発音ができないのは楽しい

12月4日。リピートしていた語学学校の『発音』の授業が今日で終わった。来週から臨月に入るからである。トム先生のこの授業は二度目だったので、重複する部分などもありながらも、私はこの授業で発音にまつわるあれこれを沢山学ぶことが出来た。どの言語にしても発音の問題は生きた言語を習得する上では避けては通れない問題で、とても奥が深いと私は思う。授業ではアメリカ人が単語を本当はどのように発音しているか、そしてそれが表記通りでは決してないこと、音の強弱の癖のようなもの、それから7,8割の確率で「単語の意味が分からなくても発音だけはできるようになるルール」、またアメリカ人が好む「くだけた言い方」など、とてもユニークな内容をゲームなどを通じて楽しく学んだ。トムは「こんなこと君たちの祖国では学ばないだろう?」と得意気に教えてくれ、そして何よりも私たち生徒の、それぞれがそれぞれの母語にとらわれた発音の問題によって四苦八苦する姿を露呈したとき、授業中、誰よりも一番嬉しそうに笑った。

とりわけ、音域の狭い日本語を持つ日本人の私にとって、学ぶべき発音のルールは沢山あった。日本人はLとRの区別が出来ない。大半の生徒はThを発音するとき、舌をかむことが出来ない。スペイン語を母語とする生徒たちはYのサウンドをJで発音してしまう。私たちが住むマディソンは、「Medicine(薬)」ではない。それから、私が一番苦手だったのは、『Syllable(音節)』の問題である。このSyllableとは、英語話者が単語の中で一つの音として感じる単位を表していて、例えば「That」は日本語では「ザ・ッ・ト」と三音節で表されるのに対し、英語では一音節と数えられるルールのことである。「Chocolate(チョコレート)」は日本語では「チョ・コ・レ・エ・ト」と五音節であるのに対し、英語は「チョッ・コリ」という二音節の音になるのである。だから、Syllableのクイズゲームをするとき、私は授業をリピートしているにも関わらず、いつもワークパートナーにぼろ負けし、トムにからかわれていた。

だけど面白いのは、この授業を通じて、私は英語話者たちにとっても「日本語」のこのフラットな発音が難しいのだということを発見したことだった。私はこのSyllableの問題を逆手に取って、トムにPerfumeの「チョコレートディスコ」という曲を紹介した。この曲は「チョコレートディスコ」とリフレインする部分で、「チョ・コ・レ・エ・ト」の五音節を使って拍を取る曲だからである。だから、二音節でしかチョコレートを発音できないアメリカ人達は、この曲を決して正しく歌うことが出来ないのである。トムにこの曲を紹介すると、トムはこの異国のポピュラーソングを聴きながら、「日本の曲は本当にクレイジーだ!」と嬉しそうに笑った。また、トムは日本の車のNISSANのことを、いつも「兄さん」と発音した。「兄さんではない、『ニ・ッ・サ・ン』だ!四音節だ。」と私が指摘すると、トムは「セイコは大人しい生徒だったのに、いつからそんなことを言うようになったんだ?」と悲しそうな顔をした。(まあ、一年も居たら口が立つようになるのは仕方ない。)

こうした発見は、現在聴講に行っているウィスコンシン大学のフィルム学の授業でもあった。前学期で私が正規の聴講生ですらない聴講生として座っていることを許可してくれたカプレイ教授の授業である。エジソンの発明から始まって、1960年代までの世界のフィルム学の歴史を紐解きながら、毎週さまざまな映画におけるジャンルを扱うこの授業で、先週はついに日本が世界に誇る「ジャパニーズ・アートシネマ」の回を迎え、カプレイ教授は、聴講生ですらない私にこの日何度も授業中、意見を求め、話しかけてくれたのだが、そのほとんどが「これ、日本語でどう言うの?これ、発音あってる?」というものだったからである。「黒澤明の『蜘蛛の巣城』は日本語で何て言うの?」とカプレイ教授は私に聞き、それがマクベスを題材にした映画であるということから、「英題より邦題の発音の方がマクベスに近いねぇ。」などと呟いたりした。そして「トーホー(東宝)は黒澤明の映画の会社だからこの発音には自信があるんだ」と私に笑いかけてくれた。だけど私はその時、細心の注意を払ってカプレイ教授が意味せんとする日本語の発音に耳を澄ませていた。というのも昔、カプレイ教授と話をした際、私はこの日本語の発音の問題で大失敗をしたことがあるからである。

その日、教授は日本の「ベンシ」にとても興味があると私に言って「知っているか?」と聞いてきた。私は、教授がまた発音を間違えていると早合点し、咄嗟に「武士!武士!サムライ!」と叫んで、刀を抜く武士のモノマネをしてみせた。カプレイ教授は驚いて、「もう一度発音してくれ!」と叫び、私は「武士、武士」と刀を携えたジェスチャーのままでもう一度単語を繰り返した。「ほお…」とカプレイ教授は目を細め、「やっぱり本場の発音はぜんぜん違うな…。」と呟いた。が、実は「ベンシ」というのは、サイレントムービーが日本を席巻した際に日本で登場した映画を盛り上げる「語り部」として一時期活躍していた「活動弁士」のことだったのである。教授とのちぐはぐなやり取りのすぐ後にそのことが判明し、私は、教授が発音を間違えているものだと思い込んだこと、無駄に武士のモノマネをしたことから、顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしたというわけである。もうそんな間違いをしてはいけないと思ったのである。
『発音』というのは習っても習わなくても、私には本当に難しい問題だった。だけど一方で、こうして日本語の発音と英語の発音が分かり合えない遠い立ち位置にあるからこそ、トム先生は楽しそうに授業中生徒の間違いを大笑いして指摘するし、私はカプレイ教授の授業で初めて、ウィスコンシン大学の正規の学生たちの前で日本語の発音を披露し、自尊心がくすぐられるような、とても誇り高い気持ちになれたのである。