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デジカメください

1月28日(月)

 後期最終日。よって、最後の講義は定期試験日となる。
 なんだかおもしろかった。たとえ半期であっても随分と成長の後がうかがえた。もう少し続けていけば、いい感じになるだろうなあと思うひとがことしも数名いた。そういう人に限ってそれっきりになってしまうのが、とても悲しいのだけれど。また春に会えるかな。


1月27日(日)

 早いもので、今日は一月最後の日曜日です。
ところで、最近欲しいのはデジカメです。ああ、欲しい。
なぜいきなりこんなことを書くのかといえば、「念じれば叶うものですね」を実感したからです。
というのもここんとこずっと、実は、i-podが欲しい欲しいと思っていたのです。それが今年に入って、あるときふと、親切な方が「シャッフル」という分をくださいました。それも「え?」というくらい急に、あるとき突然に。さらに、万年筆が欲しい欲しいとこれまた思っていたら、どうやらこれも別も方からいただけるようなのです。
 今度は先に書いたようにデジカメが欲しいのです。ついでを言えば、DVDハンディカムも欲しいのですけどね。順番からすれば、デジカメのほうが先に欲しいのです。


1月26日(土)

 稽古のあと、連れ立って、画伯の個展が開かれている大阪まで、絵を観に行く。
部屋いっぱいに広げられた絵は、いっぺんに観るからすごいのか、縦横に画伯作品ばかりが並べられるからすごいのか。白い壁一面に広げられるキャンバスは、とてもいい色に映えている。
 おそらく芸術とは、頭で理解するのではなく、肌で感じるものなのだろう。
考えても仕方ない。それはまた身体を使った表現として、同じことが言える。
画伯の絵についてのレクチャーをうかがいながら、とても親切な画家であるのだと、改めて気づかされる時間である。


1月25日(金)

 三宅接骨院に行く。
治療を受けると、三宅先生から「どうしたん、うっきー。めちゃくちゃ疲れとるやん。原因は人間関係やな。先生が今度、治し方教えてあげる」と言われる。
 たしかに疲れてはいるだろう。だが、疲労ではあってもそれは、自分では、心地よい疲労だと思っている。実際そういう面が多いこの一月だ。しかし、見た目に暗い顔に見えるのなら、そうとばかりは言っていられない。うまく毒を吐く方法を教わりたいと思う。


1月24日(木)

 朝、うまく布団から抜け出せない!


1月23日(水)

 道場の日。東京はたやんも参加す。
 いやいや、もとを正せば、ここで初めて合気道をされた方なのであるから、原点に戻ってきたということか。
 思いっきり身体を使って、伸ばして、動かす。
 杖の稽古も行った。じっとりと汗をかく。

 稽古のあとはビールだ!ということで、急遽うちで宴会開催。肉などを買って、焼いて食べる。
帰京最終便に間に合うよう支度したはたやんの横顔は、なんだか切なく見えて、離れがたかった。後ろ髪を引かれつつ、手を振る姿もまたその思いをいっそう強くさせる。それは合宿のあとの、あの別れ際の顔にとてもよく似ていた。


1月22日(火)

 東京はたやん来阪す。
 大阪付近で、はたやん、さもとさん、ひろすえさんと待ち合わせ。そしてまずは、めざせ!あすかさんちということで移動。現世にて、てつくんとご対面。
 うふふのふと、赤ちゃんパワーをいただき、みんなまとめておめでとう!と、誕生日を愛でる。おいしいご飯をもりもりいただく。
 その後は大学へ移動。今年度最後の大学院のゼミに出る。
そのあとは内田先生宅に移動して打ち上げ(どうも火曜日は雨が多い気がする)。一品持ち寄りの品が所狭しと並べられる。


1月21日(月)

 足元が冷える。明日の持ち寄り一品の仕込を行う。


1月20日(日)

 センター試験の二日目。異様に寒そうである。


1月19日(土)

 稽古は楽しくて、ラーメンはおいしくて、仲間はいいものなのだ。


1月18日(金)

 ことしも恒例厄神祭がある。
 近所に門戸厄神というのがあるので、年に一度のお祭りなのか、屋台が出る。ことしもまた恒例のようにたこ焼きを買う。


1月17日(木)

 13回目という日を迎えるとき、それは早いのだろうか、遅いのだろうかと思う。
もう13回目だと思うのか、まだ13回目だと思うのか。いずれであるのだろうか。
「もう」と「まだ」のことばは、あの震災の現場からの距離によるものだろうか。あるいは、今現在の現場からの立ち居地によるものだろうか。物理的にせよ、心理的にせよ。
 このようなことを想像してしまうあたりが、すでに「当事者ではない」人間の語り口のようで、いささか憤りを感じる。決して地震を知らないわけではないが、ありがたいことに、生きていくことに不便を感じたのは、電車での移動程度のことであり、日常的な生活はできたのである。
屋根があり、住む場所があり、湯が出て、家族がいた。
食べるものがあって、風邪をひいても病院に行くことができた。壊れたものといえば、ガラスのコップが大量に割れたくらいで、家の壁にヒビが入ったくらいで、まわりの友人や家族はみな元気だったのである。

 震災は、実質的な家屋の倒壊、生活手段の寸断、住居の移転、近しい人の喪失などを招いた。それらの残した爪あとは、いまでもまだ各地で感じられるが、時と共に見た目には変化を遂げてきた。震災の跡形も「消えてなくなった」場所もある。だが、それに付随したこころの傷跡は、どうだろう。どうあっても消えないのかもしれない。それは、どれだけ街の姿が変わっても、復興しても、消えることはないのかもしれない。もし消えたように見えることがあっても、それは、個々人の傷跡への対し方が変わったかもしれないだけのことであって、消去されるわけではないのだろう。


1月16日(水)

 そわそわしていたのだが、それも時間と共に、過ぎてゆくのでしょうか。


1月15日(火)

 いつもなら、この日がお年玉つき年賀はがきの抽選日なのになあ。ちょっと「正月」がどこまでのことだったのか、ピンボケします。


1月14日(月)

 杖の稽古の日。
初めて知ることも初めて体験することもたくさんあった。
 初めての喜びを享受できることがまたうれしい。
 まだまだ未知の世界があるのだと感じられる、ただそれだけで、うれしい。


1月13日(日)

 ないようであるのは正月の疲れ。できれば、松の内に取り除いておきたいものである。


1月12日(土)

 稽古始めと鏡開き。
 ことしも一年身も心も新たに元気に稽古していきたいと思う。


1月11日(金)

 一が三つ並ぶのを見ると、正月から十日も経ったのかと思う。えびすさんの日らしく、電車に乗ると、お参り帰りの人々の姿を見かける。

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2008年1月30日 11:28に投稿されたエントリーのページです。

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