颱風の日に江國香織を読む
7月14日(土)
台風4号接近につき、日本国内に雨が降る。雨による唯一の救いは、これで各地の水不足が解消されることだ。それ以外は何もない。
雨が降ると困ることのひとつに、お日様が見えないのがある。洗濯物が乾かないからだ。あまりに乾かないので、ものは試しと、先日、近所にできたらしいランドリーの様子を伺いに行く。新しくできたのに気づくまで、実は、いくらかの時間を要した。普段はほとんど通らない道に面していたからだ。用事があって、ふと前を通りかかったときに見えた室内には、壁に面した縦置きのいわゆるランドリー用の乾燥機と洗濯機。なにあれ!それから、使ってみるべくタイミングを逸していた。そして今日に至る。
またもや通りがけのふりをして、こそっと洗濯物屋のある場所の様子を探る。ガラス張りの室内を覗き込む。ぱらりとひとがいる。えらく混んでもいない。だが、乾燥機やら洗濯機のなかには、何がしか入っているふうだ。おそらく乾燥機や洗濯機に中身だけ放り込んで、時間になったら取りにくる寸法だろう。家から近いとはいえ、そう何度も行ったり来たりするのは面倒である。だから、乾燥機を使ってみようという思いは止め、興味の矛先は、発見した靴洗い機へと移した。靴を洗い、乾燥機にかける。自分のでもない洗濯ものを眺めながら待っている趣味もないので、その間は、持ち込んだ文庫本を読んだ。最近買った『雨はコーラが飲めない』(江國香織、新潮文庫)。かつて読んだ小説の、文章の運びが軽快だったからというだけの理由でこの作家のを選んだ。でも、開けてみると、それ小説ではなくエッセイだった。小説のほうが、どことなくいいと思った。文章は相変わらず軽快で、あまりにさらりとし過ぎていたくらいだ。エッセイだったので、あっという間に読み終えてしまった。読み終えて、本を閉じてもまだ乾燥は終わらない。おかげで、それからすこしは、手持ち無沙汰だった。仕方なく、洗濯機のまわりに表示されている使い方の説明や乾燥機のかけ方についての注意事項を見たり、乾燥機の使用容量の目安、ランドリーで守るべき規定などを何度も読んだりした。それでもまだ乾燥は終わらず、最後はじっと時計を見つめた。
7月13日(金)
ことしは、金曜日が多い気がしますね、13日の。別に、だから、どうってことじゃあないんですが。気になると言うか、思い出す日ですね。
7月12日(木)
今日も暑い。
実にいろんな課題が目の前に浮かぶ。ああでもなくこうでもなく。
片付ける、いや、解決していくその先にもまた、ああでもなくこうでもなく。いろんな課題が出てくる。それは、合気道のことであったり、講義のことであったり、暑さのことであったり、何気ない日常のことであったり、人との接し方であったり、我が生き方であったり、学問のことであったり、芸術のことであったり、稽古のことであったり、親戚づきあいのことであったり、試験のことであったり…そのほかいろいろとある。ああでもなくこうでもなく。もう、考えるのはよそう。そして、ご飯を食べよう。
7月11日(水)
やっぱりセブンイレブンと関係があったのですね、今日は。
7月10日(火)
このところ、いろんな依頼や問い合わせが来る。
なかでも多いのが「合気道の夜間クラスを開講してください」と「こどもの合気道クラスを開いてください」という依頼だ。これらだけで十数件。
どちらもわたしが現在のところ切望しているものである。だが、現在までに実現に至っていない。なぜなら、夜時間に稽古できる場所が見つからないからだ。あれば、早いうちに開きたいと常々思っている。だから、見つかればすぐさま始めるだろう。問題は場所もないまま始めることができないという状況である。青空教室じゃあるまいし。解決方法あるいは解消法は、至って根本的なところにあるのだ。
また、こどもにも教えてみたいと、暇をみては思い描いている。どういう反応を示すだろうか、あるいは示さないのだろうか。どういう状況で覚えるのだろうか。そして合気道をすることがまだ見ぬ彼ら彼女らにとって、どのような効果をもたらすものなのだろうか。あるいは還元してわたしの側に。この手の想像も、いや、実際は想像では追いつかないことが多々あるのだろうが(という想像もまた二重三重に想像の域を出ないものであるが)、わたしにとってのひとつの思い描く世界としてあるだけだ。というのも、これまた前者と同じく、会場の確保が難しいという問題が浮上するからである。
近隣の目ぼしい会場や公共の施設などは、もちろんアンテナを張りめぐらせて、探している。直接尋ねたりもしている。だが、なかなかうまくいかないものだ。ああ、どこか阪神間で適当な場所はないものだろうか。
ある意味、わたしも道場が欲しいです、先生。
7月9日(月)
月曜日は、朝から1レッスンと決まっている。これが結構身体にいいのだ。先生の話す音の「声」に耳を傾ける。その音に合わせる。音を加工せず、砕いたりせず、ただそのまま移すのだ。
「音を移す」。
いま、人生において、初めてこのような表現を用いた。このような言い方はあるのだろうか。一番しっくり来る。
なぜかわからないが、会話の表現はそのまま音を移す行為だと思う。移したものは、自らの口から出ている。一度、自身の身体の中に落とされてから、音となって外部に表現される。わたしのものであって、わたしのものでない言葉の誕生だ。それは、始めは習った言葉であり、わたしの身体の中を通って出てきた言葉であり、そして誰かに伝える言葉となる。段階的に発生される。しかもその言葉を発生するにあたって、身体を通しているということは、そもそも耳だけでは、音を聴いていなかったのではなか。ふとそんなことを思うようになる。
さて、その後は下山。下川先生のところで稽古。
どうも先ほどの1レッスン効果が出てきたのか、下川先生の音を移す行為が非常におもしろい。これまでもおもしろいのだが、聞く側の身体によって、音も随分変化するものだと思われる。身体に染みてくる。音を耳だけでなく、皮膚から染み込むように身体の中に入ってくる。おそらく、それとは気づかぬうちに、これまでも耳だけでなく、全身を使って音を聴いていたのかもしれないが、改めて思うと、すごいこったあ。人間の身体よ。
戻って再び山登り。何度も登るには、少々きつい季節となってきました。
7月8日(日)
掃除、洗濯、布団干し、勉強して読書。息抜きに買い物。戻ってまた勉強。ううわあーー。ある意味充実している。
7月7日(土)
七夕とは、やはりどこか気になる日である。一番気になるのは天気である。気になりながらも、結局は、いちにちのほほんと緩やかに過ごしているうち、気にすることを忘れがちな日でもあるが。
さて、今日、見上げた夜空は相変わらずの薄曇り。まあ、そういうこともありますわあね。
7月6日(金)
『山田太郎ものがたり』の主人公は、もっと、すーっと背の高い人物のイメージであった。実写版になると、人物の身体比率も変わるのだろうか?
7月5日(木)
大学に行くと、やっぱり暑い。
本日は講義に引き続き、先生の代わりに稽古指導となる。ちょっとだけ、いつもより小難しい技をやってみる。
ああ、暑い。やっぱり暑い。
7月4日(水)
今日はちょっとだけ元気だ、トム・クルーズを思い出す。
7月3日(火)
今日も元気だ、ビールがうまい。
7月2日(月)
今日も元気だ、やっぱり暑い。
7月1日(日)
気がつけば七月。もうことしも半分が終わったわけである。うう、暑い。
昼から吉例「ゴルゴンゾーラの会」開催。今宵も(ってまだ昼だけれど)会員各位から近況報告がなされる。併せて今後の抱負が述べられる。チーズを愛でる。真っ昼間から何の悪びれもなくビールを飲む。ああ、こういう時間からのビールって、なんておいしいんだろう。
そういや世間は、今日辺りからバーゲン開始と聞く。だから、いつも以上に日曜日の大阪人口が多いのだと知らされる。バーゲンには、これまであんまり行ったことがないので(人ごみに酔うのと人ごみに弱いのが理由)この時期がそうなのだと改めて実感する。
6月30日(土)
今日も元気だ、太陽が眩しい。
6月29日(金)
またもやトンでもない雨が降る。
6月28日(木)
今日も元気だ、ビールが飲みたい。
6月27日(水)
はしかは、どこへいった?