憎きポーチパイレーツ

1月16日
 「今日、ダイソンの掃除機が届くから、開けても僕が帰るまであまり触らないように」
 白井君がそう言い残したのは年が明けてすぐのことだった。使えば使うほどにゴミが噴出するようになった掃除機を思い切って捨てる決意をしたのが年末のことで、少々値は張るが、私達は思い切ってクリスマスプレゼントや何やかやと称し、ついに今年、夏から使っていた壊れた掃除機を捨て去り、ダイソンのそれに新調することを決断した。250ドルのダイソンの掃除機は、今の私たちにとっては決して安い買い物ではなかった。だけど渡米してからずっと節約生活を頑張ってきたし、何よりも今の掃除機では日常生活の衛生面が心配される。ポンコツになった掃除機に加え、ホリデーシーズンの雰囲気もあいまって、私たちは清水の舞台から飛び降りるかのごとく、ちょっとした贅沢としてダイソンの掃除機を購入したのである。
その上、掃除そのものをこよなく愛する白井君である。彼は今日と言う日を誰よりも心待ちにして、この日は朝から私にダイソンの到着予定時刻について言及すると、いつになく幸せそうに家を出て行ったのだった。
 
 だけど、思い返すと、だいぶ前から不穏な動きはあった。というのも、何度か私達のアパートでは、『ここにドロボウがいる!』という張り紙を目にすることがあり、様々な盗難被害に対する住民からのメモ書きがエレベーターやエントランスで見かけることがあったからである。同じ階に住むローラという白人の中年女性も、洗濯場に置きっぱなしにしていた洗濯物を盗まれたことがあり、「あの下着、洗わないといけないのに!」と嘆いている姿を見たことがあった。マンションのオーナー自らが『この建物には泥棒が居る。荷物にはくれぐれも気を付けて!』というメモ書きを張っていたこともあり、彼女は「このマンションだけの問題ではない。これはマディソン中で起こっていることよ」と言いながら、荷物や宅配便の置き引き被害が頻発していることを教えてくれたこともあった。だからその日の夕方、帰宅早々に掃除機を探す白井君の目が焦りを帯び、やがて怒りに揺れるのを見たとき、私は心待ちにしていた夢のダイソンの掃除機が何者かによって盗まれたのだと確信せずにはいられなかった。

 腹立たしいのは、配送業者であるUPSが配送を完了したと報告したまさにその時間帯に、私がアパートの部屋に居たという点だった。つまりUPSはドアベルさえ鳴らさず、アメリカで一般的とされている『置き配』と言うドアの前に荷物を置きっぱなしにするという方法で荷物を届けたのである。それもアパートの入り口、誰でも侵入可能な場所に、である。

 「我々はそれを"ポーチ・パイレーツ"(玄関盗賊)と呼ぶ」
 怒り狂う私に向かって語学学校のトム先生はそう教えてくれた。マディソンだけではない。それは今、アメリカ中で問題になっている『置き配』を狙った犯罪の呼称であり、クリスマスやお正月にかけてのホリデーシーズンは特にそのポーチ・パイレーツが頻繁に暗躍するのだという。そしてそう言われると、最近、ウィスコンシン大学の大学内にアマゾンのピックアップセンターが出来ていたのを発見したことに私は思い当たった。マンションのオーナーにも、「盗難被害に遭わないためにも、自ら業者に荷物を受け取りに行く方法がいい」と勧められたこともあったし、語学学校の先生たちは荷物の受け取りは全て自宅ではなくオフィスに設定していると言った。
 
『親愛なる泥棒さま。
1月4日にあなたが盗んだ私たちの荷物を340号室に戻してください。有り難うございます!』
 
掃除機が盗まれた翌日、私は「少しは話の分かる人かもしれない」という限りなくゼロに近い希望を捨てきれずに、しばらくの間上記のポーチ・パイレーツ宛てのメモをアパートの玄関に大きく張り出していた(マイケル先生は、「わお!そんなメモを張ったのに掃除機が戻らなかったことに僕は心の底から驚いちゃうね!わははっ...!」と私をからかった)。だけど、そのメモを張った翌日には、『1月3日に配送された私の荷物、返してください。ありがとう!』という新たな被害のメモが私の泥棒宛ての手紙の横に大きく張り出されており、これで連日のようにポーチ・パイレーツが私達のアパートに出没しているのだということが判明したのだった。

気が付くと、2019年という新しい年を迎えてからここ、アパートのフロアにはどの部屋のドアにも『荷物を配送する場合は、ここに置きっぱなしにしないでください!さもなくば盗まれます』という手書きの注意書きが張られるようになった。アパート中の誰もがポーチ・パイレーツの存在に神経をとがらせていたし、もちろん心待ちにしていた掃除という楽しみを奪われた白井君の怒りもしばらくは収まらなかった。
何よりも極貧の私達がポーチ・パイレーツの被害に遭うとは、悲劇以外の何物でもなかった。二年前、さほど貧しくはなかった頃にもマディソンで10ドルの車上荒らしに遭ったことがあったが、このときは「きっと10ドルでも欲しい貧しい人がとっていったのだ」と同情さえし、「鍵をかけ忘れた自分たちも悪い」などと穏やかに泣き寝入りしたものだったが、この貧しいさなかに250ドルのダイソン掃除機が盗まれたとなると、警察への被害届まで出す事態となった(ただ警察にメールしただけだが...)。

そうして今、悪名高いポーチ・パイレーツの被害に遭った大きな悲しみの中で私の脳裏によぎるのは、黒澤明によるフィルム・ノワールの傑作『野良犬』の一場面だった。映画『野良犬』は戦後の日本、誰もが貧しい中で復員兵として帰還した二人の登場人物が盗難被害に遭い、それを機に一人は自暴自棄になり犯罪に手を染めて没落、もう一人はその経験から刑事に転身する、というコントラストを描いた作品である。刑事となった三船敏郎扮する村上は、劇中、「思い返すとあの復員時の盗難被害が自分の人生の分岐点であった」としみじみ語る有名なシーンがある。盗難被害にあった時に貧しさの中で心荒む自分を踏みとどまれたことが、自分と犯罪を隔てる人生の大きな分かれ道であったと、村上は語るが、私は今、大いにその言葉が体に沁みわたるのを感じていたのだった。

「来週の水曜日にダイソンから新しいものが届くから」
『野良犬』に思いを馳せている私に向かって、白井君は、ダイソンが来週には新品の掃除機を無料で再発送する返事をくれた、と教えてくれた。被害から五日ほど経った頃である。「諦めて新しいものを買おう」と早々に提案した私とは違い、「自分たちには何の落ち度もない」と固く信じ、毎日UPSやダイソン、警察などに連絡を取ってしぶとく頑張った白井君の勝利だった。もちろんダイソンの迅速かつ丁寧な対応にも私達は心から感謝していた。

憎きポーチ・パイレーツ!!!だけどともあれ、私達は新年早々『野良犬』で言うところのダークサイドへの転落を、こうしてなんとか踏みとどまるに至ったのだった。