どきどき新学期

3月31日(木)

多忙な月であった。

新入学の生徒数が不安定で、現在211名。静岡県では、中学1年生を対象に「中1弾力化プログラム」(中学1年生だけ1学級35名を超える学年は40人学級で編制しなくてもよい)を実施している関係で、210名ならばちょうど6学級、211名ならば7学級で編制できるのである。

もちろん、生徒数の増減に伴って配当される教員の数も変動してくるわけで、たった1名の生徒によって、学級編制や時間割を含めた何から何までを変えないといけなくなってしまうのである。

1月の終わりからずっと新入生の数をモニターしてきたが、210名を境にして揺れ動き続けてきた。1/25(208名)、1/27(209名)、2/2(210名)、2/7(212名)、しばらく安定後、3/4には私学へ抜ける児童が出て210名。ほぼこれで決定と考え、6学級編制ですべてを準備していこうと思っていた矢先、区外から転入生が来ることになり、211名。その後は変動がなかったため、7学級で新年度の準備を進めてきた。

そんなことは考えたくないが、入学式の日にもしも211名を下回るようなことになってしまうと、急遽学級編制から時間割まですべてをやり直さなければならなくなる。教員も1名減になってしまう。どうか211名を下回りませんように、と祈るばかりである。

昨年の今ごろは、わけもわからず新年度の準備に忙殺されていた。ちょうど昨年の今日、翌日に行われる「第1回職員会議」の資料を、夜遅くまで学校に残って一人で印刷・製本していたことを思い出す。今年はだいぶん様子がわかってきたので、多少はゆとりをもって準備をすることができた。どんな仕事でもそうだが、1年間やればそれなりに慣れてくるものなのである。

そうでなければ、とても先週の土日を中心に行われた神戸女学院大合気道部の春合宿に参加することなど不可能であった。逆に、「何とか春合宿に参加するぞお」と思っていたから、仕事を早めに進ませることができたとも言える。

それにしても、神鍋高原は遠かった。浜松からは車で片道約450キロ。東名・名神・中国道・播但道を使用し、途中休憩1回で走って約5時間半。何とか稽古の始まる時間には、合宿先である名色ホテルへと辿り着くことができた。

今回は諸事情もあって、一人で参加することになっていた。運転も一人で行わなければならない。途中睡魔に襲われないよう、道中CDをがんがんかけていくことにした。車のCDチェンジャーには6枚のCDが入る。1枚1時間程度のCDならば、ちょうど到着するまでの時間をカバーできると考えたのである。

何のCDを選ぼうかかなり迷ったが、往復でマーラーの交響曲を全曲聴いていくことにした。演奏はすべてサイモン・ラトルが指揮したもの。往きは、1番から4番まで、帰りは5番から9番までである。

サイモン・ラトルは、最近特に気に入っている指揮者である。バーミンガム響の音楽監督から、近年はかのベルリン・フィルの音楽監督に就任したが、その就任記念コンサートでのマーラーの5番が尤なるものであった(BSで放送された)。以来、いっぺんにラトルのファンになってしまったのである。

私見では、ラトルの演奏の特徴は、まずダイナミックレンジが広い。特に、弱音部の演奏が美しい。また、通常の演奏ではなかなか聞こえにくい声部のパッセージが明瞭に聞こえてくる。そのため、「えっ、スコアにはこんなところも書かれてたの?」と思ってしまうことが度々ある。だから、ともすると曲中の中だるみ状態になりがちな部分も、けっこう興味深く聴くことができるのである。

ラトルのマーラーでは、特に2番・6番・7番の演奏が秀逸であると思う。すべてバーミンガム響との演奏であるが、このバーミンガム響の演奏技術も侮れないものがある。ベルリン・フィルに勝るとも劣らない演奏なのである。

手前は、マーラーの交響曲をそれこそ当時のレコード盤が擦り切れる程に聴いていた時期がある。

今回のように、あらためて1番から聴き直していくと、その憑かれたように聴いていた時期のイメージが、曲節の進行とともに鮮やかに蘇ってくるのが感じられる。例えば、3番だと夏休み中の暑く湿った風とか、「大地の歌」だとこれから春を迎えていく「風光る」イメージなどである。

そんなことをあれこれ考えながら運転していたので、5時間半のドライブもさほど苦にはならず、無事名色ホテルへと到着することができた。

内田先生の稽古を受けるのは、これで3回目。今回は、ふだんあまり稽古できていない杖や声明などを体験することができ、得るところの多い有意義な2日間であった(それにしても、出血されていた「越後屋」さんは大丈夫でしたでしょうか?)。内田先生にお教えいただいたこと(コヒーレンス、シリウスなど)を意識しながら、またこちらでの稽古にも励んでいこうと思う。

2日目は、午前中の稽古で切り上げさせていただき、早めに帰途につくことにする。とりあえずはその日のうちに自宅に辿り着けばいいので、のんびり帰ることにした。

神鍋高原から和田山の播但道入口に到着するまでで、5番を聴き終えてしまう。ちょうど眠くなりがちな高速道は6番・7番。おかげで睡魔には襲われることなく順調に運転することができた。途中、食事もしながら、8番を半分ほど聴いたところで自宅に到着。2日間で約900キロを走破すると、さすがにぐったりと疲れてしまった。

内田先生をはじめ、神戸女学院大合気道部の学生さんたち、ドクター、「越後屋」さん、イワモトくん、内古閑さん、石田さん、お世話になりました。またの再会を楽しみにしています。

その後、離任式・送別会と慌ただしく年度末を過ごして、明日から新年度である。今までほんとうにお世話になった校長先生も退任された。4月からは、新しい校長先生をお迎えし、また書類の提出に追われる毎日である。しかし、昨年の様子もわかっているので、少なくとも昨年のような「自転車操業状態」だけにはならないはず?である。

それにしても、入学式、ちゃんと211名来てくれるかなあ。ドキドキ。