エピドゥラル・プリーズ

1月16日。「明日の夕方19時に入院して、明後日か、遅くともその次の日までには出産する運びになります。」と担当医である女医のシュミール先生に言われたのは、妊娠39週に差し掛かろうとしている昨年の12月26日のことだった。当初の出産予定日は1月2日。日本だと考えられないが、三日ほど前に受診した「超音波検診」で胎児が小さいと診断され、胎盤機能が低下しているかもしれないというリスク回避のため、早めに産んでしまおうという処置だったのである。(アメリカは訴訟などの問題も大きく関係しているのかもしれない。)そもそもアメリカサイズから見て「小さい」という診断だったので、日本だと標準の大きさ(2600グラム)だったのだが、郷に入っては郷に従えである。その日、大慌てで家に帰ると、私と白井君は入院に向けて炊飯器六合分のおにぎりを握り、図書館で『キングギドラVSゴジラ』のDVDを借りて促進剤が効くまでの暇つぶしにしようと画策し、「見納め」と言ってはマディソンの美しく凍った湖の上をツルツルと歩いて写真撮影しに行き…今思うとあまりにも悠長に、そして楽観的に出産の備えをしていた。

そもそもアメリカで出産をすることのメリットとして私が考えていたのは、子供が「二重国籍」になることと、もう一つは「無痛分娩」で出産できるという点だった。計画分娩や帝王切開が主流だというタイ出身のプンに「日本では自然分娩が普通」だと言うと「なぜわざわざ痛い思いを?」ととても驚かれたことがあり、台湾人のジエルからも「帝王切開にしないのか?」と聞かれたこともあって、私の中でずっとぼんやりと「麻酔がある今の世で、わざわざ痛い思いをして出産するなんて文明に反しているかもしれない」というような思いが芽生えていた。担当医のシュミール先生も「麻酔は使っていいのよね?」と念を押してくれたし、私の出産に対する心構えはすこぶる余裕だった。目下の心配事は入院食。事前に出産する病院(アメリカは検診と出産当日の病院が異なる。)の見学ツアーに行った際、ピザやハンバーガーと言ったまるでファミレスのような入院時のメニュー表を見せられて、「これはいけない」と大きな危機感を感じた私は、事前におにぎりや大根の煮物、シチューや栄養ドリンクの準備だけは怠らなかった。(結果的にこれは大正解だった。)あとは、陣痛の合間にいつ『キングギドラVSゴジラ』を鑑賞しようか?などと白井君と相談し、白井君は「あわよくば大河ドラマの『真田丸』も観たい」と言って笑って夜は更けていった。

 ところが、である。12月27日の19時に入院した私は、翌28日の朝10時に出産するという思いがけないスピード出産となり、そのせいで『キングギドラVSゴジラ』も『真田丸』ももちろん鑑賞している暇などなく、夜中の3時に陣痛が始まると、その鈍い痛みはいよいよ夜明けとともに大きくなり、私はひたすら記憶がほとんど無くなるほどに苦しんだのである。あまりの痛さのため、私はすぐに「エピドゥラル、プリーズ(麻酔してください)」と叫んだが、ナースたちは「まだ担当の先生が到着してないから麻酔は打てないのよ」と涼しげに答えて、「まだ生まれないだろう」と言って相手にしてくれなかった。こんなに痛いのに、まだ噂に聞く無痛分娩にならないのだろうか?キングギドラかゴジラにでもなりそうなほど「痛い、痛い」と日本語で叫ぶ私の背中をひたすらさする白井君。「エピドゥラル、エピドゥラル、プリーズ!」私がしつこく麻酔をしてくれ、と叫んでいると、ついにナースが「あら、もう子宮口が開き始めている」と動いてくれたのが朝の8時である。やっと痛みから解放される、と安堵したのもつかの間、「担当医のシュミール先生が到着してないから、麻酔はまだ打てない」と再び言われると、シュミール先生を待つこと一時間。(一年くらい待ったような長い時間だった。)そしてやっとのことで到着し、病室に入ってきたシュミール先生は、開口一番「もう麻酔を打っている暇はないのでこのまま行きましょう」と言い放ち、私は予想してなかったまさかの「自然分娩」で12月27日朝10時、アメリカはウィスコンシン州マディソンの病院で小さな男の子を出産したのだった。

それにしても痛かった。この喜ばしい出産という人生の大きな出来事の中で、恨み言を一つ言わせてもらうとすれば、この朝、病室に遅れて現れて「麻酔無し」の決断をしたシュミール先生が、実は花柄の上下のドレスに白衣を羽織って現れ、その実メイクばっちりという今までで見た中で一番美しい姿をしていた、という点である。先生がもし、ノーメイクで、着の身着のままで病院に駆けつけてくれていたら、私はもしかしたら無痛分娩で出産出来ていたのではないか、と、私はつい思わずにはいられないのである。