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2006年11月 アーカイブ

2006年11月14日

秋の行事が続きます

11月10日(金)

 ことしもハロウィンパーティに参加した。今回はチーム「オズの魔法使い」での出場であり、役職名はライオン。かの有名な「勇気のないライオン」である。年々凝り性になっていく自分がいる。


11月9日(木)

 喉が、いがらっぽいぞ。風邪かな。それとも気温のせいかな。


11月8日(水)

 バカはほんとうに疲れる。でも、相手がこどもなら、バカでも仕方ないのだろうか。それでも、取り付くしまもないほどに、腐れ切ったこどもの場合、それをこどもと呼ぶのは少々気がひける。どうすればいいのだ。


11月7日(火)

 そろそろコタツが欲しい頃ですね。


11月6日(月)

 講義も少しずつかたちを見せる。わたしも少しだけ、何かが少しだけスムーズになった。


11月5日(日)

三連休の最終日は『プライスコレクション、若冲と江戸絵画展 The Price Collection The Age of Imagination』を観に行く。会場は京都国立近代美術館。実はこれ、開催開始は秋分の日の頃。だが今秋は忙しさにかまけて終ぞ来館の機会を失っていた。一昨日の文化の日に、ようやく一大決心して足を運ぼうとするも原因不明の肩こりと秋の京都に行く→しかも三連休の初日!に身の危険を感じ、またの全国巡回時の他館来訪に思いを馳せたのである。しかし思いは止まず(俄かに若冲病)、最終日の今日やはり京都に出向いた。まるで提出期限ぎりぎりのレポートかペーパーみたいに、美術館へと飛び込んだ。
目覚めは七時半。休みの日にしては起床が早いが朝から京都に行くとなると、そのくらいには目が覚めなければ間に合わない。身支度して、阪急電車に飛び乗り、一路河原町へ。バスに乗って京都国立近代美術館。初めて来たが、わりにきれいな建物である。
早速展覧会場の三階へと急ぐ。まずは狩野派が屏風で軽くお出迎え。『紅白梅図屏風』など、高校のときの日本史の資料が懐かしく思い出される。この度の円山応挙には、『駱駝図』くらいしかなかったのが残念。長沢芦雪は『猛虎図』『軍鶏図』『白象黒牛図屏風』『幽霊図』など、印象深く映るものが多い。亀岡規礼の『猛虎図』もあった。長沢芦雪のそれとはまた違う味わいがある。どちらがいいとか悪いとかではない。毛並みの感じがまるで違う。虎の毛並みが浮き立って見えてくるには変わりないが、浮き立ち方に個性があるのだ。江戸の始めの頃はまだ、虎は空想上の動物だったときく。中国や大陸から寄せられる資料を基にして、絵師たちは虎を写し、想像で描いたのだそうだ。順路に従ってやや進んでいくと、ようやくお待ち兼ねの伊藤若冲の登場である。若冲の『紫陽花双鶏図』は、わりに知られているので目にすることも多い。だが、やはり実物は何かが違って見えた。何かは分からないが全体の品のよさを感じた。
京都錦小路の青物問屋の息子に生まれた伊藤若冲は、絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかった人物らしい。当然商売には熱心でなく、酒もたしなまず、生涯、妻もめとらなかったとされる。父の急逝により20代で早くも家督を継いだ若冲は、暇を持て余し、画材を買ってきては身近な動植物を観察し、書き写した。それにも飽き足らず、神社仏閣で絵画を借りては模写する日々。40歳で早くも隠居し家督を弟に譲り、画壇デビューというのが略歴である。そんな若冲の『葡萄図』『猛虎図』『旭日雄鶏図』『群鶴図』『鶴図屏風』『芭蕉雄鶏図』『鶏図』『鯉魚図』『伏見人形図』『花鳥人物図屏風』『鳥獣花木図屏風』など、実に格調高く、収まりがよい。水墨画もあるが鮮やかな色合いのものも多い。同じひとが描いたとは思えないほど、あれこれ個性がまったく違うものばかりである。これだけ並ぶと壮観である。『花鳥人物図屏風』は水墨画12枚を貼り込んだ押絵貼屏風。2扇ずつが向き合うように構成されている。筆の動きが簡単なのに美しく、しかもいまにもそこで描いている若冲の筆の動きが見えそうだった。ほかに人気なのは『鳥獣花木図屏風』。これは方眼の桝目を埋めていく「桝目描」という技法を用いたもの。桝目数一隻焼く43000個!ひとつひとつが画面に移るドットのようで、鮮やかな色で描かれた動植物は今にも動き出しそうだ。まるでテレビでアニメを見ているようなそんな気にさせられた。
四階のギャラリーで、さらに江戸絵画の大放出。菱川師宣、竹田春信、勝川春英、蹄斎北馬、酒井抱一、柴田是真など。柴田是真の『百福図』なんてとてもかわいらしい。鈴木其一の作品も多かった。すべてを含めてよいものを見た。
見終えて階段を降りていると、フロアから隣接する建物が見えた。ほどよい景観の立派な建物である。なんだろうと思い、覗くと向こうの建物の大きな窓のいくつかにアルファベットが見える。黒字のゴシック体で「L」。その次が「○」(○の中身は金色)。次が「U」でまたゴシック体の黒。となれば次は「V」だ。ここまでくれば、そこがルーヴル美術館展の会場だということに気づかない方が難しい。こちらも最終日。ここまで来て気づいたのも何かのご縁。ということで、いきなり美術館はしごである。
会場が京都市立美術館の『ルーヴル美術館展~古代ギリシャ芸術・神々の遺産~』も、今日まで。実は展示よりも建物見たさに近寄ったのだが、まあせっかくだし、中身も見てみることにした。題目が示すとおり、ギリシャの芸術が並んでいるが、実はあまり興味がないというか、当方かなり暗い方面なのだ。アフロディテ、ニケ、ソクラテス、アリストテレス、アレス、運動競技者まであった。どれもこれも数年前のルーヴル美術館で一度見たっきりの間柄。再びこの日本で会えるとは思わなかったものよ。それにしてもひとが多いなあ。さっきよりもはるかに多いなあ。やはり日本における芸術の人気は、断然西洋寄りなのだろうか?日本には日本の、こんなにいいものがたくさんあるのに。
ギリシャ彫刻や彫像などの多くから、主に肉体美を追及したような艶かしいラインを見せつけられた。よく知られた話だが、ギリシャの運動競技は裸体で行われた。そのため、そのラインが崩れることなく彫像されていることは当然ですかね。美しいとはこういうことか?背中が美しいのはいいですな。仏像とはまた違った味わいもあって。でも、やっぱり仏像のほうがいいなあと思う秋。

二つの、まったく性格の違った展示を見終えて四条河原町へと戻る。そのまま錦商店街へ。漬物や乾物や天ぷらやなどを見ながら、ようようと歩く。なぜだか知らないが、この通りが好きだ。どれだけ疲れていようと京都だなあとわけのわからないことを感じる。京都に来るといつも立ち寄る。錦・高倉屋で漬物を買う。今回は壬生菜の浅漬けと静紫の浅漬け。ちらっと横に目をやると、糠床を探るご主人。横顔に見覚えがある。よく見るとバッキー井上さんだ。これまで何度もお店にお邪魔し購入しているが、まさかお店に出られているとは思っていなかった。だから「ご無沙汰してます」の次は、「お店に出られてるんですねえ」という今思えばいささか無礼千万な言葉だった。言い訳するわけじゃないが、バッキーさんは、あのお店をプロデュースするがための言葉を駆使し、操る方であって、実際売る側に回っておられるとは思っていなかったのである。ともあれ久しぶりなので、丁重にご挨拶し、失礼してくる。とってつけて言うわけではないが、ここのお店の漬物はほんとにおいしい。嘘だと思うなら一度ためしてください。ほんとにおいしいですから。
 帰りは再び阪急電車に揺られる。若冲のあの印象的な色使いが忘れられず、いつも近くで見られるように、携帯の待受画面を「紫陽花双鶏図」にした。これでしばらくは鶏と一緒だ。


11月4日(土)
 連休二日め。といっても普段の同じこともある土曜日。


11月3日(金)文化の日

 手塚治虫を偲んで。


11月2日(木)

 先日29日に行われた、本田秀伸選手の再起戦の様子を映したDVDを見たいです。欲しいです。(勝ったそうですし!)


11月1日(水)

 「あと二ヶ月」と言われる日になった。


10月31日(火)

 慌しかった10月も、今日で終わって今夜はハロウィン。


10月30日(月)

 昨晩の就寝が早すぎたのか、今朝は5時半に目が覚めた。それでも逆算すれば9時間の睡眠時間。よく寝ているにはよく寝ていることになる。ぐーぐー。
よく眠った日の朝は目覚めがよいか、そのまますぐに起きるか、そのまままどろんでいるかのどちらかだ。
そのまますぐに起きていればいいのだが、今日は布団のなかでごそごそと二度寝。それでも7時には再び起き出して、活動を始める。
 夕方から講義一つ、稽古二つに参加して、帰宅。どっぷりと疲れた。
 録画しておいた『のだめカンタービレ』を見ながら、再びまどろむ。まどろみの日。


10月29日(日)
 
應典院の第46回寺子屋トークの「死者とのコミュニケーションは可能か」を聴きにいく。対談講師は釈徹宗先生と内田樹先生のお二方。
「現代霊性論」的な流れになるのかと思い、馳せ参じた次第である。
馳せ参じたといっても、実際は翌日までの学祭と打ち上げで、ちょっとよろよろしている。充分な睡眠がとれていないことはたしかだ。顔がどんよりしている。それでも應典院へ行ってみた。
講演を拝聴し、とても強く感じたことがある。恐れ多くも宗教観が同じであるということ、あるいは似ている、同一視できる、異論がないということが、自らが関わる人間に、最も重要かつ必要なことではないだろうかと思った。それが一緒じゃないとちょっと苦しそうな気がするのだ。
衣食住も宗教的観点から捉えることができるだろう。さしてあまり違いの目立たない、あるいは違和感がない、居心地の悪くない感じがあれば、それで満足だ。そういう相手とは実際長続きするようなそんな気がする、そんな秋の午後だ。
さすがに疲れて、午後9時には完全就寝。


10月28日(土)
演武会二日目。
今日も今日はでゆるゆると、楽しんだ。
 演武会後は打ち上げ。
 みんなが出て、がんばったあとの喜びも大きいのか、片付けたあとの疲れが出たのか、祭りの後の静けさか、学生のみなさまは、どっと笑って、喰って、飲んで、はしゃいで大騒ぎ(各人のゼミやらクラブの予定で参加できなかったひとが、お気の毒)。
静かになったのは、宴途中の演武会ビデオ上映会の一瞬だけ。そのときですら、拍手喝采大喜びの連続の演武が画面上に流れていた。ほんとうに静かになったのは、おそらく誰もが退散してからのちの、ずっとあとのことだろう。ほんとうに「祭りのあと」である。
内田先生、ありがとうございました。


10月27日(金)

学祭初日。演武会も初日である。
ここ数年、演武会ではさまざまな「色物」(※)をさせてもらう機会に恵まれていた。しかしそれからしばらく経った今年、残された「色物」が少なくなってきたということに気づいた。(あとやっていない技といったら、座技、半身半立、返し技、三人掛け、四人掛けくらい…である)。
そこで今年は、これまでも一度もやってことのない逆半身片手取りと行うことにした。
取りがひとつ、受けがふたつ、杖の打太刀、師範演武の受けで出させていただく。光栄。

(※)色物:合気道の技には、杖や太刀、短刀、座技、二人掛けなど、いろいろとパフォーマンス度の高い技もある。大学三回生メインにこれらの難易度の高い技を演武会で行うのが我が部の伝統である。演武会だし、お祭りだしということで、毎年あれやこれやの技が披露される。局地集中的な技の総称であり、決してお色気ムード満載の演武のことではない。


10月26日(木)

「明日から演武会」。
そう思うと一年があっという間だ(というふうには、実はあまり感じていない)。
「ああ、今年もこの季節が来たなあ」と思うと同時に、その場に足を踏み入れ、準備やら稽古やらで、あまりそれ以上の感慨深くなる暇がないのだ。
それに学祭演武会前日は、準備段階からどんどんテンションが上がってきて、緊張感が漲ってくるので、ほんとうに忙しいのだ。
そういや明日は太刀もする。昨年に引き続き、これも本邦初公開だ。

2006年11月22日

武術的晩秋

11月21日(火)

非常によく動き捲った気がする。移動が電車だったり、自転車だったり、走りだったり、歩きだったりするが。
非常によく喋り捲った気もする。喋ったのは道場だったり、電話だったり、仕事場だったりもするが。
気づけば日付も変わっていて、それでも作業は進行したりしなかったり。少しずつでも、少しずつでも山を切り崩していかなければ。そんな焦りもあるものの、焦りが焦りとなる前に、遅々としても前を向いて行こうという思いのほうが強いわけで。結構気分がよろしい。
ああー、山の向こうに何がある~。


11月20日(月)

授業とは常にライブ感がつきもので~。


11月19日(日)

興福寺に行ってきたのだ。あー、きれいだ。仏さんにうっとり。めざせ大仏!
書きたいことは多々あるけれど、今は時間がないので、日を改めて。


11月18日(土)濃いー週末。

合気道の稽古のあと、「武術的立場」の対談を聴きに、朝日カルチャーセンター大阪に行く。これは朝カルの単発的な企画物である。「徹子」役となられた内田先生が、月一回対談者と身体における語らいをするというものである。第一回目のゲストは、四国は丸亀の呉服屋若旦那であり、韓氏意拳の日本分館世話人の守伸二郎さん。盛況のうちに第一回は終了し、本日は第二回目。ゲストスピーカーは、びわこ成蹊スポーツ大学の高橋佳三さんである(来月は神鋼コベルコスティーラーズの平尾剛さん)。

対談は「語らい」と言ったが、今回は身体を使った実技もの満載だった。メモをとるべく机の上にはペンとノートを用意していたが、多くの時間は話に引き込まれ、その出番は少なかった。代わりに高橋さんによる動きや姿に見とれ、考え、内田先生の言葉を体感することに費やされた。フト気づくと、完全に目の前の出来事に釘付け、あるいは耳付けの状態が続いた。

それでもなんとか、おぼろげなる記憶のなかには、いくつかの単語が示されている。股関節、肩甲骨、斬り、言葉、身体の内部、外部、ヒンジ運動、脳と言葉、比喩、例え話など説明のつく事柄からつかないことまで、身体についてのあらゆる出来事、言葉と動き、ツールとあり方進め方関わり方について。また指導者について、身体の皮膚感覚、接触する外部と内部、「円」についての話、鉛直方向などなど、多岐に渡る事柄が、サマザマナモノが、頭のなかを渦巻いる。散乱し、まとめることができない、あらゆる謎とヒントに満ち溢れる。そんな時間を過ごした。
 
ところで、今回の高橋さんは、かつて甲野先生の講習会が大学であったときに、先生とご一緒に来られた。おそらくそのときにお会いしたのが初めてだろうと思う。あの頃から随分と時間が経ったこともあるだろうが、今日また実際にすごく「大きな」方であるとの印象を持った。これは単純に身体が大きいとか、身の丈が大きいとか、体重があるということではない。たしかに183cm・86㌔(11/18現在)と伺えば、現代人の感覚でも体格は大きい方であるかも知れない(私事で申し訳ないが、親戚連中にこれぐらいの体格の者が大勢いるので、子どもの頃から大人はこれくらいに大きくなるものだと信じて疑わなかった。実際はそうではないと知ったのは中学に上がった頃)。

話は逸れたが、ここで言いたいのは単なる体格の話ではない。はっきり言えば、大きくても邪魔にならない(ってすごく稚拙な言い方でスミマセン)ということだ。体格が何かを物語っているような気がしたと同時に、言葉足らずで申し訳ないが、何と言うか、懐が大きいというか、(それもまたちっぽけな言い方で足りないのだが)、大きさ全てがありのままに、実にやんわりとしているのだ。動きも言葉も説明も体格もきちんと、カチッとされているのに、カチッと凝り固まっていないのである。ふと見ると来月のラガーマン平尾さん。この方も高橋さんと同じくらいの身の丈、同じくらいのカサだと伺った。これまた同じように大きい方のはずなのに、まったくその大きさが悪くないのである。いや、悪いなんて失礼な言葉は到底当てはまることはなく、むしろいい感じにすべての生き様に作用しているのである。最初の守さんだって、おそらく大きい方だ。いわば讃岐富士のような方である(度々稚拙な礼で申し訳ないですが)。

というわけで、この「武術的立場」に通いながら、なんていうか体格が大きいとされる方で、こういうふうに感じのいい方たちを続けざまに見ているうち、やっぱり体格がときに何かを物語ることがあるなあと思ったりする。大きいからいいのではなく、大きく見えるこということがいいのである。いいなあ。こういうふうに大きいのは。体格は「懐」と言った単純なものではないけれど、身体の大きさがそのまま器の大きさとなって、人間としてのスケールにも匹敵するようなことに繋がっておられる気がする。生き方そのものが、姿かたちに現れているのだと感じる。生き様そのものが、ときに身体を大きくも小さくも見せるだろうか。これはとても簡単なことで、とても大事なことかもしれない。そして、とにかくこういう滅多にない素晴らしい方々にご縁を頂いたことに、とにかく深く感謝しています。ありがとうございます。来月もとても楽しみである。


11月17日(金)

さあ、金曜日だ。今日は狂言を鑑賞。茂山千作さんを見る機会を逸してはと思って結構真面目に見始めたのが数年前。それまでは、結構たらりっと見ていただけでしたから。
笑いの質が違いますね。忠三郎さんとの掛け合いもなかなか見られないもので、いいものを拝見しました。
もちろん、マスヤくんもいい感じである。


11月16日(木)

ワインを飲んでもいいんだってさ。でも、このごろはコンビニでも売ってるよ。万人受けせんとするかのようにあちこち手軽に出回るのもいいけでど、なんだか味気ないよね。こういうの。


11月15日(水)

水曜日。大過なく。
事なきを経て、静かに過ごす水曜日。葛根湯が欲しくなる。


11月14日(火)

大阪は梅田、「越後屋」改め「ゑびす屋」ご謹製プレビューに参らせてもらう。講義後、内田先生とご一緒させていただき、梅田を歩いた。なんともひとが多い。平日のこんな夕方に歩くことも少ないので、余計にそういう主観的な感触が多いのだろう。帰宅ラッシュの軍勢があちこちで、波打っている。時間帯が夕食時と重なり、おでんや揚げ物、煮物の臭いがところかしこから漂ってくる。お昼もそこそこだったので、ついついその香りに鼻が寄せられる。
いつ見ても越後屋改めゑびす屋さまセレクトは素晴らしい。こういったご縁をいただけたことにもまた感謝。


11月13日(月)

『眠りすぎて疲れるこどものために』なーんて、本はないだろうか。


11月12日(日)

異常な深さを導く睡眠に襲われている。木曜辺りから続く喉の痛みが、身体中を蝕むかのように、思考停止を指示してきたのが遠因だろうか。異常に深く導く睡眠のため、頭は僅かなことも考えられない状態である。こういうときは大事なことはしない。単純作業に専念するのみ。そして洗濯機を回す。しかし、それだけのことが、とても難しい問題に思えてくる。

秋風も涼やかどころか寒さを帯びてきたので、そろそろコタツを出したいと思う。だが、今日はその気力すら失せた。とりあえず一日中休んでいると、いっそのことパジャマになった方が気持ちも楽だろうというような気になってくる。そして善は急げ。病気のとき以外で、初めて昼日中にパジャマで過ごしてみた。するとだんだんと世の中がわからなくなってきた。考えることがどうでもよくなってきた。すーっと眠たくなってきた。布団にももぐる。何事も形から入るのは大事だと実感したのは随分あとのことだ。

あまりにたくさん眠りすぎると、目の玉が溶けてしやしまわないだろうかと心配になってくる。目のことが心配になるのは、きっと韓流ドラマの見すぎだろう。そんなふうに自身を思い込ませながら、またもや布団にもぐりこむ。いったいどれくらい眠っただろう。それでもまだ足りぬ。いったいいつまで続く睡眠不足だ。

結局翌朝、訳のわからない夢で目が覚めるまで、ずーっと眠り続けていた。訳のわからない夢の記憶はわけがわからないので、説明のしようもなくて申し訳ないのだけれど、主観的には「わけがわからない」という感触だけがどこか遠い記憶の片隅を占領していた。


11月11日(土)

日録の更新が滞っているのには理由がある。大した理由ではないかもしれないが、じっくり書くための時間が取れないということも含めての理由が、最近はいくつかある。

一週間は七日ある。そのうち三日は合気道やら何やら武道を教えている。教えているのは、もしかしたら、一日のうちのすべての時間ではないかもしれない。だが、実際の場所に行き着くまでの物理的な時間、精神的な移動、準備に追われているうち、みるみる時間が経ってしまう。それ以外、わたしにも日常時間というものがある。睡眠に始まり食事、読書、娯楽も含めたものなどがそうだ。稽古も週に三日は堅い。ときには、それ以上になることもある。もちろん稽古日と指導日が重なる日もある。それはそれでその方がいいこともある。実践的に取り組みたい事柄をそのまま試してみることができるからだ。要するに、自分の稽古場ではそういうことができる。でも自分ひとりでは限界がある。相手がいないというのは、物事を考え、試すには、結構自由気ままで快適に過ごしやすいものだ。だが語る相手がいないというのは、物事が煮詰まってしまう状況を引き起こしかねない。どういうわけかわたしには、武道の世界において「同期」が、あまり存在しなかった。もちろん世の中は広い。「『同期』と思ってください」とか「『同期』だよ」と言ってくれるひとや実際の同期もさまざまにいる。けれど、ふと気づくと、なぜか目の前から消えていた。いまではどこに誰がいるのかもわからない。求めるときにそこに手を差し伸べたところで誰もいない。これは哀しいことだ。つまり、大それた言い方をしてしまえば、孤高である(そうなりたい!と思う)。哀しく言えば、ひとりである(そうなりたくもある!同時にこうも思う)。人間誰しも生まれついたときから結局はひとりですからね、何を今さら…ですか?

どこであれ稽古をしていると、先生がいないとうまくできない。先生がおられるからうまくできるということを感じることが多い。師はありがたく偉大な存在だと気づく。日に日にその切実さに重層性が帯びてくる。

About 2006年11月

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