やっぱり魅惑のアラブ人

 5月20日。「アハメはサウジアラビアに帰るわよ。」カフェでばったりサウジアラビア人のダラルに会った際、彼女はそう教えてくれた。「来月ラマダーンがあるから、アハメは国へ一時帰国するのよ。ラマダーンは大切なイベントだし、最終日には親族中が集まってパーティをする素晴らしいお祭りなのよ。もちろんアメリカでお祝いすることも出来るけど、アハメはどうしても家族と過ごしたいから帰国するのよ。」スマートフォンでラマダーンの日にちを確認しながらそう言うと、「私も帰りたかったわ。皆が集まって本当に楽しいのよ。」とダラルはため息をついた。そして、ラマダーン中には絶対に何でもいいから夜明け前に何か食べた方がいい、とラマダーンを快適に過ごすコツを私に伝授してくれた。

 アハメといえば、私が語学学校に来て以来の長い付き合いで、彼自身もかれこれ一年以上同じ語学学校に通うサウジアラビア人の19歳の男の子である。私はF2というビザの関係でフルタイムの授業数を受けられないという点と、二年アメリカに居るという事情から、授業を少なく取って少しずつ上のクラスに進んでいたが、フルタイムのアハメは何度も同じクラスを落第してはリピートしていたので、いちばん最初のセッションが終わった後も、彼とだけは何度か同じ時期に同じクラスになることがあった。アハメはいつ会ってもクラス一出来が悪くて、いつも授業の腰を折っては笑いを取っているけれど、その実クラスのムードメーカーだった。もちろん私もアハメが大好きなので、よくダラルとアハメの話をすることがあるが、実は最近、私はアハメのことをよく思い出すことがあったのである。

 というのも、私は今期ついに、語学学校のアカデミックなプログラムの最終レベル700のクラスを受講することになったからである。700と言えば、数多くの生徒がドロップアウトすることで有名なクラスである。韓国人のアイリーンも日本人のアリサもその昔、授業開始早々にドロップアウトして二度と700のクラスの扉を開けることはなかった。中国人のジェイソンは四度このクラスをリピートしたし、IELTSのスコア7を誇る天才モハメドも、授業開始一週間でクラスに姿を現さなくなった。上海人のジャクソンはスカイラーに支えられながらやっとのことでパスしたが、「とにかく難しい単語はたくさん習ったが、大変だったこと以外何も覚えていない」とのコメントを私に残してくれた。とにもかくにも、ハードなクラスなのは確かであり、大学に行く予定が特にない私も、今期はこの授業の大変さに身も心もボロボロになりながら毎日を過ごしているのである。

だけど私が面白いと思うのは、この最終ステージ700でよく「カルチャーショック」を軸とした様々な人々の「価値観」について学ぶことがあるという点である。だから、授業ではもちろんアラブ人について学ぶことも多く、そういう時私は密かに大好きなアハメのことを思い出しながら授業を受けているのである。例えば、ある日の宿題のアーティクルでは、アラブ人のパートナーシップの特異さが取り扱われた。教科書によると、アラブ人たちの交友関係のステレオタイプと言えば『瞬時に形成され、可能な限りポジティブな返答をエチケットとし、プライバシーという言葉はない』というのが特徴である。だから、アラブ人というのは出会って間もない人でもすべて「友達」になり、出会ったその日に家に招待するということは勿論、彼らの家族構成の全てが開示されるのが当たり前だという。もっと言うと、彼らは「友人」の父母は勿論、その従兄弟や祖父母のフルネーム、職業まで熟知していることがあるのである。

授業でこのことを習った日、私はアハメが出会ってすぐ、自分の家族の写真をすべて私に見せてくれて、宝石と金の会社を経営していると教えてくれたことを思い出した。それから昔、私の両親が日本からマディソンに遊びに来ていた時には、「ご両親がこの週末に映画を観たがったら、僕が案内するから連絡して!」とアハメから提案を受けたことがあったことも思い出したのである。もちろん私は軽いカルチャーショックを感じながら、「たぶん映画は観ないんじゃないかなぁ。」と返事をした記憶があるが、それがサウジアラビアに映画館がないということに加えて、アハメが『友人の証として、その時に自分が出来る最大の能力を相手に示す』文化を生きていたのだということに、今になって答え合わせのように思い至ったのである。

 そして今日、私はまた学校の前の道で帰国直前のアハメに出くわした。陽気に手を振るアハメ。「サウジアラビアに帰るんでしょう?」と私が聞くと、アハメは「来週から帰るよ」と嬉しそうに顔をほころばせた。「また戻ってくるんでしょう?」と私が聞くと、「もちろん!」とアハメは答える。「こっちにずっと居る?」私が聞くと、「分からないけどたぶん!」とアハメは笑う。「ずっと語学学校に居る?」「分からないけど、たぶん居るよ!」とアハメは笑顔で答える。『アラブ人というのは友人に対して“可能かどうかは別として”ネガティブな返事はしない人たちである。』そう教科書に書いてあった。きっとアハメはラマダーンが終わったらまた語学学校に戻ってくるだろう。だけど、そのあともずっと居ることはないはずだ。まったく、アラブ人というのはやっぱり面白いなあ、と私はつくづく思うのである。