7月9日(水)
朝、「思い出しむかっと」する。洗濯する。晴れている。ちょっとすっきりする。稽古する。片付ける。ごみを捨てる。弁当を作る。
昼、道場に行く。ちょっと「思い出しむかっとする」が治まる。ちょっとすっきりする。お稽古する。おにぎりを貪り食う。うまい。お茶を買ってもらう。三宅接骨院に行く。かなりすっきりする。雨が降る。傘に入れてもらう。
夕方、稽古に行く。前回の復習をする。新しい型をならう。ちょっと混乱する。謡う。心地よい。お菓子を土産に持たされる。「ひとりでは、夜は晩酌ができない」という話をする。
夜、自宅に戻る。帰り道、原付転倒自損事故を目撃する。助ける。感謝される。「思い出しむかっと」が消える。なぜか。お好み焼きを食べる。うまい。
越路吹雪を聴く。大雨の音にかこつけて大音量で聴く。いい感じ。
7月8日(火)
大雨と雷の音で叩き起こされる。
7月7日(月)七夕
東京はたやんが来ている。
今回は「京都」を拠点に行くらしく、大阪ひろやんもそれに同行するらしい。
話はいつの間にか合気道のことになる。
気になる部分をあれこれ出して、部屋でいろいろと受けたり取ったりしているようだ(わたしはこっそり横から覗いている)。
三人寄れば結局稽古。そう、稽古してしまうのだ。
7月6日(日)
木刀で自主稽古会。
気になる部分と気をつける部分をいろいろとやっていこうかしらと思ううち、要点を確認するためもあって、みなで合気剣を中心に行った。
7月5日(土)
暑いけど楽しい!
稽古が終わるなり、早めに帰って、洗濯、睡眠。
7月4日(金)
梅雨の気配もなんのその、晴天の東京。今日は手塚プロダクションを訪問する。
いわば聖地巡礼である。
早起きして、高田馬場を目指す。
朝食を食べてから支度して、商店街を歩く。
目的地は早稲田通りにあるので、とおりの街頭には、あちこちに手塚治虫のキャラクターを扱った看板が掲げられている。アトムに、ブラック・ジャック、写楽くんにリボンの騎士といった具合。写真や話には聞いていたが、あれほどまでに雑多ななかに、ぴょこんとキャラクターが現れるとは思わなかった。意外な感じである。
途中、旧手塚プロのビルと見る。
ぽわわんと不思議な感じの場所である。
暑い日差しのなかを歩くうち、住宅街の一角に手塚プロダクションがみえる。
お約束の時間に連絡し、応接室にとおされた。
しばらくして、プロダクション社長が入って来られた。
先日お会いしたばかりのためか、なぜか身内のような懐かしい気がしてならない。
慣れ慣れしいのもよくないが、どこか懐かしい気がしてしまう雰囲気の方である。実際にお会いし、お時間をいただき、お話をうかがう。
先日の学会での顔は覚えていてくださったせいか、なんとなくのお話とおりがよい。
こちらが気になっていた事柄を二、三うかがうことも、「ここだけの話」的な事実お聞きすることもできた。そして、なにより社長の中では「手塚治虫は生きている」ことも。
社長とのお話がひと段落すると、続いてお約束していた出版局の局長とお会いすることができた。この方も学会に来られていたので、お顔は覚えてくださっている。話をうかがいながらの手塚プロダクション見学となった。
各部署の仕事内容や扱う作業、構成メンバーなどを細かく教えてくださる。
貴重な資料を集めているのではなく、手塚のこれまでの功績をどう伝えていくのかということにおいて、なみなみならぬ志と思いと希望に満ち溢れた方だということが、身にしみてよくわかった。
すれ違う人々がにこやかに穏やかに、「こんにちは」と挨拶してくださる。
すごく素敵な気風の漂う会社である。
ひととおりの説明とお話が済むと、午後からは、埼玉のスタジオに向かう。
本社(東京)からスタジオ(埼玉県)に、一日一度だけ向かう車の便があるので、社長のお計らいで、それに乗せていただくことになった。
埼玉県にはおそらく五年後くらいにしか来ないだろうと思ったばかりなのに、これである。人生は何が起こるかわからない。
昼過ぎに、お日様も高く上がったころ埼玉県に到着。
お約束の時間までにしばらくあったので、近くで昼食をとることにした。
昨日までの日本は「穏やかな日差し」の予定であるが、傘いらずのカンカン照りである。
雨傘でなく日傘が必要だ(それもそのはず、あとから聞けば、この日の関東の天気は、観測史上七月の最高の暑さで、記録的な温度だったらしい。31.7度)。
約束の時間に埼玉のスタジオにお邪魔する。4階建てのビルである。
これまでに描いたものを納められている資料室を訪問させていただくだけかと思っていたら、プロダクションが受け持っているアニメの製作現場を見せてもらった。
アニメーターの方々が、各人の机の前で椅子に座って、原画を紙に起こし、セルにして、チェックして、色をつけてという構成まさに、分業で行っている。昨今では、コンピュータ化が進んでいるので、ほとんどがモニタ画面を見つめる作業になっているが、それでも最初の原画だけは、人の手が描いているし、鉛筆は大いに活躍している。
コンピュータ化によって、アニメの製作も楽になった部分もあるだろうが、変わってしまった部分もあるようだった。「もう(いまは)インクがいらない」といって、棚にごろごろとまだいくらもインクがはいったままの画材用インクビンが放り出されているのが、印象的だった。
そのままアトリエを訪問。
実際に手塚治虫が使っていたままを保存しているらしい。
写真やなにかで見たことがあるが、その場に足を踏み入れることができるとは、思っても見なかった。感激で声も出なかった。そこに座っていたらなんと言われただろうか?なんと言えばいいだろうか?
ずっとそこにいたいような、ずっとそこにいたくないような部屋だった。
その後見せていただいたのが、資料室である。単行本、版を変えて出版社が版を変えて、構成を変えて出したもの、関連本、海外からの出版物など、本の山、資料の山である。いつなだれ落ちるとも限らない。20年前に比べると本屋資料の量は、倍になったそうで、実際資料室の同居していた別の部署は、手狭になってきたので、別の部屋に移動してもらうはめになったらしい。
その後は原画をいろいろ見せていただいた。それを描いたことがわかって、ただもうそれだけで興奮仕切りで、緩やかに東京に戻る。日本で一番人が多いであろう駅にはいづらいので、何をするでもなく電車に揺られ、車窓から観光しながら、静かに心を落ち着ける。
着くなり、そそくさと空気のいい場所に行って、それから駅弁を買う。
新幹線に乗り、東京の濃い~日々を思って乾杯した。
7月3日(木)
東京行脚。
7月2日(水)
うまく寝付けない。明日からの日々に興奮しているのだろうか。
7月1日(火)
七月が来た。
ことしはもう半年が過ぎたわけであり、ことしはもう半年しかないわけである。
例によって、趣味のように張り巡らされているカレンダーをめくるのだが、あら不思議。ちょっと景色がかわっただけで、気分もすこしいい感じに変わってくる。
そういえば、ことし半年経った昨日は、いただいた「水無月」を食べた。
このお菓子は、「夏越の祓」という儀式と関係している。
現在でも残る風習として、庶民は、六月三十日(つまりは水無月晦日)に氷に見立て三角に切った白ういろうに小豆をのせたのを食べ、邪気を払うのだそうだ。邪神を祓う謂れがあるらしい。
うまく祓えたと思う。
だから、今日は心地よい七月の始まりである。