3月19日
「生きてる...」
それは行きつけのスーパーでローウェルの姿を見つけた瞬間、安堵の気持ちと共に率直に私の中に浮かんだ言葉だった。一年以上ぶりの再会だった。最後に話をしたのがいつだったのかすら思い出せない。ローウェルがいつも座っていたスーパーのカフェは一年以上も閉鎖されたきりだったし、何より彼女は大学の教授職をリタイアした老人だったので、パンデミックの始まりとともに、私たちが会えなくなったのは当然のことだった。
ウィスコンシン大学の音楽学部の教授をしていたローウェルは、リタイア後私が毎日通うスーパーのカフェでいつもコーヒーを飲んだり朝食を食べたりして時間を潰しながら、定期的に興味のある大学の授業を聴講したり海外の学会に顔を出したり、あるいはガーデニングをして余生を過ごす気ままなおばあちゃんだった。特別仲が良かったわけではないけれど、いつしか顔見知りになった私たちは会えばお互いに聴講していた大学の講義について立ち話をするほどには仲良しだったので、パンデミックが始まってからはカフェの前を通るたびに彼女のことを思わない日はなかった。
「ワクチンを接種したんですね!?」
ローウェルを見つけた私が興奮気味にそう声をかけると、彼女はマスク越しに私を捉え、嬉しそうに頷きながら「あなたも受けるでしょ?」と言った。
「たぶん...夏には!」
私はそう答えた。
そう、おそらく夏までには...。
それは限りなく可能性の高い希望だった。今、ウィスコンシン州では五月になればほぼ誰もがワクチンを接種できるようになると言われている。そうでなくても私の周りでは、ここのところワクチン接種者の数が目を見張るほど増えていて、近所のドラッグストアからは「完全にワクチン接種者である」と言うことへのガイドライン("ワクチン接種から二週間経っていないと接種者として認められない"などの規定)のメールが届くほどだった。
医療従事者、あるいはローウェルのように65歳以上ではなくてもワクチンを受けるケースもかなり増えていた。例えば私が参加しているミートアップのグループリーダーであるデニスは、昨年の11月にアストラゼネカが募集したワクチンのトライアルに応募すると、12月と1月の二度に渡って一番乗りでワクチン接種を済ませた友人の一人だった。同じグループの友人であるカイルは、過去5年に亘りアメリカ海軍で働いていたというキャリアから優先的にワクチンを受けることができたし、ウィスコンシン大学に通うラビは両親が地元の教会でボランティアをしていた関係から、地元の病院で最近コネワクチンを接種した一人だった。ここのところ、インスタグラムやFacebookではワクチン接種済みの証明書をストーリーズに載せては「グッバイ、コロナウィルス」と書いている人をちらほら見かけており、息子の通う公文でも夏までにはズームではなく教室での指導が再開されると噂されていた。
3月に入るとマディソンのあるデーン郡は正式に屋外での集会人数の制限を500人まで認めることを発表し、それはすなわち、夏に町中で行われるあらゆるイベントが再び戻ってくることを意味していた。
サマータイムの始まりとともに、私の参加するグループも正式にインドアでの集まりを再開していた。集まったメンバーの何人かがすでにワクチン接種者でもあったので、活動再開初日は「これは誰の食べ残し?」「あ、それはワクチン接種者の食べ残しだから食べても大丈夫だよ!」などという冗談がテーブルの上を爽快に転がったりもした。
もちろん食べてない間はみんなずっとマスクをしていた。だけどグループのリーダーとして、デニスはもうずっとロックダウンが始まる前からグループの集まりを厳しく禁止していたし、夏の間も彼は屋外の集まりしか正式に認めず、大きなサニタイザーを持ち歩いてはメンバーの手という手に吹きかけていたので、このインドアでの集まりの再開の意味はあまりにも大きいように思われた。
「セイコが帰国するまであと15ヶ月しか残されていないのだから、これからはもっと、可能な限り多くの時間をみんなで一緒に過ごさないといけない」
久しぶりのグループ活動再開の喜びに興奮しながら、デニスはこともなく私にそう言ったので私は思わず泣きそうになった。
彼はもう大きなサニタイザーのスプレーを持ち歩いてはいなかった。確実に夜が明けようとしている気配があった。季節は春。マディソンが世界中で一番美しく花開く、短い夏が始まろうとしていた。