ボランティアは突然に

3月10日。
 一緒にフードパントリーで働くアメリカ人のアレックスは、コミュニティセンターでインターンとして働いている23歳の学生だった。もともと私のトレーナーとしてパントリーに入っただけの彼は、二、三度私の様子を見た後には本来の通常業務に戻る予定だった。パントリーの仕事はとても単純だったので、スタッフはボランティアとしてずっと働いている老婦人のバーブと私の二人がいれば十分だったのである。だからある日アレックスは「もう僕は手伝わないからね」と言うと、寂しそうにパントリーの業務を離れ、私はいよいよ「さあ、独り立ちだ」とばかりに気持ちを引き締めてパントリーに出向いたが、だけどその次の週から、なぜかパートナーのバーブはボランティアにぱったりと姿を見せなくなった。すると新人の私一人では回せないだろうということで、アレックスはまたパントリーの業務に立つようになったのだった。

毎週木曜日、アレックスは「バーブが来れば僕はあっちに行くから」と言って私を手伝っていたが、バーブが来なくなってからついにふた月が経過しようとしていた。"バーブはもしかすると私のことが気に入らなかったのかもしれない"という考えがうっすら意識に上ることもあったが、結局、彼女に何が起こったのか誰も知り得ることはなかった。バーブはただ来なかったし、代わりにアレックスがパントリーに入るようになっただけだった。いつも私達は「今日はバーブ来るかな?」と言って彼女の登場を待ったが、いつしかアレックスは業務の前に「バーブは死んだ」とぽつりブラックジョークを飛ばすようになった。

だけどアレックスはミシガン州の大学からインターンで来ているだけの学生だったので、3月いっぱいでインターンの終わりと共にコミュニティセンターを去る運命だった。とすると、その後は私一人でパントリーに立つのだろうか?バーブ不在のパントリーに改めて不安を感じた私は、ある日、「今日は一人でやってみる」とアレックスに提案したことがあった。アレックスも、「じゃあ、今日はセイコがメインでやって」と言い、なるべくパントリー利用者と会話する機会を与えるように立ち回ると、ヒスパニック系の人向けといってスペイン語の単語をいくつか私に教えてくれた。そうでなくても、アレックスは空き時間によく英語を教えてくれたものだったが、この日は特に熱を込めてスペイン語を教えてくれたあと、今度は英語の「バーガー(Burger)」と「鼻くそ(Booger)」の発音の違いも教えてくれる献身ぶりだった。

そんな風にしてアレックスから英語やらスペイン語やら教わりつつ雑談をしていた時だった。突然、コミュニティセンターの責任者の男性がパントリーに入ってくると、アレックスに向かってこう言った。
「アレックス!来週からパントリーの時間が変わるとアナウンスしておいてくれよ!」

ん?時間が変わる?
アレックスは男性に対して何やらぼそぼそと答えていたが、寝耳に水の私はつい、口を挟んだ。すると男性は初めて私の方を向き、木曜日のパントリーはもうすこし遅い時間帯で短時間の営業になるのだと説明したが、そう言って教えられた時間帯には、私は大学のイタリア映画の授業に出なくてはならなかった。
「その時間だと来られないです」
私がそう言うと、男性は「そうか...」と頷いた。そして彼はアレックスの方へ向き直り、他にボランティアを探すよう指示を出すと、あっさりとパントリーを去っていったのだった。

取り残された私達は呆然とした。想像もしていなかった幕切れだったのである。
「つまり...今日がボランティア、最後ってこと?」
複雑そうな顔でこちらを見つめているアレックスを振り返りながら、私はおそるおそるそう尋ねた。アレックスは気まずそうに眼をそらしたが、だけどはっきりと「そうだね」と答えた。
「...怒ってる?」
戸惑っている私に向かって、彼は心配そうにそう尋ねた。
「いや...全然...」
もちろん怒りは無かった。むしろ、今日が最後になるとは知らずにスペイン語を勉強していたことに笑いが込み上げてきて、私は笑ったくらいだった。
「僕は怒ってる」
だけどそんな私とは対照的に、アレックスはそう言った。
「だって、全部勝手に、急に決まるから...」
彼は怒りながらも、少ししょげているように見えた。
確かに来週からバーブも私も居なくなり一人取り残されるのだから、あと一か月のインターンとはいえアレックスが不憫に思えなくもなかった。二人だとパントリーは楽な仕事だったが、一人となると自由な老人たちを相手に忙しい時間帯には大変なことも多そうである。だけどすでに時計は12時を回っていて、私がパントリーを去る時間まであと45分を切っていた。あと45分もすれば、顔見知りになったシニアの利用者の人たちと、そしてアレックスともお別れで、私はもとの"ただのパントリー利用者"に戻るのである。
ふと、私の中を走馬燈のように短いボランティアでの思い出が駆け巡るのを感じた。思えばこの仕事に従事したのは十回にも満たなかった。役に立ったかと聞かれると、アレックスの陰に隠れて荷物を袋に詰めるのを手伝ったり、冷蔵庫を閉めようとしてちょこちょこ部屋を横切っていただけのようにも思われた。だけど、パントリーに来る老人の何人かとは仲良くなったこともあり、彼らは時に「年なんて取るもんじゃないよ」と声をかけてくれたり、私の名前を覚えようとしてくれたこともあった。必要以上に物資を取るおばさんも居たし、謙虚なおじさんも居た。アレックスはよく私のことをわざとセイコではなく「サイコ」と言ってからかい、「セイコと言う名前ならSeikoではなくSaycoという綴りの方が近い」と言って、イングリッシュネームにスーザンはどうか?と提案してくれたこともあった。そして月並みだけど、誰かから「有り難う」と言われると嬉しかった。
そんな楽しかったパントリーでの日々を振り返りながら、私は黙々と最後の仕事をした。別れ時、アレックスは寂しそうに「君はとてもナイスでハッピーでビューティフル!」とおべんちゃらを言ったので私は少々恥ずかしかった。だけどこの日、そんな風にして私のとても短いフードパントリーでのボランティア業は人知れず幕を閉じたのだった。

 さて、シンシアというコミュニティセンターで働くスタッフの女性から「火曜日の朝にパントリーの荷物搬入やってるから来れば?」との誘いを受けたのは、この突然のボランティア卒業から二日後のことだった。もともとパントリーのボランティアの登録の折にお世話になったので、私からシンシアにボランティアを終えたことを伝えると、彼女は「え?そうなの?また手伝いに来たら?」と声をかけてくれたのである。さらに「朝の搬入だし、どうせ誰も居ないから子供も連れてきていいわよ」との好条件である。
もちろんたいした仕事ではなかった。パントリーに月に一度か二度運ばれて来る食品の数々を棚に置いていくだけの仕事である。どちらかというと肉体労働のような仕事だった。すごくやりたいか?と聞かれると、すぐには返答出来なかったが、かといって特に断る理由も見当たらなかった。乗りかかった船である。
「やらせてください」
私は後日、シンシアにそう返答をし、こうして私の"子供連れ・早朝・荷物搬入"という良く分からない二度目のボランティア業が、ひっそりと幕を開けたのだった。