再出発

8月15日
マディソンに戻ってきた。日本を出発して十三時間。デトロイトでの乗り継ぎを経て、旦那さんの白井君と一歳七か月になる息子の三人で、くたくたになりながらまたここに戻ってきた。一年二か月ぶりのアメリカである。美味しいご飯もない、オシャレなブティックもない、のどかで豊かな自然の中で、バジャーと暖かい人達が陽気に暮らすウィスコンシン州マディソンである。

それにしても、文字通り舞い戻った瞬間、飛行機の窓から見下ろした先に広がる殺風景な景色を前にして、私の心に沸き上がる喜びはひとしおだった。眼下に広がるのは、ぽつりぽつりと芝生の間に家が立ち並び、その向こうに湖が見えるのみの味気ない景色である。なんの刺激もない。初めて来た人なら「なんという田舎に来てしまったのだろう」と帰りたくなるかもしれない景色である。だけど私は今や、その「何もなさ」の中にこそマディソンに生きる意味があることを知っていた。たくさんの気づきと学びの思い出が、夕刻迫るマディソンの景色と共に胸に去来して、思わず機内にいる私の頬を涙が伝った。

ところで、マディソンに戻るまでのこの一年と二か月。私の日本での生活は、あわただしいものだった。出版のお話をいただいたことによる嬉しい忙しさの中で、不慣れな子育てには相変わらず苦労することが多かったし、日本での子育ては異国とはまた違う大変さがあり、私はこの一年二か月を通じ、日々、いろいろな感情を抱くことがあった。もちろん日本の美味しいごはんにはいつも感動していたし、二年ぶりに友人達と再会を果たすことが出来たのは喜ばしいことだった。でもそうこうするうちに再び県をまたいでの大きな引っ越しもあり、そうした生活の大変さから、人生で初めて救急車で搬送された夜もあった。忙しさの中で何度も寝込み、その度に暗い気持ちになって子供みたいに泣いた日もあった。嬉しいことも悲しいこともたくさんあった。そうして色んな思いが混じりあった一年二か月の末、私はまた、こうしてマディソンに戻る時を迎えたのである。

しかしそんな新たな門出に立つ一方で、これは私たちにとっては大きな決断の時でもあった。というのも、今回は前回ののんきな滞在とは少し毛色が違っていたからである。そもそもこれからのマディソンでの暮らしを支える資金の出所が前回と違っているので、信じられないほど極貧で生活しなくてはいけなかった。私たち家族の暮らしを支えるのは、白井君が大学のTAをすることで得られるわずかばかりの給料と、日本で蓄えた貯金のみである。何年滞在するかも正確にはわからない。その先に思い描いたものを得ることができるかどうかもわからない。ともすると、驚異的な飢餓に苦しむかもしれない。貧しさから心が荒むかもしれない。そうして夢半ばで帰国を余儀なくされるかもしれない。たくさんの心配事と不安が私達の前には立ちはだかっていた。いや、むしろ私の脳裏には不安しかなかった。
だけど、それでも私たちは、再び挑戦する覚悟を決めたのである。迷いながら、悩みながら、何だかよくわからないうれし涙と薄ら笑いを浮かべて、私はこうして再び、マディソンの心洗われる世界に足を踏み入れたというわけである。