ボミ

2月24日。
 「あなたはLGBTについてどう思う?」
 初めてボミに出会った時、ボミは私にそう尋ねた。マディソンに戻ってすぐの夏の出来事だった。
 図書館で私と同じように息子を遊ばせていたボミは、ロザリオを首から下げたアジア人のママだった。私はその頃、韓国人にクリスチャンが多いという事実に興味を持っていたので、彼女の胸元に光るロザリオを指しながら「クリスチャン?韓国人?」と声をかけたのがきっかけだった。

 もちろんボミは韓国人で、とりわけ敬虔なクリスチャンだった。その上、後から分かったことだが、彼女は大変な"社会派"で、アジアを中心とした世界の政治情勢や歴史をとめどなく、(やや左気味に)語る癖があった。だから、何気なく話しかけたロザリオから一転、いつしかボミとの話題はLGBTへとすり替わり、彼女はそれが"聖書に認められていない"にも関わらず『ここマディソンが寛容な姿勢を取っていること』、『学校教育の中で子供たちにLGBTを受け入れるように教えること』などの不満を漏らし始めたのだった。
 ボミは私が相槌を打っても打たなくてもお構いなしで、ひたすら「LGBTを否定するわけではないが、国が子供に教育すべきではない」「LGBTは聖書に書かれていない」という際どい話を繰り返したのち、ついに「あなたはどう思ってるの?日本はどうなの?」と言って、私を凍りつかせた。そうでなくてもボミは滔々と「LGBTというのはもともとその人自身の内面にある罪によって背負わされたものなのだ」などと16世紀の宗教裁判か何かかと思うような発言をして、私をびっくり仰天させたばかりだった。だから話が一区切りついた彼女から「あなたの意見を率直に教えて」と真っすぐに問われると、私はもちろん自分の率直な意見を言う勇気など無く、ただ必死に"英語がうまく話せなくてもどかしい人の演技"をするしか思いつかなかったのだった。

 そんな苦い夏の思い出から半年、しかしボミと私のつながりは不思議と切れることはなく、今年に入ってからは、私たちは頻繁にお互いの家を行き来する間柄になっていた。
 というのも、私は一月から始まったウィスコンシン大学の春学期で、『イタリア映画』の授業に聴講に行くことに決め、授業の間、息子をどこかに預ける必要があったからである。託児所を利用するほどのお金のない私は、近所に住む韓国人のママ友のセオンと相談し、彼女の娘をうちで預かる代わりに、イタリア映画の授業の日にはセオンの家で私の息子を預かってもらうという相互扶助の取り組みを始めた。だけどこの試みはセオンの子供がまだ小さかったこともあり、最初の数回であっけなく破たんすると、その代わりと言ってセオンから紹介されたのが、近所に住むこの社会派のボミだったのである。
「ごめんね、セイコ。でもボミが子供を預け合うことに興味を持っている」とセオンに言われながら、しかし、私は一抹の不安を覚えないわけではなかった。"ボミ"と聞くとどうしても図書館で凍りついたあの夏の日を思い出してしまうからである。

 だけど背に腹はかえられなかった。すでに聴講の許可を得た『イタリア映画』の授業は始まっていたし、何よりこの授業はすごく面白かった。ムッソリーニのファシスト政権下で花開いた"ファシスト映画"から戦後の黄金期"イタリアン・ネオレアリズモ"、そして後のピンク・ネオレアリズモ...、他に類を見ないイタリアの映画史について学ぶことは、いつしか私の一番の楽しみとなっていて、どうしても授業に出続けたかったのである。

 そういうわけで、私は思いがけず今年に入ってからボミと週に何度もお互いの家を行き来するようになったのだが、意外なことに、ボミとのこの関係は思っていた以上にうまくいった。私の息子はすぐにボミに懐いたし、彼女の家にはたくさんのオモチャがあって、息子同士は喧嘩こそすれ、別れ際には名残惜しそうに手を振り合う仲になり、二人でいつも走り回っていたからである。
 ただひとつ、ボミはやっぱり社会派で、時折見せるその一面だけが難点と言えば難点だった。例えばあるとき、息子を迎えに行くと、ボミから「"マンマ"って韓国語でご飯って意味なのよ」と言われた私が、マンマは日本語でもご飯という意味だと応えると、ボミは「ああ」と言って、「colonization(植民地)」と呟くのだった。つまり、それはきっと日本の植民地化時代の名残だろうと言うのである。かと思うと、彼女は突如「韓国人は"中国派"か"日本派"に二分されることがあるんだけど、私は"日本派"なの。前までは"中国派"だったんだけど、それはそう学校で教育されたからなのよ」と言って、私が帰り支度をしている隣りで、今の中国のあり方を批判することもあった。
 またある時はこうだった。それはボミが韓国人にキムという苗字が多いのはキムという苗字がもともと身分の高い苗字だったからなのだと教えてくれた時のことだった。なんでも韓国併合以前、朝鮮には厳しい階級社会がはびこっていたのだそうだ。だけど日本による植民地化によりそれが崩壊すると、それまで苗字を持たない下級身分の人々が苗字を持つようになり、そうした彼らの多くが身分の高い苗字であるキムを名乗るようになったので、キム姓は多くなったのだと言う。    
「だから、笑い話なんだけど、キム姓はもともとすごく身分が高いか、すごく低いかのどちらかなのよ」
 そう言いながらボミは笑うと、ついでに彼女は「だけど、植民地化が悪いとは私は思っていないのよ」と言って、また私をドキリとさせるのだった。
 ボミの意見では、日本による植民地化があったからこそ、階級社会は崩壊したのだから、結果的には日本がしたことは悪くないのだと言う。
 「韓国併合以前の朝鮮が良い国だったかどうかって考えると、私は決してそのままで良かったとは思ってないのよ...」
ボミはそう言い、そして私はその後30分ほどいとまを告げる機会を逃し、ボミによるアジアを中心とした世界の政治談義について聞くことになるのだった。