産後ハイ。映画を愛する人

1月18日。12月28日に出産して、12月30日に退院したせいか、私は産後すぐ、いわゆる「産褥期」というものがピンと来なかった。出産時に少し手術をしたので、その際に処方された痛み止めがとても強い薬だったというのも一因してか、どこか「産後ハイ」のような状態だったようで、しかもアメリカは退院した翌朝に再び病院に検診を受けに行かなくてはいけなかったためじっくり休んでいる暇がなく、日本でよく聞く「産後は絶対安静にしなくてはいけない」と言われている「産褥期」というものそのものを意識できぬまま、私は日本から「産褥期のケア」のために渡米してきてくれた母親の言うことも聞かずに産後一週間で、何度も外出を繰り返した。が、その後、ぱったりと携帯のメールも開けることが出来ないほどの疲労を感じて床に伏し、一日中泥のように眠り、「これがいわゆる産褥期か。」とぼんやりと思ったりしたのが産後二週間目のことだった。

そもそもアメリカは出産して2日で退院する。しかもその2日間の入院期間はずっと生まれてすぐの新生児と一緒に過ごし、休む暇もなく母乳のトレーニングや新生児の検診など、入れ代わり立ち代わりナースが来てとても目まぐるしい。もともと入院期間が短いというのは知っていたので、私はアメリカには日本でよく聞く「産褥期」という概念そのものがないのだと勝手に思っていたが、漏れ聞くところによると単純にアメリカは「医療費が恐ろしく高い」という事情があって、日本のようにゆっくりと入院することが出来ないのだそうだ。だからアメリカでも「産後は安静にすべき」という考え方はあるそうだが、私はその話を聞くまで、「アメリカ人は単純にタフな民族なのだろう」と思っていた。入院食だってピザやチーズバーガーで、日本人だと乳腺が詰まりそうだと心配しそうなものだが、アメリカではそれが当たり前なのだ。日本人は繊細だから、育児書にはやれ根野菜を食べないといけないだの、とにかく起き上がってはいけないだの書いてあるけれど、アメリカ人が出来ているのなら、本当は「産褥期」なんて都市伝説のようなものなのではないだろうか。私は「産後ハイ」の頭の中で、そんなことすら考えていた。が、もちろんそれは間違いだと、産後二週目にして、寤寐の境に私は思い知った。

ということで、産後二週間から三週目にかけて、私の「産褥期」はピークだったが、三週目を過ぎた頃、少し回復してきた私はまたムクムクと「動きたい」気持ちに突き動かされ、今月中旬から始まったカプレイ教授の「ドキュメンタリー映画学」の初回授業に出るべく、二時間ほど可愛いわが子を白井君と母親に託して大学へ赴いたのである。

カプレイ教授に会うのは年末の12月22日、前のセメスターの最終日以来、一か月ぶりである。前回「フィルム学」を聴講し、最後に挨拶に行くと、カプレイ教授は「いつでもまた来ていいよ。」と私に言ってくれた。「次のセメスターも来たいのですが、出産があるのでどうなるか分からないのです。」と私が言うと、カプレイ教授は「信じられない」というように驚いて、私のお腹をまじまじと見た。(臨月ですら、私はほとんど妊婦だと気づかれないほどお腹が小さかったのである。)「でも必ずまた会いに来ます」と言ってカプレイ教授と固く握手をして別れ、その一週間後に出産し、その三週間後の今日、再び私はカプレイ教授の授業に現れた、というわけである。(わざわざこんなにすぐに授業に復帰するとは、自分でもすさまじい執念のように感じる。)きっと私はまだ少し産後ハイなのだろう。だけど、やはり少し無理をしてこの初回に聴講に行けたのは私にとって嬉しい時間だった。

「やあ、戻ってきたね。」カプレイ教授は学生でもない私ににこやかに微笑んでくれた。出産したと報告すると、やはりカプレイ教授は「信じられない」というように驚いて、面白そうに私のお腹をちらっと見た。カプレイ教授の著書を持っていたので、サインをしてもらうと、カプレイ教授も嬉しそうに「For Seiko!」と書いてくれた。「For Seiko! a wonderful cinefile! Vince K.」そう書いて本を手渡しながら、カプレイ教授は「cinefileって言葉知ってる?フランス語なんだけど。」と私に尋ねた。「映画が好きな…」私は言い淀んだ。すると、カプレイ教授は笑いながらこう言ったのである。「映画を愛する人!つまり、君の事だよ!セイコ!」