8月14日(日)
腹が減っては、戦はできぬ。ならば、一生空腹のままであれ。そうすれば、誰も戦を起こさなかったのかもしれないものを。
8月13日(土)
お盆になった。今年も海に行けなかった。
8月12日(金)
掃除機をかけたら肋間神経痛になった。
8月11日(木)
電車に乗ると、たくさんの帰省客で溢れかえっている。
最近は、あのゴロゴロと曳くタイプの鞄が出回っているので、それを使う人も多いようである。老いも若きもネコも杓子も。
どうしてまた日本人は、みんなで同じ方向に一気に向いてしまうのだろうか。
というのも「ネコ杓子」的行動により、JRの車両通路を、あの鞄で占領されてしまうからである。歩きにくいったらありゃしない。
一時期リュックサックの背中の荷物が車両の邪魔になると非難する声があったと思うが、あれ以上だ。通路占領者当人は、かなり呑気にマンガか雑誌なんかを読んでいたりする。しかもよく見ると座席はふた席お使いである。
これが飛行機なら、「お客様、お足元に荷物お入れいただくか、棚の上にお置きいたしますが」と言われる。厳しく言われる。何度も言われる。動かすまで言われる。固定しない荷物が動くのは、飛行機の離着陸時にたいへん危険だからである。
電車ではそのようなアナウンスはほとんどない。どこに自分の荷物を置いても盗難の可能性が低い日本が安全すぎると言うこともある。だからといって、通路や座席を我が物顔で占領してよいものなのか。せめて荷物は、「ご自身の足の前にお置きください」。
8月10日(水)
Sugar, sugar, ya ya, petit choux
もう一度だけ逢えたら
Pleasure, pleasure, la la, voulez vous
いつの日にかまた
Sugar, sugar, ya ya, petit choux
美しすぎるほど
Pleasure, pleasure, la la, voulez vous
忘られぬ日々よ
忘られぬ日々よ
8月9日(火)
夕方激しい雨が降り出した。
大学の部屋の窓から見える風見鶏(もしかしたら人の模っているのかもしれない)が、降り出した雨と風で、ばたばたと揺れている。普段の、静かな風だけを受けて揺れているときからすれば、なんとも落ち着きのない動き方である。
遠くで稲光がする。数秒遅れて雷が鳴る。
「ドドドドドーン」という音のときは、雷の位置は今いる場所よりも遠い。ばっこーんと勇ましい勢いと力強さで雷が鳴るさまは、寄り切りで相手を負かす力士のようだ。積み重なった力でぐぐぐっと押しのけてくる感じがする。
「カカカカカーン」という音のときは、今いるところから結構近い。「カ」の音の方が、どこかとがったふうに聞こえる。頭を劈くような音だ。キーンと鳴り響くので、瞬間的な驚きはこちらの方が大きい。
今日は、「カカカカカーン」と脳天を刺激するかのような甲高い音が部屋に響いた。すぐさま「あ、近くに落ちたな」とわかる。
事実、落雷はJR甲子園口の信号を直撃し、その後のJR線を遅らせた。復旧までにかなりの時間を要したようである。(午後9時を過ぎてもまだ影響は出ていた)。
雷が落ちた瞬間はまだ大学にいて、こりこりと仕事をしていた。
定かなところはわからないが、かなりのひとが足止めされ、待ちほうけを喰らっていたようである。その姿は、かなり疲れて見えた。
仕事を終えてJRのホームで電車を待つうち、三宅接骨院の予約時間となった。敢え無くキャンセル。まあ、そんな日もある。
8月8日(月)裏誕。丸亀はうどんと鰻と団扇です。(丸亀の「3う」)
朝、晴れ渡る海と瀬戸大橋を眺めながら、また展望風呂に入る。目覚めのひと湯ほど心地よいものはない。昨日から、もう最高である。
ふらりと野菜が食べたくなり、口にするべく、ラウンジへ。
約束の時間にお迎えに来てくださった守さんに連れていただき、今日は内田先生とご一緒に、E楽亭(伏字のほうがいいのかしら?)にて最高級の鰻丼をいただく。今年の初鰻を食す。おいしい。めちゃんこおいしい。
あぶられた鰻は感じがよくて、見た目も味わいも最高。飽きの来ない食感と食材のとろけるような柔らかさ。何度でも、永遠に食べ飽きることがないだろう。事実何杯でもいけそうである。(おかわりが出たってOKだ)。
ご存知の方もいると思われるが、わたしは鰻が大好物である。鰻には目がないのである。こどもの頃は何かあれば、鰻をリクエストした。母やら親戚が東海地方に近いところの出身なので、普段から鰻を食べる習慣があったのだろうと思う。うちで食すのは専らひつまぶし(ある年齢に達するまで、それが関西では珍しいものであると知らずにいた)だった。外で食べるのが鰻丼と思っていた。どちらも、どのように料理されても鰻が大好きだった。それは今も昔も変わらないことである。(肝吸いもう巻きももちろん大好物)。
E楽亭の木造建築のなかを漂う。静かに歩く。
日本家屋の本当にいいところをぎゅっと凝縮したかのような建物である。見事な和室のひとつひとつに、ほれぼれしてしまう。
茶室もすばらしい。あの3畳に住めるものなら住んでみたい。
こんな家に住めたらと、理想を遙か越えて遠い幻想にぼんやりしてしまう。
なぜかわからぬが、不思議な時間の流れ方をする家だ。どれだけ眺めてもいいのだが、ふと気づくとどこにいるのかわからない。
淡い幻想と完全に満腹になったおなかを抱えて、本土へと送っていただく。
この度はまた、守さんにいろいろとお世話になった。どうもありがとうございました。ほんとうにおいしいものばかりで、厚い歓迎ばかりで、夢ではないかの気分でした。この場を借りてお礼申し上げます。
そして、すべての食材と講習会と悦びの時間を運んでくださった内田先生、ありがとうございます。深く感謝するばかりの日々です。
8月7日(日)
丸亀の守さんのところで開催される講習会があるので、内田先生にご同行させていただく。
日本でも有数の日照時間で知られる丸亀だけあって、辿り着いた体育館はひたすら暑い。神戸から2~3時間のところは、どこも暑いのだろうか。(京都や奈良や岸和田なども)。
講習会は初心者の方も多く、誰も彼もが途中で暑さにへばりそうになっていた。それでも無事に終えた。
夏の風物詩でもないが、毎年夏ごろには決まってどこかで講習会がある。かれこれ3度目(一度は浜松)の今回は、またいろいろと思うところがあった。
聴く側の反応や自身の身体の反応がおもしろい。しかし一番おもしろがっているのは、「わたし」だ。(いや、厳密には「わたしの身体」だ)。
どう反応するのかに始まり、どう反応しないのかもある。「おもしろさ」が簡単にわかって、ここに示せれば世話はないし、わかれば楽しいこともあるだろう。でも、すこし考えただけでわかれば、もう何もしないだろう。すぐに飽きてしまって。そして、すぐまた別のことをするだろう。あるいは、実際飽きる前に飽きてしまっていることだろう。飽きる前に飽きると、飽きることもわからない。飽きるより前に、わからないことが大事なのだ。
講習会後は懇親会@明水亭。
鯛とオクラの冷たいの、穴子寿司と枝豆、茎の胡麻和え、マツタケとカニの湯葉包み、茄子のそぼろ田楽、〆には、うどんの大(生醤油でいただきます)、シャーベット、コーヒー。
最初から最後まで、どれも見事においしくて、どれもほんとうに好きな味付けばかりだった。見事に好みの味である。おなかは満腹大満足。讃岐のうどんは、やはり最高である。(うどん大好物)。
夜は展望風呂にて夜景を眺め、朝な夕なと楽しむばかり。
ああ、こんないいことばかりで、罰が当たりそうだ。
8月6日(土)
合気道。雨。稽古。