アーミッシュを訪ねて

10月14日

 「ゲー、あの人たちは電気を使わないんだよ!」
 "アーミッシュ"と聞いて、アメリカ人の友人のほとんどが、こんな感じでどちらかと言うと軽い拒否反応を示した。先週末に日帰りでアーミッシュのコミュニティのあるウィスコンシン州はドルトンという小さな町を訪れた話をしたときのことである。
「あんな暮らしは絶対に無理。車も使わないんだよ!」
 そう言われて私が得意げに「でもその代わり、馬車を使うんだよ!」と、実物のアーミッシュ馬車とすれ違った時の感動を伝えようとしても、彼らは一様に無理無理無理無理!と言うばかりだった。「電気を使わない暮らしなんてもってのほか!」と電気工学専攻の大学院生のラビが言えば、「セイコはアーミッシュオタクになった」とオタクのデーヴィッドに言われる始末である。
 それでもアーミッシュがどれほど魅力的に見えたか伝えようと食い下がる私に向かって、その場にいた友人たちの誰もが口を揃えてこう言うのだった。
「セイコも絶対にアーミッシュになれないから!」

"アーミッシュ"
 これは、主にペンシルベニア州やオハイオ州などの中西部に分布するスイスで生まれた厳格なキリスト教ベースの宗教集団の呼び名のことである。ヨーロッパのアーミッシュは時代の流れの中ですでに吸収されてしまっており、現在アーミッシュはアメリカにしか存在しない。彼らは昔ながらの生活様式を貫いているのが特徴で、電気などを使った近代的な暮らしを拒み自給自足の生活をしている。だからアーミッシュのコミュニティに入ってすぐ伝統的な服を着て黙々と働く彼らの姿を目にしたとき、私はタイムスリップしたような錯覚と興奮を覚えたものだった。

 もちろん私たちが訪れたドルトンにはアーミッシュ以外の人たちも暮らしていた。彼らは農家としてアーミッシュの共同体のすぐ近くに住んでおり、中にはアーミッシュの作った製品の販売の手助けをしている人たちもいる。と言うのもアーミッシュたちは、家そのものから衣服、食糧に至るまで、生活のほぼ全てを自分たちで作るので、化学肥料や農薬を一切使わない食料品、質の良い家具などは外部の人々からも人気が高いのである。
 だからドルトンに入って一番に見つけた食料品店はレジに長蛇の列ができるほどの盛況ぶりを見せていたし、そこでなんとなく購入したチョコレートウェハースもクッキーも甘さ控えめの素朴な美味しさだった。
 それから週に二日だけ営業していると言うアーミッシュのベーカリーに行くと、とびきり美味しい焼き立ての食パンやパイ、ドーナツやクッキーを購入することもできた。こちらもこんな辺鄙な田舎で週二日の営業という条件にも関わらず、長蛇の列である。薄暗い店内は美味しそうなパンの匂いが満ち満ちており、厨房では伝統的なワンピースとボンネットを身につけたアーミッシュの美しい少女たちが楽しそうに歌を歌いながらパンをこねているのが見える。中にはまだ10歳にも満たないような少女たちが手を繋いでお姉さんたちの姿をぼんやり眺めていたりもする。するとそのうちの一人が焼き上がったパンを厨房から天使さながらニコニコと運んでくるのである。パンそのものの上質な味もさることながら、ベーカリーはその少女たちによってふわふわとした雰囲気溢れるアーミッシュの天国のようだった。

 ところでアメリカでは外見的な特徴について言及することは良しとされない。だから彼らの外見について私が後で何を言っても友人のほとんどが取り合ってはくれなかったが、それでも私はこの時、アーミッシュの人々の顔つきが外部の人と異なっていることを発見せずにはいられなかった。彼らはマディソンで見かけるアメリカ人に比べると、圧倒的に美形が多いように思われたからである。
 またアーミッシュには16歳になると二年間だけコミュニティを離れ、外の世界を経験するラムスプリンガという期間がある。その期間を終えた後、外で暮らすか、このままアーミッシュとして生涯暮らすかという選択を通過儀礼として迫られるそうだが、ほとんどがラムスプリンガを終えたのち、アーミッシュとして生きる人生を選択をすると言われている。だからこの日、ベーカリーを後にしながら、白井くんはふむ、と考えると「外の世界よりアーミッシュの方が綺麗な人が多いからコミュニティを離れられないんだろうな...」と珍しく頓珍漢な説を唱えたりしていた。けれどそれほどまでに彼らのほっそりとした顔立ちは、私たちに強く美しい印象を残したのである。

それからアーミッシュには、電気や車を使わないという以外にも沢山の厳しい戒律があった。
・離婚してはいけない
・保険に入ってはいけない
・自転車のペダルを漕いではいけない
・化粧をしてはいけない
・派手な服を着てはいけない
・聖書以外の本を読んではいけない など。
 極めつけは、「怒ってはいけない」である。これを聞いて白井君がまた悟ったように、「君はアーミッシュになれない」と私を名指ししたので、車中でちょっとした諍いが勃発した。(アーミッシュには「喧嘩をしてはいけない」と言う規則もあるが...。)
 
 そしてこれらの規則を破ったり破門された場合には、親族や友人をはじめ、コミュニティのすべての人々から絶縁されるという決まりもあるのである。アーミッシュの世界では規則は絶対なので、アーミッシュとしてそれらの戒律をおかさない限りは、彼らは共同体に守られ、助け合いながら暮らすことができた。質素だが生涯お金に困ることもない。だけどひとたびアーミッシュであることを辞めて外の世界に生きようとするならば、それは彼らにとってその後より一層過酷な人生を選択することを意味していたのである。

 ともあれ、ベーカリーを出た私たちは、すっかりこの不思議な集落に魅了され、アーミッシュの禁欲的な生き方に憧憬に似た何かを抱き始めていた。そろそろ帰ろうかという頃、私はなぜかアーミッシュに出くわすたびに車中からちぎれんばかりに手を振るようにもなっていた。彼らも戸惑いながら、この奇妙なアジア人の家族に手を振り返してくれた。

 もちろん、誰もが指摘する通り私がアーミッシュのように暮らせないのは明白だった。だけどそんな彼らに手を振りながら、この日、私はもう一度ここドルトンに戻って来たいと考えていた。伝統的な衣服に身を包み、素敵なものをたくさん作る働き者のアーミッシュ。歌いながらパンをこねる少女たち。馬車でデートする若い男女。そんな真逆の生活を送る美しいアーミッシュの住む街ドルトンに心惹かれて、私はまた美味しいパンを買いに来たいなと、強く思ったのである。