12月29日(水)
小雨の振る中、荷物をひとつ出して、内科に行く。
毎年一定の時期が来ると、この医院に世話になっているような気になる。
不思議なもので、一時期が終わると、ほっとするのか風邪をひいてしまうのだ。
診察室に呼ばれて、症状がどういったものであるのかを述べていくうちに、だんだんと治って来るような気になる。薬を処方してもらうことになるとすこし安心する。しかし反対に待合室というのは、だんだんと酷くなってくるように思えてならない場所なのだ。これは日本のどこでも共通の悩みのようにもみえる。
夜は実家に帰る予定。そしてそろそろ、いいかげんに書かなければ年賀状。
12月28日(火)
三宮に買い物に出かけた。いつもの年末よりも人が少ないようにみえる。この度の年末年始の暦では、まだ世間は御用納めではないらしい。
台風や津波の被害で世界が恐ろしいことになっている。
12月27日(月)
今日からようやく冬休みが始まる。
はじめに(先日の話からすれば)、別にそんなこと書かんでもええんや!的な話しからすれば、掃除だと思った瞬間から、突っ伏してしまいました。喉がめちゃくちゃ痛くて。おお、こりゃ風邪だな。いつも安心した頃に風邪をひくの。ああ、はいはい、わかりました。どうぞお大事に。
12月26日(日)
大阪能楽会館にて、大倉流小鼓方・久田舜一郎還暦記念の「松月会能」を鑑賞する。
場所をいただいた二階桟敷席は、昔の日本人用と思われる幅しかない席だったので、少々窮屈。また本日の身なりが身なりなので、普段使いのような好き勝手な格好も座り方もできず、途中はさすがに痺れを通り越して、足そのものがどうにかなりそうだった。だが、それ以上にすごいものを見せていただいたように思う。
始めに宝生流「猩々乱」。小鼓は高橋奈王子さんがされる。高橋さんの声は、とても不思議な渋みがある。舞台でもそれが生かされていたようにみえる。全身に気合が感じられる。先日のよりも、さらにまたたくさんの気合の入った舞台だった。
高橋さんというのは、合気道部の先輩なので(といっても一緒にお稽古をしたことはないのだが)、部の宴会となると、どれほどお忙しくても、遅くなっても、時間を見つけては、必ず顔を出してくださり、何らかの手土産をお持ちくださっていたことを懐かしく思い出す。新参者の頃から変わらずぴーぴーはしゃいでいたわたしにも、いつもにこやかに声を掛けてくださり、そして、それとは気づかぬうちに去っていかれるといった方だった。その居住まいの正しさは、いまも変わらず覚えている。(最近はそのお時間すらないくらいお忙しいようである。それはそれで素敵なことだけれども・・・)。
「猩々乱」は始めて鑑賞したが、あまりセリフのない舞台である。よって、何かの音というよりは、身体から発せられる動きに集中し、それらを舞台全体でじっくり観察してしまう能である。
観世流「道成寺」もまた、相当に気合の入った舞台だった。女性の小鼓としては40年ぶりとされる小鼓の久田陽春子さんは、どこにそんな力があるのだろうと思えるくらいに迫力のある声を出し、力を出し、精神を込めて鼓を扱っておられた。体力勝負の舞台だけに、表の場面で鐘の退治をしているとき、滴り落ちる汗を何度も何度も拭い取られていた。
人間国宝や各種のご功績ご功労の多い方が一同に介される舞台だからということもあるだろうが、あんなに身の引き締まるような能の舞台を拝見したのは、これが初めてである。その重みも心地よさも含めて、素晴らしい一体感と緊張感があった。それは二階にいても、どこにいても、きっとそう感じるものだろう。
鑑賞後、本日の「道成寺」のシテ寺澤幸祐さんは、小鼓の久田さんの夫であられると伺う。ご夫婦の舞台というのもなかなか観られるものではない。相方かペアか、ともあれ、本分は違っても、同じ道を歩むのは素晴らしいことである。
このシテもまた拍手が沸き起こるくらい緊張感があり、一世一代の能なのだなあということを感じる。「道成寺」の鐘の場面は、失敗が許されないアクロバットなものであり、まさに一瞬がすべてを決める瞬間的な部分がある。(その鐘を運ぶひとりに、茂山の宗彦くんがいたので、それもよかった、と加えておこう)。
久田舜一郎さんの一調一管もまた素晴らしかった。二人だけの舞台というのも、ここのところ知りえた構成であるが、それだけに二人だけの呼吸や流れや時間が研ぎ澄まされなければ何もならない。
ほかには、ごくごく個人的な話しと関わるが、舞囃子「橋弁慶」は、長刀がどうなって、弁慶がどう動いて、牛若がいかほどに交わして、といった謡だけでは想像がつきにくい場面を忠実に再現していただいたのを拝見することができ、気分はまさに五条大橋の袂であった。「へえーそうなってたんだあ」と、ちょっとおもしろかった。
鑑賞後は、内田先生、渡辺ご夫妻、鵜野先生、えこまさん、わたくしの6人で、内田先生に連れていただいた大阪は「亀寿司中店」にて、お寿司を堪能させていただく。中トロがじつにうまい(トロは大好物なのです)。
ああ、うまかった。おいしかった。ごちそうさまでした。
12月25日(土)稽古収めと納会。
幼い頃、クリスマスの朝は、普段寝ているベッドとは違うところで目が覚めることがあった。
前日は、当然のようにクリスマスイヴなので、ちゃんと早く寝た子には、サンタクロースから何かしらのプレゼントがあるのだと、今と変わらず信じていた。
ある年の冬は、寝る準備も整えてベッドに行き着くすこし前、ごろんと横になったらそのまま、すやすや寝静まってしまった。またある年は、「今日こそは起きてサンタの姿を見届けてやる!」と勢い込んではみたものの敢え無く撃沈、気づけば朝、ということがあった。幼少期の遠い記憶、おそらく4歳になるまでの頃の記憶である。
以降も果敢に挑戦したのは後者のほうだ。とはいえ幼い頃から夜にめっぽう弱いので、次第に方向転換し、12時までには必ず眠るようにして、きちんと朝日と共に喜びを受け容れていくことにした。これが小学生の頃である。(そのほうがプレゼントを渡す側も受け取る側も、双方の都合がよろしいのである)。
今朝は、そんな遠い記憶を久しぶりに思い出した。先日コタツなんかを出したからだろうか、あるいは昼前に、サンタの姿こそしていなかったが、そのお使いの方が二人やって来たからだろうか。
どうやらサンタさんも時間ぎりぎりまで、滅いっぱい仕事して、慌てて帰っていくのか、よその国に行くか、するらしい。だからこそ、その場所で間に合わないときは、現地の人間に使いを託していくようである。今年のプレゼントには、合気道部のオリジナル鞄が届く。
サンタ請負人たちから託された鞄に早速、道衣を詰めると、今年最後の稽古収めへと向かうクリスマスの朝が来る。
12月24日(金)
クリスマスイヴと呼ばれる日がある。その日が金曜日と重なるのは、どうやら93年以来のことであるらしい。わたしにとっての93年の冬。何をしていただろうか。何をしていなかったのか。
何をしていたのかはカレンダーを戻せば、だいたいのことはわかる。そうだ。寒さと闘いながら朝早くに起きて、終業式かなにかに行くためにぶつぶつ思いながらうちを出て、掃除かなんかだけして、成績表を受け取って、面倒くさそうに帰ってくる高校生だったのである。とくによい思い出もないはずだ。(と書いたあとで、いま急に思い出したが、じつはそれだけでもなかった)。
「あー、明日から冬休みだねー」とクラスメイトと声を掛け合う頃は、当然のように年賀状なんて、まだ一枚も書いてねー状態の時期なのであった。
「クリスマスまでにちゃんとポストに投函してね~」(正しくは「年賀状は25日までに投函しましょう」だろうが)と盛んに呼びかけていたと思われる当時の郵便局のことばは、こちらにはまったく届かぬものであった。それは十数年経ったいまもまた、変わらぬことなのであった。
12月23日(木)
「歳末たすけあい能」というのがある。わたしは最初、このチケットの購入を求められたとき、買ったチケットは「おおう、これは誰かに譲らなければならないのか」とおバカなことを思ったものだ。
それは、「歳末たすけあい」という名が付くくらいだから(そのあとにつく「能」というのは置いといて)、誰かと助け合うがために、買ったチケットを誰かに渡して(パスして)、自分は観ずに過ごすのだなどといったことを考えてしまったからである。あるいは、パスされてきたらそれを使う、という具合なことを考えたからである。そして、普段この手の舞台を観ない人たちに譲って、互いに助け合うのだろうと思ったら、話はまるで違っていた。かなりおバカなことである。
しかし、そもそもの「たすけあい」という表現が曲者である。どうかと思うのである。対象とするのは、つまり「たすけあい」を行う宛先は、社会活動を円滑にするためのなにか、または、どこかであって、集められたものは全額寄付金になるらしいが、もうすこし対象がはっきりするような表現でもよかろう、と思う。まあ、出演者の方々はボランティア、つまりはノーギャラということらしいから、ほんとにそうなのだろう。
ならば、と気を取り直し、募金も社会活動のための寄付金もできない身の上のわたしは、チケット片手に能楽堂へと駆けつけた。
それにしても、「大江山」に出てくる酒呑童子は、いくらなんでも大きすぎる気がする。