6月24日
6月に入り、マディソンはここのところすっかり9月までの長い夏休みを迎えていた。今月からマディソン中の学校が学期の終わりを迎え、ありとあらゆるプログラムがいったん終了していたので、この頃勉学から解き放たれた子供たちの周りでは、夏休みの予定に母親たちが頭を悩ます光景を見ることが少なくなかった。
ウィスコンシン大学もまた、例にもれずキャンパス内は閑散とした雰囲気が漂っていたし、隣りに住む中国人学生のユーティンもさっそく国に帰省してしまったので、今月に入ってからは近所で顔を合わせることもなくなっていた。もちろん、私が通っていたイタリア映画の授業もずいぶん前に感動的なフィナーレを迎えて幕を閉じており、毎週通わせていた息子のPlay and Learnという学習プログラムやダンスのプログラム、託児所利用のプログラムも軒並み終了して、私自身もまた、最近では日の長くなったこの美しいマディソンでの日中の過ごし方に少なからずヤキモキする日々を送っていた。
そんな夏休みの始まりのある日のことである。私はメンディという中国人の主婦友達とピクニックポイントという湖の見えるハイキングコースを散策することになった。
メンディは中国から来た私よりいくらか若い、子供の居ない主婦ではあったけれど、彼女の旦那さんがウィスコンシン大学の学生をしているということ、またそのために低所得であるという境遇、そして何より彼女自身が文学や映画をこよなく愛する点など、驚くほど共通点が多かったので、私たちはよく出かけてはいろんなことを語り合ういわゆる"ベストフレンド"だった。
そんなメンディは普段、子育て中の私とは違ってコミュニティカレッジに通う学生だったが、今月から夏休みを迎えた彼女もまた、今やこの長い美しい余暇の過ごし方に苦労する同志でもあった。だから、この日もまた、私達は「じゃ、午後にハイキングしよう」と数日前にメールで取り決めると、いつものようにとりとめのないおしゃべりに興じながら、ピクニックポイントの湖の見える岬を目指し、安上がりで贅沢な午後を過ごすことになった。
ピクニックポイントを散策するのは私にとってこれが三度目だった。
だけどメンディはピクニックポイントの近くに住んでいたので、「最近はほとんど毎日ここに来てるかも...」と私に言うと、道端に咲いている花を手際よく摘んで私に手渡してくれた。それから彼女は漢方薬に使える薬草を探し出し、道にカメが現れるとその甲羅をつつき、カエルに驚き、鳥を追いかけては無邪気に笑った。そうして自然豊かなハイキングコースを楽しく15分ほど歩きながら、私達はすぐにマディソンに点在する湖の一つであるメンドータ湖の見える開けた岬へとたどり着いたのだった。
ピクニックポイントはこの湖の見える岬を終着点として折り返すだけの簡単なコースだった。だから岬の先端に入ると、同じように午後のハイキングを楽しんだ人々が足を止め、入れ代わり立ち代わり思い思いに過ごしているのが見えた。もちろん私とメンディもまたこの湖畔にたどり着くと、眼下に広がる湖の静寂の中で言葉少なに腰をかけ、しばらく水面を流れる雲を見つめたり風の音を聴いたりして涼むことになった。
終着点から湖を挟んだ対岸に、遠く州議事堂やダウンタウンの街並みが浮かんでいるのが見える。ボートが横切り、水面はゆっくりと光り輝いていた。もうずっと知っているつもりの当たり前の絶景ではあったけれど、私は結局いつものようにこの美しさの前にため息を漏らすと、隣に居るメンディに声を潜めて「綺麗だね」と言わずにはいられなかった。メンディはうなずき、そして私達はポツリポツリと会話をしながら、そこにいる大勢と同様に、ただひたすらメンドータ湖の静かな午後を体中で感じる喜びに浸っていたのだった。
「夏休みに入って、結局自分が毎日何もしていないことに驚いた...」
突然、湖を見ながら、メンディがポツリと言った。少しだけ、自分自身を恥じているような語り方だった。
というのも、普段はコミュニティカレッジに通っていて課題やテストに忙殺されていたメンディだったが、こうして学校が終わってぽっかりと時間が出来てしまうと、彼女は結局、休みに入ってからの数週間を何もせずに過ごしていたことに気付いてしまったからだと言う。
そもそもメンディが普段、コミュニティカレッジに通っていた目的はただ一つだった。いつ卒業して就職するか分からない旦那さんを支えるため、自分自身が将来的にアメリカで仕事を見つけ、お金を稼ぎたいという願望があったからである。
私と同様に旦那さんが学生をしていて先行きが不安定な彼女は、なんとかして自分も少しでも働けるようになりたいと考えていたので、彼女がコミュニティカレッジで勉強しているのは、大好きな文学でも映画学でもなく、就職に使える統計学だった。
だけどそのハードな勉学の期間が一旦終わり、こうして夏休みという時間の中でストップしてしまうと、彼女の中に突如、普段は考えないようにしていた漠然とした将来への不安感と焦燥感が現れ、結局毎日何もできなくなってしまったのだと彼女は言った。
お金もない、働くこともできない。そして学ぶことの出来ない今、家族は遠く、友人は少なく、それでいて美しく平穏な日々だけが身動きもできずにゆっくりと過ぎ去っていくというのは、ある意味では残酷なことだった。
「ノー・ホープ...」
メンディは笑いながら、だけど悲しそうに言った。時間が出来てしまうと、つい先のことを考えて不安になって、動けなくなってしまったのだ、と。
だけどそんなメンディの悩みを聞きながら、私もまた、この頃自分もメンディと同じようなことを考えていたと告白せずにはいられなかった。
イタリア映画の授業が終わり、様々なプログラムが終了した今、停滞する時間の中で、私もまたメンディ同様に限られた条件の中でしか行動出来ない場所を心もとなく生きている人間だったからである。
大きな運命に導かれるようにしてやって来たこの美しいマディソンではあったけれど、その実ここは私達にとってどこまでも異国であり、自分自身の意思とは裏腹にたどり着いた世界でもあった。もちろんマディソンは非の打ち所がないほど美しく平穏だったけれど、それでも私達の生活は、先の見えない不安の中で、いつ来るか分からない舟を待っているようなものでもあった。
「私達は似てるね」
メンディと私はそう言って笑った。
考え方も、好きなものも、境遇も。そして肌の色も髪の色も...、私達はいつまでも、どこまでも似た者同士のようだった。おまけに身長や体形までよく似ていたので、きっとアメリカ人からすると、私達の区別なんてつかないだろう。
そんなことを考えながら、私はこの日、メンディと何とか日々のモチベーションを上げるための瞑想方法などを語り、笑い、励まし合っていた。停滞する夏の午後の終わりの中、来し方行く末に思いを馳せながら、私達は二人、メンドータ湖のほとりでそうやっていつまでも座っていたのだった。