キャシーはlovely teacher

 10月23日。恒例の二か月ごとにくるセッション最終日である。最終試験のこの日、キャシーというベテラン先生は頭にティアラを付けて登校してきた。今日で27年の語学学校での教職員生活に終止符を打つからである。私は幸運にもこのおばあちゃん先生の最後のリーディングの授業の生徒だったのだが、今時オーバーオールに豚のソックスを履いたハイセンスなファッションを着こなすキャシーは、「ラブリー」という口癖を連発する割には、振り返ると全然ラブリーではない、なかなか食えない先生だった。
 
このリーディングのクラスを含め二期目となる今期、私は他にライティングとリスニング&スピーキングという授業を取っていたのだが、今思うと今期のこれらはいずれもハード極まりないものだった。というのも渡米して3か月目にして私は突如、英語を話すということのスランプに陥ったからである。話さなければいけないという不安と焦りの悪循環から、英語が全く出てこない状況がこのセッション中何度かあった。読み書きなど、一人でコツコツと時間をかけて仕事をすることには問題はないのだが、誰かと話さなければならない状況になると、このスランプ状態がしばしば発生したのである。頭の中で英語の文章が変換されない、脳内に英語がどこにも生まれず、話したいことは日本語でしか出てこないのである。その上こういう状況は語学学校の授業において大いに支障が出るものだった。なぜなら500レベルの授業になると、すべてのクラスがスピーキングを重視した授業がメインになるからである。
 
キャシーはリーディングの初日、宿題で読んだ記事に対するディスカッションにほとんど参加できなかった私にさっそくCの評価を付けた。これはエングレードと呼ばれる評価システムで、先生がテストや宿題、授業中の態度などをすべてインターネット上で評価するのである。このCを見た私がショックを受けたのは言うまでもない。このままでは500レベルをパスすることが不可能だからである。やりがいがあると言えばあるが、スランプが発生している日だとディスカッションはとてもきついものだった。甘い先生だとたいてい授業に出席さえしていれば90点以上のAをくれるのだが、キャシーはディスカッションに参加できなかった日には、いくら予習をちゃんとしていても容赦なく低い点数を付けてくるのである。その上彼女は「ラブリークイズ」という名の抜き打ちテストを週一で仕掛けてくる悪い習慣があった。(この抜き打ちテストもきちんとエングレードのクイズ欄に反映される。)ラブリークイズの襲撃はリーディングクラスの朝一の悪夢だった。
 
「ラブリー、ラブリー」と歌うように口ずさむキャシーは、ラブリークイズの他にも、遅刻者を教室から閉め出したり、態度の悪い生徒を「KIDS!(ガキが!)」と罵ったり、休み時間中に机の上の生徒の荷物を隠すこともあり、私たちはすっかりキャシーの独特の授業に魅了され振り回されていた。またある時は、言うことの聞かないティーン達にキャシーがついに激怒し、残り10分の授業を放棄されたことがあった。はっきりと「私は怒りました。」と冷ややかに言い放ちキャシーが教室を出て行ったあと、教室に残されたティーンたちは混乱の嵐だった。まず「お前が悪い」の言い合いが始まり、授業中にデッサンをしていた芸術肌のエクアドル出身のステファニーはいちばん態度の悪かった不良のトルコ人のサディックを教室から閉め出して、「ゴーアウェイ!」と叫ぶし、マリアは次の授業もキャシーだという不安から授業の予習を始め、アラブ人のアハメは「何か買ってきて先生にあげるのはどうだろう?」と金で解決しようと提案しマリアに「謝るのが先だろ。」と怒られていた。結局、クラス全員で職員室までキャシーに謝りに行ったのである。

 けれど、そんな風に怒られたりへこまされたりしながらも、私はこの不思議なキャシーの授業がとても好きだった。彼女の厳しさが私のスランプを時に苦しめ、時に救ったからだ。結局のところ、話さなければいけないという焦りは、彼女の最初の評価と授業の恐怖が引き金になったのだけれど、それが私の意識を確実に変えたからである。結果的に、このクラスは落第した人が多かった。私はついにABでパスできたが、アハメは10月の2週目くらいに、「僕はこのクラスはリピートだよ。」と諦めた表情で笑って言っていた。私のスランプはというと、授業も残り二週間ほどになって少しずつ回復を見せ、ステファニーと「安楽死は善か悪か」について少なくとも自分の意見を述べるほどまでには回復した。最後の試験の後に、ずっと言いたかったこの話をキャシーにすると自然と涙がこぼれた。キャシーも泣いていた。先生と生徒は、時に苦しめ合って高め合うのかもしれないと、30を過ぎて私は学んだのである。