2月13日 そこに住む危機

 最近、子供の安全についてよく考えてしまう。というのも、私には一人息子がいるが、アメリカで子供を数分でも置き去りにすることが許されない社会に暮らしていたせいか、日本に戻っても、私のなかにどうしても子供の安全に対する過度な心配が拭えない部分があったからである。
 そのため、徒歩5分の距離の小学校への登下校、あるいはバスの送迎付きの平日の体操教室ですら、息子のカバンにGPSを付けて無事に目的地へ着いたかどうかチェックするのは勿論のこと、学校行事で遠足に出ればつい数分おきごとにそのGPSで息子の居場所を確認し、「本当は山にも川にも学校にも行かないで、鍵をかけて家に閉じ込めておきたい」というあながち嘘ではない愚痴を、つい気心の知れた友人に吐露してしまうことがあった。

 他の家のお母さんなんかは、割とGPSなしに子供がマンションの下や近くの公園で遊び、いつまでも帰ってこなくてもさほど心配してないようだったが、私にとって子供が自分の手の届かぬ距離にいるというのはなんだか落ち着かない、もどかしいことであり、手元に流れてくる恐ろしいニュースを目にしては、いつ自分の子供が犯罪に巻き込まれるかと、考えるだに恐ろしくてオロオロしてしまうのである。その上、その安全のために付けているGPSの誤動作で息子が「近所の川の中に居る」と表示された日には(そういう日があった!)、あと一歩で警察沙汰になるところで、こうなるともうGPSですら信用できないという、まあ、私はなんというか、ある意味、過保護なダメ親なのだった。

 だけど実際、1年生になったばかりの夏休みに、息子は見知らぬ男性から声をかけられたことがあった。
 学童からの帰り道、家から目と鼻の先の徒歩数分の道で、見知らぬ男性が「ピカチュウあるよ」と言って、息子と、一緒に帰っていた同級生の女の子をそそのかしたのである。幸い、「要らない」と言って二人はすぐにその場を離れたが、息子は帰宅した直後にはその話を私にせず、しばらくしてゆっくりと、「あのお兄さんは良い人だと思うんだけどね...」と、言い訳をするような前置きをしてからその出来事を話し出して、「僕、行かなかったよ」と、涙目になって言ったことがあったのである。

 もちろん、この出来事は学校を通じて警察へ通報されると、すぐに二人の刑事(若い男と渋い中年という絵に描いたようなコンビ)が息子に会いに来た。息子はその刑事二人を現場まで案内すると、刑事の一人がもう一人の刑事を犯人に見立て、息子に接触している犯人という構図の写真を何枚か撮り、そして「絶対に知らない人が近づいてきたら離れるように」とよくよく言い含めると、さわやかに帰っていった。

 こういうことがあったことも手伝って、私はつい普段、アメリカの社会が徹底して子供の安全性に気を配っていたことについて思いを巡らせてしまう事があった。
 アメリカでは小学校などでは学校が始まる前に親が一斉に、子供と一緒に校庭に並んで門が開くのを待たなければならなかったし、放課後もまた、親たちは同じように校庭にずらり並ぶと、門が開くのを暑い日も寒い日も雨の日も待ち、各クラスの教師達がそれぞれの親の顔を一人一人確認するまで子供を連れて帰ることができなかったのである。

 あるときは、私が通っていた託児所付きのジムで、白井くんのIDで子供を預けたあと、先にシャワーを終えた私が引き取りに行ったときに、頑なに子供の引き渡しを拒まれたこともあった。もう1年以上もほぼ毎日通っている顔見知りばかりのジムで、私が母親で、白井くんが父親だと誰もが知っていても、である。
 私はスタッフに何度も、「私がママって知っているよね?」と苛立ちを隠しながら聞いた。だけど彼女は「ごめんね。無理なの」としか答えなかった。万が一、母親が父親の許可なしに、子供をどこかへ連れ出そうとしていたら、それは母親といえども立派な「キッドナップ」にあたるからである。

 だから、こういう経験を通じて私が学んだのは、子供は親だけのものではないのだということだった。社会によって、あらゆる大人から子供は守られるべきなのであり、そういう意味で、アメリカの制度というのは目を見張るものがあったのである。
 
 もう一つ、アメリカの子供を守る対策の一貫として、私がすごいなと思ったのは、小児性犯罪者に対し、仮出所の際、薬物療法による化学的去勢を義務付けている(しかも本人負担)州がいくつかあるというところだった。また、ほぼ全ての州で、性犯罪者の居住地や個人情報をインターネット上で公開もしていた。
 他の犯罪歴もウィスコンシン内の出来事であれば、CCPA(サイトは州によって違う)という裁判所のサイトで無料で見る事ができるのだが、とりわけ性犯罪者に関しては写真、名前や年齢はもちろんのこと、肌の色やタトゥー、そして住所(部屋番号)に至るまで仔細に公開されている。もちろん、そうした情報公開によって彼ら犯罪者の再出発の妨げになるという意見もあるが、それは性犯罪が極めて再犯の多い犯罪であるということと、アメリカ人の意識、とりわけ幼児に対する犯罪の罪が重いということを強く意味していた。

 初めてそのことを知った時、私はそういったサイトからウィスコンシン州の自宅周辺を興味本位に調べたことがあったが、それはあまりにも簡単かつ詳細に調べることができたので、しばらく夢中でその犯罪者マップを見ていたことがあった。もちろんそれが後々何かの役に立ったとか、そのせいで何かが起こったということはなかった。だけど、住み慣れたマディソンの地図上に浮かび上がる犯罪者マップには、よく息子が遊びに行く友達の家の裏通りに、性犯罪者が一人住んでいるのを確認することができた。

「もし自分に息子がいたら、僕はその子の頭にGPSのチップを埋め込むね」
 そう冗談を言ったのは、かつてESLスクールに通ってた頃のトム先生だったが、私は今ならその心理がよくわかる気がした。
 あの日、夜遅くまで見つめていた犯罪者マップに浮かび上がってきたのは、普段の日常では知り得ることのないマディソンの裏の表情だった。そしてあの時に感じた強い不安感を、私は今も、忘れられずにいるのである。