生まれて初めて、メイドさんと言うものを雇ってみることになった。
「メイドさんを雇う」と言うと、何だかすごくお金持ちになったような響きだが、インドネシアでは家にメイドさんが居ることは割と一般的なことで、ちょっとしたアパートだったらたいていどの部屋にも「メイド部屋」と言うものが存在していた。
だから、私たちが新居として住みはじめたマンションにもランドリー部屋とその奥に物置のような小さなメイド部屋があり、メイドさん用のトイレと裏玄関が、なんてことない顔で完備されていた。
アパートの造りで面白いことには、普段、メイドさんやテクニシ(技術者)などはこのメイド部屋に通じる裏口から靴と靴下を脱いで部屋に入るようになっており、アパート内にはメインエントランスとは別に、彼ら専用のエレベータもあって、家主と鉢合わせしないような構造になっていた。
だけど一歩マンションの共用スペースに出れば、連日そこらじゅうで多くのメイドさんがナニーとして子守をしているのを見かけたし、朝プールでのんびり泳ぐ家主をただぼんやりと木陰で見守っているだけのメイドさんなんかも居て、このマンションに住む人のほとんどが、メイドさんと共に生活をしているのだということがよく分かる光景だった。
マンションを紹介してくれたエージェントも、当たり前のように「メイドが決まったらすぐに知らせて欲しい」と言ってくるので、私たちもさっそく、このインドネシア社会に根付く「メイドさん」と言うものを雇ってみることになったのである。
まず、何をどのくらいの頻度でお願いするか、またメイドさんのランクなどでいろいろと変わってくるが、だいたいこちらで通いのメイドさんを雇う相場は日本円にすると「月2万円弱から」というところである。それからメイドさんというのは、基本的にツテを頼って、自分で探さなくてはいけなかった。生身の人間なので、家主との相性が絶対条件ではあるが、本帰国が決まった日本人家庭などからの「紹介」がトラブルが少ないというし、ちゃんと紹介された人であっても、借金の申し出などの金銭トラブルは往々にしてあるとの話も聞く。
もっとひどいところだと、家主の留守中にメイドさんたちがパーティを開いていただの、仕事をサボってNetflixを観ていただの、運転手が勝手に車を持ち出して週末にタクシーの副業をしていただの、家に帰っていると思ったら地下に住んでいただの...極め付けは車と共にどこかへ消えただの、この手の嘘のような笑い話は枚挙にいとまがなかった。
だから、ジャカルタでの暮らしをよく知っている先輩からは、雇うときは少なくとも2週間の試用期間を置いたほうがいい、との忠告を受けていた。ピンからキリまでいるメイドさんを見極める期間として最低でも2週間は必要、というわけである。そして絶対に一人目では決めずに、トライアルの期間には何人かと比較したほうが良い。少しでも気になるところがあったら変えるべきで、家に入るメイドさん選びは妥協してはいけない。また、メイドさんのスキルはこちらが育てるものだから、大切なのはフィーリングであり、相性であり、素直さや従順さであって、語学力や学歴はメイドさんのスキルには必要ない、と彼女は教えてくれた。
それから買い出し時の多少のちょろまかしは目を瞑るように。残業をさせてはいけない。高圧的な態度を取ってはいけない。ラマダン月にはボーナスを与えること。家族の一員として温かく迎え入れること。ただし、一緒に食事をとってはいけない......などなど。
だけど結局、私はそんなありがたいアドバイスのいくつかを無視して、試用期間のたった2日目で、一番最初に面接をしたアプリナさんという五十代のメイドさんを雇うことに決めた。
シンガポールで14年ほど働いていたというアプリナさんは、英語が堪能で、その分1時間の単価も高めだった。面接に来たときには、真っ先に退職金と交通費の有無について質問するほど金銭感覚がしっかりしている印象だったが、その分、賢そうでもあった。
もちろん、他のメイドさんを誰一人知らないで、一番最初のアプリナさんに決めることに少なからず不安はあったが、こんなにも早くにアプリナさんを採用すると決断したのには、「彼女の作った料理が美味しかった」という単純な理由が大きかった。
ひとたび彼女が台所に立つと立ち込めてくる美味しそうな匂いに、私はワクワクが止まらなかったのである。もちろん料理は全て美味しく、特に初っ端、彼女が作ったオクラのサラダは絶品すぎるほど絶品で、冷蔵庫にある調味料をどう混ぜたらこれができるのか不思議だった。後から考えると、アプリナさんは長いメイドキャリアの中でプライベートシェフなんかもしていたのだから、オクラのサラダ一つで骨抜きにされた私たちは、あまりにもちょろい雇い主だったかもしれない。だけどあの時は、こんな美味しい料理を作ることのできる人を逃してはいけないと思ったのである。
こうして、オクラのサラダに胃袋を掴まれた私たちの元には、生まれて初めて、料理上手なアプリナさんというメイドさんが来てくれるようになったのだった。
ところで、「インドネシアのメイドさん文化」に話を戻すと、インドネシアにはアプリナさんのようなメイドさんを生業としている人たちが500万人近く居て、その9割近くが女性だという。つまり、インドネシアで働く女性の13人に1人がメイドさんという統計になる。
またインドネシアでは、アプリナさんのようにシンガポールやマレーシアなど、海外へ出稼ぎに行く政府による正式な派遣システムが存在し、毎年7万〜8万人ほどが海外に出ては、国にいる家族へ送金したり、自身が勉強する資金にするなどしており、国は彼らの重要なセカンドキャリアのステップアップを全面的にバックアップしていたりするのである。
だからそういった国の海外派遣のシステムを使えば、短期ではあるが、渡航前に英語習得のプログラムに参加でき、アプリナさんのように英語を話せるようにもなる。
近年では、シンガポールでメイドさんとして出稼ぎをしていたシティ・ムジアティさんという人が、家事業の傍らコツコツとお金を貯め、オンラインで大学講義を受けて英文学の学士号を取得したというシンデレラストーリーなんかもあり、メイド業がいかにインドネシアにおける一大産業になっているかということも伺える話だった。
一方で、メイドさんや運転手さんのような非公式な採用の家事労働者たちを守る法案(家事労働者保護法(UU PPRT))が可決し、インドネシアにおける家事労働者の福祉や人権保護が成立したのは、2026年4月、つまり、つい4ヶ月ほど前のことだということも、忘れてはいけない事実だった。
この法案が発案されたのが2004年にも関わらず、成立まで22年もかかったというのは、あまりにも長い戦いだったということがわかる。そしてそれは言い換えると、つい4ヶ月前までは、インドネシア国内におけるメイドさんなどの労働条件が「法律で守られていなかった」ということを意味しており、彼らが万が一、悪質な雇用主に雇われた場合には、賃金未払い、果ては虐待なども発生し得たということになるのだった。
インドネシアに住んでいると、メイドさんを雇うというのはとても一般的なことのように思えた。アパートですれ違う人の誰もがメイドさんを雇っているからである。だけどそんなアパートの窓からは、高いビルや高級マンションの間を縫うようにバラックのような家々がすぐそこに所狭しと立ち並んでいるのも、当たり前のようによく見る光景だった。
ビルが所有するピカピカのテニスコートやプールでメイドさんに子守をさせながら楽しむ人々の、その壁を隔てたすぐ横を、貧しい物売りたちが行き交う姿は、インドネシア社会の圧倒的な貧富の差を如実に表しているようにも見えた。
流暢な英語も魔法のような美味しい料理もシンガポールで勉強した、というアプリナさんを我が家で迎えながら、私は彼女が歩んできたメイドキャリアについて思いを馳せるとともに、インドネシアという社会が歩んできた歴史について、漠然とした複雑な思いを巡らせたのだった。