5月19日(水)
そして再会は「鶏」でした。
ふと1ヶ月先のことを思うと、どきどきした。すこしだけ。
頭はずっとそのことでいっぱい。
雨がたくさん降った。
M平先生はいい先生だ。
5月18日(火)
仕事したね。
5月17日(月)
ずっと前からこの日と決まっていた観劇に行く。その名は『ファントム』。
数年ぶりに見た興奮や感想や場の雰囲気への心地より先に、「やはり舞台はナマはいい」という実感が先立つ次第。
さらに数年ぶりの劇場は音響がいくらかよくなり、専科などの新システム導入も見た目には好調に運んでいるように感じた。しかし同時にそれはマイナスに作用することもあるわけで、避けては通れない事実なのだとも。理由は演じている団員の姿を観るうち、以前にも増して組全体の重層感が欠けていることが、素人目にもひしひしと感じられたことによる。
残念なことだが、これまであったような「このポイントをクリアすれば次の段階だ!」という階段の登っていくような感触が薄くなっていた。「トップスター」の次の存在である「二番手」はなく「三番手」もない。あるのは専科からの「抜擢」や「引き抜き」や「降格」であるわけで、文字通りの実力主義という意味の階層ができている。これもひとつの劇団レヴェルを上げるためや集客力を高めるためのやり方なんだろうけれど、一番上に立つトップスターとそれを支える人たちに、これまであったようなある種の信頼性のようなものが完全に欠けていたように感じられてならないのは残念である。
さて、それでも今回は、舞台のあり方や本質に、「能」の舞台のあり方に似たところが少々感じられたところがある。日本人の手による脚色の舞台という意味では、同じ舞台、通じるモノがあるのだろうか、という思いをめぐらせてしまった。生演奏をたっぷり聴かせてくれる場所はそうそうないという意味でもまた。
とまあ、こんなこと思う。
5月16日(日)
雨なので静かに籠もり、静かにすごす。これしか手はないくらいに。
5月15日(土)
たっぷりの汗をかいた。
ペットボトル1本なんて軽く飲んでしまうくらいに暑かった。湿度が高かったんだろう、きっと。
夕方から雨。それも大雨だ。
雨が降ると、すこし気分が滅入る、いや身体が重くなる。財布の中身は軽いのに。
5月14日(金)
風邪をひいたり、治したり。学校に行ったり、眠ったり。片付けたり、散らかしたり。ゴミを捨てたり、集めたり。なのに出すのを忘れたり。
稽古をしたり、休んだり。勉強したり、本を読んだり、サボってみたり。出かけたり、電話したり、メール打ったり、喜んだり。食事をしたり、しゃべったり。
映画を観たり、買い物行ったり、手紙を書いたり、出したり、読んだり。書いたり、消したり、捨てたりしてから、病院に行ったり、歩いたり。電車に乗ったり、着物に触れたり、観劇したり、休んだり。テレビを見たり、文句を言ったり。雨が降ったり、止んだりしたら、やっぱり晴れたり、曇ったり。
なーんでか、いつもよりやっていることが多い気がした慌しい1週間。
きょうは(おそらく、きょうではないかと予測していた打ち合わせが別の日に変わったこともあって)イタリア語の授業を初めてサボって(すみません!)、湊川神社に楠公祭奉祝関連の能楽鑑賞会に行く。
能は下川先生の「楠露(くすのつゆ)」なのである。
お稽古を始めてから、初めて先生の舞台を拝見した。
これまでに拝見した仕舞などの舞台は、「ああ、これが能の先生なのですね、すごいな。まるで動きの質が違う」と、それくらいしか感じることもなかったが、きょうばかりは、「ああ、下川先生だわ」と(当然なのですが)まず舞台に出てこられたことに喜ぶところから始まる。そして、「なんてかっこいい装束なの」と思いながら、言葉を聞き、足の捌き方や手の位置、目線、立ち居振る舞いのちょっとした仕草を注意深く見てしまう。
能のストーリーは、楠公さんに因んでか楠木正成の話である。
かの朝敵足利尊氏一派を迎え討つことになった正成が、まだ幼き我子正行を戦乱に巻き込まれぬよう故郷へ帰るよう諭し、親子の別れを告げるそのやり取りを記したものである。これは(おそらく)父子ものである。(ううっ、泣けるねえ)。
先週拝見した別の方の演じた「百萬」は(おそらく)母子ものであったことを思い出すと、能の舞台とは、何と悲しい話が多いことでしょうか。(ううっ、これも泣けるねえ)。
狂言に明るい話が多いことを思えば、そこが両者の違いなんかしら。疑問。
鑑賞後、神社をお参りし、おみくじを引く。
きょうは「中吉」。あ、毎週引いてる。ほとんど趣味に成り代わっている。
5月13日(木)
どうしたのかと思うほどの雨が降る。
市川團十郎が『十一代目市川海老蔵襲名披露 五月大歌舞伎』を休演した。
「急性前骨髄球性白血病」との診断を受けたらしい。息子の海老蔵襲名のときに限って休演というのはいったいぜんたいどういう流れなるものの仕業か、素人は単純にそのことだけを案じ、想像してしまう。とにかくよくなればいいと思う。
先日のテレビで見たばかりだし。ちょっと寂しい。
5月12日(水)
なんか忘れた。
5月11日(火)
そわそわしたいちにち。
出来事には片付くことも、話が前に進むことも、滞ることもいろいろある。それでもとにかく前には進んでいる。
5月10日(月)
『茶の本』を、ちゃらちゃらせずに、ちゃんと読んだら、だんだんお茶が飲みたくなって、そのうちたまたま新茶が届いた。
市川団十郎と市川新之助改め海老蔵の姿を見たいがためだけの理由で「スマスマ」なる番組を数年ぶりにちゃんと見る。一時はこの番組をよく見ていたものだが、最近では贔屓の「竹ノ塚歌劇団」が放映されるときくらいしか見ない。だから最初からきちんと見たのは、ほんとうに久しぶりのことだ。
さて、番組の名物コーナーのひとつである「ビストロスマップ」のゲストとしてやって来た団十郎と海老蔵親子の今日のオーダーは、「カレーライス」と「食後のデザート」。
海老蔵襲名に因んで海老入りカレーなんてモノが出されていた。見ただけでよだれがでそうになる。カレーライスって、どうしてああも食欲をそそるのでしょう。画面を見ているだけでは味は伝わらないはずなのに、ヨダレが…。そして、ただそれだけでカレーが食べたくなってくる…。
ああ、どこかにうまいカレー屋でもないかなー。とはいえ極端に「辛い」のやごちゃごちゃしたのが食べたいわけではないので、ご覧になった方ならわかるでしょうけど、今回の「木村・香取ペア」が出した、ああいうまろやかな甘みを持ったカレーが食べてみたいし、そういうのが好きなのである。
ところで、「木村・香取ペア」で思い出したが、「Kムタク」というひとは、どうしてあんな態度をとるのだろう?
今回のゲストは歌舞伎役者で、しかも何代も続く伝統的な家柄の人だけあってか、食べ方ひとつ話し方ひとつ、そして彼らの存在においても、やっぱりある種の品格を感じた。人間やはりどこかに「エレガント」と言われるものもまた必要だなあと、瞬時に気づかされるばかり。白いスーツを着たままでカレーを食べても汚れない人は初めてみた。(とはいえこればかりは、努力してどうこうなるものでもないだろう。生まれ育った環境やご縁が優先されてしまうといった哀しいかな生まれ持った運命ではなかろうか。だって、明日からの訓練でどうこうなる代物でもないのだろうから)。
さてはて、気品に満ちた相手と話すためか、いつもなら(これまでの印象では)でれでれっとした態度でオーダーや話を進めるN居くんも、さすがに今回はことばに気をつけていた印象を受けた。ほかのメンバー(Kなぎ、I垣、K取)らからも、もちろんどこかに緊張した空気が伝わってくる。なのに「Kムタク」ひとり、自分がプライベートで新之助改め海老蔵と関わりがあることを強調し、何かと偉そうな態度をとる。話し方も総じて「丁寧語」は使ってはいるものの、何ら滑らかさがないし、あんまり洗練されてもなく、どこかまずい。
しかも彼独特のライバル意識かメンバーとの差をつけようとし、ほかのメンバーが取る行動のあとに映る顔もかなり無愛想かつ対抗心がギラギラしていた。ほかのメンバーに対して「オレはおまえらとは違う」と言わんばかりの顔つきであったのだ。(現在放映中『新選組!』で、ご存知近藤勇役である香取君は、『武蔵』時代の新之助とは、番組を交代したつながりがある。その話が出たときのキムタクの怖い顔、怖い顔…)。こんな様子を見ると、嫌味のひとつも言いたくなる。
しかしたとえKムタクに、こちらが推測するような特別な意識が働いてなかったとしても、一瞬でも視聴者が不快感を生じるのは問題ではないか。やっぱりヤツは「Kムタク様」あるいは「オレサマ」なんだろうか。それともワタシの考えすぎか?
そういや思い出したが、先日のいかりや長介の弔問に訪れた彼の態度には参ったね。
ご覧になっていない方のために少々説明を加えれば、弔問に訪れた多くの芸能人のなかにはKムタクもいた。以前、いかりやさんと一緒に仕事した関係でスマップのメンバー全員が訪れたそうだ。(彼はドラマで共演したこともある)。
ほかの芸能人同様、順番に焼香を済ませた後、Kムタクは何を思ったのか、いかりやさんのお嬢さんに大きく抱きついた。
これについて、百歩譲って気を落とさぬようにといった彼なりの励ましの意味が込められていたと理解しよう。しかし誰が葬式の、焼香の場であんなことするか。関係性から言ってもありえない。だって彼は遺族ととくに深い親交や面識があったわけでも、お嬢さんと幼なじみなわけでもないのだから。したがって、あれは相当に場違いな態度となる。配慮がないバカな人間とみなされる。場になじまない。不愉快だ。視聴率や視聴者の興味をそそる意味あいがあるのか、報道番組はこぞってこれを「よきこと」として取り上げていたが、それもどうかと思いますがね。
だって、ほんとうに気の毒に思ったり、力を失くした人間に声をかけたりするときは、あとから静かに、あるいはふたりだけのときに、そっとするもんでしょう。それは、どこの何に所属していて住んでいて、何を仕事としている人間であっても同じことだと思う。ほんとうに励ましたいのなら、そうすべきものでしょうよ。そうでなければ伝わるものも伝わらないし、ましてや葬儀の場において、あんなことするなんて。しらけるの、何の。誰の、何を、悔やむ場であるのか、そこのところをもう一度考えていただきたい。
その点、織田祐二の態度はたいへんスマートだった。「踊る大捜査線」で共演した彼は、葬儀に出てくるタイミングから何から何まですべてにおいてそう見えた。たとえそれが事務所側の考えが含まれていたのではないか、という個人的な憶測を割り引いたとしても報道陣への対応はとてもスマートだったし、いかりやさんを偲ぶ彼は、ほんとうに目を潤ませていた。見たとき、こちらがもらい泣きしそうなくらいだった。
♪ボギー ボギー あんたの時代は良かった
その昔、こんな歌があった。いまこの歌の「ボギー」を「Kムタク」に、「良かった」を「終わった」に変えて、彼に捧げたい気分である。
さよならKムタク。
もう文句は言わないよ。だって、あんたの時代は終わったのだから。(…と勝手に終止符を打つ)。
さてはて、時代は海老蔵である。
かの「海老さまブーム」再来なるか。「よっ!成田屋」と叫ばないまでも、死ぬまでにいちどくらいは見てみたい。