くたばれ2020

11月25日

 すっかりコロナ鬱になってしまった。
きっかけは全くわからなかった。ソーシャルディスタンシングが推奨される昨今の状況の中、それでも私にはずっと定期的に会う友人たちやグループがあったし、そんな仲間とは工夫しながら週に二回以上はお茶をしたり飲みに行ったりと忙しく、また平日はジムで毎日ランニングと水泳を欠かさず、心身ともに健康だったからだ。(少なくとも、私は健康だと信じていた。)
 だけど10月が終わり、ああ本格的にまた冬が始まるな、と思い始めたころ、ふと気づくとご飯が食べられなくなっていた。「食べたい」という欲求が湧きおこらないので、食べ忘れるのである。それからずっと下痢が続き、涙もろくなった。悲しいことがあったわけではないのに、朝から止めどなく涙がこぼれ落ちるのである。友人と会う直前まで車の中で泣き、時々、そうやって人に会う時間さえも楽しいのか楽しくないのか、わからなくなる時があった。そして少しでも何か気になることがあると心臓が鉛のように重くなるか、早鐘のように打つこともあった。自然と体重は減り、頬はこけ、目には大きなクマができ、私は見るからにみすぼらしくみじめな形相になり、疲れ切っていった。

 もちろん、マディソンで働いているわけでもない、学生でもない私が、「疲れた」などというのはおこがましいことだった。だけどこの半年以上、パンデミックによって、様々な面で私の日常も変化を遂げていた。ずっと変わらずに会える友人もいたけれど、コロナウィルスで会えなくなった友人たちも少なからず居て、それはとても悲しいことだった。
 引越し業者として働いていたイーサンは不景気の煽りを受けて失業し、さよならも言わずにマディソンを去っていったし、大好きだった韓国人の友人のセオンもほとんど家から出ないといって、会う機会がなくなってしまった。11月になるとコロナウィルス第三波の勢いを受け、グループのリーダーであるデニスも飲み会を春まで自粛すると宣言し、メールだけのやりとりとなった。他にも何人かの友人たちがインドアでの集まりを自粛するようになった。ダウンタウンのメインストリートでは、思い出の詰まったバーやカフェが一軒、さらに一軒と、当たり前のように幕をおろし、顔見知りだったバーのおじさんがどこへ行ってしまったのかなどと、私には知るよしもなかった。大好きな映画館で友人と映画を観たのも、ジムでサウナを使ったのも、もうずいぶん昔の出来事だった。
 それなのに事態は良くなるどころかますます悪くなる一方で、マディソンは、いやアメリカは、今やパンデミックが始まって以来の最悪の感染者数を叩き出していた。シカゴのあるイリノイ州は違う州からの来訪者を再び制限するようになり、感染者数の多いウィスコンシン州からはシカゴ市内へ遊びに行くことができなくなった。子供の通っているプレスクールでは生徒の中に感染者が出たと連絡があり、一週間学校が閉鎖された。友人の勤務先では60人以上が解雇された。通っているスポーツジムもたくさんのクラスが再びキャンセルになり、ジムの託児所の利用時間も大幅に削減されるようになった。

 もちろん、こうした一連の出来事と私の心の不調が、一体どうやって結びつくのかは、わからなかった。全てをパンデミックのせいにすることもできたし、そうではないところに原因があるのかもしれなかった。単純にマディソンの日照時間の関係で、セロトニンが足りなくなっただけの話かもしれなかった。
 ただ、私は悲しかった。

『3月いっぱいは閉まります。元気で居てねマディソン』
 これは3月中旬のロックダウンの折、ダウンタウンにあるマジェスティック劇場という古い劇場のビルボードに並んでいた言葉だった。それからときどき、そこには『愛は憎しみに勝る』や『投票に行ってね』など、世の動向に照らして人々を励ますメッセージが入れ替わり登場し、私はそれを見上げるのが好きだった。劇場が生きていて、私たちに語りかけてくれているような、希望が湧いてくるような気分になれたからだ。
だけど今日、閑散とした通りで見上げたビルボードには、たったひと言こう書かれていた。
『くたばれ2020』

 暗転していく状況の中でたくさんのイレギュラーなことが起こり、あらゆるものが変わってしまった。そしてそれでもなお、巡る季節は冬へ、マディソンは厳しい極寒へと突入しようとしていたのだった。