アンバー・アラート

3月14日。
 ある夜、いつものように子供の寝かしつけをしていた時だった。突如、私の携帯電話がいつもとは違う不気味な振動をし始め、大音量の耳障りな音が鳴り響いた。慌てて画面を抑えると、"アンバー・アラート"の文字。それから "Milwaukee, WI, LIC/HVCZ95 2014 Black Cadillac"との表示が見える。鳴り響く音で寝かかっていた子供が起きることはなかったが、暗闇の中で急いでアラームと止めながら、私は一人、一気に不穏な空気に包まれるのを感じていた。

 アンバー・アラート。
 これは未成年者の誘拐事件や行方不明が起きた時に管轄の警察から発せられる緊急事態宣言のことである。広くアメリカやカナダで導入されているこの緊急アラームは、メディアや携帯電話などに流される犯人や被害者の情報によって事件の早期解決を目指しており、今回、私の携帯に表示された"Milwaukee, WI, LIC/HVCZ95 2014 Black Cadillac"とは、『ウィスコンシン州のミルウォーキーで事件が起こり、犯人はLIC/HVCZ95というナンバープレートを付けた2014年の黒のキャデラックに乗っている』ということを意味していたのである。
 そしてこの大規模自然災害と同レベルで扱われる緊急の注意喚起は、児童誘拐事件そのものが最終的には高確率で殺害に終わるということを踏まえて構築され、短時間で多くの情報を周辺住民から集めることが狙いだった。ちなみにアンバー・アラートの名前の由来である"アンバ―"とは、1996年にテキサス州で起きた少女誘拐事件の被害者であるアンバー・ハガーマン(当時六歳)から取ったもので、他にもジョージア州では"リーバイス・コール"、アーカンソー州では"モーガン・ニック・アンバー・アラート"と、それぞれの州で起きた凄惨な事件の被害者の名前から付けられていた。

 ところで、このアンバー・アラートの数か月ほど前のことである。私は語学学校の責任者であるジェニファーから「あなたの国では子供を一人きりにする文化があるの?」と尋ねられたことがあった。それは、日本人の友人の一人が語学学校に興味を持ち、私がその仲介をしたのがきっかけだった。私と同じように旦那さんの仕事の関係でマディソンに駐在している彼女には5歳になる娘がおり、授業の時間帯にその娘を預けられる場所が無かった。だから、今期だけ語学学校のどこかの部屋で一人で遊ばせられないか?との彼女からの相談を取り次いだ際、ジェニファーから「13歳以下の子供を一人にするのはアメリカでは違法なのだ」と言われ、「日本では子供を一人にするのが普通なのか?」と逆に質問を受けたのだった。

 だけど、厳密に言うと、子供を一人にしておくこと自体はウィスコンシン州でも"違法"というわけではなかった。週に一度行くコミュニティセンターの児童館のデボラ先生は、自分はシングルマザーなので周りの人に頼みつつ、7歳の子供を家に残して出かけたこともあったと話していたし、法律関係の仕事についているアメリカ人のママ友も、「子供を何歳まで一人にしてはいけないという決まった法律はない」と教えてくれたことがあった。だから、もし誰かが通報すれば警察が動くことは間違いないが、子供を一人にしておくことそれ自体はそれぞれの状況によるものであり、ジェニファーも後になってそれが"違法ではなかった"ことを認めていた。

 ただ、違法ではなかったとしても、『5歳の子供を一人にするか?』という問題に対して、アメリカ人は誰もがシリアスだった。
 法律関係のママ友も「法律での決まりはないけど、私は絶対に一人にしないわよ」と言い添えたし、日本で育ったカンバセーションパートナーのニコールだって「日本育ちだから私も割と子供から目を離してしまうけど、5歳だったらまだ一人きりにはしないかな」と控えめに異見を唱え、アメリカが日本に比べると安全な国ではないからなのだと言った。「アメリカには日本のように"地域で子育てをする"という概念がないから」と。
 そしてそう言われると、三年前にも、語学学校の授業で日本の"初めてのお使い"について、担当のキャシー先生に「日本はなんて安全な国なの!」と驚かれたことがあった。他の生徒だって「それは日本だから出来ることよね」と盛り上がって日本を褒めたたえていた。日本は安全な国だから、ある程度の子供を四六時中見ている必要はないのだろう。日本は何て素晴らしいのだろう...。

 だけど、本当にそうなのだろうか?
 私はふと、日本とアメリカにおいて"子供を守る"という意識の圧倒的な違いについて考えていた。なぜならマディソンに暮らしていると、誰もが私の子供に"無関心ではなかった"からである。
 スーパーで子供から2メートルほど離れて歩いていても、通りかかった誰かが「親はどこだ?」とばかりに私を探すことは日常茶飯事だったし、子供から少しの間離れていたアジア系の親が警察に逮捕されたという記事を読んだこともあった。息子がアパートの廊下を一人で歩いていると、近所に住むローラという婦人に「危険だ」と注意されたこともあった。それから、とりわけアメリカにおけるチャイルド・シートの着用は厳しく、違反すれば高額の反則金が課せられていた。だから出産時には病院で事前にチャイルド・シートのチェックも行われ、規定内のものでなければ、生まれたばかりの赤ちゃんを連れて帰ることは出来なかった。他の交通ルールにおいても、アメリカのスクールバスは生徒たちの乗降時、後続車の追い抜きは厳禁とされており、対向車もまたスクールバスが動き出すまで停止を義務付けられていたのである(違反すればスクールバスの運転手から警察へ通報されることもある)。

 もちろん、日本でも子供の安全のための試行錯誤はあるだろう。だけど私は今、アンバー・アラートの音が耳に残る暗闇の中で、もしかすると自分は子供の安全性に対して意識が低かったのではないか?と反省せずにはいられなかった。確かに、日本はアメリカに比べると安全と言えるのかもしれない。だけど日本とアメリカの子供を取り巻く環境の違いは、それだけに起因するものではなかった。子供を守るために社会が課すルールの違いが、そのまま人々の意識の違いにつながることもあったからである。
 子供の寝息が聞こえる中静かに携帯電話を握りしめながら、私はこの日改めて"子供を守る"とはどういうことか?と、考えていたのだった。