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個人的な体験/夕暮れの盛岡篇

4月25日

 今年の春、私は、1年4ヶ月ぶりに本州北端、津軽半島の少し南の盛岡を一泊二日ほどかかって一回りしたのであるが、それは、私の三十幾年かの生涯に於いて、重要な事件の一つになった。私は盛岡に生まれ、そうして二十九年間盛岡に於いて育ったが、それ以外の岩手県の町についてはあまり知ることがない。研修医時代に半年間を過ごした二戸市、同じような理由でやはり半年を過ごした青森県八戸市、スキー場やゴルフ場のある、安代町や松尾村(この二つの町村は、平成の大合併により現在は「八幡平市」となっている)、それだけの町を見ただけで、その他の町村に就いてはほとんど知ることが無かったのである。もっとも、私が今回の小旅行を「重要」と言ったのは、知らなかった岩手の町について知ることができたからというわけではない。これは、それよりもやや事務的な理由で重要な旅だった。
 繰り返しになるが、盛岡は私の生まれた町である。盛岡は北上盆地の北端にあり、人口29万の、これという特徴もない町だ。都会風に気取った所があるとも思えない。善く言えば、控えめで穏やかであり、悪く言えば、保守的で面白味のない町という事になっているようである。それから130キロほど南下すると、仙台がある。こちらは盛岡と比べるとかなり大きな都会で、最近はサッカーや野球のプロスポーツチームまである。東北の中核都市だから、東日本を中心にビジネスマンや学生が日本中から集まっている。都会特有の、あの孤独の戦慄が、横溢とまでは行かないが、ごく当たり前に見受けられる町だ。仙台は古い歴史を持つ町である。しかし、その歴史と都市化の間にやや滑稽な不調和がある。この雰囲気は名古屋で感じるものと似ているところがある。大袈裟な譬喩でわれながら閉口して申し上げるのであるが、かりにアメリカを例に取るならば、名古屋はシカゴ、仙台はシアトル、盛岡はポートランドである。シカゴの、「第三文明軸」的存在感は、どこか名古屋を思わせる。太平洋に面している静かな北部都市というのが、シアトルと仙台の共通点である。ポートランドは、景色が良いことで有名なアメリカ北部の小都市だが、盛岡もまた、山に囲まれ、市の中心部に川が流れる、景色の美しい町だ。緯度が高く、冬は非常に寒い。人々は控えめで、何を考えているのか簡単にはわからないところがある。全てのことに対して一歩引いた感じが、人だけではなく町全体に流れている。長く住んでいる間には気が付かなかったが、盛岡とはそういう町なのだ。そこには、「あるものはあり、無いものはない」という状況だけが、ただ静かに存在している。
4月22日は、14時50分発の飛行機で、伊丹から花巻空港へ向かった。この日は土曜日だったので、芦屋の体育館で行われている合気道の稽古に途中まで参加した。帰りがけにお菓子を二折買ってから家に戻り、車で伊丹空港へ行った。道路が空いていたので、30分ほどで空港についた。チェックインと手荷物検査を終えて搭乗口につくと、ちょうど機内への誘導が始まったところだった。 
飛行機はとても小さかった。そして、離陸直後からひどく揺れた。私は機内誌を読んでいたのだが、持続する小刻みな振動で気分が悪くなり、目を閉じて眠ることにした。しばらくして目が覚め、窓の外を見ると、雲の間に突き出た山並みが見えた。山は雪で覆われていて、よく観察しないと、それが山なのか雲なのか判らなかった。

「これって、日本アルプスでしょうかね」

僕は彼女に聞いた。

 「どうでしょう。そうかもしれないわね」

 彼女は窓際の席に座っており、大江健三郎の小説を読んでいた。横からのぞき込むと、「鳥(横に、バード、とふりがなが振ってある)」とか、「性交」といった文字が目に飛び込んできた。もう一度窓の外に目をやると、雲間の山並みはいっそう高さを増し、針葉樹に包まれた青い山肌が見え始めた。山は、手が届きそうなくらい近くに見えた。この窓から飛び出して、尾根の上を駆け渡って行けそうなくらいに山は近かった。実際にパラシュートで飛び降りたとしたら、私の姿は、瞬く間に米粒ほどの大きさになり、そして山肌の中に消えてしまうだろう。そう思うと、この山々の大きさが、自分の中で理解できなくなってきた。今、目の前にはっきりと見えるこの美しく大きな山脈が、まったく現実感のないものに思えてきた。しばらく山をみていると、それらは飛行機の腹の下に隠れはじめた。彼女は小説に飽きたのか、今度は機内誌をめくっている。窓外の景色にはあまり興味がないようだ。窓枠から山が完全に外れてしまったので、私も持ってきた本を読み始めた。ヘミングウェイの短編集だった。窓の外を見ているうちに、飛行機酔いは幾分楽になっていた。しばらくの間、本を集中して読んだ。そして、文庫本の文字を追っているうちに、ゆっくりと瞼が落ちてきた。瞼が落ちかけた場所にある暗がりは、小説の中とも現実とも違う世界だった。眠気をこらえながら小説にすがりついていると、私は頭の中で、小説に引き続いた異なるストーリーを読んでいた。会話の途中で眠りに入り込むと、暗がりの中で登場人物がそのまま会話を続ける。そして、いよいよ完全な暗闇が訪れようとするときに目が覚める。気を取り直して再び小説を読み始めるのだが、暗闇は直ぐにまた訪れる。三つの世界が入り交じり、頭の中が溶けたチョコレートのように暗くなったところで僕は読書をあきらめ、もう一度眠りについた。
 今度は客室乗務員の女性が飲み物を運んでいる気配で目が覚めた。私は、ゆずジュースをもらった。選択肢が、ゆずジュースとウーロン茶しかなかったのだ。飛行機はまだ空高いところにいた。彼女はふたたび小説を読んでいる。

「ずいぶん熱心に読んでるね」

「これをやりたいって言う学生がいるの。わたし、当然、前に読んでいると思っていたんだけど、ぱらぱら読んでいるうちに、全く読んだことが無いことに気がついて、いま慌てて読んでるの。でも、疲れた。もう止めたわ」

 間もなく飛行機は着陸態勢に入り、いわて花巻空港に到着した。16時15分だった。
 空港から盛岡駅行きのバスに乗った。花巻空港から盛岡駅までは、バスで一時間弱の距離である。バスの中は比較的混んでいた。初老の観光客のグループが7,8名、ビジネスマン風の男性が数人、スーツを着た20代前半くらいの男の集団が5人くらい、大きな旅行用カバン(最近よくある、台車付きのもの)と、おみやげの紙袋を持っている女の子が一人、そして私たちである。
 バスが走り始めるとすぐに、私たちの後方に座っていた若い男の携帯が鳴った。会話から察するに、若い男性の集団は、結婚式に出席するために秋田へ向かっているところのようだった。話をしている男の子は、電話の相手に対して、予定よりも到着が遅くなりそうだと伝えていた。話し声が大きく、電話を早く切り上げようという姿勢も感じられなかった。10分ほどして、男の子はようやく電話を切った。バスは、国道四号線から高速道路に入った。花巻インターチェンジの入り口のところに、新しいパチンコ店ができていた。
 盛岡南インターチェンジに差し掛かったあたりから、岩手山が見えてきた。山の中腹から上に、雲がかかっている。山にはうっすらと西日が当たっている。前方の観光客グループから、「あらまあ」とか「きれいねえ」という声が聞こえてきた。バスは、盛岡インターチェンジで、一般道に下りた。盛岡の西の端にあるインターチェンジから市内へ向かう途中には、大きなショッピングモールができていた。広い駐車場に沢山の車が停めてある。そのあたりで、また後ろの座席の方から電話の話し声が聞こえてきた。前と同じ男の声だった。今度は自分から電話をかけたらしい。相手は女の子のようだった。「いまな、結婚式で秋田に向かっている途中なんだけどな…」とか、「声が聞きたくなってん」などという会話の断片が、車内に響いている。バスはそれ程時間を待たずに到着するし、気にしないでおこうと思ったのだが、電話の会話は益々盛りあがり、時々大きな笑い声まで混じり始めた。そして、「あのな、今バスの中だから、あまり大きな声、出されへんねんけどな」と男の子が言ったとき、

 「もう十分声が大きいんだよ。切れよ。うるさい」

と言う声が聞こえてきた。どこから聞こえてきたのかは、直ぐ判った。なぜなら、言ったのは私だったからである。

「なによ、子供も喧嘩みたいに」彼女は直ぐに言った。

「あのな、バスの中にひとりうるさい奴がおんねんやんかあ。だからな、もう切るわ。じゃあまた後で。ほなな」

そう言って男の子は電話を切った。普段の私なら、まずそんなことは言わない。しかし、この時は、いつの間にか口からあのような言葉が出てしまった。あの男というよりも全体の状況が気に入らなかったのだと思う。バスはそれから10分ほどで盛岡駅に停車した。荷台から荷物を下ろし、降車の順番を待った。私は彼女を先に並ばせた。彼女のすぐ前は、荷物を沢山持った若い女性だった。荷物の大きさからいって、彼女も結婚式に出席するのだろう。私のすぐ後ろには、携帯で話していた男を含む若者のグループが並んだ。若者達は静かだった。彼らは何も言わず、私の後ろにぴったりとくっついて並んだ。降車口では、観光客グループのおばさんが、料金の支払いに手間取っていた。おばさんがようやく1260円のバス代を支払い終わると、行列はゆっくりと前に進み始めた。彼女の降りる順番が来て、空港で買ったバスチケットを運転士に渡す。次に私がチケットを渡す。そして、ロータリーに降りる。私はゆっくり歩き出そうとする。しかし、数歩歩いたところで、彼女が立ち止まり、何か荷物の中身を調べ始めた。私はバスに背を向けたまま、彼女の調べものが終わるのを待っている。私は、左手に一泊二日分の荷物が入ったバッグを持っている。右手には、大きなアンリ・シャルパンティエの袋を持っている。私はバスに背を向けたまま、彼女の調べものが終わるのを待つ。バスからは人が降り続けている。それ以外のことは何もわからない。彼女の調べものはまだ終わらない。
 
「何を探しているの」

 できるだけさりげなく聞いた。

「いや、ちょっと。コンタクトレンズの…」

「あ、あった。ありました。大丈夫です。お待たせしました」

彼女がそう言ったとき、丁度私の背後に停車したバスが動き始めた。

「そう。じゃあ、行こう。ホテルは、もうそこだから」

「帰りの飛行機で飲む酔い止め薬を買っていきたいんだけど…。ちょうど、あそこに薬局があるわよ」

バスロータリーの浮島から道路を挟んで向かい側にある駅ビルを見ると、北の端の方に薬局の緑の看板が見えた。

「じゃあ、そうしましょう」

私たちは、横断歩道をわたり、駅ビルに向かった。横断歩道を渡るとき、さりげなく立ち去った空港バスの方を見たが、もうそこには誰もいなかった。時刻はまだ午後5時20分だった。


 

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2006年4月28日 16:57に投稿されたエントリーのページです。

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