濃い一週間
8月4日(月)
朝から杖道の稽古。
昼には戻り、雑事やら掃除をして、夕方にはまた稽古。すこしだけ涼しい風が吹く。
8月3日(日)
昨日までの濃い日々の疲れが相当に残っているのか、よろよろになりながら、眠いままで京都へ。今度は京都国際マンガミュージアムである。
文化創造主催の「河合隼雄 その人と仕事」シリーズの養老孟司講演会「河合隼雄と『まともな人』」と題されたそれを聴きに出かける。夏の京都は暑い。
「死にまつわる接し方」といえば、簡単になってしまうのであまり使いたくないのだが、「死」への接し方について、河合隼雄さんについて、養老先生の語りと体験が色濃く示された時間だった。
奇しくも終盤、昨日の講演会の話しが出る。それがとてもおもしろかったことを養老先生が心地よく語っておられたのも印象的だ。
8月2日(土)は、天気がいい。
朝からロッジで稽古。
途中、養老先生をお出迎えにいかれる内田先生の引継ぎを受けて、お稽古を続ける。
人数がいつもより多いのと、風が通らないのとで、暑すぎてたまらん。汗が出てきてたまらん。
稽古のあとは、シンポジウムを聴きに、講堂へ移動。
「聴講券NO.3」を持って並ぶ。ふふふ。
笑って、稽古したあとなので、身体がほかほか。水をがぶがぶ。
シンポジウムのメインテーマは「虫と人間」。
はじめに養老孟司先生からの基調講演。
そのあと神戸女学院大学の教員(甲野善紀先生、内田樹先生、島崎徹先生、遠藤知二先生)らとパネルディスカッションを行うといった予定。
ご専門もおそらく興味の対象もまったく違う方々によるディスカッションは、いったいぜんたいどんなふうになるのだろうと思っていた。
予測とは裏腹に、ぐいぐい引き込まれた。
養老先生のナマ声を拝聴するのはこれで二回目。ナマ姿を拝見するのも同じ。
昨年の京都で拝見、拝聴したが、まさかその翌年に、女学院の講堂でお話を伺うことになるとは思わなかった。いい声である。
話がおもしろくって、ぐいぐい引き込まれていく。
一瞬、スリリングな話題もあるのだが、誰をけなすこともなく、誰を立てるでもなく、ぐいぐい。ぐいぐい引っ張られる。
養老先生は、講演中、舞台のそこかしこを歩きながら話される。そのスタイルに、ちょうど去年も同じように驚いたことを思い出す。ああすることで、話の流れをとっているのだろうかと思う。
養老先生の基調講演のあと、ディスカッション。
すごく濃かった~。おもしろかった。濃すぎて倒れそうである。
いつものノリノリな島崎先生もおもしろかった。
甲野先生は元気を取り戻されたようで、なによりであった。
内田先生のすごさを身に沁みて感じる。
遠藤先生は冷静に「虫」の話を試みられているのがおもしろかった。
何より、養老先生がにこにこされていたのが、よかった。
それとは関係ないのだが、今日は両親もこのシンポジウムを拝聴に来ていたので、参加日のようで、それはそれでまた、わたしの心身はたいへんだった。
8月1日(金)
集中講義三日目。そして千秋楽。
稽古して、稽古して、話して、笑って、技をいろいろと教わった。
何がどうという答えは今すぐにあるものではないが、ぼんやりと、それでいて中身の濃い三日間であった。明日に備えて早寝。
7月31日(木)
甲野先生の集中講義二日目。
本日は講義。
登録者は、たくさんいたはずだ。
ところが講義の中盤。もう出席をつけて、点数をつけられてしまったと宣言された先生が、「興味のない人は帰ってもらっていいですよ」とおっしゃった。その人払い作戦に、まんまとひっかかったひと多数。これ幸いと帰っていくひと多数。
おかげで部屋は、非常にすっきりしたが、なんで帰ってしまうのか。
あー、もったいないねえ。
7月30日(水)
ここ数日間何をしていただろう?
ざっと思い返してみよう。日々の雑事というほどのことでもないが、それを記しておく時間さえ疲れ果ててとれなかった。
30日(水)は甲野先生の集中講義初日。
登録者は昨年の倍以上に増えて80名近くいるらしい。
わたしは予め、内田先生に許可を得ていたのでアシスタント的に使っていただけた。
おかげで、久しぶりの甲野先生にお会いできることができた。ありがとうございます。
初日は実技が中心でわくわくする。
時間に間に合うよう道衣に着替えていると、ふらりと届く天の声。
驚きながら、笑いながら実践の繰り返し。楽しい一日。