スーさん、異動の春

3月26日(日)

先週の金曜日(24日)、異動の辞令を拝命した。

本県では、昨年度より年度末の異動の際、異動の対象となる教員が自分の行きたい学校を指定できる「希望表明制度」が発足せられた。県の管理主事の話では、約4割の教員が希望どおりの学校へと異動したとのことである。「じゃあ、やってみっか」と、手前も希望表明をしてみたのであるが、手前のような不肖の教員の希望など叶うはずはなく、まったく希望外の学校への転任となったのである(だからといって、別段不満があるということもなく、「そうなんだ」程度の受け取りです、念のため)。

現在校では、6年間の勤務であった。その間、学年主任を4年、教務主任を2年務めさせていただいた。着任したばかりのころは、本校もご多分に漏れず所謂「荒れる学校」であった。生徒たちは、髪を染め、器物を破損し、授業エスケープを繰り返し、喫煙し、注意する教師には反抗的な態度を示して立ち向かってくることもしばしばであった。

こういう「荒れ」に対処するための特効薬などはない。地道に、時間をかけ、きめ細かな対応を積み重ねていくしかないのだ。「荒れ」ている一部の生徒ばかりでなく、学年の生徒一人一人に目をかけ、声をかけ、わかりやすい授業を心がけ、行事では生徒と一緒になって燃え、部活動に汗を流し、保護者とも連携をとりながら、学校(教師)と生徒、保護者、地域との信頼関係をこつこつと築いていくしかないのである。

校長先生のリーダーシップの下、各学年教師集団が、学年主任を中心に一致団結して学年、学級の指導にあたった結果、学校は少しずつ落ち着きを取り戻してきた。

私の担当した学年の生徒たちも、中3に進級すると同時に、全体的に落ち着いてきた。一部突出した生徒ももちろんいたが、学年全体の生徒たちが彼らを相手にしなくなってきたのである。何より、授業に対する真剣な取り組みが目立つようになってきた。もちろん、これは中学校卒業後の進路を考えてのことであろうと思われるが、そうやって先のことを考えられるようになったということが大きな進歩だったのである。

そんな学年の生徒たちの卒業式、前年は突出した生徒たちが赤や黄色の学生服を着用して、後々まで「5レンジャー」などと揶揄される卒業式であったから、何か新しい試みができないかと学年の先生たちと相談し、生徒たちには「卒業式委員会」を発足させて生徒たちの意見も取り入れ、卒業生がクラスごと放射状に着席して、保護者が見守る中を粛々と卒業証書を拝受するような式場に変えることにした(この式場の形式は、現在も本校の卒業式で受け継がれている)。

その年の卒業式には、病気で途中休職中の校長先生も駆けつけてくださった。式が終わったあと、その校長先生から「いい卒業式だったな、よくやった」とお褒めの言葉をいただいた。何よりのことであった。

次の校長先生は、落ち着きつつある学校を、特に部活動で力を発揮させる経営を構想され、「文武両道」を合言葉に、学習と部活動に力を入れた指導が展開された。かつての「荒れ」がまるで嘘のように、生徒たちは部活動に熱中した。その結果、市の中学総体では各部の結果を総合した「教育長杯」(男女総合優勝)を毎年のように受賞するほどになった。

部活動の成果は、生徒たちに自信と誇りを齎した。髪を染める生徒もいなくなり、もちろん喫煙や授業エスケープをする生徒もいなくなった。かつての「荒れた学校」は、今や市内でも有数の部活動の盛んな学校へと変わったのである。

そんな落ち着いた状態の中で、最後の2年間は、「教育改革」の実際を提出文書や教育課程編成の端々に感じつつ、教務主任を務めさせていただいた。あれこれ新企画を構想する遑もなく、前年踏襲の教育課程編成であったが、自分としては精一杯務めを果たすことができたと思っている。転任はよい潮時であったと思う。

さて、辞令をいただいたその日は、転任先の学校へ出向いてご挨拶をすることになっている。事務職員からいただいた履歴書やら辞令の写しなどを持って、この4月からお世話になる学校へと出向いた。

今度の学校は、浜松市の中心部からやや西方の、近くに縄文時代後期の遺跡がある学校で、学級数は10。現在では標準規模の学校である。学校は落ち着いていて、もちろん問題行動とてない。教育熱心な地域で、生徒たちの学習意欲も高いと聞く。県外からの視察も多く、卒業式では生徒たちが作詞・作曲した卒業式歌を歌うそうだ(その歌は、つい最近CDが全国発売された)。

辞令を持って校長室に入ると、既に手前と同様に転任してきた先生が何人か着席して、教頭先生と思しき方といろいろとお話をされている。挨拶を済ますと、その先生が「どうぞこちらへ」といざなってくださった。「今、教頭さんを呼んできますからね」とおっしゃる。「え?この方が校長先生だったんだ!」とやや狼狽える。小柄で痩躯、穏やかな口調。手前は今度お世話になる校長先生とは、その謦咳に接する機会がなかったため、拝顔するまでそのご容貌を存じ上げなかったのである。

全員が揃ったところで、その校長先生からいろいろとお話を伺う。ご自身がしたためられた「教育構想」の冊子を示されつつ、生徒や保護者・地域の様子、力を入れて取り組んでほしい教育活動などをこまごまと話された。ユーモアを交えながら、聞いている人を飽きさせない語り口である。

そう言えば、辞令を持って行く日、本校の音楽担当であるサイトウ教諭から、「あの校長先生はすばらしい先生ですよ!」と聞いていたことを思い出した。今度の学校の校長先生は、音楽が専門教科なのである。お話を伺うにつれ、サイトウ教諭の言ったことが真のことであったと実感させられた。穏やかな口調の中にも、確固たる信念をお持ちの先生であると確信した。

うれしい。

どんな仕事を任せられるのかはわからないが、たとえどんな仕事であれ、あの校長先生の下でならやっていけそうな気がしてきた。4月になるのが待ち遠しい。