スーさん、準優勝に思う

8月1日(土)

途中雨による中断もあり、計4日間に亘った県大会が終わった。
結果から先にご報告をしておきたい。
個人戦は、参加した2ペアとも2,3回戦敗退であったが、何と団体戦では決勝まで進出、さすがに優勝こそならなかったが、堂々の準優勝という結果で東海大会への出場権を得ることができた。
望外の結果であったと言ってよい。

県大会は、初日の団体戦からスタートした。開会式が終わり1回戦の試合が始まってまもなく、雨がひどくなってきた。
本校は、ちょうど1番の試合が終わって、2番の試合も第5ゲームまで進み、ゲームカウント3−2と本校ペアがリードしていたところであった。放送で試合中断が告げられた。
その試合、相手は6月の県選手権でベスト8に入ったペアであった。こちらは個人で県大会にも出られないペア。実力差は明白と思われた。しかし、実際に試合が始まると、互角かそれ以上の展開になった。流れはこちらに向いていたから、できればそのまま試合を続行してほしいところであったが、さすがに水の浮き始めたコートも出てくるに至っては是非もなかった。問題は、いつ再開されるかということであった。ところが、一向に雨は止む気配がない。そのまま待つこと1時間ほど。競技役員の幹部クラスが招集された。競技終了後、監督が招集された。降雨のため試合を順延し、明後日の正午、個人戦終了後に再開するとの決定が知らされた。
天候には勝てない。自分も選手たちもずいぶん雨に濡れた。コンディショニングのこともあるので、早々に、そのまま宿舎へと戻ることにした。

翌朝、外を見ると雨であった。
県ソフトテニス専門部長のヨッシーからメールが入った。「予定どおり実施します。雨対策を充分にしてお集まりください」とのことであった。「うーむ、やるのか。ヨッシーも苦しい決断だのう」と思いつつ、支度をして会場へと向かう。その頃には、雨もだいぶん小止みになっていた。
開会式では、マッチを5ゲームに変更し、予定では2回戦までであった試合をやれるところまでやるとの説明があった。仕方のないところであろう。

本校選手たちの試合が始まった。2ペアとも、初戦は危なげなく勝ってくれた。しかし、市内大会でシードペアを次々に撃破したK&Mペアが2回戦で敗退してしまった。相手ペアの前衛は、県選抜に選んで都道府県対抗戦に出場した選手であった。相手後衛にはうまくこちらの前衛を避けるように配球され、その前衛選手に決められた。何とかタイブレークには持ち込んだものの、そのまま敗れてしまった。
大将ペアも、2回戦こそ突破したが、3回戦の相手は県選抜チームの候補選手として選んだ後衛選手のペアで、6月の県選手権ではベスト4に入賞したペアだった。ほぼ互角の展開であったが、要所でその後衛選手にコース変更の速いロビングを打たれ、この試合もタイブレークに持ち込んだもののそのまま敗戦という結果になってしまった。
これで、個人戦での東海大会出場はなくなった。

この日は、予報とは違って雨は朝方だけで、昼間はほとんど降らなかった。おかげで順調にベスト8決定
の試合までを消化することができた。
気になることがあった。団体戦で本校との対戦が予定されている学校のペアがベスト16に入ったのである。実際に試合ぶりも見たのだが、運動能力の高さを感じさせるプレーを随所に見せていた。これは手強い相手になると予想された。

3日目、午前中は個人戦の準々決勝から決勝までが行われた。
団体戦出場校の集合は正午であったが、午前10時から順次コートを割り振って公式練習の時間を設けるとのことであった。
個人戦の試合も観戦したかったので、9時過ぎには会場入りすることにした。
個人戦男子のベスト8には浜松勢が4ペア入っていたが、いずれも準々決勝で敗退してしまった。ベスト4に勝ち残ったペアのうち3人が、県選抜で都道府県対抗戦に出場した後衛選手たちであった。順当な結果であったと言えよう。優勝したのは、県選手権も制したK選手のペアであった。

午後1時から、団体戦が再開された。本校は、第2ペアがゲームカウント3−2リードからのスタートだ。
最悪のシナリオは以下のとおりだった。第2ペアが第6ゲームを落としてタイブレークの末に敗れる。続く第3ペアの試合は、相手が例の「運動能力の高さを感じさせるプレーを随所に見せるペア」だったから、そのまま敗退して結果初戦敗退、というものだった。
そうならないためには、何としても第2ペアの試合で決着をつけておく必要があった。
試合が始まった。本校の後衛選手は2年生だった。さすがにビビったのだろうか、ボールがネットを超えない。あっという間にタイブレーク。具体的な戦術を確認するとともに、後衛選手には檄を飛ばして送り出した。しかし、タイブレークは相手のポイントが先行した。何とか2点差を保ちつつ迎えた第7ポイントから、相手が急に乱れた。ダブルフォルトやネットミスを繰り返してポイントは4−4。そこからは息を吹き返した本校ペアがポイントを重ねて先にマッチ、1点は返されたもののそのまま7−5で勝つことができた。これは大きな勝利であった。なぜなら、続く3番(勝敗が決まっても初戦だけは3番まで行う)は、件のペアに2−4で敗れたからである。最悪のシナリオは何とか避けることができた。安堵した。

次の対戦相手を見ておかなければならない。どちらかと言えば、富士地区1位のT中に勝ってほしかった。なぜなら、T中と対戦するK中の大将ペアは、前日本校の大将ペアが個人戦で敗れた相手だったからだ。何よりイメージが悪い。幸い、試合はT中が3番勝負の末に勝ってくれた。与し易いと思った。しかし、これが甘かった。
第2試合が始まった。監督の「与し易い」という印象が選手にも伝わったのだろうか、大将ペアは随所でイージーミスが出てぴりっとしない。2−1とゲームをリードされたが、何とか途中から盛り返して勝つことができた。しかし、続く第2ペアは相手の大将ペアにタイブレークの末に敗れてしまった。3番勝負も、先にゲームを先行されたが、途中からようやくこちらの戦術が奏功し始めて何とか勝つことができた。これでベスト8。東海大会への出場枠は4つ。次の試合に勝たなければ東海大会出場はない。

相手は駿東地区1位のNK中。第4シード校であった。どちらかと言えば変則的なテニスをするチームという印象であったが、どうということはなかろうと思っていた。しかし、それはたいへんに甘い予想であった。
準々決勝は2面同時進行で始まった。まずは大将ペアに勝ってもらわねばならない。ベンチは大将ペア側に付いた。試合が始まった。確かに変則的な配球であった。そんなに速いボールを打ってくるわけではないのだが、要所でこちらの前衛を攻撃してきた。それがことごとく決まった。あっという間にゲームカウントは0−3。隣でやっていた第2ペアも同じくゲームカウント0−3。
敗戦を覚悟した。
大将ペアの前衛には、コート・チェンジの際に「いいか、相手は必ずおまえのところにボールを打ってくる。それを待て。出てはいかんぞ」と念押しをして送り出した。第4ゲーム、少しずつこちらの前衛が相手後衛の配球にアジャストし始めた。しかし、こちらの後衛のミスもあってポイントは2−3。相手のマッチポイントである。しかし、不思議とこのまま負けるという感じはしなかった。相手前衛のミスに助けられてマッチを逃れると、そのゲームを取って1−3。まだ気は抜けなかったが、次の第5ゲームはこちらの前衛がおもしろいようにポイントを決めて2−3でチェンジコート。ベンチに戻ってきたので、前衛選手に「合ってきているからな。自信を持ってやるんだ。おまえたちがウチのエースペアなんだから。もうここまで来たら、技術じゃないんだぞ」と励まして送り出した。そのまま第6ゲームも取ってタイブレークに追いついた。

隣では、第2ペアがそのままストレートで敗れて、第3ペアの試合が始まっていた。相手はダブル後衛だった。前衛がいなければ、本校の後衛選手はほとんどミスをしない。あとは、こちらの前衛がいかに相手のボールを追いかけられるかが勝負だ。幸い、こちらの試合は本校ペア優勢のままに試合が進行していた。

さて、大将ペアのタイブレーク。「最初の2ポイントが肝心だぞ」と言ってあった。1−1で折り返す。しかし、ここから本校ペアのペースになった。さすがに相手は打つコースを変えてきた。しかし、それまでとは違うコースを打つのだから、思うようにはポイントが取れない。逆に本校ペアはそのままポイントを連取する。そのうちに、隣のコートの試合が終わった。本校ペアのストレート勝ちだった。その様子を見たのだろう、相手ペアは完全に気を呑まれた状態になってしまった。ミスが目立ち始めた。ポイントは5−2からこちらのマッチポイント。思わず、「中津川や!」(何で興奮すると関西弁になってしまうのだろう。ちなみに、中津川とは東海大会が開催される岐阜県中津川市のことです)と叫んでしまった。
最後はどうなったかよく覚えていない。ゲームセットと同時に、思わずベンチから立ち上がって選手たちと一緒にガッツポーズをしてしまった(ああ恥ずかしい)。
こうして、本校の団体戦での東海大会出場が決まった。
試合後は、保護者のみなさん、応援してくれていた浜松の顧問の先生たちなどと握手、握手、また握手であった。ほんとうにうれしかった。もう翌日の準決・決勝など、どうでもいいと思った。

さすがに4泊目の宿は取ってなかったので、この日は浜松へと戻った。選手たちもさぞかし疲れていたであろうから、自宅でゆっくり休ませようとも思っていた。
自分の体調もあまりよくなかった。団体戦の前日は、試合のことが気になったためか、夜中に目が覚めてしまい、そのまま明け方まで起きていたので頭が痛かったし、雨に打たれて風邪を引いたためか喉も痛かった。さらには、曇っているからいいだろうとサングラスを外してベンチ入りしていたためか右目がチカチカしてかすむような感じもしていたのである。
家でゆっくりと風呂に入って早めに就寝したが、これまた体中に熱が籠もっているような感じがして夜中に目が覚めてあまり熟睡できなかった。
翌朝、疲れた体に鞭打って静岡市へと向かう。

準決勝の相手は、優勝候補筆頭であるFS中を地区で破って堂々の第1シードとなったFY中であった。この学校のコーチは、県選抜チームのヘッドコーチを務めるOコーチである。さすがに仕事のためOコーチは会場には来ていなかったが、あまり見苦しい試合だけはしたくない。そう思いつつ試合に臨んだ。
試合は第1試合が大将戦になった。この試合は本校に軍配が上がった。続く2番は相手が勝って3番勝負。相手は2年生ペアだった。さすがに要所ではミスが出る。そのミスにも助けられて、本校ペアが勝った。これで決勝進出が決まった。

でも、こんなことってあるのだろうか。本校は、団体戦の地区予選は最下位で県大会に出場した。初戦の相手は静岡市内大会準優勝の学校だった。次が富士市の1位、そうして第4シード、さらには第1シードまでも倒しての決勝進出である。こんなことは、誰もが予想だにしなかったことではなかろうか。誰より、選手たち自身が望外の結果に驚いていたかもしれなかった。

決勝戦の相手は、優勝候補筆頭のFS中だった。大将に個人戦優勝ペアを擁する。せめて3番勝負になればと思っていたが、トップの大将ペアが勝ち、続く2番は相手大将ペアに鎧袖一触で撃破され、3番勝負となった。
相手ペアの気迫はすばらしかった。本校ペアにその気迫を受けて返すほどの気力は最早残ってはいなかった。そのままストレートで敗れて、本校の準優勝が決定した。

選手たちも満足したであろうが、監督も大満足であった。今回のような試合こそ、まさに監督冥利に尽きる試合であったと思う。
翌日、地元紙で結果を知ったのであろう、前日の「東海大会出場おめでとう!」メールに引き続いて、「準優勝おめでとう!」メールをいろんな方からいただいた。そうやって、たくさんの人が喜んでくれている、応援してくれていることを知って、心からありがたいと思った。

来る東海大会は、今月7日から。会場は岐阜県中津川市。前日の6日から出発の予定である。
「次はいよいよ全国大会ですね」って、監督は露ほども然様なことは考えていない。
参加することにこそ意義があるのだ(でも、1回くらいは勝てるといいなあと思ってます)。
それなりに準備をして臨みたいと思う。

引き続き、ご声援をよろしくお願いいたします(ぺこり)。