9月7日(火)
長い旅がいま、ようやく終わろうとしている。
ほんとうに長かった。
予想外に長かった。
言うなれば、「二十二日間岡山在住」。
台風が来た日に卒検に合格した。
仮免のときも、じつは近年稀に見る中国地方上陸の台風が来ていた。
どうやらこの手の試験には台風がつきものらしい。
自動車学校入校少し前、予定していた最短卒業日は、9月1日であった。
とはいえ、ワタシの場合、滞在期間のうち一日は、
「どこが帰宅なんだよ」(なはは)的一時帰宅が決定的だったため、
最初から単純に日数が延びることはわかっていた。
さらに単純に考えれば、出られるのは翌日の9月2日になる。
しかし、これはほんとに簡単に考えた場合のことであり、システム上、
一日ズレたからといって、出るのが一日先になるというものではないらしい。
ひとにもよるだろうが、一日延びれば二日先になり、
二日延びれば四日先になる場合があるのだとか。
こんなことになるのは、コンピュータで全体のスケジュール管理の元、
教習の統制がなされているためだという。先方の理由だ。
「コンピュータで管理」などと聞かされると、まるでここにいる人間は、
個人であって、まったく個人ではないように見えてくる。
私たちは、偶然決まった時期に入り、決まった場所で時間に従っているはずだ。
しかし、それは「つもり」であった。
入った瞬間から、じつは一定の決まった品質になって初めて、
表に出ることを許される存在となってしまっていたのである。
あるいは、欠陥として。
なぜか異様に厳しく、集団的に嫌味を言うことが義務づけられた指導員がいる。
罵声を浴びせかけることが本業のようなひとがいる。
激しい規律によってしか成立しえないことになっている、この構造。
脱落者はどんどん切り捨てていき、統制していく、この構造。
ああ、ここは、まるで監獄のようだ。
そう感じることしばしばであった。
よって、「最短卒業」の真の意味は、
飽く迄ここの「宣伝文句」であったことが日増しに確認されていく。
「最短卒業」とは、期日が来たら「みんなが出られる」
ということを意味するのではない。
「なかには、そういう可能性のあるひともいる」ということを意味するのだ。
だから、よく見ると、まわりには、
一緒に来たはずの友達においてけぼりを食らって嘆いていたり、
何度も何度も補習を受けたりしているひとがいる。
話が違うじゃないか、と怒鳴って、直談判しているひともいる。
8月いっぱいが夏休みで、9月から学校が始まってしまう高校生
(自動二輪車を取りに来ている)は、かなり青ざめている。
間に合わず、予定があって転校していくひともいる。
どの姿も実に痛ましく、実に悩ましい。
かくいうワタシも、一時帰宅や補習などで、
当初予定していた帰宅日程(今度は、ほんとに帰宅しますよ)よりズレている。
この手の場所に合宿に参加できるのは、
ある一定のタイプでないと無理だなあと、つくづく思う。
あるいは、どこか特殊な精神性を兼ね備えていなければ、
なかなか成立しにくいものだろうと感じる。
そろそろ限界である。
体力と言うよりもむしろ精神力の方に。
強く強くそう念じ、思ったころ、帰れるようになった。
さ、戻ろう。現実界に。
さあ、脱出だ。