、だんだんと前に進行してきた。少しずつ、形を成してきた。
新型インフルエンザはたしかに流行っているようで、前回の欠席はインフルエンザだったという理由を示した用紙を何名かの学生たちは持参する。学校全体が休講となることはないが、このような小規模の大学でさえも、各地において時間差でインフルエンザは猛威を振るっているようだなのだ。

11月8日(日)

 京都国際マンガミュージアムにて、養老孟司×内田樹対談「世界に冠する日本マンガ」が開催される。珍しく、そして久しぶりに京都まで出向いて、それを聞きにいく。マンガの話はあまり出ず、対談の内容は、ほぼ近日発売予定の内田先生の『日本辺境論』の話が主であった。
 対談後は府庁まで歩き、「府庁界隈まちかどミュージアム」なるものを観る。予測どおり、秋の京都は、どこを歩いてもやたらと人が多い。しかし、夕方の府庁近辺だけは人が少なかった。京都御所近辺ともいえる。
それにしても季節問わず、なぜかいつも京都市内で道に迷ってしまうのは、なぜだろう。

11月7日(土)

 どんよりした空気。どんよりした気持ち。よくないなあ。

11月6日(金)

ふと見えた、天王寺MIOの“MIO”って、いったいどういう意味があるのだろうと思う。

11月5日(木)

ナカノシマ大学にて「手塚治虫に学ぶ“生きること、死ぬこと”」を聞く。講師は作家で医師の久坂部羊さん。手塚治虫の同門の後輩という立場から、医療について、死について、生きることについて語られる。手塚治虫の『ブラック・ジャック』に出てくる場面のなかから推論できる話もうかがえた。今回のものは、てっきり久坂部さんがひとりで語られるのかと思っていたら、いつの間にか対談形式になっていた。それが少し残念だった。なぜなら久坂部さんひとりのほうが、さらにたくさん話を聞けたと思うからだ。久坂部さんは声も、ことばも運びがいいし。充実した時間であった。

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2009年11月22日 01:04に投稿されたエントリーのページです。

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