« 2008年7月 | メイン | 2008年9月 »

2008年8月 アーカイブ

2008年8月 6日

濃い一週間

8月4日(月)

 朝から杖道の稽古。
昼には戻り、雑事やら掃除をして、夕方にはまた稽古。すこしだけ涼しい風が吹く。

8月3日(日)

昨日までの濃い日々の疲れが相当に残っているのか、よろよろになりながら、眠いままで京都へ。今度は京都国際マンガミュージアムである。
文化創造主催の「河合隼雄 その人と仕事」シリーズの養老孟司講演会「河合隼雄と『まともな人』」と題されたそれを聴きに出かける。夏の京都は暑い。
「死にまつわる接し方」といえば、簡単になってしまうのであまり使いたくないのだが、「死」への接し方について、河合隼雄さんについて、養老先生の語りと体験が色濃く示された時間だった。
奇しくも終盤、昨日の講演会の話しが出る。それがとてもおもしろかったことを養老先生が心地よく語っておられたのも印象的だ。

8月2日(土)は、天気がいい。

朝からロッジで稽古。
途中、養老先生をお出迎えにいかれる内田先生の引継ぎを受けて、お稽古を続ける。
人数がいつもより多いのと、風が通らないのとで、暑すぎてたまらん。汗が出てきてたまらん。

稽古のあとは、シンポジウムを聴きに、講堂へ移動。
「聴講券NO.3」を持って並ぶ。ふふふ。
笑って、稽古したあとなので、身体がほかほか。水をがぶがぶ。

シンポジウムのメインテーマは「虫と人間」。
はじめに養老孟司先生からの基調講演。
そのあと神戸女学院大学の教員(甲野善紀先生、内田樹先生、島崎徹先生、遠藤知二先生)らとパネルディスカッションを行うといった予定。
ご専門もおそらく興味の対象もまったく違う方々によるディスカッションは、いったいぜんたいどんなふうになるのだろうと思っていた。
予測とは裏腹に、ぐいぐい引き込まれた。

養老先生のナマ声を拝聴するのはこれで二回目。ナマ姿を拝見するのも同じ。
昨年の京都で拝見、拝聴したが、まさかその翌年に、女学院の講堂でお話を伺うことになるとは思わなかった。いい声である。
話がおもしろくって、ぐいぐい引き込まれていく。
一瞬、スリリングな話題もあるのだが、誰をけなすこともなく、誰を立てるでもなく、ぐいぐい。ぐいぐい引っ張られる。
養老先生は、講演中、舞台のそこかしこを歩きながら話される。そのスタイルに、ちょうど去年も同じように驚いたことを思い出す。ああすることで、話の流れをとっているのだろうかと思う。

養老先生の基調講演のあと、ディスカッション。
すごく濃かった~。おもしろかった。濃すぎて倒れそうである。
いつものノリノリな島崎先生もおもしろかった。
甲野先生は元気を取り戻されたようで、なによりであった。
内田先生のすごさを身に沁みて感じる。
遠藤先生は冷静に「虫」の話を試みられているのがおもしろかった。
何より、養老先生がにこにこされていたのが、よかった。

それとは関係ないのだが、今日は両親もこのシンポジウムを拝聴に来ていたので、参加日のようで、それはそれでまた、わたしの心身はたいへんだった。

8月1日(金)

集中講義三日目。そして千秋楽。
 稽古して、稽古して、話して、笑って、技をいろいろと教わった。
何がどうという答えは今すぐにあるものではないが、ぼんやりと、それでいて中身の濃い三日間であった。明日に備えて早寝。

7月31日(木)

甲野先生の集中講義二日目。
本日は講義。
登録者は、たくさんいたはずだ。
ところが講義の中盤。もう出席をつけて、点数をつけられてしまったと宣言された先生が、「興味のない人は帰ってもらっていいですよ」とおっしゃった。その人払い作戦に、まんまとひっかかったひと多数。これ幸いと帰っていくひと多数。
おかげで部屋は、非常にすっきりしたが、なんで帰ってしまうのか。
あー、もったいないねえ。

7月30日(水)

 ここ数日間何をしていただろう?
 ざっと思い返してみよう。日々の雑事というほどのことでもないが、それを記しておく時間さえ疲れ果ててとれなかった。

30日(水)は甲野先生の集中講義初日。
登録者は昨年の倍以上に増えて80名近くいるらしい。
わたしは予め、内田先生に許可を得ていたのでアシスタント的に使っていただけた。
おかげで、久しぶりの甲野先生にお会いできることができた。ありがとうございます。
初日は実技が中心でわくわくする。
時間に間に合うよう道衣に着替えていると、ふらりと届く天の声。
驚きながら、笑いながら実践の繰り返し。楽しい一日。

2008年8月13日

祝、初合宿!

8月12日(火)

 洗濯と稽古を接骨院の日。
 合宿後に接骨院へと行くことができるのは、たいへんありがたい。
三宅接骨院では、相当に歪んでいたらしいリンパ腺の辺りと股関節を治療してもらう。道理でここのところ(一週間ほど)膝がへんてこな調子だったわけだ。膝そのものを痛めているのではなく、膝につながっている部分に原因があったのである。治していただくため、今週はもう一回、治療に向かう。


8月10日(日)-11日(月)祝!初合宿

 合宿に行く。
主宰する芦屋合気会の初めての夏合宿なのである。
思えば、ことしの鏡開きのとき、芦屋合気会の会員のみなさんを前に、「ことしは合宿をします」と声高らかに宣言したのが始まりである。「宣言」を耳にしたときの驚きと戸惑いを隠しきれない会員各位の眼差しを横目に、宣言は、密かに主宰者のことしの目標のひとつに加えられ、静かに計画は練られていたのである(別に隠す必要もないが)。
かような経緯を経て、8月半ばのこの日、晴れて、実現の運びとなった。

今回、合宿場所に選んだのは滋賀県。
静かそうな場所であるのと、涼しそうなのと、その他諸諸の理由で選ばれた。
初めてながらも、参加率上々、総勢15名の集まりとなった。
会員のほとんどが前向きに参加する、といった意志を示してくださったからである。ありがたいことである。おかげで稽古を普段よりも、たっぷりと行うことができた。

合宿そのものは、一泊二日の短い期間だったが、のべ8時間くらいは稽古しただろうか。たったこれだけの時間だが、集中して稽古だけを行うことで、参加の方々が急にうまくなられた気がする。その様子に、稽古中ふいに涙が出そうだったくらいだ。
やはり同じ宿に泊まり、同じものを食し、同じように風呂に入り、同じ時間に稽古するといったことは、大きい。とはいうものの、初めての合宿で、何かと至らぬところもあったように思えるが、それはそれで今後の課題となっていくだろう。

合気道の合宿経験のある会員の方々も、もちろん当会プロパーのみなさまにも支えられ、大過なく過ごせたことを、まずは、よしとしたい(差し入れまでいただきました。ありがとうございます!)

すべての行程が終わり、大した怪我もなく、無事に過ごせたことに安堵した。
帰り際、ひとりまたひとりと、帰路についてゆく。
二泊三日の合宿に慣れているせいか、一泊二日は、あっという間だったが、それでも、なにかほんのり淋しかった。手足がもぎ取られていく、そんな感じがどこかであった。
それでも、楽しかったです。
そして、あー、帰ってきたばかりなのに、稽古がしたい!って気になるから、よかったです。
 また次回が楽しみにしています。
ご参加くださったみなさま、ありがとうございました!


8月9日(土)

 今日も稽古。お盆前なのでひとが少ないかと思いきや、お盆前なので、却って多い。
芦屋川の水は身体に優しい。
 そして、明日から合宿。


8月8日(金)

 暑すぎて、ああ、暑すぎて、暑すぎて。
 夏はサザンスペシャルを見て、続いて、オリンピックの開会式を見る。
開会式の聖火がつくところを見たいと思い、テレビを流し目にしていたら、なんと四時間。長いよ!


8月7日(木)

 ゑぴす屋谷口さんのお声かけで、『20世紀少年』の試写会にお邪魔する。
 浦沢直樹の長編漫画が原作とあって、今回の映画化は、三部作の第一作目の映画。
 映画を観るにあたって、改めて最初から読み直して、予習をしていく。
読み直してみて、なんとも複雑な物語であると感じる。
映画を観たとき、いわゆる「犯人」は、原作を読んでいれば、そうどきどきすることなしに観ていける。だが、それが誰だとわかっていても、怖い。それは画像の威力というか、原作の構成がそもそも恐ろしいからなのか。しかし、怖い話である。どう怖いのかは、映画を見ていただくのがいいと思う。原作を読んでいないと、いきなり映画を見てもわかりづらいところもあるだろう。そういうときは、原作を読んでからご覧になるとよいだろう。原作に忠実な映画化であることは保障できる。
 第二作は、来年の年明け公開になるようである。続きがとてもたのしみだ。 


8月6日(水)

合宿前の調整稽古。今日は、なんだかおもしろかった。
夕方の落雷と風雨はすごかったですが。
 サザンの新曲が発売となりましたね。

8月5日(火)

 本当に暑い。

2008年8月16日

お盆ピック

8月15日(金)

 お盆最終日は、終戦記念日。
ことしは、4年に一度の夏季オリンピックに、日本においては毎年の夏の高校野球、そのうえ帰省ラッシュときたものだから、肝心の終戦記念日が埋もれてしまいがちである。新聞の夕刊あたりにひっそりと、戦争関連記事が書いてある程度だ。テレビでは、神社参拝のニュースが流れるくらい。おそらく、テレビのニュースにしたって、アナウンサーは、やっぱり、まっさきに「北京オリンピック○日目の今日、○△選手が□※メダルをとりました~」と言いたいのだろう。これが、いいとか悪いではなく、日本という国が、それだけ平和なのか?あるいは、平和になったのかと思う。

8月14日(木)

 オリンピック開催年に行われる夏の高校野球は影が薄いという印象がある。ことしは、高校野球も開催が何十回目かの記念大会とかで、いつもより出場校が多いそうである。だが、実際問題、あんまりどこがどうなっているのか、興味もなく、関心もない(個人的なこと話なので、あまりお気になさらず)。
ただただ暑い中、野球をしている高校球児がたいへんだなあと思う。ああ、たいへんだ。たいへんだ。

 夕べの「星野ジャパン」によるキューバ戦は、途中で眠ってしまった気がする。あんまり記憶にないのだが、試合終了後、「ダル(ダルビッシュ有)が、どうのこうの」と星野監督がコメントしていたのを見た。当のダルは、中盤、ベンチから心細くメガホンをもって、続投するピッチャーを応援していたように記憶する。星野監督はなぜか好きである。熱くて冷静だからだろうか。阪神タイガースに在住していてほしかったが、そのさっくりした去り際さえも輝かしい。

 さて、今日は、朝から競泳の北島選手を見ようかとテレビをつける。各メディア予測やテレビ欄の告知どおり、彼は金メダルを取った。すごいことです。競泳後のインタビューで彼は落ち着いた表情で、「感謝します」のコメント。感謝できるその立場こそがすごいことなのだし、輝かしいことである。
しかし、泳いですぐに、よくコメントできるなあ、インタビュー慣れしているなあと思うのは素人判断だとしても、総じて今回のオリンピックでは(まだ終わってないのだが)、日本選手のメディア側のコメントは、各選手の「内面の充実」にポイントが置かれ、当の選手は、「感謝する」ということばに傾いている気がする。これもまた流行なのだろうか。
もちろんオリンピック出場選手の誰もが、そこにいることに「感謝」しているのだと思う(内面は見えないけれど)。だが、わざわざ、それを口に出して言うのが、今回矢鱈と目に付く、というか耳につくのである。準決勝に進んだバドミントンのひとたち(「スエマエ」のほうね)もそうだった。
毎朝運ばれてくる新聞(朝日新聞)のオリンピック関連記事を読んでいると、抜粋された部分のコメントなどは「親に感謝」とか「コーチに感謝」とか「応援してくださったみなさんに感謝」とかが多い。記事には、「心がよくなった」とか「内面が落ち着いた」といったことが書き連ねられる。
いずれの立場も、そりゃあそうであると納得できることであり、もっともなことなのだが、なんか変だ。感謝するのは当然だろうし、心も充実させて、その会場の波に、とって喰われないようにするのは大事なことだろう。だが、なんか変だ。誰もが、決まり文句みたいに、そのことばを諳んじて、発してはいやしないか。それこそ身体から発してないというか。テレビの向こうに映る姿だけの判断なので、なんとも言いがたいが、そんな感じがしてならないのだ(個人的な意見なので、あまり気になさらないでください)。
あるいは、朝日新聞の傾向なのだろうか?

 そんな今日の朝日新聞の天声人語(2008年8月14日)。

悲喜こもごも届く北京五輪のニュースの中で、それは悲を超えて「泣」に近い衝撃だった。野口みずき選手(30)の欠場である。4年ごとの舞台に合わせ、ぎりぎりまで筋肉をいじめてくる一流ランナーの厳しさを思う▼北京の切符を手にした昨秋の東京国際女子マラソンを間近で見た。手を横に振り、弾むような大股で地をける。小遣い銭を握りしめ、菓子屋に急ぐ子どもに例えては失礼だろうか。小さな体が走る喜びを発散していた▼女子マラソンの系譜を顧みれば、有森裕子さんには禁欲的な美しさ、高橋尚子さんには精密機械のすごみがあった。野口さんには、荒野で鍛え抜いた脚力を感じる。跳んで弾んで「鳥の巣」へと独走する絵を見たかった。じっくり養生してほしい▼政治が絡む五輪には虚実が交じる。特に北京の開会式は「虚」の世界だった。千発もの「消雨弾」が雲に撃ち込まれ、花火の映像は一部CG、美少女の独唱は口パクだった。裏で歌ったのは、見た目は及ばぬが声は一番とされた別の少女である。音楽総監督は「国益を考えた」と明かした▼対照的に、野口さんの決断は「実」そのものだ。「今も走りたい、走ろうという思いは消えることはありません」。しかし、ここで無理すれば選手生命が危うい。肉体を駆使する仕事の、残酷なまでの正直さである▼北京では連日、研ぎ澄ました肉体と精神が正直にぶつかり合っている。北島康介選手の金も、谷亮子選手の銅も、あらゆる「虚」を排した実力勝負の結果だ。だから勝者は輝き、敗者もまた美しい。

 ちゃいきんの、てんせいじんごは、おもちろくにゃあですね。

8月13日(水)

 お盆です。
 なかなかに暑い毎日である。
暑いのなら静かにしておればいいのだが、静かにじっとしていると、そこかしこに気が向いていく。今日はまた、散らかった部屋が気になって紙類を処分。どうして、こうも紙が多いのか。メールでの連絡が多くなった昨今とはいえ、それでも紙は必要であり、紙は消えることはない。いえ決して紙が消えてほしいのではなく、原因は「書類」という名のものたちだ。いわゆるA4用紙のお知らせや企画書みたいなものは必ず出てくる。それらのうち、終わったものをごっそり捨てる。

 それに飽きると今度は、散らかった本を棚に戻す作業にとりかかる。
「いったい、オレたちゃ、いつまで横たわってりゃいいんだ、え?」(なぜかこういうとき、本の一人称は「オレ」)といった声が聞こえてきそうである。
だいたい片付けて、テーブルを使えるように元に戻す。
今度は洗濯を取り込み、畳む。
暑いので何をやっていても汗をかく。汗をかくとお風呂に入りたくなる。で、入る。シャワーを浴びる(♪シャワ~を浴びて~ ウォウウォ~)。また着替える。以下リフレイン。 
ということを一日のうちに数回やっていると、着替える回数が半端でない。洗濯の回数も同じく。いったい何人で暮らしているのか。
それにも飽きると、今度はまたオリンピック。ハイライトも含めてぱらぱら見る。
おもしろくなくなってくると、先日いただいた『Heaven?』を読む(佐々木倫子、小学館、全6巻)。今日はそのうち4巻を読む。なぜかさらさらと読める。ベヴンならぬ気分で、読む速度も変わってくる。夏の夜長に合っているようだ。

About 2008年8月

2008年8月にブログ「ウッキーの浮き憂き日録」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2008年7月です。

次のアーカイブは2008年9月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。