3月8日 アメリカで運転するということ

 アメリカにいた頃は、暖かい気候になるにつれて、よく道で大きなバイクにまたがるハーレー乗りを見かける事があった。ムキムキの人も、そうじゃない人も、黒いノースリーブの革ジャンなんか着て、ブイブイ道を駆け抜けていくので、そんなご機嫌な姿を見かけるようになると、長い凍てついた冬の終わりを感じて、「ああ、いい季節になったもんだなぁ」なんて思うのである。
 そもそも、かの有名なハーレー・ダヴィッドソンは、ウィリアム・S・ハーレーとアーサー・ダヴィッドソン、そしてアーサーの兄であるウォルター・ダヴィッドソンによって、ウィスコンシン州のミルウォーキーで生まれたオートバイメーカーだ。だから、マディソンから車で二時間ほど行ったそこには、「ハーレー・ダヴィッドソン博物館」があって、ハーレーを愛するバイカー達の聖地のような場所だったりする。そして、だからというわけではないけれど、アメリカのハイウェイを颯爽と駆け抜けていくハーレー乗り達を見かけると、その姿は様になりすぎるほどで、広々と抜けたアメリカの広大な道とハーレーは、とても相性が良かった。

 そんなハーレー乗り達の姿とあのだだっ広いアメリカのハイウェイを思い出したのは、ここのところハマっているニューヨークタイムズのポッドキャスト「The Daily」で、「アメリカの歩行者の死亡件数が先進国の中で群を抜いている」という内容を聞いていたからだった。ゲストのエミリー・バジャーは2009年以降、うなぎ上りとなったアメリカの歩行者の死亡事故についてあれやこれやと仮説を立てていたが、それがなかなか面白かったのである。
 彼女はまずなんと言っても、2007年「スマートフォン」が登場したことを挙げた。それからアメリカはヨーロッパなどの他の国に比べるとオートマ車を使う人が多いこと。(エミリーの説では、オートマ車に乗ることで片手が手持ち無沙汰になり、スマートフォンを触るのだそうだ。)そしてアメリカ人が小型車ではなく、大型車をより好む傾向があることから、そういった大型車が歩行者にヒットした時の致死率が高いことなどを列挙した。そして最後に、歩道の整備がきちんとされていない場所などが多く、そんな中で車を買うことのできない低所得者やホームレスが、都市部へ移動する際にハイウェイをそぞろ歩いているのを問題視したが、結局この謎を解く決定的な手がかりというものはなく、エミリー自身も最後の最後には「いろいろな要因が組み合わさっている」というちょっとぼんやりとした結論を述べるに至って番組は終わった。

 だけどまあ、私から言わせると、アメリカの歩行者の死亡事故件数が多いのは、「さもありなん」な事柄でもあった。ウィスコンシン州だけに限ったことで言うと(なぜなら私はウィスコンシン州しか住んだ事がないから。)、まずエミリーの仮説に加えて、飲酒運転を法律で許容している(呼気中のアルコール濃度(BAC)が0.08パーセントまでオーケー)という点は見逃し難い。こんな法律のせいで、車で出かけた際にアルコールを飲むことに、みんな全然抵抗がない(なんならきっとマリワナだって吸いながら運転している人もいるだろう)し、実際、何年か前、白井くんのクラスメートの中国人の女の子が夜中に酒気帯び運転に跳ねられて帰らぬ人となったこともあった。

 それから、アメリカの運転免許証の取りやすさも目に余る事象であった。アメリカの運転教育プラットフォームであるZutobiが2023年に発表した統計によると、アメリカは世界で4番目に自動車免許取得が「簡単」な国に選ばれていたが、(ちなみに、日本は運転免許取得が「難しい」国ランキングで21位である。)私からすると、あれよりも簡単な国があるのか、という驚きも少なくなかった。なぜならアメリカでは、日本で免許を取得する時に必要な座学のような講習会も、そして教官を横に乗せて走る練習期間もなく、筆記試験と実技の二つを独学で勉強してパスすればよかったからである。
 筆記試験に至っては、試験官すらいなかった。がらんとした小部屋にパソコンが並び、どれもで好きなものを使って良いと言われてほったらかしにされる。制限時間だってあるのかないのか、よくわからなかった。カンニングしたってきっとバレなかっただろう。日本のように、何度も何度も、しつこいくらい交通事故についてのビデオを見せられることも、縦列駐車や並列駐車の実技もないので、やっぱりそんなところで免許を取得したドライバーたちの質は世界的に低くなるのだろうと、私は勝手に予想するのである。

 そして、ウィスコンシンの極め付けは、「雪」である。
 私も白井くんも(白井くんは私ほどではないが、)雪道を何度もスリップして怖い目にあった事がある。ロシア人のエフゲニアは、何年経っても、雪が降り始める11月のサンクスギビングのあたりで、警察官である旦那さんから「雪道の走り方」という長いリストのメールを受信するのが恒例になっていて(ロシア人なのに。)、そこには「スリップしたらブレーキを踏まないこと」などのためになるアドバイスが盛りだくさんだった。もちろん雪の降り積もった日には、そこらじゅうで事故現場を見る事があったし、私もあわや大惨事となるスリップを経験したことがあった。

 ある時は、夜中に雪道をスリップして歩道に乗り上げると、そのまま車が動かなくなったこともあった。1月の雪のしんしんと降り積もる、マディソンの寒い夜のことである。

 私は震えながらうんともすんとも言わない車から飛び出ると、車を押したりタイヤの周りの雪を掻いたりして、乗り上げた道と雪の壁から車をなんとか引っ張り出そうとした。だけどどうもフロントが少し凹んだせいで、前輪に車の車体が当たって、バックすることができないのである。アパートまであと少しのところだったが、こんな雪深い夜には車もほとんど行き交っていない。白井くんはもう寝てしまっているようで電話に出なかった。
 途方に暮れていると、一台の車が通りかかった。ちょうどデート帰りのような、ちょっとめかしこんだ見知らぬカップルだったが、私が「車が動かなくなったんです」と言うと、すぐに二人は車から降り、そこから熱心に私の車を雪から引っ張り出すのを手伝い始めてくれたのである。

 私は申し訳なさでいっぱいだった。一番申し訳ないのは、私が暖房の効いた車の中でエンジンをかけて掛け声に合わせてアクセルを踏む間に、二人は粉雪の舞い散る車の外に立って私の車をぎゅうぎゅうと押していたことだった。路上に降り積もった雪は排気ガスによって煤けているので、とても汚い。二人が車に思いっきり体を押し付ける度に、その雪が彼らのファンシーなコートを汚すのが見えた。
 だけど何度目かの「せーの!」という掛け声のあと、やっと彼らの計り知れない努力によって車は歩道の雪の中から引っ張り出された。が、前輪がうまく動かないせいで、上り坂を走らせることができなかった。

「さあ、もう一度僕たちが上まで押すから乗って。そしてあそこの頂上まで行ったらもう下り坂だから、お別れだよ。」

 そう言われて、私は咄嗟にお礼をしたいから連絡先を教えて欲しい、と言った。ここまでもう一時間近くも、極寒の中で私の車をぎゅうぎゅうと二人は押してくれたのである。服は泥だらけ。何もお返ししないわけにはいかないと思ったのである。
 だけど彼らは「そんなことはいいから。いいから」と手を振って私を車の中へ押し込んだ。
「名前だけでも教えてください」
 私は必死にそう食い下がった。

 「...ケビン」
 少し間を置いて、男の人がたった一言、そう言った。
 そしてそれきりだった。二人は再びぎゅうぎゅうと坂道を私の車を押して上り、上がり切るとあっという間に消えてしまった。へとへとに疲れて、笑顔で手を振る二人の上半身がバックミラーから最後に一瞬だけ見えたが、私はもう引き返すことができなかった。そしてそのまま、その下り坂の途中にある自分のアパートまでノロノロと車を走らせると、私はその夜無事に帰宅する事ができたのである。

 だから、アメリカの車社会に思いを馳せる時、私はこういった「とんでもエピソード」の枚挙にいとまがなかった。対向車線を走ったこと、警察に捕まったこと、車を撤去されたこと、ハイウェイでパニック発作を起こしたこと、雪道でスリップして助けられたこと...本当にたくさんの忘れられない経験をした。そして兎にも角にも、あの時死ななくて良かったと、ポッドキャストを聴きながら、そんなことを考えたのだった。