9月17日(水)
あー、もうすぐ合宿。楽しみであ~る。今回は、すっきりいろんなことが楽しめそう。台風が気になるけれど、ま。なんとか乗り切りましょ。
9月16日(火)
非常に暑い。けれど、学ぶところの多い、実り多き稽古であった。あー、もうすぐ合宿。
9月15日(月)
今朝、「めざましテレビ」を見ていたら、内田先生のお名前が挙がって驚いた。
「めざましテレビ」と言えば、なんとなく朝のワイドーショーの典型を作った感のある「今日の占い」や「きょうのわんこ」「どようびのにゃんこ」など、ややバラエティ路線を想像しがちの番組である。だが、そのタイトルの示すとおり、本来はニュース番組である。各紙朝刊の気になる記事を紹介するコーナーもあり、本日付の朝日新聞の記事のなかに、女子大についての記事があった。それには、女子大有用論について語る内田先生コメントが記事に掲載されていたので、テレビで記事そのものを紹介する過程で、要約を示すボードに、内田先生そのものずばりの名前が示されたというわけである。驚いて、ついムービー映像を撮ってしまった。
9月14日(日)
湊川神社神能殿へ、下川先生の『班女』を拝見しに行く。かなりの盛況で、場内はたいへん賑わっている。
『班女』は先日の会で、地謡に参加させていただいたばかりの曲であるし、自身も実は仕舞をしたことのある曲であるため、ずいぶんと馴染みがある。先生のお能の舞台を改めて拝見すると、いっそう面白さや興味深さが増した。すごく静かで、深みのある話だということを再認識する次第。
すべての番組が終了すると、「附祝言」というのもある。今回はそれもきちんと聴き取れた。ああ、おもしろかった。
9月13日(土)
帰国された内田先生のお稽古である。久しぶりである。年末年始であれば、もしかしたら、それくらいの期間、先生にご指導いただける日がないということも考えられるが、今回は、ふつうの土曜日の連続で、いくらか暑い分、懐かしさが伴った。
合宿前のこともあり、あるいは九月に入ったことだけの偶然なのか、賑わう道場内は、軽く30度を超えたような気がする。ふうふうと汗をかきながらの稽古は愉快であった。
その後も、また続けて特別稽古となった。先生にもご承諾いただき、まことに勝手ながら、今回、昇段審査を受ける方たちのための特訓である。自らが一番稽古になった。こういう機会を与えていただき、ありがたいことである。
9月12日(金)
夜、久しぶりの友人と再会して、近況を報告しあう。場所は、ものすごくうまいお店。ほかにも新しい場所を紹介されたので、あちこちと歩きまわる。うまい。おいしい。近々もう一度来ましょうねと互いに言って、再び会うことを約束し、その日はお開きとする。
9月11日(木)
関係あるようでないのかもしれないが、今日は数年前、アメリカで起きた無差別テロ事件があった日である。日本とアメリカとのあいだに時差があるため、日本での報道は、夜のニュースに殺到していた。ニューヨーク付近では、「その日を忘れない」的セレモニーが、かいがいしく行われる由、説明がなされている。
世界には、繰り返してはならぬ出来事がいくらかある。
テレビの画面には、ひとりの報道記者がインタビューした遺族の女性が映る。いくら鎮魂しても、いくら思い出しても、失われた命は戻らないし、帰ってこない。彼女はそう訴えていた。その様子を見たとき、たとえ、それがアメリカ国民すべての思いを代表するものでなかったとしても、あるいは逆にそうであったとしても、そのような感情が、人間として、同じように表現できるのなら、なぜまた、同じように、同じことを繰り返すのかと、そんなことを思ってしまった。
9月10日(水)
道場内における決まりごとのひとつとして、相手の技を批判してはいけないというのがある。別に会則に示されているわけでも、道場心得に記されているわけでもない。もっとも道場外においても、それが技でなくとも、そうであるかもしれぬ。
ともあれ、相手の技について、どうこう言うことをしてはいけないのである。理由はいろいろとある。ひとつだけはっきり言えることがあるとすれば、それは、相手を批判しても決してうまくはならないということである。これは、ずいぶん以前から、師匠からお聴きしていることばのひとつである。
9月9日(火)
実家にレゴブロックがあったので、数を数えるうち、ついつい夢中になってブロックで遊び始めてしまった。小さいころから、こういったブロックの類やネジで止める形式のブロック、軽いプラスチック製のブロックなどが好きで、暇さえあれば作っていた。ふと気づくと、三時間もそれに時間を割いていた。道理で肩が凝るわけだ。時間があれば、つい手を伸ばしてしまうので、いま自身の近くにないことはある意味幸いかもしれないな。
9月8日(月)
久しぶりの実家に戻る。魚をたらふく食べる。と思っていたら、今日は肉に日に変更されたらしい。肉をたらふく食べることができたらいいのだが、肉は魚ほどに多く腹には収まらないの。
9月7日(日)
下川正謡会歌仙会。夏にふさわしく浴衣を着て舞い、謡う。いつもより着るものがうすいというだけで荷物は少なくなるし、動くのにも身体が楽である。
本日の出番は、仕舞「高砂」、謡「菊慈童」のシテ、「猩々」のワキ。
まあ無事にいちにちを過ごせただけでもよしとしよう。
9月5日(金)
昼過ぎ、激雷雨到来。
9月4日(木)
今週も合気道の稽古指導を行う。ひたすらに投げる。ひたすらに前に出て手本を示す。相手と組む。相手を変える。掛稽古に向かう。そのうち、だんだんと、どこからどこが自分で、どこからどこが相手で、どこからどこが別の人なのかわからなくなってくる。指導担当と稽古することは混ざってくると、おもしろいけど難しい。難しさは、ことばにできない難しさというよりも、実に根本的な話でもある。つまるところ、先輩には何も言えないということである。これもひとつの決まりである。
9月3日(水)
接骨院に通うたび、毎回そこかしこの身体が不調を訴える。悪いところがわかりやすく出ているという点では患者としてはいいのかもしれないが、毎回あちこち引き摺るように対面するのもどうだろう。治っているようで、次回来院するまでにはちゃんと別の患部か、果てまた先日の箇所が、違う方向で痛みやらズレを起こさせる。いいのか悪いのか。接骨院が一種の癒しの場であるよう。
9月2日(火)
何もすることがないというのは嘘で、たくさんの出来事が目の前を過ぎてゆく。ことし食べた梨(幸水)はうまかった。去年は食べなかったので、輪をかけてそう感じるだけのことかもしれないが、そもそも梨というものに、当たり外れということがなかった。どれもこれも手抜きのない味なのである。梨が好きなのである。というか夏の終わり、秋にかけてのくだものが好きなのである。梨、桃、葡萄・・・。もちろん武道も好きだ。
9月1日(月)
9月が来た。あっという間の夏休みが終わった気分である。まだ宿題ができていない、などとうなる必要もないが、やりたかったことが山のように積もっている。あれもこれも、単純作業からそうでないものまで。夜、内閣総理大臣が辞任するとの速報。長続きすることが難しい世の中なのか。