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2005年8月 アーカイブ

2005年8月 6日

アロハな日々

8月5日(金)さんうの日。

 今日は朝からそわそわしていた。なぜかはわからないけれど。
「そわそわ」は、慌しいのに悪い気はしない。「そわそわ」だけど、気持ちは落ち着いている。そんな「そわそわ」だった。

アロハシャツを着てサングラスをかけると、混みあった街並みがすっと開いた(気がした)。
 
一日を振り返ると、抱えていた用件が五つ六つあったが、すべてやり過ごすことができていた。すこしほっとした。


8月4日(木)

 さんふらわあ号は遊覧船ではなく、実際に人や荷物を乗せて走る定期船だと知ったのは、午後もすっかり涼しさを覚える頃であった。
 神戸の街も海も、きょうばかりは風が涼しい。やっぱりここが好きだなあと思う。

あの船に乗ってどこまでいけるのだろう。
 海と空はどこまでもつながっている。陸だけが離れている。
 そう、この同じ地球上にいる限り、わたしたちは、さほど遠い人間ではないのだ。


8月3日(水)

 「とっつぁん」と言えば銭形警部。
 思えば先日は、すこし気の毒だった。


8月2日(火)

 だいぶっつぁんに会いたい。会いたい。


8月1日(月)

 8月になった。
 途端に、どういうわけか、PCの不調を訴える人が周りにうようよ出現していることに気づいた。(わたしもそのひとりである)。
暑さのせいだろうか。
クラッシュして、新しいPCを買ったという人も何人か聞いた。
時期なのだろうか。PCの売り出しの、いや、PCの調子が悪くなってしまう時期の。

 PCの画面がいきなり止まると、まずはええっ?となる。
そして驚く。
動かないと、画面に喧嘩を売りたくなる。が、イライラせずにあせらずに、なだめすかして、何とかなる。何とかする。
すると、そのうち、「気のせいだよ、ごめんね」とでも言わんばかりに画面が復活。ほっとして、胸をなでおろす。
しかし、同じようなことを何度やってもおかしいときがある。
場合によっては、文書まるごと捨てるしかないときがある。
でも、これってさ、さっきまで使ってたんよ?どうして急にガソリンの切れた車みたいに止まるのさ!がががっがー。
すこしイラッとする。

こんなとき、もすこしでも忍耐力がなければ、ばっこーんと画面を殴りつけているところだ。実際イラチなのだよ、わたしは。
しかし壊したって意味がない。
髪と同じで切るときはすぐなのだ。
ゴミと同じで捨てるのは簡単なのだ。
そうならないために、こんどはPCよりも自分自身をなだめすかして、どうどうと落ち着かせる。
そのうち、ようやく、双方クラッシュまではいかず、落ち着きを取り戻す。
取り戻されたきれいな画面と静かな心。
落ち着いて、そして、やっぱり思う。PCも熱帯に弱いのだろうかと。
ソフトのバージョンアップも結構だが、そろそろ温度調節もできる機器を発明するのもよろしかろう。


 長田神社へ薪能を観に行く。生まれて初めて。
 蚊がぶんぶん飛んでいるので、ところかまわず痒い。蚊取り線香でも持ってくるのだったと後悔。
 番組は、仕舞、狂言、火入れ式、能とあった。
ところが、気分もすこし盛り上がった火入れ式のあとで、議員やらどこやらの会長の挨拶が(それもわざわざ舞台のうえで)、延々と続いていったのである。
長い。長い。長い。
これは仕舞の時間より長いのではないか?
長いので、この隙をいいことに、すこし眠る。(それくらいに時間は充分にあった)。

能『井筒』が始まる。
 後半になって、ようやく後シテの下川先生ご登場。
観に来てよかった。これだけでも満足だ。
 帰りの電車はまた暑く、やっぱり痒さは続いていた。


7月31日(日)

 ということで月末の雨。


7月30日(土)

 おいちゃん送別稽古の日。
 「いつもなら、決してこんな時間にはみることのない人々」が、早い時間から大勢現れている。さすがである。おいちゃんの人柄は、やはりこういうところからも滲み出ていると思う。

 道場では、座って、説明を聞いている。
「送別稽古の受けの人」となるおいちゃんを見ていると、じわっと汗が流れてくる。
今日もまた暑い。
 稽古の後に食べるかき氷は、また一段とうまい。

2005年8月15日

丸亀の三「う」

8月14日(日)

 腹が減っては、戦はできぬ。ならば、一生空腹のままであれ。そうすれば、誰も戦を起こさなかったのかもしれないものを。


8月13日(土)

 お盆になった。今年も海に行けなかった。


8月12日(金)

 掃除機をかけたら肋間神経痛になった。


8月11日(木)

 電車に乗ると、たくさんの帰省客で溢れかえっている。
 最近は、あのゴロゴロと曳くタイプの鞄が出回っているので、それを使う人も多いようである。老いも若きもネコも杓子も。
どうしてまた日本人は、みんなで同じ方向に一気に向いてしまうのだろうか。
というのも「ネコ杓子」的行動により、JRの車両通路を、あの鞄で占領されてしまうからである。歩きにくいったらありゃしない。
一時期リュックサックの背中の荷物が車両の邪魔になると非難する声があったと思うが、あれ以上だ。通路占領者当人は、かなり呑気にマンガか雑誌なんかを読んでいたりする。しかもよく見ると座席はふた席お使いである。
これが飛行機なら、「お客様、お足元に荷物お入れいただくか、棚の上にお置きいたしますが」と言われる。厳しく言われる。何度も言われる。動かすまで言われる。固定しない荷物が動くのは、飛行機の離着陸時にたいへん危険だからである。
電車ではそのようなアナウンスはほとんどない。どこに自分の荷物を置いても盗難の可能性が低い日本が安全すぎると言うこともある。だからといって、通路や座席を我が物顔で占領してよいものなのか。せめて荷物は、「ご自身の足の前にお置きください」。


8月10日(水)

Sugar, sugar, ya ya, petit choux
 もう一度だけ逢えたら
 Pleasure, pleasure, la la, voulez vous
 いつの日にかまた

Sugar, sugar, ya ya, petit choux
 美しすぎるほど
 Pleasure, pleasure, la la, voulez vous
 忘られぬ日々よ

 忘られぬ日々よ


8月9日(火)

 夕方激しい雨が降り出した。
大学の部屋の窓から見える風見鶏(もしかしたら人の模っているのかもしれない)が、降り出した雨と風で、ばたばたと揺れている。普段の、静かな風だけを受けて揺れているときからすれば、なんとも落ち着きのない動き方である。

遠くで稲光がする。数秒遅れて雷が鳴る。
「ドドドドドーン」という音のときは、雷の位置は今いる場所よりも遠い。ばっこーんと勇ましい勢いと力強さで雷が鳴るさまは、寄り切りで相手を負かす力士のようだ。積み重なった力でぐぐぐっと押しのけてくる感じがする。
「カカカカカーン」という音のときは、今いるところから結構近い。「カ」の音の方が、どこかとがったふうに聞こえる。頭を劈くような音だ。キーンと鳴り響くので、瞬間的な驚きはこちらの方が大きい。

今日は、「カカカカカーン」と脳天を刺激するかのような甲高い音が部屋に響いた。すぐさま「あ、近くに落ちたな」とわかる。
 事実、落雷はJR甲子園口の信号を直撃し、その後のJR線を遅らせた。復旧までにかなりの時間を要したようである。(午後9時を過ぎてもまだ影響は出ていた)。
雷が落ちた瞬間はまだ大学にいて、こりこりと仕事をしていた。
定かなところはわからないが、かなりのひとが足止めされ、待ちほうけを喰らっていたようである。その姿は、かなり疲れて見えた。

仕事を終えてJRのホームで電車を待つうち、三宅接骨院の予約時間となった。敢え無くキャンセル。まあ、そんな日もある。


8月8日(月)裏誕。丸亀はうどんと鰻と団扇です。(丸亀の「3う」)

 朝、晴れ渡る海と瀬戸大橋を眺めながら、また展望風呂に入る。目覚めのひと湯ほど心地よいものはない。昨日から、もう最高である。
 ふらりと野菜が食べたくなり、口にするべく、ラウンジへ。
 約束の時間にお迎えに来てくださった守さんに連れていただき、今日は内田先生とご一緒に、E楽亭(伏字のほうがいいのかしら?)にて最高級の鰻丼をいただく。今年の初鰻を食す。おいしい。めちゃんこおいしい。
 あぶられた鰻は感じがよくて、見た目も味わいも最高。飽きの来ない食感と食材のとろけるような柔らかさ。何度でも、永遠に食べ飽きることがないだろう。事実何杯でもいけそうである。(おかわりが出たってOKだ)。

ご存知の方もいると思われるが、わたしは鰻が大好物である。鰻には目がないのである。こどもの頃は何かあれば、鰻をリクエストした。母やら親戚が東海地方に近いところの出身なので、普段から鰻を食べる習慣があったのだろうと思う。うちで食すのは専らひつまぶし(ある年齢に達するまで、それが関西では珍しいものであると知らずにいた)だった。外で食べるのが鰻丼と思っていた。どちらも、どのように料理されても鰻が大好きだった。それは今も昔も変わらないことである。(肝吸いもう巻きももちろん大好物)。

E楽亭の木造建築のなかを漂う。静かに歩く。
日本家屋の本当にいいところをぎゅっと凝縮したかのような建物である。見事な和室のひとつひとつに、ほれぼれしてしまう。
茶室もすばらしい。あの3畳に住めるものなら住んでみたい。
こんな家に住めたらと、理想を遙か越えて遠い幻想にぼんやりしてしまう。
なぜかわからぬが、不思議な時間の流れ方をする家だ。どれだけ眺めてもいいのだが、ふと気づくとどこにいるのかわからない。
 淡い幻想と完全に満腹になったおなかを抱えて、本土へと送っていただく。

 この度はまた、守さんにいろいろとお世話になった。どうもありがとうございました。ほんとうにおいしいものばかりで、厚い歓迎ばかりで、夢ではないかの気分でした。この場を借りてお礼申し上げます。
 そして、すべての食材と講習会と悦びの時間を運んでくださった内田先生、ありがとうございます。深く感謝するばかりの日々です。


8月7日(日)

 丸亀の守さんのところで開催される講習会があるので、内田先生にご同行させていただく。
 日本でも有数の日照時間で知られる丸亀だけあって、辿り着いた体育館はひたすら暑い。神戸から2~3時間のところは、どこも暑いのだろうか。(京都や奈良や岸和田なども)。
 講習会は初心者の方も多く、誰も彼もが途中で暑さにへばりそうになっていた。それでも無事に終えた。

夏の風物詩でもないが、毎年夏ごろには決まってどこかで講習会がある。かれこれ3度目(一度は浜松)の今回は、またいろいろと思うところがあった。
聴く側の反応や自身の身体の反応がおもしろい。しかし一番おもしろがっているのは、「わたし」だ。(いや、厳密には「わたしの身体」だ)。
どう反応するのかに始まり、どう反応しないのかもある。「おもしろさ」が簡単にわかって、ここに示せれば世話はないし、わかれば楽しいこともあるだろう。でも、すこし考えただけでわかれば、もう何もしないだろう。すぐに飽きてしまって。そして、すぐまた別のことをするだろう。あるいは、実際飽きる前に飽きてしまっていることだろう。飽きる前に飽きると、飽きることもわからない。飽きるより前に、わからないことが大事なのだ。

講習会後は懇親会@明水亭。
鯛とオクラの冷たいの、穴子寿司と枝豆、茎の胡麻和え、マツタケとカニの湯葉包み、茄子のそぼろ田楽、〆には、うどんの大(生醤油でいただきます)、シャーベット、コーヒー。
最初から最後まで、どれも見事においしくて、どれもほんとうに好きな味付けばかりだった。見事に好みの味である。おなかは満腹大満足。讃岐のうどんは、やはり最高である。(うどん大好物)。

 夜は展望風呂にて夜景を眺め、朝な夕なと楽しむばかり。
ああ、こんないいことばかりで、罰が当たりそうだ。


8月6日(土)

 合気道。雨。稽古。

2005年8月23日

身毒丸誕生

8月22日(月)

 雨が降ったり止んだり。台風来てんだな。


8月21日(日)

 突然、実家に戻る。
ちょっとだけ夏休みっぽく過ごすつもりで。


8月20日(土)

 稽古に行くのに、いつもと同じ時間の電車に乗る。
 いつもと同じ時間なので、いつもと同じように電車は行ってしまったあとである。
次にやってくる電車を駅のホームで待つ、というのがお決まりである。
というのもここは、私鉄の阪神電車と阪急電車の連絡駅で、どう考えてもうまく乗り継ぐことができない仕掛けになっているからである。
だから、駅のホームでそれとなく見知らぬひとに話しかけられたりもする。
いつだったかは、随分な大分訛りのある女性に話しかけられた。アクセントが強い上に早口なので(あまり口を動かさずに話すので)、想像しながら受け答えするしかない。
また、いつだったかは、疲れ果てた老女に話しかけられた。年寄り受けは昔からする方なので、大概の話しはできる苦もなくできる。却って同世代の方が話すには難しいことがある。

さて、話は戻って、今日に限って、いつもならすでに駅を発車して、後姿さえ見ない電車が見えた。
それも扉が閉まるまでにも1分ほどの時間があった。
別に飛び乗ったわけでもない。
普通に階段を登ると、扉が開いたままの電車が止まっていたのだ。
考えるより先に、すかさず乗る。
高校野球の決勝戦で、臨時列車でも出たのだろうか。そんなことを思う。
結果的に、ひとつ早い電車乗れたので、いつもより早く芦屋に着いた。
 着替えて道場に行くと、いつもより涼しい。
 
どこかから心地よい風が吹いてくる。
どこかから心地よく吹いてくる風は、とてもいい予感を運んでくるようで、とても心地よかった。


8月19日(金)

 靴が欲しくて靴屋に行ったのに、なぜか今日に限って休みだった。哀しい。


8月18日(木)

 出勤し、溜まった仕事をごりごりと片付ける。


8月17日(水)

 研修会があるというので久しぶりの大学に行く。
 昨日までの盛夏休業のため、大学全体が閉まっていたのである。
 しばらく(といっても数日だが)見ないうちに、遠いところのように感じられる。
 事務方の部署が混在する建物の床が新しくなり、カウンターは、どこかの銀行の窓口融資カウンターのように椅子と机が間仕切りで並べられている。
 工事が完了していないせいか、全館クーラーが効かない。
 わかっていたことだが、デスクについて30秒と経たないうちに汗が滴り落ちてくる。
ひどく暑い。ひどく、暑い。

時間になったので、研修会会場の会議室に移動する。
 午前、午後と大学の現状に関する話を、時には睡魔と闘いながらお聞きし、まずは、ひとつ業務を終える。
 その後、懇親会に参加するべく学内のゲストハウスへ。
 ここは創立者であるデフォレスト史などの諸先生方がお住まいになられたところらしい。最近改築したのだとか。
初めて入る建物は、かなり立派な造りで、古きよき時代の、そうだな、1800年代後半のアメリカを思わせた。

こっそり入ったキッチンに立つと、
「ハイ!マーン。モーニング。」
 「ハイ!ボブ、モーニング。朝ご飯食べる?」
「うん、オレンジジュースある?ドーナツを食べるよ」
などといった風景が目に浮かびそうである。

知らないうちに目隠しをして連れて来られたら、ここは日本だとはまず思わないだろう。
 資料や写真で見たことのないような時代の場所や階段や取っ手、暖炉、バルコニーがある。そこいらのホテルに泊まるよりも、断然におもしろいし、格安の宿泊所だろう。(宿泊できるのかどうかは知らないが)。
歴史的資料としても価値があるなあ。
 きょう一番の収穫は、ここが探検できたことである。と言ったら叱られるだろうか。


8月16日(火)

 お休み。とはいえ、それなりにしないといけないこともある。


8月15日(月)

 刀は「しんとく丸」と命名。おめでとう。ぱちぱち。

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